第11話 Spy 2
同日の午後六時、慎吾は真澄と定時連絡を取った後、京田がよこした物を受け取りに、海原市中心部のJR駅を訪れていた。
目指すコインロッカーは駅の北口にあり、その界隈の通勤客に良く利用されている。こんな人通りの多い場所に隠すには物騒なシロモノだが、慎吾はごく普通の顔をして, 青色に塗られた扉に鍵を突っ込んだ。
鈍い手応えと金属音を響かせ、扉が開く。中には黒い、ごく普通のナイロン製スポーツバッグが入っている。少しかさばっていたが、持ち上げれば意外に軽い。そのまま肩へ担ごうとしたところで、唐突に名を呼ばれた。
「あの、もしかして、サトルくん?」
「へ?」
「ああ、やっぱり。随分感じが違うから、別な人だったらどうしようかと思ったあ」
振り向けば、紺色のポロシャツを着て大きなカバンを斜め掛けしたミツルが、安堵の表情を浮かべ立っている。慎吾は何食わぬ顔をしてバッグをロッカーへ戻すと、扉を閉めながら人懐っこい声を上げた。
「おう、ミツルじゃん! 偶然だなあ、こんなとこで会うなんて」
「ホントだよね。でっかいバッグ持って、どっか行って来たの?」
「ああ、ちょっと親戚ン家に。一人暮らしだからって、色々持たされてよ。これから俺、友達と会うのにさあ」
笑いながらポケットを探り、百円玉を投入口へ突っ込む。そして鍵を掛け確実に閉まったのを確かめると、わざとらしく携帯を取り出し着信の有無を確認した。
友人と待ち合わせしているのを、暗にアピールしたつもりである。しかしミツルはそれに反応せず、すこし済まなそうに笑った。
「僕、これからバイトの前にどっかでご飯食べようと思ったんだけど、サトルくん、三十分くらい付き合ってくれない?」
「え?」
「その……実はさ。一人でファストフードとかラーメン屋とか入るの、ちょっと恥ずかしいって言うか、照れるって言うか……それにお店のことで、ちょっと相談したいこともあるし」
「俺に?」
「うん。って言うか、サトルくんにしか言えない、って言うか……」
ミツルは困ったように眉をハの字にして、慎吾を見つめている。
店のことで相談とは、なにか情報に繋がるようなことだろうか。慎吾は顎に手を当てて考え込んだ素振りをしてから、腕時計を眺めた。
「んー、ぶっちゃけあんま時間ねえんだけど……三十分なら良いぜ」
「ホント? 良かったあ! じゃあ、あそこなんかどう?」
ミツルは駅を出てすぐ向かいの一角にある、牛丼屋を指差して問う。慎吾は軽く了承すると、ミツルと並んで駅を出た。
(それにしても、こんな簡単に見破られるなんて)
牛丼屋のボックス席に向かい合って座り、注文して三分で運ばれて来た牛丼を掻き込みながら、慎吾は考えていた。
今日は、クラブハザードに着て行くような今流行りの若者ファッションではなく、グレーのシンプルなサマーセーターに濃いベージュのチノパンという、落ち着いた服装である。眼鏡も外し、頬まで掛かる前髪も下ろして、小島サトルとはまったく印象が違うようにしてきたつもりだった。事実、先ほど打ち合わせで会った真澄ですら気付かず、待ち合わせ場所に黙って立つ慎吾の前を、二度も通り過ぎたほどだ。
ミツルは何の変哲もない大学生だと思い、特にマークはしていなかった。しかし、もしかしたら鋭い観察眼の持ち主なのか。或いは、大学生を装った何者か――
(いや、どう見ても、そんな怪しいところはないしな)
慎吾は最後の飯一粒まできれいに平らげると、小さくご馳走さんと呟いて箸を置いた。ミツルはそれを見て、もごもご喋った。
「サトルくん、すごい早食いだね」
「うん、良く言われる」
「噛んでる?」
「いや、吸いこんでる」
そう答えると、ミツルが少し呆れたように笑い、再び牛丼を頬張る。少しだけピッチが上がったのは、食べ終わった慎吾を意識してのことだろう。
しばらく食べることに集中していたミツルだったが、途中水を飲んだところで再び慎吾へ話し掛けた。
「それにしてもさ、サトルくんて、バイトん時と普段って、全然違うんだね」
「ああ、もっかしてこの服?」
「うん、っていうか髪形も」
「だっしょーぶっちゃけヤなんだけど、仕方なくオトナのヨソオイってやつ。実はウチの親戚連中、色々ウザくってさ。普段の恰好してくと、すっげー怒んの。ちゃんとズボン上げなさいダラシナイ! って」
「へえ、大変だね」
「まあな。ウゼエけど、親戚だししゃあねえからよ。そういうの、ミツルん家もねえ?」
軽く返すと、ミツルが二度頷いた。
「あるある、特に母さん方の叔母さんとか、うるさいんだ。それに会うたびにしつこく、彼女出来た? とか訊かれるし」
「フフフ、ほっとけってなあ、まったく。で、ミツルってカノジョいんの?」
「サトルくんまで……いたら、こうやってサトルくんにご飯付き合ってなんて、言わないだろ」
慎吾の軽いツッコミに、ミツルが少しふてたように口を曲げる。だがふと視線を落とすと、持っていた箸を置いた。
「実は……僕、ハザード辞めようかなって、思ってるんだ」
「え、何で?」
「店長が……触って来るから」
「へっ?」
ミツルが言うには、どうも入店以来、吉見にセクハラされているらしい。大学生で、しかも世間ずれしてなさそうなミツルには、吉見の魔手をかわす技術も手段もないのだろう。
しかし、セクハラの相談とは。慎吾は内心拍子抜けしながらも、再び携帯を確認するとミツルを見遣った。
「それ、マジキモいな。まあ、俺もあの人はヤバイと思ってたけど。とりあえずよ、店長と二人っきりにならないとか、触ってきたら叩いてやるとか、何か出来ねえ?」
「避けてはいるけど、さすがに叩くのは……店長、怒ったら怖そうだし。サトルくんだったら、どうする?」
「殴り倒す」
「やっぱり。僕もそこまで出来たら良いんだけど、僕、ケンカってしたことないし、それにどう見ても、僕があのゴツい店長に勝てるわけないし。でもこのままじゃなあ……そう言えばさ、この間、店長から疲れたら食べろって、貰ったんだけど」
ミツルは傍らのカバンの中を探り、小さなビニール袋を取り出した。
摘まみ出したのは、あの、店長室の机にあった覚醒剤入りの飴である。慎吾が一瞬緊張する一方で、ミツルはにこにこしながらそれを見せた。
「食べたらすごい元気が出るんだ。徹夜しても全然楽勝、ってくらい。サトルくんも貰った?」
「いや」
「そっか。良かったら食べてみる?」
「どーしようかなあ、俺、ぶっちゃけこういう甘いもん、苦手なんだよな……つうかそれ、何て飴?」
「判んない。味は普通の……ほら、良く百均とかにある、缶入りのドロップ? あんな感じ」
「ふーん。マジそんな元気になんの?」
「うん、友達にも味見して貰ったけど、ソイツも効果あったよ」
「へえ、じゃ、せっかくだから一つ貰おっかなあ」
慎吾はミツルから袋を受け取ると、再度まじまじと見つめた。
中に残された飴は二つ、色あいも、形状も確かに同じだ。慎吾は袋を開けると、左の掌の上で逆さにかざした。
「あ!」
少し勢いが強すぎたか、転げ出た飴は掌の上で跳ね、そのまま薄汚れた床へと落ちる。慎吾は慌てて全部拾い、拝むようにミツルへ謝った。
「ごめん、落としちまった!」
「あ、良いよ良いよ。たかが飴だし、全然気にしないで」
ミツルが恐縮したように、慌てて笑顔で応える。慎吾は自分のそそっかしさを自嘲しながら、落とした飴をビニール袋にくるみ、丼の陰に押しやった。それからポケットに入れていたミントのガムを、お詫びだと言って二枚ミツルへ渡し、自分もそれを口に入れた。
「でもよ、もしかしたらこの飴、食わねえ方が良いかも」
「え? なんで?」
「だってよ、たかが飴でスゲエ元気になるなんて、おかしくねえ? 何か変なモン入ってたりして」
「変なもんって、例えば?」
「んー、良くあるじゃん。例えば街角で外国人が売ってる、怪しいクスリとか」
「まさか! だってそれ、飴だよ? それにくれたのは店長だし」
「誰から貰ったって、こんなビニールにポロッと入ってて、商品名も製造元も書いてなかったら怪しいだろ。食べない方が良いって」
「そういうもんなの?」
「ああ、そういうもん」
「ふうん、詳しいんだね、サトルくん」
ミツルは笑顔だったが、言葉に濁りが混じったように慎吾には感じられた。その原因が、飴を台無しにされた怒りなのか、無知を指摘された格好になり苛立ったのかは判らない。或いは、もっと他のところから発せられたものだろうか。
慎吾は腹の中で探りながら、ミツルを見遣った。
「実は、俺のダチが前にクスリやっててさ。ソイツから、今のクスリってすっげーバリエーションあるんだって訊いてるから」
「バリエーション、って?」
「錠剤に粉、液体。ラムネや飴や、栄養剤みたいになってんのもあるんだって」
「そう、なの? 知らなかった……」
驚きを隠せないミツルへ、慎吾はしたり顔で続けた。
「結局、俺のダチは結局警察に捕まって、今は地方の更生支援施設にいるんだけど。クスリ抜けてもまだカラダが覚えてて、すげー辛いって言ってた。ホント、ヤるもんじゃねえって」
「そう、だったんだ……大変だったんだね」
「ああ、マジヤバいから、ミツルも気ィ付けろよ」
「判った。じゃあ、もしまた店長に貰っても、捨てるようにする」
ミツルの顔に怯えが広がった。あまりシリアスに引っぱり過ぎたかもしれない。この先は濁すに限る。
「つうか、あの店長から貰ったのって、クスリじゃなくてマムシとかすっぽんとか、店長エキスとか入ってそうじゃね?」
「え?」
「続けて食ってたらボーボー伸びたり、変態になりそ。ソッチの方向でヤバいかもな」
「げー! あり得る、怖っ! て言うか僕、もう食べちゃったよお!」
まるで体から絞り出そうとするように、ミツルが腹を抑えて嫌そうに見悶えする。慎吾は彼の仕草にげらげら笑いながら、立ち上がって会計を促した。
そのまま店の前でミツルと別れ、一旦街中を二十分ほど回り、尾行がないのを確認してからようやくロッカーへ戻った。
予定より一時間近くロスし、やっと荷物を入手する。それから引き続き尾行をチェックしつつ、弁当屋へ寄って部屋へ戻った。そして真面目にモニターを監視していたタイガへ、ミツルとの件を簡単に報告した。
「ふうん、微妙だな。そのミツルってやつ、俺がハザード行った時、最初に応対したガキだろ。見たとこ特に気にならなかったが、テメエはどう思うよ?」
「俺も、いまいち判らない。でも、何かこう、引っ掛かる気もするんだ」
「刑事のカンか? 恰好良いな、榊さんよお」
「黙れ、そして飯食え、弁当買って来てやったから」
「マジか! 一体どうしたよ、明日は大地震か?」
「やっぱ食うなバカ!」
慎吾の叫びをスルーしたタイガは、モニターから離れると床に胡坐を掻き、早速弁当に手を掛ける。その中身が牛丼だったのに少し文句を言ったが、慎吾はしらん顔をしてモニター前に座った。
時刻はまだ八時前。開店を控えたガラガラの店内では、見慣れたスタッフの連中が、掃除やカウンターの準備を行っている。するとフロアに仕掛けたカメラに偶然、吉見とミツルが映り込んだ。
ミツルはさり気なく辺りを見回すと、近付いてきた吉見と顔を寄せ合い、何か話している。それは至って真面目な様子で、ミツルがセクハラを受けているような気配もない。
そのうち誰かに呼ばれたらしく、二人はふと同じ方向を向き、そちらへ向かって移動していった。
(ミツルが吉見を呼び寄せたのか?……どう言うことだ?)
今の様子では、仕事の打ち合わせのようにも見える。だが、何かが慎吾のカンに引っ掛かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます