第10話 Spy 1

 翌日午後一時、金城はピザ屋の宅配を装い、慎吾の許を訪れていた。

 二つ携えて来たLサイズピザの箱には、一方には本物のピザが、そしてもう一方には書類が入っている。タイガは口笛と共にピザへ手を伸ばし、慎吾は書類を手に取り、金城に解説を求めた。


「スネークからは、店関係のデータと、売春に関する裏帳簿、名簿が出てきました。パス掛かってましたけど、子供騙しでしたから問題なかったです。一緒に預った飴は、覚醒剤入りでした。これで女の子を餌付けしてるみたいですね」

「そうか」

「それからコッチ、浅田と吉見の身元ですけど。二人とも元暴力団でした」

「へえ、署のデータには普通の水商売って経歴しかなかったけど?」

「警察じゃ短期間で、そこまで調べられませんよ。何せ奴等は戸籍上死人で、しかもしばらく海外にいました。人相もかなり変えてますから」


 金城は手元のファイルをめくると、およそ七年前に撮られた浅田と吉見の写真を見せた。


「僕のお友達がやってる、死亡犯データベースにお邪魔して探しました」

「……別人だろ、コレ!」

「ええ、浅田は骨格まで削って整形してます。二人とも偽名、恐らく指紋も変えてますね。飴が入ってたビニール袋には、こちらの──過去データにある吉見の指紋は、付いてませんでしたから」

「で、どこの組のモンよ?」

「もうないとこですけど、小塚組です」


 金城は横から問い掛けたタイガへ答えると、自ら差し入れたピザを一切れ手に取った。

 小塚組──日本の東半分を縄張りとする暴力団組織の、東側の末端に属していた武闘派暴力団だ。七年前に大規模な派閥抗争があり、当時、小塚組は特攻として参加していた。

 小塚組の構成員は三十人ほどであったが、抗争中に組長とその息子、そして護衛に着いていた数人が車ごと爆破されて死亡、それによって組は解散した。記録によると浅田と吉見は、組長と共に吹き飛ばされ死亡している。だがどうやら密かに生きていたらしい。


「小塚組がなくなってから、アジア諸国に潜伏してたようです。偽造パスポートや密入国で渡り歩いてるので、その辺の足取りはまだ完全には判ってません。必要だったら追いますけど、どうします?」

「いや、そりゃ後から捜一なり公安なり、本家の人間がやるから。俺の仕事は、アイツらの正体を突き止めるところまでだ」


 慎吾はあっさり言うと、ピザを手に取り、かじりついた。


「おっ、ウマっ! これ、アラッキー作?」

「はい。榊さん、今日バイト休みでしょ? せっかくだから、三種のチーズとシーフード、特製トマトソースで作りました。きっとコンビニ弁当ばっかだろうから、オニオンとかピーマンとか、野菜もふんだんに入れました」

「けっ、何だか榊のオカンみてえだな」

「やだなあ虎屋さんたら。嫁、いや、旦那と言って下さいよ」


 嫌味にも負けず、嬉しそうに笑う金城から、無駄に幸せオーラが発散される。それにタイガがムカつき、慎吾が呆れた笑顔で困っていると、ベランダの窓がコツコツ叩かれた。


「何だ?」


 一番近くに座っていたタイガがそちらへ近づくと、ベランダの手すりに一羽のカラスが止まっていた。良く見ると艶を放つ漆黒の体の、ちょうど額のところに白い斑点がある。物珍しさにタイガが窓を開けた途端、カラスはくい、と首を上げて絶叫した。


「ガアアァッ!」

「うわっ!」


 タイガが怯んだ隙に、カラスが勢い良く部屋へ入り込む。ピザを隠そうと金城があたふたする傍らで、慎吾は腕を伸ばした。


「グラディウス!」

「カアッ、シンゴ!」


 室内を器用に旋回してから、グラディウスは慎吾の腕へ停まった。

 くつくつと甘えるような声を発するグラディウスの喉を、慎吾の指が撫でる。すっかり落ち着いたところを見計らって、小枝のような足にくくりつけられた、小さなプラスチックカプセルを外した。


「ご苦労さん。偉いな、グラディウス。ほら、エビ好きだろ?」

「スキ、エビ、イカ、シンゴ!」


 グラディウスはそう声を上げると、彼の肩に飛び移り、慎吾が差し出したエビを美味そうについばんだ。


「な、何ですか、このカラス?」

「伝書ガラス、らしいぜ」

「伝書……? 初めて見ました。しかも、九官鳥みたいに喋るなんて」

「ああ、俺も見たことねえ」


 続けて、慎吾がグラディウスにピザそのものを食べさせる。それを見て、金城とタイガはややしばらく間抜けに口を開けていた。


 グラディウスが持って来たプラスチックカプセルには、京田からのメモとコインロッカーの鍵が入っていた。メモには、現在内通者の洗い出しに公安が動いていること、明日から捜一の内藤以下四名が、浅田と吉見の持つ複数のヤサに張り付く予定であることが書かれていた。

 一通り目を通した慎吾から、タイガへメモが回される。タイガは眼を細め、後半に書かれた細かい文面を読み上げた。


「……それからコインロッカーには念のため、二人分の防弾チョッキと拳銃が入ってるよ。大変だけど、もうちょい頑張ってね、喧嘩はダメだよ、はぁと……はぁとって何だ? バカかあのオッサン」

「署長、そういうとこオトメだからな」

「ふん、あんな成金趣味の、イケ好かねえオヤジがかよ?」


 タイガがそう吐き捨てた途端、慎吾の肩に停まっていたグラディウスがぐわりと羽根を逆立て、いきなり羽ばたいた。


「ガアアアァッ!」

「げっ、何だコラっ!」

「あ、怒らせたな」


 賢いグラディウスは人間の言葉を理解出来る。飼い主の悪口を言ったタイガに、鋭い爪とクチバシで何度も攻撃を繰り返した。たまらずタイガは立ち上がると、傍らに転がっていたタオルケットを腕に巻き、襲い来るグラディウスへ対抗した。


「バカ、ハゲ、ヤンキー!」

「誰がハゲだ畜生、俺に勝てると思ってんのか、このクソガラスが!」

「ギエエエッ! ガアッ! ヤバンジン、クソヤンキー!」

「うるせえ! イテッ、あだだだっ!」


 タイガは激しくつつかれながらも、何を思いついたか風呂場へと走り出す。グラディウスは一つ大きく雄叫び、ばさばさとその後を追った。


「グラディウース、ヤンキーにやさしくしてやれよー」


 慎吾がそんな気のない声を掛けながら、グラディウスが持って来たメモをライターで燃す。金城は風呂場から響く罵声と騒音に顔をしかめつつ、再びファイルへ手を伸ばした。


「あと余計かもしれませんが、一昨日、昨日の二日間分、吉見と浅田の携帯履歴を入手しました」

「お、そんなモンまで手に入るのか?」

「ええ、僕が手に入れられないのは、宇宙とあなたの心だけです」

「いっぺん銀河の果てまで逝って来い、バカ」


 慎吾の冷たい返答にへこんだ顔をしながらも、金城はもう一枚の書類を出して見せた。そこには浅田と吉見の携帯から発信された電話番号と、着信した電話番号が一覧になっている。

 金城はある特定の番号を指差すと、食後の一服を始めた慎吾へ問い掛けた。


「これ、一日に大体三度掛かって来てますけど、だいたいどのへんから発信されてると思います?」

「どこだ?」

「中央警察署治下、オペレーター室近辺からです」

「何、だと……」


 慎吾の表情が固まった。

 オペレーター、もしくはそこに出入りする者なら、署内の内線・外線および、パトカー間の無線傍受が可能だ。どこでどういう情報が飛び交っているか、その気になれば幾らでも探ることが出来る。恐らくここ最近、情報が洩れていたのはこれが原因だろう。更に、もしかしたら慎吾が行っている潜入捜査もバレる可能性がある。


「署長に知らせなきゃ」


 慎吾は机へ向かい、大急ぎで金城のデータを取り込み、メモリースティックへ記録した。そして紙を細長く裂くと、万一の際に関する要望を書き付け、メモリースティックと共にケースへ詰めた。


「グラディウス!」


 足に装着させるべく名を呼ぶが、返事も羽音もない。いつの間にか風呂場の物音もおさまっている。どうなったのかと慎吾が様子を見に行こうとした矢先、衣服にカギ裂きを幾つもこしらえ、頭から血を流したタイガが現れた。


「くっそガラスが、俺に勝とうなんざ、百年早えんだよ!」

「ギュウ、タイガ、ヤバンジン、グエッ」

「グラディウス……大丈夫か?」

「クワレル、タイガコワイ、シンゴ、タスケテクエェ!」


 あちこちに引っかき傷のついたタイガの手には、両足を逆さに捕われたグラディウスが、バンザイしたような格好で呻いている。どうやらこの(馬鹿馬鹿しい)戦いは、人間であるタイガが勝利したようだった。


 タイガを「自分よりも強い」と認めたグラディウスはすっかり大人しくなり、彼の前で頭を垂れ、その手からイカを貰っている。慎吾はそんなグラディウスの足にプラスティックケースを装着し、小さな頭を撫でた。


「飛べるか? 急ぎで署長のところへ戻って欲しいんだ」

「クエェ」


 グラディウスは殊勝な声を上げると、大きく羽ばたき、開けられた窓から飛び立って行った。

 窓を閉めて施錠する。それから慎吾は呆れ顔でタイガへ近づいた。


「バカか、アンタ。グラディウスと本気で揉めるなんて」

「あぁ? 笑ってんじゃねえ、鳥だろうが人間だろうが、やる時はガツンとやるのが俺の流儀だ。文句あんのかよ?」

「別に。つうか、傷だらけだぞ。こんなことでケガするなよ、いざって時に動けなくなったら困るだろ」

「黙れ、こんなんケガに入らねえっつうの……イテッ」


 慎吾がティッシュに手を伸ばし、しかめ面したタイガの、額から頬に垂れた血を拭う。続けて救急キットを持ち出して手当てするのを見て、金城が思い切り嫌そうに呟いた。


「何だか、お二人とも随分仲良さそうじゃないですか」

「へ?」

「バカ言え、誰が仲良いってよ? 俺はゴメンだぜ、こんな野郎とオトモダチなんて、嬉しくも何ともねえや」

「それは俺の台詞だ。このバカヤンキーがあまりにアホだから、俺がいろいろ面倒見てやってんだぞ」

「何だとコラ?」

「何だよ、やるか?」

「……やっぱり、仲良くなってる」


 二人がごりごり鳴るほどに額をくっつけて睨み合うのを見て、金城は泣きそうな顔をした。

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