第5話 Steal 2

 潜入開始後、四日目の朝を迎えた。


 今のところ変わらず、慎吾はクラブハザードの店員として働いている。この四日間のうちに、仕事の合間を縫って、店内のめぼしい所に隠しカメラや盗聴器を仕掛けた。すると昨夜、カメラの一つに、吉見が若い女を口説いて買春客を付ける様子が映った。

 やはり、売春斡旋を行っていたのだ。しかし肝心の新興組織に絡む情報が、まだ入って来ない。

 今の状態でも事情聴取に踏み切ることは出来るが、全体を暴き出すことは難しいだろう。焦って動けば、却って向こうの警戒心を煽るだけだ。京田と検討の末、慎吾はしばらく潜入を続けることになった。




 慎吾とタイガは借り上げた2DKの一室、つまり機械を設置した、台所のある部屋で寝起きしている。タイガは東側の壁際、慎吾は西側の壁際だ。使っているのは、署の仮眠室から拝借してきた、こなれた煎餅布団だった。


 朝っぱらに目覚めたタイガは、クラブハザードの中が無人で有ることを確認し、まだ眠っている慎吾を残して食料調達へ出た。二十分で戻ると機械の前に座り込み、缶コーヒーを飲みながら情報整理をこなした。


「あ~ダリイ。こんなまどろっこしい事やってねえで、直接しょっ引いて吐かせりゃ良いだろうに」


 つまらない事務処理にぶつぶつ言っているうちに、背後がら低い呻き声が聞こえて来た。振り向くと、慎吾が発しているようだ。タイガは机から離れ、壁に向かって眠る慎吾を覗き込んだ。


「オイ……」


 慎吾は顔をしかめ、胎児のように手足を縮めていた。呼んでも起きないところを見ると、深い夢の中に捕らわれているようだ。

 潜入などという危険な仕事をしているのだから、悪夢にうなされることもあるだろう。タイガは起こしてやろうと、タオルケットの上から慎吾の肩を掴んだ。


「おい、起きやがれコラ!」

「うわあああっ!」

「ぐえっ!」


 悲鳴に近い叫びを上げて慎吾が飛び起きたと同時に、勢い良く裏拳が飛んで来た。予想だにしなかったタイガは避け切れず、右の肩口に食らった。


「痛ってえ……この野郎っ!」


 痺れるような、焼けるような痛みに思わず呻く、力加減なしの一撃についかっとなり、タイガは慎吾の胸倉を掴み上げた。だが、いつもなら素早く掴み返してくるはずの慎吾は、固く眼をつぶり、恐怖から逃げるように体を縮めた。


「榊?」

「……」

「オイ、一体どうしちまったんだよ?」


 様子がおかしい。

 良く見ると、慎吾はがたがた震えながら涙を溢している。思わずタイガが手を放すと、ようやく状況を理解したのか、慎吾は目を開いて細い息を吐いた。


「ナニ泣いてんだよ?」

「何でも、ない」

「お前、前に泊まり込みした時もうなされてたな。一体何の夢見てんだよ?」

「……うるさい」

「なんだとコラ、人がせっかく心配してやってんのに」


 イライラするタイガに構わず、慎吾は立ち上がり、よろめきながら風呂場へ消えた。


 二十分ほどして戻ってきた慎吾は、もういつもの生意気な顔に戻っていた。まださっきの件が引っ掛かっていたが、タイガは知らん顔をして、買ってきたコンビニ弁当を一つ慎吾へ押し付け、自分も食べ始めた。


「サンキュ……何か変わったことは?」

「特にねえ」

「金城に回した画像については?」

「さあな。まだ何も言って来ねえ」

「そうか」


 慎吾は頷いて、弁当をのろのろ食べ始めた。

 束の間、無言の時間が過ぎる。だがしばらくすると、慎吾はタイガを見て眉を寄せた。


「おい、ご飯粒落とすなよ。汚ないな」

「ああ? 落としてねえよ」

「ここ、落ちてるって。ったく、幼稚園児かよ」

「イチイチうるせえんだよ、テメエに言われたくねえな」

「は?」

「夢見てベソ掻いてるガキのクセして、偉そうによ」

「……」


 慎吾から表情が消えた。

 口が滑った。蒸し返すつもりはなかったのに、つい勢いに乗ってしまった。誰しも悪夢など、自ら進んで見るわけではないのに、軽率な言葉でまた思い出させてしまった。

 気まずさに口をつぐんだタイガへ、慎吾は眼を伏せ、静かに笑った。


「二年前……潜ってるとき、ドジふんで。捕まって……とことん殴られたんだ。すごく怖くて、ここで死ぬんだって、本気で思った……それが未だに時々、夢に出てくるんだ」

「……」

「最終的に奴らを半殺しにして、ブタ箱にぶち込んだけど、情けないことに、俺はまだ忘れられなくて。その反動なのかな、仕事が終わると……何て言うか、一人でいられないんだ。多分俺、もうどっかおかしいんだと、思う」


 慎吾は一つ、洟をすすり上げた。

 重い、とても予想だにしない告白だった。

 タイガは目を見開いたまま、うつむいた慎吾をしばらく眺めていた。だがやおら箸を持ち直すと、無言で弁当を掻き込み始めた。

 リアクションがないのに諦めたのか、慎吾ものろのろ食べ始める。やがて先に食べ終わったタイガは、弁当の残骸をまとめてコンビニ袋に突っ込み、食後の一服を始めた。立ち上る紫煙がゆらゆらとらせんを描き、天井の隅へ流れて行く。それを目で追いながら、ようやく口を開いた。


「生きてたじゃねえか」

「え?」

「そんな目に逢ったって生きてたから、もうそれだけでツイてんだよ、お前は」

「……」

「俺、マル暴四年いるけどよ。そうやって裏で殺されて、闇に棄てられる人間ケッコーいんの、知ってっから。でも、お前は生き延びた。そこでまず、運が良いじゃねえか」

「……運が良い、か。そうかもな」

「だろ? それに、こうやって俺様と組めるなんて、相当ツイてるぜ」

「それは悪いだろ?」

「んだとコラ? もう一ぺん言ってみやがれ」


 タイガがわざとらしく声を荒げると、慎吾は困ったように笑い、それからタイガを見つめた。


「……ありがとう」

「何だそりゃ? 何の感謝だよ」

「何でもない。ただ、言いたかっただけだ」


 慎吾が微笑んだ。タイガはそれを見て、初めて彼の素顔を垣間見た気がした。


「……おう」


 仄かに沸いた柔らかな感情に、つい口元が緩むのを隠して席を立った。この場にいるのが何だか気恥ずかしい。タイガはどこへ行くか迷った挙げ句、モニター前の椅子へ座った。


「なあ、アンタ、何で警察官になったんだ?」


 弁当を片付ける軽い雑音と共に、慎吾の声が背から掛かる。タイガはふんぞり返り、ふうと紫煙を吐き出した。


「ただの不良じゃなくて、ヒーローになりたかったんだ」

「へ?」

「中坊の頃見た映画──刑事モノの古い洋画だったんだが、主人公がクソみてえにダーティで、格好良くてよ。こう、44マグナムなんかぶっ放して、悪りいヤツを片っ端から、バーン! ってやっちまうの。アレに惚れちまった」

「ああ、その映画なら、多分俺も観てる。クリント・イーストウッド、マジ格好良かったよな……で、アンタはヒーローになれたのか?」

「いや」


 タイガはあっさり否定した。


「警官になってすぐ、現実にウンザリした。官僚主義に派閥にゴマすり、デスクワーク。マル暴配属が叶わなかったら、とうに辞めてたぜ」


 慎吾が少し驚いた。


「最初っからマル暴希望してたのか。あんなキツいところに物好きな」

「うっせえな、モグリやってるテメエに言われたくねえっつうの! ソッチのほうがよっぽどキツいだろうに、テメエこそ物好きだろ」

「あー、まあ、そうかも」


 慎吾が苦々しく応える。タイガは灰を散らしながら煙草を揉み消し、慎吾へ振り返った。


「で、テメエみてえな元SATのエリートが、何でモグリなんかになったんだよ」

「親父が出来なかったことを、するために」

「親父?」

「ああ」


 慎吾は少し照れたように、鼻の頭をかいた。


「俺の親父、叩き上げのしがない中間管理職でさ。事件が起きるたびに溢してたんだ。警察は、証拠がなけりゃ動けないのが悔しいって」

「へえ」

「怪しくても、グレーじゃ捕まえられない。悪いヤツを捕まえるのが仕事なのに、事件が立件された頃には、必ず被害者が出る。それが何より悔しいって。死ぬ前の晩も、酔っ払って俺にボヤいてた」

「亡くなったのか、親父さん」

「ああ」


タイガの顔に少しだけ、緊張が走った。


「まさか、殉職?」

「いや、腹上死」

「はあっ?」


 間抜けな声を上げたタイガを見て、慎吾はバツが悪そうに頭をかいた。


「馴染みのソープで心筋梗塞。バカな死に方だろ? でも、俺にはその口癖が、何だか遺言みたいに思えて。当時、署長から内々に三係に来ないかって打診されてたし、それでモグリになったんだ」

「何つうか、テレビのドラマみてえ展開だな」

「ホント、我ながらそう思う」


 慎吾は困ったように小さく笑うと、立ち上がり冷蔵庫へ向かった。そして缶コーヒーを二本取って戻り、一本をタイガへ差し出した。


「ま、どーぞ一本」


タイガはあからさまに不機嫌な顔をしながら受け取った。


「オイ、俺用のコーヒーだぞ」

「良いだろ、カタいこと言うなよ、ヒーロー」

「うるせえ! こらテメエ、俺の話、他のヤツにべらべら喋んなよ?」

「言わないって。あ、俺の親父の話もバラすなよ。表向きは自宅で死んだことになってんだから」

「言うかバカ、つうか笑えねえだろ、その話」


 束の間互いに睨み合い、ふん、とそっぽを向いて缶を開ける。口に流し込んだコーヒーは苦かったが、不思議と爽やかな味がした。

 榊慎吾──エリート上がりの、生意気で鼻持ちならない奴だと思っていた。

 組むと偉そうに指図する、その目付きが嫌いだった。

 男と寝るようなオカマ野郎だと軽蔑していた。

 でも、それらは自分の一方的な偏見だったようだ。


(悪く、ねえな)


 慎吾がコーヒーを飲む気配を感じながら、タイガは薄く笑った。

 会話も止まってしまい、タイガがそのままモニターを眺めていると、不意に部屋のチャイムが鳴った。一体誰かと身構えつつ、慎吾がインターホンへ向かう。画面を確認すると、長いハニーブラウンの巻髪を盛った、今時の若い女が立っていた。

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