第3話 Ready 3

 五日後の、もうすぐ昼になろうかと言う頃だった。喫茶「スマイル」の前に、長身で体格の良い男が現れた。

 ラフなリーゼントに和柄のシャツを着て、太目のパンツのポケットに両手を突っ込み、斜に構えている。左下から睨み上げる三白眼は迫力満点で、どうやら堅気の人間ではないようだ。

 彼はつまらなそうに口の端を曲げると、ポケットの中からガムを取り出し、口へ一粒放り込んだ。


「チッ、またココにいやがるのかよ」


 くちゃくちゃ噛みながら、辺りに怪しい人影がないか、鋭く双眸を光らせる。問題ないことを確認し、ゆうゆうと店へ入った。


「いらっしゃいませ」

「よお、配達に来たぜ」

「どちら様でしょうか」

「虎が塩持って来たって、伝えやがれ」

「お待ち下さい」


 あらかじめ決めてある合言葉を告げると、店番をしていた荒木は虎をちらりと見て、厨房へ消えた。

 店内を見回すと、薄暗い奥のテーブル席に中年カップル、その斜向かいには競馬新聞を眺める、くたびれた初老男が座る。相変わらずシケた店だ。

 虎は不満そうに細い半眉を寄せていたが、そのうち舌打ちし、勝手に厨房へ入った。


「困ります、あちらでお待ち下さい」

「カタイ事言うなよ。初顔じゃねえんだからよ。オイ、迎えに来てやったぜバカ野郎、早くココ開けろや!」


 ガラの悪い声と共に荒木を押し退け、革靴でドアを蹴る。すると反応したかのようにスライドし、シャツを半分はだけた慎吾がイヤそうに顔を出した。


「うるさい、着替えしてたんだ。少しくらい黙って待てないのか?」


 あらわになった慎吾の胸元には、ベタベタと幾つもキスマークが付いている。それを見つけた虎は、眉をギリギリ吊り上げた。


「テメエがチンタラやってっからだろうが! 俺が来る時間は知ってる筈だ。つうかちゃんと服着ろ、このイカレ野郎が!」

「休みに人が何してようと勝手だろ。カリカリすんなよ、欲求不満のクセに」


 図星だったのか、虎の額に青筋が立つ。それに構わず、慎吾は顎の先で入れと促した。


 虎こと虎屋泰河(タイガ)は、れっきとした刑事だ。

 気は荒いが有能かつ真面目で、組織犯罪対策部――通称マル暴では、コワモテの諸先輩方に可愛がられている。今回は案件に暴力団が深く関わっていると見られ、慎吾のバックアップとして駆り出された。しかし、タイガはこの立場が嫌いだった。


(何で実戦向きの俺が、このいけすかねえ野郎のケツ拭きなんだよ!)


 幾度もカチコミの修羅場を潜ったプライドがそう叫ぶが、上からの命令は職務上拒否できない。おまけにごくノーマルな性癖を持つ彼には、慎吾がゲイであることを理解出来なかった。


(だって信じられるか? 野郎に掘られてんだぞ!)


 いかにもさっきまでイチャコラしていたという姿を見せつけられると、つい嫌悪し軽蔑してしまう。よってタイガは慎吾へ、必要以上に突っ掛かってしまうのだ。



 二十分後、慎吾とタイガはリビングにて、京田から回ってきた書類や資料を元に潜入計画を立てていた。


「まずフツーに面接パスして、入店だな。つうかこの店、売春にも絡んでるのか」

「ああ、少年課が最近この店の近くでJKを何人かキャッチしてよ。どうも店で客付けてるらしいんだが、皆、口割らねえんだってよ。よっぽど上が怖えんだろ」


 慎吾の問いに、タイガは煎餅をかじりながら答えた。


「……おいヤンキー、煎餅クズ落とすなよ」

「うるせえなイチイチ。テメエが細けえんだよ畜生が。つうか、俺はヤンキーじゃねえ。虎って呼べって何べん言ったら覚えやがるよ?」

「は? 何が虎だよ、お前はヤンキーで充分だ。あーあ、だから組むのイヤなんだよあ、乱暴だし口悪いし」

「なんだと? どの口だコラ」

「そのへの字に曲がってる口だ」

「黙れこの野郎 テメエこそムダにチャラチャラしやがって。何だそのロン毛、ギャル男かっての」

「ギャル男じゃない、これは必要悪だ、この三白眼!」

「三白じゃねえ! 野郎、表出ろや!」


 ガツリ、と額を付き合わせ、二人が睨み合う。「メンチ切り無敗」を自認するタイガに比べ、慎吾の方がなよなよしく見えるのに、負けじと正面から受けて立った。

 額がゴリゴリ音を発て、目線の真ん中でパチパチと火花が飛ぶ。互いに拳を固め、何か些細なきっかけがあれば、そのまま殴り合いも辞さない構えだ。そんな険悪な様子をまったく気にせず、金城が大きなトレイを持って近づいてきた。


「あ、いらっしゃい虎屋さん。お仕事ご苦労様。おはぎ食べます?」

「いらねえ!」


 のほほんとした金城の言葉に、タイガが叫ぶ。気が逸れたのをきっかけに、慎吾は臨戦態勢を解いた。


「金城、用意してくれたか?」

「はい、全部揃えてます。でも、もう行っちゃうんですか?」

「ああ。何かあったら連絡するから」

「連絡先は?」

「アンタなら、調べればすぐ解るだろ? 秘密にしてたって」

「まあ、そうですけど。慎吾さん、お帰り待ってますから。今度も死なない……うぐっ!」

「だから縁起悪いこと言うな、バカ!」

 背中から抱き締めようとした金城に、慎吾が肘テツを食らわす。戯れる二人を見て、タイガはいらいらながら、テーブルの上のおはぎを頬張った。


  ◆


 八階建の雑居ビルにある、四階の2DK――最低限の生活の用意がされたその部屋は、京田が頼んで(というよりビルオーナーを脱税容疑で脅して)借り上げた、潜入捜査用のマンションだ。ちょうど歓楽街の中心に建ち、およそ五十メートル先の角を曲がってすぐに、今回の最重要店舗がある。


 入室早々、タイガが全室内に不審物がないか、換気扇の向こう側まで丹念に調べた。その傍らで慎吾は次々に捜査用機械を設置し、複数のノートパソコンと接続した。

 今回命じられた任務は、新興勢力の情報収集と組織概要の解明、そして逮捕へ繋がる何らかの証拠を得ることだ。そこまで追えれば、あとは捜査一課が別件逮捕で引っ張り、長期の拘留・訊問に持ち込む手筈になっている。

 ただし、些末なネタでは難しい。トカゲの尻尾を切らせず、頭から捕獲出来るようなネタを掴めと言うのが、京田の指示であった。


 慎吾とタイガがマンションに入ってから三日後、最重要店舗「クラブハザード」の面接を見事クリアした慎吾は、早速翌日の夜から働くことが決まった。常時待機するタイガへ情報を送るアイテムも、金城の手配で既に準備してある。

 いよいよ、潜入捜査開始だ。

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