第4話 Steal 1

 クラブハザードは一年前にオープンして以来、若者に人気のクラブだ。

 店舗はあまり大きくないが、入口の真っ白いドアを抜けるとすぐに受付ゲートがあり、その先の短い廊下は、NYダウンタウンを模したフロアへ続いている。流れるのは最新のヒップホップやハウスで、地元の若者に加え欧米や中東、アジア系外国人もちらほら出入りする。だがこの界隈のクラブとしては、それは別に特別なことではない。


「いらっしゃいませー」


 緩くウェーブのついた栗色の髪をカチューシャで上げ、黒縁眼鏡をかけたロン毛のホール係が、フロアの入口で客を迎えている。今日入ったばかりの小島サトル、つまり慎吾だ。


「サトルくん、あそこ下げて」

「はい」


 マネージャーの浅田が、フロアをチェックして指示を出す。木曜日のせいか客は多いが、慎吾は戸惑いなく暗いフロアを立ち回った。

 ふと気付くと、二つ向こうの席でトレイに山盛りのグラスを持つ影が、テーブルにぶつかりよろめいている。今日一緒に入店した阿部ミツルと言う男だ。慎吾は足早に近づくと、彼のトレイに積まれたグラスへ手を伸ばした。


「大丈夫? 手伝うよ」

「あ、ありがとう」


 ミツルは小さく礼を言うと、緊張した面持ちに笑みを浮かべた。彼は大学生で、このような場所でのバイトは初めてらしい。

 高校生のように短く切った黒髪や、遠慮がちに見るつぶらな瞳は、夜のクラブにそぐわない初々しさだ。ここの制服である、黒シャツと濃緑のカーゴパンツも、着慣れてないせいかイマイチ似合わない。

 何故彼のような男が採用されたのか判らないが、あまりのぎこちなさに放っても置けない。すると左耳の奥に仕込んだ受信用イヤホンから、嘲るような声が聴こえてきた。


「なーにガキと遊んでんだよ? 仕事しやがれ、サトルちゃんよぉ」

(ウルセエ、このヤンキーが!)


 思わずしかめ面で舌打ちすると、ミツルが怯えたように見てくる。慎吾は慌てて取り繕い、彼に背を向けながら小さく呟いた。


「おい、余計な事言うな。イラッと来る」

「そりゃあ悪かったなぁ、ま、聞き流せやサトルちゃん」

「ちゃんっての止めろ!」


 つい声のトーンが上がる。すると厨房の横に立っていた店長の吉見が、慎吾へ近づいて来た。

 タイミングの良さに、怪しまれたかと緊張する。それを隠して軽く会釈すると、吉見はにんまりとゴツイ顔を歪めた。


「サトルちゃん、さすが居酒屋にいただけあって、フォロー上手いね。もう仕事覚えちゃったみたいだし」

「はあ、まあフロアだけは」

「そうか、頼もしいなあ。しっかしサトルちゃんて、可愛いねえ。ほらあの、Aってアイドルに似てるって言われない?」

「そうスか? 似てるかなあ、初めて言われたかも」


 吉見がニコニコと、最近売れている五人組アイドルの一人を引き合いに出す。慎吾が愛想笑いで返すと、吉見は更に近づいて耳打ちして来た。


「ね、サトルちゃん。君、恋人とかいるの?」

「いえ、いないっすケド」

「ふうん、モテそうなのにね。あ、細いんだあ。でも鍛えてるんだ、結構筋肉あるね」

「あ、いや、まあ……」


 吉見が無遠慮に肩や背を撫で回す。慎吾はその手に無理矢理トレイを押し付け、混み合うフロアへと戻った。


「気持ち悪りいなあ。何だよ、あのチョンマゲ店長、男好きかよ?」

「知るか」

「お仲間じゃねえか」

「あんなヒゲ生えたコワモテのオカマ野郎と一緒にするな、殴るぞ」


 フロアの暗がりに紛れ、流れる曲で声を隠しながら、慎吾はゆっくり辺りを見回した。

 慎吾の掛けている眼鏡には、高感度マイクロカメラが仕込んである。肉眼では良く見えなくても、タイガの見ているモニターには、フロアで踊る客の顔が鮮明に映し出されていた。ちなみに、右耳にしている黒いスワロフスキーのピアスには、集音マイクが仕込んである。受信用イヤホンを含め、どれも金城が用意した品だ。


「タイガ、ちゃんと見えるか?」

「おう。俺はちゃんと起きてるぜ」

「アホ。とりあえず、映る顔、全部録画しといてくれ」

「任せろ。似顔絵書いとくからよ」

「ろ く が し と け !」

「……ふん、冗談通じねえな」

「冗談言ってる場合か。しばらく黙っとけ」


 慎吾はそう会話を切り上げ、深い溜息を吐いた。


(まったく苛々するぜ)


 万事この調子で緊張感をぶった切るタイガが気に入らなかった。

 慎吾にとって一番仕事のしやすい相手は、捜一の「忠犬」こと、内藤と言うアラサー刑事だ。彼はタイガと違って、キス一つしてやるだけで職務を完璧にこなしてくれる。


(ま、エリートとヤンキーを比べるのが間違いか)


 慎吾は諦めの溜息を吐くと、フロアで踊る客の中へ入っていった。



 その後、度々見掛ける有名人や議会関係者、暴力団関係者を何人かと店内の様子をタイガに録画させ、初日は何事もなく終わった。

 こうして潜ってみたが、今のところ「ハザード」は本当に普通のクラブだ。怪しい人間ばかりが集うでもなく、従業員にも問題はないように見える。しかし京田からの資料には、この店が犯罪に絡んでいる可能性の高さが示されていた。

 歓楽街にて、売春で補導された少女の足取りが、八割方この店を経由している。そしてそのうちの六割が薬物を所持しているか、使用していた。更にハザードが開店して以来、この歓楽街に現れる麻薬密売人が増加している。

 またハザードは、この界隈を縄張りとする既存の暴力団と好仲なのに、特に「ミカジメ」を払っている様子もない。それでいて、スタッフに暴力団関係者がまったくいないと言うクリーンさが、逆に怪しく思える。必ず、何かある――慎吾は笑顔の下で、ささいなことも見逃さないよう意識を尖らせた。

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