第8話 Deceive 2

「コラァ小島! 出て来いや!」

「お客様、困ります! どうかお静かに」


 雨の降る中、店の玄関先で、ガラの悪い男が騒いでいた。派手な英語のロゴがプリントされたシャツに、ダブついた黒いパンツを腰で穿いた出で立ちは、深夜この辺を徘徊しているタチの悪い不良に見える。

 男はサングラスと黒いニットキャップで人相を隠していたが、慎吾は一目見てそれがタイガであると判った。


(このバカ、出て来るなって言ったのに!)


 タイガは一足先に駆け付けた浅田と、軽い揉みあいになっている。慎吾は野次馬を掻き分けて二人へ近づこうとしたが、それに気付いたミツルに止められた。


「離してくれ、俺がちゃんと、アイツと話すから!」

「ダメだよ、今出てったら、何されるか判んないから! マネージャーに任せようよ!」


 まさかいらないお節介だとも言えず、腹に巻き付くミツルの腕をはねのけることも出来ない。そのうちに、タイガは慎吾の姿を見つけ、益々声を張り上げた。


「テメエ、このクソガキ! 俺のオンナ寝取りやがって、タダで済むなんて思ってんじゃねえぞコラ!」

「お客様、取りあえずあちらで話しましょう」


 浅田は冷静な調子で、荒ぶるタイガの腕を無理に引き、近くのビルの谷間へと消えた。

 ここでタイガの身元が割れるようなことがあれば、今回の任務は失敗に終わる。彼が簡単にヘマするとは思わないが、もし浅田が見破ってしまったら、自分だけでなくタイガも危険だ――そうイライラしながらも、慎吾はミツルに引っ張られて店内へ戻った。そしてロッカールームへ連れて行かれた。


「サトルくん、マネージャー戻って来るまで、ホントにここにいてね」

「判った、ごめんな、迷惑かけて」

「ううん、全然。気にしないで」


 ミツルは気の弱い笑みを浮かべると、慎吾を気にしつつも仕事へ戻って行った。


(タイガ……)


 一体今頃、どうなっているのだろうか。事態の収拾を祈りつつ待っていると、十分ほどして浅田が戻って来た。


「まったく、人騒がせなバカがいたもんだ」


 浅田は濡れた短髪を一つかき上げ、慎吾を軽く睨んだ。

「で? お前が前借したい理由って、アレか」

「……はい」

「チッ、あんな半端モンの女に手ェなんか出しやがって。美人局(つつもたせ)みてえなもんだろ。まったく、しっかりしやがれよ!」

「痛っ! す、すいません!」


 お仕置きだと言わんばかりに、頭を平手で叩かれる。慎吾は呻きながらも、とりあえず話を合わせ、深々と頭を下げた。自分の思惑通りには進まなかったが、ひとまず危機は乗り越えられたようだ。

浅田は慎吾へ頭を上げるように言うと、煙草に火を点け、赤く色付いた右の拳をこれ見よがしに撫でた。


「とりあえず十万渡して、穏便に引き取って貰った。もう来ることはねえだろ、安心しな」

「ご迷惑掛けました。あの、お金はちゃんとお返ししますから」

「良いよ、そんな端金」

「でも、十万なんて大金だし。マネージャーに、そこまでして貰う訳には行かないし」


 済まなそうな顔を装い、慎吾が上目遣いに見上げると、浅田はふと思いついたように口端を曲げた。


「そうか? そうだなあ、じゃ代わりに、俺に一晩付き合えよ」

「飲み、っスか?」

「いや」


 軽い否定の返答と共に、浅田がにじり寄ってくる。それに気圧されし、慎吾は壁際へ後ずさった。


「判るだろ? この店は、半分以上がそういう趣味の野郎ばかりだって」

「へ?」

「お前もそうじゃねえのか?」


 すぐ目の前に寄せられた、切れ長の眼が妖しい色をはらむ。慎吾は訳が判らないといった表情を作りながらも、浅田の眼の奥に澱む仄暗い影を見ていた。


(コイツは単に誘いを掛けてるだけじゃない。この眼は……)


 底の見えない、未来や希望を映さぬ濁った眼──金城を始め、裏社会に生きる者特有の眼だ。そう感じた途端、慎吾は浅田に顎を強く掴まれ、壁へ強く押し付けられた。


「うっ、ま、マネージャー?」

「……」

「ちょ、マジ離して、下さい」

「ふーん、さすが店長が狙ってるだけあるな。肌も綺麗だし、良く見りゃ面も整ってる。これで体に墨が入ってなきゃ、充分鑑賞に耐えるぜ」

「え……?」


 浅田の顔が欲に歪むのを見て、慎吾の内に警鐘が響いた。

 視線から来る圧迫感がすごい。まるで大蛇の舌に舐められているようだ。

 戦いたように装いながらも、そっと拳を握り臨戦体勢を整える。すると浅田は表情を緩め、あっさり身を離した。


「バーカ! 何つう情けねえ面しやがるんだよ、冗談だよ冗談!」

「マジか! もー、止めて下さいよお、キッツイなあ……襲われるかと思ったじゃないっスかあ!」

「誰が襲うか、店長じゃあるめえし。あ、あの人はガチでゲイだからな、気をつけろよ。お前マジに気に入られてっからよ」

「げっ!」


 大概のノーマルな男が取るような引きのリアクションを、少し大げさに装う。そんな慎吾へ、浅田は明るく笑いながらドアを開けた。


「ほら、仕事仕事。金は毎月少しずつ返してくれりゃ良いから。ま、何はともあれ良かったな。また何かあったら、今度は正直に相談しろよ?」

「はい、ありがとうございました。本当にすいません」

「おう」


 垣間見せたあの眼とは裏腹な、人懐っこい笑みを残し、浅田は廊下へ出てフロアへ向かった。その後を追いかけながら、慎吾は冷静に考えていた。


(コイツ……)


 職場では頼り甲斐のある兄貴のように振る舞っているが、その面皮の下にはどす黒いものが潜んでいる。おそらく高い確率で、浅田はクロだ。よくよく警戒せねばならない――慎吾はそう感じながらフロアへ戻った。

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