第12話 Spy 3

 異変が起きたのは、その日の深夜、午前二時を回ったころだった。

 モニターの向こうにはまだ客がひしめき、終電も行ってしまったというのに、相変わらず楽しげに踊っている。


「ちっ、お前ら毎晩毎晩、楽しそうにしやがって。いい加減家帰って寝やがれ」


 慎吾と交代して席に着いていたタイガが、そう毒づく。すると途端に、ロッカールームを映していた画面が揺れ、太い縞模様とともにブラックアウトした。


「……まさか、オイ、榊!」

「ああ?」


 シャワーを浴びたばかりの慎吾が、タオルを腰に巻いたままの恰好でタイガの傍らへ並ぶ。そして指差された画面を見て、一つ舌打ちした。


「……バレたと思うか?」

「さあな、カメラの故障ってこともある。他のカメラは?」

「今んとこは映ってる。つうか、ロッカールームにはどうやって仕掛けたんだよ?」

「ドア横の、棚の上に置かれた、埃被った備品の段ボールん中だ。長い間触ってないようだったから、バレにくいイイ場所だと思ったんだけど」

「ふーん……お前、明日出勤だったな」

「ああ」

「行くのか?」

「もちろん。まだはっきり掴めてないし、感触としてはマークされてるようなフシもない。それに、もしロッカールームのカメラが発見されてたとしても、俺がやったという証拠は残してない。店長室のパソコンもそうだ。あの店にある店内監視カメラに映るのは、入り口とフロアの真ん中だけだし、一切ヘマはしてない」


 はっきり言い切る慎吾の隣で、タイガはしばらく頬杖を付き、何事か考えていた。そして一つ溜息を吐くと、ちらりと慎吾を見遣った。


「……俺は、そろそろヤバい気がする。もし相手がお前より上手だったら、どうする?」

「それは俺も、正直考えた。もしヤバいとなったら、ここを一時間以内に解体する手筈は付けてあるし、俺もなりふり構わず逃げるさ。例え、相手を殺してでもな」

「殺してでも、か。穏やかじゃねえな」


 タイガが口端を歪ませて返すと、慎吾は真面目な顔で垂れた前髪をかき上げた。


「俺らモグリは基本的に違法行為だ。だから何かあっても、本家がおおっぴらに動いて、助けてくれることはない。その代わりに、自分の命が危ない場合、相手を殺しても不問とされる。殺人を犯しても、本家が総力を上げて、全部もみ消してくれる――それが俺達に与えられた、特権ってやつ」

「殺人許可、ってか?」

「そんなもんじゃねえよ。ただ、それに頼ったら最後、俺はただの人殺しになる」


 だからいかなる場合も使ってはならないのだと、慎吾は低く呟いた。


(まったく、コイツってヤツは……)


 モニターを見つめる慎吾の横顔を、タイガは頬杖を付いたまま見つめていた。

 彼は決してマル暴の連中のように、男臭くタフな外観ではない。むしろ線は細く、どちらかと言うとヤサ男に分類されるだろう。だがその体の中に秘めた刑事としての魂は、決して猛者たちに引けを取らない。


(なかなか男らしいじゃねえか)


 密かに感心するタイガの視線に気付いたのか、慎吾はふとタイガに目を遣ると、少しはにかんだ笑みを浮かべた。


「それに、俺にはバックアップが……アンタがいるから」

「は?」

「だって俺に何かあったら、また助けに来てくれんだろ?」

「はあ? 誰が行くかよ。一人なら何とでも逃げられるって、テメエ言ってただろうが。安心しろ、テメエが死にそうになったって、ご希望通り行かねえよ」

「あーそうかよ、じゃあ絶対来るなよ、このクソヤンキー!」

「うわ、触んじゃねえバカ!」


 慎吾が報復とばかりに、タイガの髪を両手で掻き回した。彼のラフなリーゼントが、実はセットにコツと時間を要する髪型だと言うのを知ってのことだ。

 対してそんな子供臭い手段に怒ったタイガは、慌てて慎吾の手を捕まえようとする。だが慎吾はするりとかわし、そのまま風呂場へ逃げて行った。


「このクソ榊! 覚えとけ、この任務が終わったら、絶対ェシメてやるからな!」


 風呂場へ吠えたタイガは、乱された髪を撫でつけると、椅子にドッカリ座って煙草を咥えた。


(俺がいるから……か)


 思えばこの任務が始まってから、慎吾は随分変わった。

 前回までは、一人で何でも抱え込んでいた。そして無理をしているくせに、平気だ大丈夫だと虚勢を張っていた。

だが今回は違う。慎吾は悪態を吐きながらも、タイガを仲間と認め、パートナーとして必要だと思ってくれている。


(そしてそれは、俺自身も――)


 温かい感情につい微笑みが沸く。それをごまかすようにフィルターを噛んだところで、店の雰囲気が変わった。

 フロアの照明が明るくなり、曲が変わったらしく、客達は踊るのを止めてぱらぱらと動き始めた。どうやら閉店の時間である。


「やっと終わったか」


 タイガはそう小さく呟くと、腕を思い切り伸ばし、大きな欠伸をした。



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