第13話 Caught

 翌日、つまり潜入八日目の夜、慎吾はいつもと変わらずハザードで働いていた。

 ミツルは夏風邪を引いたらしく、今日は急に休みを取っていた。本当に体調が悪いのかは定かでないが、一人いないだけでも何だか忙しく感じる。

 店内は今夜も賑わい、空いたグラスを小まめに下げながら、慎吾は愛想笑いの下で考えていた。

 あれから、他の監視カメラに異常は見られなかった。写らなくなったのはロッカールームのカメラだけで、他はきちんと動いている。


(段ボールを動かした形跡はなかったし、やっぱ故障か?)


 開店前に入った、ロッカールームの様子を反芻する。本当は早々に回収し原因を突き止めたかったが、ちょうど他のスタッフが着替えていたため、段ボールに触ることも出来なかった。

 後で隙を見て回収せねばと思いつつ、慎吾はトレイにびっちりとグラスを並べ、厨房へ向かった。

 厨房へ入り、洗い場担当のスタッフへ声を掛け、シンク横の決められた場所へグラスを置く。ダスターでトレイを拭き、ホールへ戻ろうとするところへ、ちょうど奥にいた吉見が声を掛けてきた。


「サトルちゃーん、ライム切れたから、ちょっとお使い行って来て!」

「はーい」


 営業中に切れた酒やツマミを買いに出るのも、バイトの仕事だ。とりあえず今夜凌げるだけあれば良いと、吉見は千円札を二枚、慎吾へ渡した。


「ついでにお釣りで、煙草も頼むよ」

「パーラメントのロングでしたっけ?」

「そう、よろしくね」


 吉見はいつもの調子で慎吾の手を札ごと握ると、ついでに肩をポンポンと叩き、腰の辺りを撫で回す。これもセクハラに入るだろう──慎吾は内心ムカつきながら、足早に従業員出入口へ向かった。



 従業員出入口は、店の正面から見て右の路地奥にある。慎吾はそこから店の前まで出ると、三丁南にあるストアへ向かった。

 言われた通りライムを二本、それから頼まれた煙草も買い店を出る。少し歩いたところで、誰かと待ち合わせしている様子の真澄が、携帯を手にして立っていた。


「あ、兄ちゃん!」

「おう、どうした?」

「ダチと待ち合わせ系、つうか、遅れてる系? でもマジラッキーって!」


 真澄は嬉しそうに笑いなから、買い物袋を下げた慎吾の腕に絡み付き、まるで甘えるように肩へしなだれ掛かった。


「兄ちゃん、キョウちゃんがね、全部見たよーって」

「そっか、そりゃ良かった」

「兄ちゃんの方はどお? 元気にやってる?」

「ああ、まあな」


 慎吾はそう答えると、笑顔で真澄を抱き寄せ、大きな金のイヤリングが付けられた耳へ唇を寄せた。


「カメラが一つダメになった。故障だと思うが、もしかしたら気付かれてるかも知れない。お前も気を付けろ」

「了解。コッチの中はホシ特定、監視付きで泳がせてます。例のヤサは特定中です。それから、これは別件かも知れないけど、ここ一ヶ月で未成年者の家出が増えてて、そいつらがどうやらどっかに集められてるみたいです」

「場所は?」

「まだ判りません」

「そうか」


 そう呟いて、慎吾が身を離す。真澄はまるでジョークにウケたように、ケラケラ笑いながら慎吾の二の腕を叩いた。


「もー兄ちゃんマジウケるぅ! キョウちゃんにも言っちゃおうっと!」

「バーカ、ほら、早く行けよ」

「あい! じゃまたねぇ」


 真澄はくい、と小首を傾げると、ひらひら手を振り雑踏の中へ紛れ込んで行く。慎吾は踵を返すと、歩きながら左耳を押さえた。


「……聴こえたか?」

「おう」

「これから店へ戻る。何かあったら知らせてくれ」

「判ってるっつうの」


 相変わらず横柄な返事だ。きっと今タイガは、モニターの前でふんぞり返っているに違いない。だが、そんな態度が何だか頼もしく感じられる。

 慎吾は薄く微笑むと、雑踏の中、元来た道を辿った。



 今夜の営業が終了し、店内清掃を終えた時点で、時刻は午前二時半になろうとしていた。次々に他のバイトが帰って行く中、慎吾はロッカールームでゆっくり帰り支度をしていた。


「サトルくん、お先にぃ」

「お疲れ様ッス」


 最後の一人が挨拶と共に、部屋を退出していく。軽い音を発ててドアが閉まった後、慎吾は例の段ボールを下ろそうと、近づき手を掛けた。


「待て、浅田がバックルームに入ったぞ」


 低いタイガの声に手を引っ込め、自分のロッカーの前へ戻る。扉を開けた途端、浅田がにこやかに入って来た。


「おう、お疲れ。まだいたのか?」

「お疲れ様ッス。もう帰ります」


 慎吾は笑顔で、今着替えを終えた風を装い、ロッカーを閉めた。

 扉に鍵を掛けようと、腰にぶら下げているキーチェーンに手を掛け、小さな鍵を摘まみ出す。そしてそれを鍵穴に入れようと構えた矢先、浅田に右腕を掴まれた。


「なあ、サトル」

「へ? 何スか?」

「お前、この間──あのろくでもねえバカが騒いだ日、店長室に入ったか?」

「いや、覗いただけっスけど」

「ふーん……いや、誰かがあそこに置いてあったノートパソコン、いじったらしくてよ」

「え、マジすか?」


 まったく初耳だという表情で驚いて見せると、浅田はにやりと笑った。そして慎吾から手を離すと、指で例の段ボールを指した。


「アレ、ちょっと下ろしてくれ」

「ハイ」


 危惧していた可能性が、当たってしまったようだ。しかしこんな回りくどい方法を取るのは、まだ慎吾を「疑っている」段階だということだろう。

 何食わぬ顔をして、棚から段ボールを下ろす。そして言われるままフタを開くと、そこにあるはずのカメラはなかった。だが慎吾は顔色一つ変えず、これが何か、と表情で尋ねる。浅田はそれを見て、自分で段ボールのフタを閉めた。


「こん中にな、盗撮用のカメラが仕込まれてたんだ」

「盗撮って……え、野郎ばっかなのに?」

「ああ、他にも仕掛けられてたんだ。店の中にあちこちな……サトル、お前何か知らねえか?」

「へ? 何で俺が」


 そう訊いた瞬間、浅田は慎吾の胸倉を掴み、ロッカーへ強く押しやった。派手な音を発てて背をぶつけ、堪らず小さく呻いた慎吾を、浅田の鋭い双眸が射るように睨んだ。


「シラ切んなよ、サトルくんよ。お前、一体何モンだ? この間、間近で見た時からおかしいと思ってたんだ。この眼鏡、カメラ仕込んでるだろ?」

「逃げろ、榊!」


 左耳の奥でタイガが叫んだ。

 咄嗟に拳を握り、浅田の腹目掛け繰り出そうとする。しかしそれより一瞬早く、浅田の手刀が慎吾の首に打ちこまれた。


「ぐっ!」


 息が詰まり、まるで鈍器で殴られたような衝撃が頭に響く。ぐらりとひるんだ慎吾へ、浅田は更に拳を腹へ叩き込んだ。


「榊!」


 一部始終をモニタリンブしていたタイガが、慌てて叫び立ち上がる。しかし返事はなく、吹き飛ばされたらしき眼鏡の映像が回り、ノイズに乱れた。


「おい、応えろバカ野郎!」


 回復した眼鏡からの映像に、床に倒れ込んだ慎吾の姿が映り込む。それはしかし束の間で、直ぐに革靴が迫り、ノイズと共にブラックアウトした。まだ生きているピアスのマイクからは、複数の足音と低い話声が聞こえる。それから重いものを引き摺るような音が響き、ドアを開ける気配が伝わって来た。どうやら、慎吾をどこかへ運び出しているようだ。

 程なく受付に仕掛けたカメラから、拘束されぐったりとした慎吾が、数人の男に運び出される様子が映し出された。


「マジかよ……」


 タイガは慌てて机の引き出しを開けると、支給された銃をズボンの腹に挟み込み、それをシャツで隠しながら部屋を飛び出た。

 階段を駆け下り、酒気を帯びた雑踏を掻き分け、ハザードまで全力疾走する。幾人かにぶつかりながらも、歩道のない狭い道路を曲がった。あともう少しで店へ到着するというところで、店の正面玄関に横付けされていた黒いミニバンがライトを点け、タイガへ向かって急発進して来た。


「うおっ!」


 慌てて路肩へ寄り、間一髪でかわす。すれ違ったフルスモークの車内には、恐らく慎吾が捕われているはずだ。

 タイガは咄嗟に腹の銃へ手を掛けたが、ミニバンの進む先には通行人がいる。発砲するのをためらった隙に、ミニバンはタイヤを鳴らして左折し、姿を消した。


「畜生っ!」


 慌てて追うが、ミニバンは遥か向こうまで離れ、更に右へ曲がって行く。タイガは急いで携帯を取り出すと、歯ぎしりしながら京田へ掛けた。


「はーい、今自宅。どうしたの?」

「榊が拉致された!」

「何っ!」

「今すぐマンション引き払ってくれ、それからアイツを連れ去ったのは、黒いスポーツタイプのミニバン、フルスモークで恐らくT社製、ナンバーは――」


 現時点で判る限りの情報を、京田へ伝える。京田はタイガと携帯で通話したまま、慌てて自宅の固定電話から中央署に繋ぐと、ちょうど当直していたマル暴の課長を捕まえた。街頭防犯カメラおよび、歓楽街周辺の幹線道路に設置されたNシステム・Hシステムによる捜索、GPSによる慎吾の携帯位置情報検索を指示する。


「まだかよ?」

「待って、もう少しだ」

「早くしやがれっ!」


 じりじりと待つタイガが、つい荒い声で催促する。ほんの数分前なのだ、きっとまだ近くを移動しているに違いない。だがいくばくの後、京田から発せられたのは、追跡が難しいことを知らせる言葉だった。


「GPSの反応が、消えた。携帯の電源を切られたか、壊されたかしたらしい」

「何だと……他は? 何かに引っ掛かってねえのかよ?」

「店舗に一番近い街頭カメラには、それらしい車が南へ向かうのが映ってるが、ナンバーまでは確認出来てない。最寄りのNシステムには該当車なし――幹線道路には出てないようだ。裏道を選んで走っているか、近場に潜伏したか、どちらかだろう」

「クソッ、じゃあ非常線張ってくれよ、まだそんなに遠く行ってねえだろ!」

「残念だが……それは出来ないんだ」

「何だとぉ?」


 仲間の命に関わる事態に手段を選ぶのかと怒るタイガへ、京田は辛そうに、しかしはっきりと告げた。


「虎屋くん、警察の体面上、それは出来ないんだ。非常線を張るには、それ相応の理由が必要だ。判ってると思うが、僕らは何があっても、潜入捜査していることを公には出来ないんだ」

「……テメエ、それでも署長かよ? 部下が拉致られたんだぞ!」

「判ってる。でも榊くんなら、きっと大丈夫だ」

「何が大丈夫だ、アイツを見殺しにすんのか、このクズ野郎が!」


 タイガは携帯に力いっぱい怒鳴りつけ、乱暴に終話ボタンを押した。

 頭では、京田の言うことは至極真っ当だと判っていた。だがいくら慎吾が優秀な捜査官だからと言って、このまま放っておけば命に関わるのも知っていた。


「ああクソッ、畜生っ!」


 行き交う雑踏の中、人目も憚らず一吠えする。それから渋い顔で住所録のデータを開くと、ある電話番号へ発信した。


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