第5話IONシリーズ外伝 『CONNECTION 背信と信頼』


 友達になろうぜ。



【ACT〇】 この子だけは


 女は倒れていた。己の血だまりの中に。監視カメラは何故か彼女が撃たれた瞬間にノイズが挟まっていて、犯人が誰なのか知れなかった。

「――ビアンカ!」

男は絶叫して、倒れる様にひざまずいて彼女に触れた。

もう、冷たかった。

「……何と言う事だ」その傍らの老人は呻いた。「この最高警備の場所でも、ワシの娘の命は守れなかったのか!」

ふらふらと男が立ち上がり、老人を見つめて、決死の想いで言った。

「……こうなってしまったからには、ジョヴァンニだけは、守らなくては」

老人は無言で頷いた。そして小声で言った。

「ウトガルド島外の安全な場所で育てさせよう。 だが、この事はワシとお前だけの秘密だ――絶対に誰にも知られてはならん!」


【ACT一】 享楽と快楽の絶対治外法権


 ウトガルド島、と言う場所がある。そこは現在の世界を支配しているどの勢力にも所属しない特殊な場所、自由聖域アジールである。ここでは外の世界の何もかもが意味を持たない。唯一ここで価値があるものは、金、である。金があればどんな快楽でも得られるし、逆に金を無くせば悲惨な結末しか待っていない。

「それじゃあ」

そう言って、卑屈な顔をした男はにやにやと笑い、己に必死にしがみついていた幼い少年を引きはがし、前方に突き飛ばした。その前方には黒い服を着たカジノ・フロアの総責任者、シンディー・オールストンが屈強な護衛を引き連れて立っていたが、流石にこの光景には顔をしかめた。少年は泣きながら男の方へ戻ろうとする、だが、男は少年を蹴り飛ばした。

「お前みたいなごく潰し、俺の借金の肩代わりになっただけマシだと思え!」

「お、おとうさ、おとう、」少年は涙で声がろくに出ない。「ぱ、パパ!」

「お前なんか売女の息子サノバビッチで俺の息子じゃねえよ」笑ってそう言ってから、男はシンディーの方を見て、「これで俺の借金はチャラになる。 俺は自由の身だ。 そうでしょう?」

シンディーは反吐が出そうになるのをこらえて、長年のここでの経験で作成した完璧なポーカーフェイスで言った、

「ええ、そうです。 では、この島より即刻お引き取り願いたい」

そして二度と来るな!そう言いたいのを、彼女は必死に理性で押しとどめた。

「もちろん!」

男はスキップさえしながら、島を出る大型客船に乗って、姿を消した。

「パパ!」

少年はなおも男を追いすがろうとしたが、護衛の一人が少年の肩を掴んで、

「もう君はウトガルド島王の所有物だ。 諦めろ!」

「……パパ……」

絶望そのものを具現化したような顔をして、少年はその場にへたり込んだ。

「来たまえ」とシンディーは少年を哀れに思いつつ、己の職務を果たすべく、言った。「君にはもはや自由など無い」

「いやだ! パパー!!!」少年は泣き叫んだ。

「この子、どうします?」護衛がシンディーに訊ねた。シンディーは憐みを諦めつつ、

「……一応は王に聞こう。 だが、どうせ、カジノ・フロアの下働きか男娼窟行きだとは思うがね」

「いやだ!」少年は敵意の眼差しでシンディー達を睨んだ。「ぼくはパパのところにかえる!」

その視線がかち合った護衛の一人が、卒倒した。頭を抱えて絶叫し、げえげえとその場に嘔吐してもだえ苦しむ。

「何が起きた!?」シンディーらは、血相を変えた。

「心を見られたッ!」護衛が叫ぶ。「俺の心を、扉を叩かれて、見られたッ!」

「まさか」シンディーは少年を、視線を合わせないようにして観察した。「君はA.D.アドバンストなのか?」

それは、いわゆる超能力者の事で――。

「しらない! ぼくはパパのところにかえる!」少年は、必死に言った。

「……君をあんな風に捨てた父親の所に帰るつもりか?」シンディーは少年に近づいて、少年の着ていたぼろぼろの服の袖をめくった。案の定、あざがあった。「……しかも君を虐待する」

「……」少年がうつむいて、「でも、パパはパパだもん……」

シンディーは慣れないが、なるべく優しい声を出して、言った。

「子供にとって害になるような親なら、子供が親を捨てるべきだと私は思うがね。 とにかくこちらへ来たまえ。 君のその力は、もしかすれば君の将来を切り開くかも知れない」

「……」少年は、大人しくシンディーに付いて来た。


 シンディーは巨大なモニターの前に立った。すると、モニターが光を放ち、威厳ある男の姿を映した。

「ウトガルド島王。 この子の処遇についてお伺いしたいのですが」シンディーは言葉を続けた。「この子はどうやらA.D.であるようです。 被害を受けた者が『心を見られた』と言っていました。 仮にそれが事実ならば、大いに有用性があるので、適所に配置するべきだと私は思います」

『……』モニターの向こうの男は、黙って、少年を見つめた。少年は今にも泣きだしそうなほど不安そうな顔をして、男を見つめている。男は、優しい顔を見せて言った。『お前は、人の心を見るのか?』

「……むりやりに、みるよ」少年は、その優しい顔に、驚いた表情をしている。

『そうか。 シンディーの言う通りにそれが事実ならば、お前は非常に価値のある存在だ。 だが確かめなければならない。 ……シンディー』

ここで男は彼女を呼んだ。彼女はすぐに意図を察して、

「あの男ですね。 分かりました」と、言った。


 少年は、鉄の檻の中に閉じ込められている、温厚そうな青年と出会う。

「どうして――」この人がここに?少年が首を傾げた時、ウトガルド島の売春窟の総責任者バートランド・バリーが憎々しげに、言った。

「このクソ野郎はな、ウチの子を五人も縊り殺したんだ!」

「そしてウトガルド島王が激怒した。 当然だがね。 勝手に所有物を害されて黙っていられるほどあの人も愚かじゃない。 だがどうしてここであんな真似をしたのか、動機が気になる。 そこで君にはその動機を、心を見て見つけ出して欲しい。 成功すれば君に将来は与えられる。 だが失敗すれば、未来は無い」シンディーはそう言い、少年の背中を押した。

「……わかった」少年は、檻に近づいた。青年は驚いた顔をして、

「どうして君みたいなちっちゃな男の子が、ここに連れて来られたんだい?」

「……」少年は、じっとその眼を見つめた。そして少年とは思えない冷たい声で言った。「あんた、ごみだね」

「な」何を言っているんだ、と青年が言いかけた時、少年は、『心の扉を叩いて』、青年の心を無理やりに見た。


それは実に単純明快な動機であった。

人を殺したい。殺してみたい。

だが俺がそれで死刑になるのはごめんだ。

だから、ここならば、金で全てが買えるから、人の命ですら買えるだろう。

それに娼婦なんか、殺したって別にどうでも良い存在じゃないか。

何、今でこそ檻の中に閉じ込められているが、俺の金を見せればコイツらも態度を豹変させて、俺を自由にしてくれるだろう。

だって人の命なんか、金より価値が無いものだから。


 シンディーは獣のような叫び声をあげて、吐いたりのた打ち回ったりと忙しい青年と、それを少年とは思えないほど冷酷な眼差しで観察している少年を見た。

「……それが動機かい?」と彼女は訊く。

「はい」少年は答えて、言った。「でも、ここは、おかねさえあれば、こいつをじゆうにするんでしょ? でも、それじゃ、おじさん、あなたのくやしさはかわらない」

「そりゃ、そうだが――」

バートランドは妙な顔をした。何をすると言うのだろう。

少年は、檻の扉を開けるように、彼に頼んだ。

「……おい君、何をするんだい?」シンディーが訊ねる。

「あのね」と少年は言った。「ぼくが、こいつの、こころのとびらを、たたきこわすの」

「……そうするとどうなるんだい?」シンディーは問うた。

「こころがこわれるよ。 うんと、くるしくて、つらくて、でも、こいつは、それだけのことをしたんでしょ」

「「……」」シンディーはバートランドと顔を見合わせた。既にこの少年の有用性は十分に証明された。だが、バートランドが頷いた。険しい顔をして、

「あの子達もな、借金の抵当に売られてきたんだ。 だがここで真面目に働けば必ずいつか自由になれる、私はそう約束したし、それは事実になるはずだった。 だがこの男が全て反故ほごにしてくれた。 私は、だから、この男は許せない」

「だが一応、王の裁断を――」とシンディーが言った時、二人の所持する端末に通信が入った。

『遠隔カメラで全て見聞きさせてもらった。 特別に許可しよう』

シンディーとバートランドは顔を見つめ合って、頷きあった。


 少年はウトガルド島王の元に連れて来られた。王は、かがみ込んで少年と視線を合わせた。それは危険だ、とシンディー達が制止する前に、王は、言った。

「坊や、名前は何て言うのかな。 私は、テオドアと言う、テッドと呼んでくれ」

「……レット。 レット・アーヴィング」

「そうか。 ではレット、お前はしばらくここで暮らしなさい。 何か欲しいものはあるかい?」

「……パパ。 ぼく、パパがほしい」

「!」王は驚いた顔をした。だが、その顔がいつになく優しい、慈愛に満ちたものに変わったのを、シンディー達は目撃する。「……そうか、分かった」


それから数か月後、シンディーはカジノ・フロアで起きた不祥事――会計士の一人が横領していたのを、別の会計士が見つけたのだ――の報告と謝罪に王の元を訪れていた。

「本当に申し訳ありません。 このような事が二度と起こらぬよう、対策を講じます」彼女は頭を垂れた。

「ぶーん!」

「分かった。 どう処分した?」王は、問うた。

「きゅいーん!」

「いつもの通りに致しました」

ここの掟通り、そう、いつもの通りに、海に沈めました。シンディーは頷く。

「みさいるはっしゃー!」

「そうか、ならば良い」王も頷いた。

そこでシンディーは苦笑して、王の足元で戦闘機のおもちゃを振り回して遊んでいる少年レットを見た。レットはきらきらした目でシンディーを見て、

「ねえ、さいしんのせんとうき! すごいでしょ、ねえ!」

「ああ、凄いね」とシンディーは思わず微笑んで言った。

「パパがね、ごほうびにかってくれたの! えっへん!」

「こら」と王が慌てて、「お前が仕事を完遂したから、褒賞を与えただけだ! 勘違いするな!」

「いや! パパだいすきー!」だがレットは王に抱き着いて、本当に幸せそうに言うのだった。


 現ウトガルド島王には子供がいない。

先代ウトガルド島王の娘と彼は結婚したのだが、子供が死産したまま、妻に死なれた。ウトガルド島王は基本的に血統で決められる。血統で受け継がれ、そして『賢い者』と結婚して血脈を残していく。

今のウトガルド島で働いている者の上層部の一番の懸念は、跡継ぎ問題であった。ほとんどの者が先代ウトガルド島王の息子、現王の義理弟エンリコにだけは、今の王の後を継いで欲しくない、と思っていた。とにかく性格が悪いのだ。あんなのが自分達の上に立ったら、ぞっとしない。誰もがそう思っている。

どうか現王が後妻を見つけて、子供を作って欲しいと誰もが思っていた。だが王はちっともそうしないのだ。

では血統を捨ててレットを養子に取るのか?レットは大変に利発な子供で、上層部の誰からも気に入られていた。子供らしいのに、非常に賢い。そして人の心をちゃんと理解しているし、優しさと非情さを持ち合わせている。ウトガルドの王になっても十分にやっていけるだろう。だが現王はレットを息子のように可愛がるものの、全くその素振りすら見せないのだ。

上層部は、それで困り果てていた。とにかくエンリコだけには継いで欲しくないと言う者、だが血統が、と口をつぐむ者、後妻をどうかめとってくれと願う者、いっそレットを養子にと言い出す者、様々であった……。


 それから月日が流れた。


【ACT二】 実子


 ある日レットは『パパ』から呼び出しがあって、何だろうと不安に思いつつ向かった。彼も『パパ』の跡継ぎ問題をもう知っていて、それが一番の今のウトガルド島の懸念である事も分かっていた。現在、存在する選択肢では、どれを選んだとしても必ず反対者が出る。

エンリコは誰彼からも嫌われているし、だが彼を選ばねばウトガルド島王の血統が途絶えてしまうし、かと言って王が後妻をめとればレットと何らかの不和が生じるだろうし、だがレットを選んでも彼にはウトガルド島の王族の血など一滴も流れていないから、エンリコはきっとそこを付け狙ってくるだろう。

一番良いのは後妻なんだけれど、とレットは胸を痛ませつつも冷静にそう思った。そうすれば僕はともかく、他はすべて丸く収まるじゃないか。

「レット」と最近風邪をこじらせて体調が優れないと言う王は、ベッドの中から彼を手招きした。「おいで。 秘密の話があるんだ」

「うん」とレットは枕元に膝をついて、パパと顔を近づけた。

するとパパは他には誰もいない事を確かめてから、いきなり、こう言った。

「私は末期の癌だそうだ。 もう、生きられて後一年だろうと医者に宣告された」

「え」その言葉を理解した途端に、レットの顔が見る間に青くなった。

「そこでお前に頼みがある。 お前だけにしか頼めない、頼みだ」

パパはレットの耳元で、ある言葉を囁いた。それを全て聞いたレットは、顔を引き締めて、頷いた。


 「こら! ジョニー! 親の財布からお金をくすねていくだなんて、泥棒じゃないか!」彼の母親が激怒して、玄関から布団たたきを手に追いかけてくる。

「うるせーババア!」

不良少年ジョニーはそう怒鳴って、あっと言う間に行方をくらました。

「全くあの子は!」母親は深いため息をついた。「ぐれちゃって、本当にどうしようもないわ!」

「ママ、私が行って取り返してくるから」ジョニーの双子の妹、エレオノーラが学生鞄を手に、靴を履きつつ言った。「それにね、ジョニーはぐれちゃったけれど、腐ってはいないから」

「あら、どう言う事?」

「あのね、ジョニーはね、バスでお婆さんに席を譲っていたのよ。 私が見ている事に気付いたら、顔を赤くしてバスから逃げるように下りちゃったけれどね」

「あらあら」と母親は微笑んだ。「それじゃノーラ、お金、頼んでも良いかい?」

「私の取り分は一割。 OK?」といたずらっぽく少女は笑う。

「ちゃっかりしているわねえ。 でも、OKよ!」


ジョニーは街角をうろついている。本来ならば学生は学校に行っている時間だが、絶賛反抗期の彼には関係ない。

「ジョニー!」そこにエレオノーラが追い付いてきて、「お金を回収しに来ましたー」

「やだ、学校行け」

「やだ。 お金返して」

「誰が返すか! つーかお前、遅刻じゃねえの?」

「ママがジョニーを説得するために遅刻するって電話を学校に入れてくれたわよ」

「チッ。 教師の面なんざ見たくねえっての」

「出席日数、どうするのよ」

「知るか」

「それじゃ困るのになあ」とエレオノーラが、いやに悲しそうな顔をした。「だってジョニーは……」

「あん? 何だよノーラ?」

「……」

少女は黙ってから、言った。

「ウトガルド島は知っているよね?」

「知っているけど、それが何なんだよ?」

はるか彼方の賭博と享楽の島、噂程度にはジョニーもそう聞いている。だが、何でいきなりその言葉が出てくるのだ?

「……」少女は答えずに、手を差し出した。「お金返してくれたら、ヒントをあげる」

「……俺はクソみたいな妹を持っちまったな」

そう言ってジョニーは金を返した。するとエレオノーラは微笑んだ。

「そうね、妹。 クソみたいでも、私はジョニーの妹だから」

「は? ヒントは?」

「今のがヒント。 じゃあね、私、学校に行くから!」

そう言うなり、少女は走り出す。

「お、おい、待てよッ!」

ジョニーは追いかけた。だが、そこで運悪く『顔なじみの』警察官リックが登場する。

「おいこらジョニー! 女の子を追いかけるなんて何をやっている!」

しまった。ジョニーは事情を説明しようとしたが、その隙に妹に逃げられた上に、激怒しているリックにとっ捕まって、派出所に連れて行かれた。

「双子の妹ぉ!?」

事情を聴いたリックは爆笑した。

「お前とあんまりにも似ていないから、妹だなんて思わなかったぜ!」

「二卵性双生児なんだってさ」ぶすっとした顔でジョニーは言った。「畜生め」

「あんまり妹を虐めるなよ!」とリックは紅茶をふるまった。「まあ、お前なら虐めとか出来ねえだろうがな! お前が今ぐれているのだって、通過儀礼みたいなもんだからな! 俺だって若い頃はやんちゃだったんだぜ!」

「うるせえッ!」

「また君か」鷹揚に笑いながら派出所で最高齢の警察官、マッシモが登場する。田舎だが、呆れるくらいに治安の良いこの街では、警察官なんて税金泥棒の閑職呼ばわりされているくらいに暇なのだ。「威勢が良いな! 若いってのは良い事だ!」

「黙れジジイ!」と言った瞬間ゲンコツが頭に命中して、ジョニーは鉄拳制裁を下したリックを睨みつけた。リックはまた怒っていて、

「おいこら、マッシモさんに何て口を! ジョニー、お前、口だけは達者だな!」

「まあまあ」マッシモが怒るリックをなだめて、「もうジョニー君のお父さんに連絡したから、精々絞られてくるんだな!」

「げええ」とジョニーは露骨に嫌な顔をした。「……俺、学校行くよ。 親父なんか大嫌いだ」

どこにでもいるような会社員だが、頑固そのもののジョニーの親父は『がみがみ度』ではリックなんかの比では無いのだ。

「「反抗期の真っ盛りだな!」」と警察官二人は笑った。

ジョニーは、笑われて不機嫌そうに言った。

「……俺、とにかく学校行くからさ、親父によろしく言っておいてくれよ」

「分かった分かった、本当に生意気な小僧だ!」とマッシモは笑って、ジョニーを送り出した。


 学校に着いたら、ジョニーは変な事に気付いた。

「あれ? 今日休みだったっけ?」

そんな馬鹿な。だが静かなのだ。あまりにも静かすぎて、ジョニーはこれはおかしいと不審に思った。そして彼は、校舎に近づくにつれて、その静けさの異様さに段々震えがこみあげてくるのを感じた。

――血の臭いがするのだ!

仮にもしも中で何か起きているのだとしたら、そこには、彼の妹が――。

「ノーラ!」

彼は叫んで、校舎の中に駆け込んだ。

そして、あまりにも残虐な有様に、絶句する。

彼は後で知ったのだが、彼と妹の通う高等学校の、全生徒全職員が殺されていたのだ。

「あ」彼は職員室から警察に電話をかけようと扉を開けて、自分と同じ事を妹も考えて、だが、彼女は不幸なタイミングで職員室に駆け込んだ事を知った。「ノーラ!!!!!!」

彼女は、撃たれて、今にも絶命しようとしていた。その周りには教師達の亡骸がいくつもいくつも――。

「おいノーラ、しっかりしろ!」ジョニーは彼女にすがり付いた。

「じょ、にー」彼女は、血反吐を吐きつつ、必死に兄を見て言った。「うとが、る、ど、の……」

だが、肝心な事を言い終える前に彼女は、二、三度、けいれんして、絶命した。

「畜生! 何でこんな事に!?」

ジョニーはとにかく派出所に電話をかけて、急いで学校に来てくれるように頼もうとした。

だが、出ない。いくら電話をかけても、誰も出ないのだ。さっきまで確かにリックとマッシモがいたのに、である。そして今頃は父親もいるだろうに。

「どうなってんだよ!」ジョニーはもう恐怖と混乱の極みにいた。彼はその時、思いついた。自宅に電話をかけて、母親から警察署の方にこの異常事態をどうにかして連絡してもらおう、と。

けれど、それも無駄だった。電話には相変わらず誰も出なかった。

どうなっているんだ!?ジョニーは気が狂いそうになった。

こうなったら、徒歩ででも何でも良い、誰かにこの異常事態を彼が伝えなければならない!

彼は走った、必死に走って、派出所に戻った。

「おいリックさん、マッシモさん、大変――!」大変だ、と入るなり叫びかけた彼は、突き飛ばされた。それが己の父親の手であると知る前に、銃声。

彼の父親が、彼を庇って撃たれて、死んだ。良く見れば、拷問でも受けたのか、全身に酷い傷を負っていた――。

「!!?」

ジョニーは倒れた父親の向こうに、絶命している二人の知り合いの警察官の姿と、黒ずくめの、誰がどう見ても『まとも』ではない男達の姿を見た。誰もが、見た事も無いほど恐ろしい大きさの機関銃を持っているのだ。

「いたぞ」

男達は、銃口をジョニーに向けた。ジョニーは、畜生と呻いたが何も出来ず、ただ、その銃口を見つめるきりだった――。

銃声。

男達が遠方から狙撃されて次々とあっと言う間に倒れ、死んだ。

最後の一人が倒れた瞬間、ジョニーはその銃弾が飛んできた方向を見た。

同い年くらいの少年が彼の方へと歩いてきていた。その少年の背後には不気味な黒い男と、硝煙を上げる大型拳銃を手にした白い小柄な人形っぽい人間?が付いてきている。

「こんにちは」と少年はジョニーに近づくなり、ひざまずいて、うやうやしく頭を垂れた。「僕はレットと申します。 ウトガルド島王のご命令により、お迎えに上がりました、ジョヴァンニ様」

「え……?」

「もはや事態は最悪そのものになってしまいました。 それも僕らの到着が遅れたためです、お詫び申し上げます。 事情を説明しますので、付いてきていただけませんか?」

ジョニーに、否と言えるだけのものは、もう残っていなかった。


四人は大陸横断鉄道の一等客室に乗った。ジョニーにココアを渡してから、少年レットは言った。

「端的に今の事態を説明しましょう。 ジョヴァンニ様、貴方は『デュナミス』と言う最悪の暗殺組織からお命を狙われているのです。 貴方の乳母一家も、お友達も、お知り合いも、全て連中が殺しました。 連中は絶滅主義者ですからね」

「……乳母って、まさか!」

「ええ」レットは頷いた。「貴方様は本当は、ウトガルド島王のただ一人の王子なのです。 それが一六年前、とある事情でウトガルド島より乳母一家と共に逃げ出す事になり、安全なあの街で貴方様は育てられたのです」

『クソみたいでも、私はジョニーの妹だから』

そうか、あの言葉と微笑みの本当の意味は!

ジョニーは、ぎりぎりと歯を食いしばった。彼が悪態ばかりついていて、ありがとうも言えずに、でも大好きだったみんなは……殺されてしまったのだ。

「ですが、王がもはや余命幾ばくもない状態になりました。 王位継承は、あの男さえいなければ平和的に、流血無しに行われたでしょう、ですが――」レットは、少し黙ってから、「貴方の叔父エンリコは、悪逆非道な男です。 貴方が生きている事を知るや否や、『デュナミス』に暗殺を依頼し、そして乳母一家のみならず学校や派出所を丸ごと潰させました。 もはや貴方のお知り合いに生存者は誰一人いません。 そもそも貴方様をウトガルド島より避難させる原因となったのが、貴方様のお母上が恐らくエンリコにより殺された事です。 だが証拠が無かった。 無かったばかりに先代の王や貴方のお父上は貴方様を乳母一家と共に島外へ避難させました。 表向きは、死産だった、そう言う事にして。 そうする事でしか、貴方様は守れなかったのです」

「警察に言って、ソイツ、捕まえる事は出来ないのか?」ジョニーは言った。するとレットはきっぱりと言った、

「ウトガルド島は絶対的治外法権、どの世界勢力ですら本来ならば介入できない自由と享楽と金の島です。 たかが警察機構では、とても無理です。 僕だって本当はこの二人に協力を仰ぎたくは無かった。 この二人は、ご存じ世界勢力の一つ、聖教機構ヴァルハルラの人間だからです。 でもデュナミスが相手ですので、戦闘能力の無い僕では仕方なく……」

「ウトガルドと聖教機構が一時的に手を組んだのか?」

「いえ、そうではありません。 これはあくまでも個人的な僕の勝手な行動、表向きはそうなっています。 僕は訳有って聖教機構と仲良しですから。 ウトガルド島が聖教機構と手を組んだなんて情報が正式に流れようものなら、世界中がパニックに陥りますからね。 そして貴方様はそこの次期王にならねばならない」

「……俺が、そんな所の王に……」ジョニーは黙った。そしてココアの液面を見つめる。

「どうか、なる、とおっしゃって下さい」レットはいつになく強い口調で言った。「それしか、もはや、貴方の生きる道は無いのです」

「なる、と言えば、俺は、父さん達を殺したクソ野郎の黒幕を殺せるのか」

「ええ」レットは即答した。

「なる」とジョニーは言った。するとレットはかがみ込んで、ジョニーの靴にキスをした。

「ここにてレット・アーヴィング、絶対的永世忠誠を誓いましょう、ジョヴァンニ様」


 列車は走っていく。聖教機構の二人は、警戒のため部屋から出て行った。

車窓から、景色が移り変わっていくのをレットは見つめていた。僕がやらねばならないんだ。僕だけにしか出来ない事なんだ。そう思いつつ。

「なあ」とそこにジョニーが話しかけた。「さっき、お前、訳あって聖教機構と仲良しだって言ったよな。 どうしてだ?」

「……僕はA.D.でしてね。 『人の心を無理やりに覗き込む力』を持っているんです。 まだ聖教機構の聖王が存命だった頃の話です。 ウトガルド島に一人の客がやって来ました。 大金持ちの客でした。 ウトガルド島は金と王の意志のみが掟ですから、その客は随分好き勝手にふるまったのを、僕達は黙認しました。 でもある日、ついにその客はやってはならない事をやったのです。 僕が凄くお世話になっていた、カジノ・フロアの総責任者のMs.オールストンとギャンブルの事で口論になって、彼女を射殺したんです。 僕は彼女からカジノ・フロアで生きていく方法を全て教わりました。 彼女は僕に僕の力で生きる方法を教えてくれた、命の恩人だったのです。 彼女はいつも冷静で、そして自ら喧嘩を売るような愚行は絶対にしない人間でした。 その彼女に一方的に口論をけしかけて、挙句に射殺したその客がどうしても僕は許せなかった」

「……」

「僕はその客を上手い事なだめて、おだてて、僕と一対一のポーカー・ゲームに持ち込みました。 そして全財産を奪い取ってやりました。 ウトガルド島では、金だけが唯一価値があるものです。 それを全部失った客は真っ青になりました。 そこで僕はとどめを刺したんです。 ――浅はかだったとは今では思えます。 復讐とは最後に取っておくべきデザートなのに、僕は感情に駆られてがっついてしまった。 その客の心の扉を叩いて見た瞬間、僕は同時に聖教機構の最高機密のいくつかを知りました。 その客は、聖教機構最高幹部『一三幹部』の一人だったのです」

「……聖王は、その事を知ったのか」

「ええ、知りました。 知って、即座に動きました。 ウトガルド島王に、僕を引き渡すように巧妙な圧力をかけたんです。 当然です、僕の当時知っていた機密は、聖教機構外に漏えいしようものなら、とんでもない騒ぎを引き起こす、そんな代物でしたから。 王は抵抗してくれました。 本当に、僕を守ろうとしてくれた。 万魔殿や帝国に働きかけたり、ついには暗殺者を雇ってくれたくらいです。 ですが、まあ、かの聖王相手です、勿論全部失敗しましたが。 それで僕は聖教機構に無理やり身柄を移行されました。 でも、機密が時が過ぎて機密で無くなった時、聖王は僕をウトガルドに戻してくれたんです。 だから僕は聖教機構の中に知り合いが結構いるし、ウトガルド島の対聖教機構の窓口みたいなものになれたんです。 まさかこのコネが、今になってこの形で活かされるなんてね……」

「つまり、お前は、コウモリなのか?」

「ええ、あっちこっちに良い顔をする裏切り者のコウモリです。 ですが僕は、ウトガルド島王だけは絶対に裏切らない。 全世界を裏切ってでも僕は王にだけは忠実でいたい。 僕は、王からのこの命令に従い、貴方を次なるウトガルド島王にします。 でなければ、僕は……」

「……そうか。 エンリコ、と言ったな。 そいつはどう言うヤツなんだ。 悪逆非道って言っていたが、どれくらいに……?」

「汚い男です。 権力欲と金欲、とにかく欲望を律する事を知らない亡者です。 獣にだってもう少し理性があります。 否、あの男は狡猾な分、獣以下だ。 ウトガルドの幹部の方々は嫌々あの男と付き合っています。 僕はあの男ほどおぞましい生き物を知らない」レットは少し黙って、「……ウトガルド島には娼窟もあります。 勿論避妊や衛生管理はきちんとしているのですが、時々、それでも、赤ん坊が産まれてしまう事があります。 そのほとんどは客と恋仲になった娼婦が、どうしてもと思って産んでしまうのですが……」

「その赤ん坊にエンリコは何をしやがったんだ」

レットは吐き捨てる。

「エンリコ曰く、赤ん坊の肉ほど甘くて柔らかくて癖になるものは無いんだそうです」

ジョニーの形相が変わった。

「娼婦から無理やりに子供を盗み、喰っては喰っては、あの男はブタのように肥えていく。 絶望した彼女達が何人自殺しようが知った事では無い。 幹部の皆様は、ですから、あの男だけは嫌だと内心では思っています。 ですがウトガルド島王は、基本的に血統と血縁で受け継がれてきました。 今の王には、不幸にして王の血が流れていないのです。 今の王は、先王のご息女であったビアンカ様、つまり貴方のお母上と結婚したがために王になれただけなのです。 ……ジョヴァンニ様、貴方様だけがウトガルドの最後の希望だと言っても良い。 王が亡くなった後、エンリコが王位を継ぐ、それだけは絶対に許してはならないのです」

レットがそう言った時だった。

爆音と震動。二人は、咄嗟に客室に飛び込んできた白い人形兵器によって抱きかかえられて、客室から窓を破って脱出した。その背後で、大陸横断鉄道の大きな、まるで道を突っ走る巨大な生き物のような姿が、くねって、線路から外れて横転し、動かなくなったかと思うと、そのまま爆発炎上した。

「なッ」何が起きたんだ、ジョニーが真っ青になった時である。

「『デュナミス』の襲撃だ。 大陸横断鉄道そのものに時限爆弾が設置されていた」兵器が、機械音声で言った。

「そんな……何人が……これじゃ……!」死んだのだろう。

人の命を、何だと思っているのだ!

ジョニーが愕然とした時、だが、レットが、妙に冷酷に言った、

「ジョヴァンニ様。 貴方は何か重大な勘違いをしていらっしゃる。 人命など金と暴力の前ではこんなものです」

「レット、お前!」

ジョニーは思わず、かっとなった。

「良いですか」だがレットはポーカーフェイスの薄ら笑いを浮かべて言うのだ。「貴方がこれからなるのは、金と貴方の意志のみが絶対的秩序として支配する異世界の王だ。 こんな程度で一々人の命がああだこうだと思っていらっしゃっては、とても務まりませんよ」

「おーい」と爆発炎上する鉄道から一人の男が無傷で出てきた。レットが連れてきた聖教機構の黒い方の男だった。「次はどうする?」

レットは言った。

「うん、幸い海も近いから、客船に乗ろう。 ウトガルド島への直行便はまずいから、乗り継ぎも考えて、『帝国』のジュナイナ・ガルダイア経由でね」


 ……俺は、金よりも命の方が大事だと思っていた。

それは間違いだったのか?

今まで俺が生きてきた平穏な毎日は、それが当たり前だったのに。

お袋、親父、ノーラ、リックにマッシモ、それから、みんな。

殺された全員。

俺にしてみれば金よりもよほど大事な、そう、例え全世界を買えるだけの金を貰ったってアイツらの命の方を選ぶだろう、そんなみんな。

でも、俺は……。

船窓からぼうっと遠ざかる海辺の景色を見つめていたジョニーは、そこで唇をかんだ。

そうだ。

俺は復讐すると決めたのだから、その考えは、今は捨てなければならないのだ。

「ウトガルド島の歴史についてお話ししましょうか」レットが、ジョニーの前に紅茶を置いて、言った。彼らは一等船室にいた。「ウトガルド島は元々は『帝国セントラル』、聖教機構や万魔殿パンテオンに匹敵する三大世界勢力の一つが所持していた『先代文明ロスト・タイム』の『遺物レリック』でした。 遺物と言っても人工島である事が研究で分かった以外は、大して価値も無かった。 ただ、この島は丁度、三大世界勢力の絶妙な中間地にあるのです。 そのために、名目上は帝国の支配下にありましたが、万魔殿や聖教機構が事実上は支配していた時もあったそうです。 とは言え彼らも帝国と事を荒立てたくは無かったので、実効支配も短期間だったそうですが。

 ……ですが、およそ三〇〇年前に、とある巨大マフィアがこの島に目を付けました」

そこでレットは言葉を切って、ふう、とため息をついた。

「名前をエフトラと言ったそうです。 ですが彼らは、マフィアよりも更に上の存在になろうとしていた。 ただのマフィアであるだけでは、万魔殿や聖教機構に睨まれ、潰そうとする圧力と常に戦い続けねばなりませんからね。 そしてエフトラは帝国からウトガルド島を買い取り、賭博と快楽の島へと大改造したのです。 そして、ちゃっかりとマネーロンダリングの世界拠点、世界経済の一角になってしまった。 こうなると聖教機構も万魔殿も下手に手が出せません。 下手に手出ししようものなら即座に他の世界勢力から反撃される。 おまけにウトガルド島の金融が滞れば、世界中の経済が恐慌状態に陥ります。 こうしてあの島は、快楽と享楽の絶対治外法権になりました。 そして、それゆえに、『BBブルーブラッド事件』の舞台にもなりました」

「BB事件……確か、万魔殿の大帝と聖教機構の聖王が、戦争を止めようと条約を締結しようとして、でもウトガルド島の離島の一つごと消え失せたって言う……それが原因で第一一九次世界大戦が始まっているんだろう?」

「ええ、おっしゃる通りです。 ですがこの事件には、非公開の謎がいくつもあるのです」

「非公開の、謎?」

「表向きは聖王も大帝も調印の舞台である離島一つごと消え失せた、原因不明で、となっていますが、実際は、その真っ最中に離島に巨大エネルギーと思われる何かが直撃したのですよ」

「!」ジョニーはぎょっとした。

「言っておきますがウトガルド島の防空システムは隕石ぐらい迎撃できますし、並大抵の核ミサイルなど相手になりません。 荷電粒子砲にだって耐えられます。 ですが、あれだけは違った。 あの巨大なエネルギーはまるで狙ったかのように、ウトガルド島の防空システムを天上より突き破って、離島に直撃し、跡形も無く消し飛ばしたのです」

「な、何だよ、それ……!」

「全く分からないのです。 分からないがゆえに、原因不明と公表するしか無かったのです。 唯一分かっているのは、あれが天空からいきなり降ってきた、と言う事だけなのです」

「……」

「さあ、そろそろお休み下さい」とレットは日暮れの海を窓越しに見て、言った。「明日の昼には帝国最大の商都ジュナイナ・ガルダイアへ到着するでしょう」


 夜。ジョニーはいくら横になっても眠れたものでは無かったが、思い切って船室の冷蔵庫の扉を開けて、度のキツそうなアルコール飲料を飲んでみた。

「うえッ!」

あまりのまずさにその場で吐いた。水でゆすいでも、まだ口の中がひりひりする。ジョニーは涙目でベッドに戻ろうとしたのだが……。

「あー、勿体ねーなー」

不意に、その声が背後からした。振り返れば聖教機構の、不気味な黒い男が立っていて、

「なあ、飲めないなら俺が飲んでも良いだろう?」と言った。

「……何で入って来たんだ」ジョニーは呟いた。

「酒の匂いがしたからさ」と平然と言われる。

「……勝手にしろよ」

「じゃ、遠慮なく!」

男はがぶがぶと飲み始めた。ジョニーは呆れてそれを見ていたが、

「なあ、アンタら、レットとはどう言う――?」

「建前上は同僚、かな?」男は酒を飲めてご機嫌である。「俺はI・C、あっちはシャマイムって言うんだ。 レットはいわゆる情報屋でな。 だから簡単に俺達をも裏切るんだよ。 いや、ヤツは誰だって裏切る。 気安く、容易くな。 先見の明があるって言えば褒め言葉だが、ヤツは情報を知りすぎているがゆえに、すぐに時勢の不利有利を見抜いて、有利な方に付く。 いつだってそうだったし、これからもそうだろうさ。 ヤツが裏切らない人間がもしも存在したら、面を見てみたいもんさ」

「そうなのか……」

「気を付けるんだな、小僧」I・Cはにやりと笑った。「アイツはきっとお前をも裏切るだろうから」

「……」

本当は俺にはもう味方なんて一人もいないのかも知れない。ジョニーは、そう思った。

『クソみたいでも、私はジョニーの妹だから』

……だって、全員、殺されてしまったのだから。


 ジュナイナ・ガルダイアは美しい街だった。白い街並みが青い海に映えていた。大型客船から小さな漁船まで、ずらりと港には船が泊まっていて、せわしく人が乗り降りしている。レットがチケットの手配や食料品の購入などをすぐに済ませてきて、彼らはウトガルド島行きの、怪しげな密航船に乗った。帝国は表向きはウトガルド島へ行く事を禁じているからだ。船はすぐに港から出航する。人がぎゅうづめの粗末な船室から、ジョニーは、船の甲板に出た。

「?」彼は妙に思った、レットが通信端末で何か話しているのだ。気付かれないようにジョニーは物陰から聞き耳を立てた。

「ええ、全ては順調です。 全ては貴方様の意のままに。 なぁに、パパはすぐに死にます。 そして貴方様が次の王になる。 僕は実権は要らないんです。 ただ、パパから僕を奪おうとするあの世間知らずの王子が邪魔なだけなんですよ。 パパは僕だけのものだ! そう、パパが死ぬ時に側にいるのは僕だけで良いんです。 だから、僕は貴方様に忠誠を誓いますよ、エンリコ様」

何だと。ジョニーは血の気が引いていくのを感じた。

(アイツはやっぱり俺を裏切るのか)

(いや、もしかしたら、ノーラ達もあえて見殺しにしたんじゃ――!)

(クソ、ふざけんな!)

レットを彼が殴ろうと決めた時、だった。

「それじゃエンリコ様、またお会いしましょうね」

通信端末をレットが切った。そして、振り返って、

「ジョヴァンニ様。 そこにおいでなのでしょう? もうご存知かとは思いますが、僕は誰だって裏切ります。 白状しましょう、僕が貴方の乳母一家をもお知り合いをも全て見殺しにさせました。 けれど」レットは恐ろしいほど激情的に言った。「僕はウトガルド島王だけは裏切れない! 僕はあの時、ウトガルド島王の完全な所有物になったあの時から、王のために生きて王のために死ぬと決めたんだ。 そのためならばいくらだって喜んで汚名を被るし命などドブに捨ててやる! 信じて下さいなんて甘えた事は言いません。 僕は貴方様のためならば貴方様でも裏切るだろうから。 否、僕は貴方様のために喜んで全世界全人類、たとえ神であろうと裏切ってみせる。 だけど! でも! 僕がいくらだって裏切れるのは、貴方様の、そしてパパが……僕を一人の人間として育ててくれて、人間として扱ってくれたからだ!」

「……」

ジョニーは何も言わずに、レットが黙った時に、去って行った。


【ACT三】 血の復讐


 ウトガルド島。そこに密航船は着いた。悪趣味な島であった。人の欲望を際限なく煽り立てるような、そんな色彩と構造をしていた。

ここが。ジョニーは思う。ここがウトガルド島なのか。

島の入口、逃亡者と密入国者を防ぐための十重二十重の複雑な防衛システムが施された巨大な搬出口が空気の排出音と共に開くなり、数名の黒服の人間が走ってきた。性別も年齢もさまざまであった。レットは彼らに言った。

「皆様、ジョヴァンニ様をお連れしましたよ」

「「おお!」」笑みを浮かべ、彼らは一斉にその場にひれ伏して、我先にジョニーの靴にキスをした。

「ジョヴァンニ様、ご紹介しましょう、ウトガルド島の幹部の方々です。 カジノ・フロアの総責任者リト・ジーディア、売春窟の取締役バートランド・バリー、飲食物担当のシェフ・ラックラーチ、競馬と競輪の双子の責任者カールストン兄弟、清掃整備担当のキム・レイヴァン、ショッピング・フロアの責任者ラス・ルーピン、警備防衛担当のルントー・ワン、そして……あれ、医療班のゴースタンさんは?」

「それが、王の容体がますます悪くなって……今は絶対に離れられないのだそうだ」ひざまずいたまま、リトが少し物憂げに言った。「だが、無事にジョヴァンニ様がお付きになったと王がご存じになれば、かなり持ち直すだろうと彼女も嬉しがっていたよ。 何せエンリコ様が今では王の面を吹かせているから、誰だって気分が良い人間などいなくってね」

「そうですね、本当……」

そこで頷いたレットは背後の聖教機構の所属者二人を、レットの金で自由に島の中で遊ばせるように彼らに頼んだ。

「僕はジョヴァンニ様を王の元へお連れします。 Mr.ワン、不審者は島には入っていませんよね?」

「ああ」とこの半身を機械化サイボーミングした、傭兵都市ヴァナヘイムの元傭兵隊長は頷いた。「島の中は安全だ。 エンリコ様がいるがな」

「分かりました。 最大限注意していきますね」

レットとジョニーは島の中へ、まるで飲み込まれるように姿を消した。


彼らが真っ先に入ったのが、広大なカジノ・フロアであった。魔族も人間も、目をぎらつかせて乾坤一擲の賭博に熱狂していた。

「凄いでしょうジョヴァンニ様、ここがウトガルド島の誇る世界一のカジノ・フロアです。 あ、丁度良い」

レットはそこのボーイから飲み物を取って、ジョニーに手渡そうとして――手が滑った。飲み物が派手にジョニーの服にぶちまけられる。

「うわッ! すみません! このままショッピング・フロアに行きましょう、服がこのままではいけませんから!」

それで彼らはショッピング・フロアに行った。エレベーターで昇って行った。

色とりどりの服やバッグ、果ては小型船に至るまで――何でも売っていた。

レットはそこでジョニーにきっちりとした礼服を見繕うと、試着室に何度も何度も頭を下げて謝罪しながら、服ごと押し込めた。

数分後、着替えてジョニーが出てきた後、レットは安堵した顔で言った。

「では、王の元へ参りましょう!」

エレベーターに二人はまた乗った。そして、レットはでたらめにフロアのボタンを押した。急にエレベーターが高速移動を始め、二人は島の高層階に昇っていく。

「おい、レット……」ジョニーが、不安げに言った。「俺は……」

レットはにっこりと微笑んだ。

「大丈夫ですよジョヴァンニ様、僕がいますから! 王だって大喜びされます! 王は臥せっています、どうか駆け寄って、抱きしめて差し上げて下さい」

「ああ」ジョニーは、一度だけ、頷いた。

エレベーターの扉が開いた。その突き当りに部屋があって、そのドアをレットは開けて、どうぞとジョニーを促した。ジョニーは中へ入った。

男が、顔を窓の方に向けて、ベッドに横たわり、無数の管で繋がれていた。

「パパ……?」

ジョニーは、そう呟いて、そっと男に駆け寄って、抱きしめた。

「俺がジョニーだ、パパ!」

――どすり。

ジョニーは己の胸を見た。

血があふれ出していた。ナイフが深々と突き刺さっていた。

ジョニーは、うつ伏せに倒れた……。

「レット。 やるじゃあないか。 島に来てからの全てを監視カメラで見させてもらっていたが、巧い事幹部連中を騙して連れて来て、なあ?」

そう言って、醜く太った男が、のっそりと起き上がった。その手には血まみれのナイフが握られている。レットは飄々と、

「僕は、パパを奪われたくなかった。 だってパパは僕だけのパパだから。 僕だけを愛してくれて僕だけが愛している、それが僕のパパだから。 僕にとっては僕だけのパパを簒奪しようとするこのクソガキなんか、正直クソ邪魔なだけだったんですよ」と倒れているジョニーの頭を踏みつけた。

「まあ、良いさ。 パパが死んだらお前はどうするんだ?」巨漢のエンリコはそう言って、レットを試すように見た。

「僕はパパとずっと一緒にいたい。 だから、パパの墓守になろうかな。 それが良いや。 権力とか権限なんて別にどうだって良い。 そうだ、僕を歴代の王の墓の管理人にして下さい。 それくらい、ねえ、良いでしょう?」

「ああ、勿論だとも」としたり顔でエンリコがベッドから降りて、スリッパを履いた時だった。

「貴様、貴様らああああああああああああああああああああああ!」

血相を変えたMr.ワンが絶叫しつつ駆け込んできて、拳銃を取り出した。

だがエンリコが言った、

「おい、そこの馬鹿。 ひれ伏せ。 次なるウトガルド島王に対して何と言う無礼を働くつもりだ?」

「ッ!」

Mr.ワンが歯ぎしりして、悔しいなどと言う次元では無い、絶望と憤怒の塊のような形相をして、その場に伏せた。

「危ないから拳銃、貰っておきますねー」レットは彼から拳銃を奪った。「いやはや、やばかったですねえ……ごめんなさいね、エンリコ様」

「なあに、結果良ければ全て良し、だ。 特別に赦してやろう」

「ラッキー!」とレットはにっこりと笑った。そして、

「ねえエンリコ様、今幸せですか? 幸せですよね?」

「勿論だ。 それもこれも貴様の功績のおかげだぞ」

「そっかー、良かった! それを聞いて僕も安心しました!」レットは笑顔ポーカーフェイスのまま、拳銃の撃鉄を上げた。「じゃあ――天国から地獄に堕ちろ、このブタ野郎」

銃声が響いた。右足を撃ち抜かれたエンリコの巨体が、赤い絨毯の敷かれた床に倒れた。そして、もがいて、仰向けにひっくり返った。

「な」何が起きたのだ、エンリコがそう言う前にレットはジョニーの頭から足をどけた。

「……っつ。 事前にこうなるって聞いてはいたが……裏切られるんじゃないかとひやひやだったぜ」ジョニーが、起き上がった。

「なあッ!? 馬鹿な!」

目を剥いてエンリコが絶叫した時、レットが言った。

「馬鹿だなあ、デブは脳みそまで脂肪なんだろうな。 簡単だよ、僕が貴様を裏切っただけだ。 そしてパパと幹部の総意が貴様でなくジョヴァンニ様を王に選んだだけだ!」

銃声。銃声。銃声。四肢を撃ち抜かれたエンリコはブタのような悲鳴を上げた。だがもう動けない!

「おい、このクソデブ」レットはまだ、まだ氷の方が温かいだろうと言えるほどの冷たい声で言った。「これは王の勅命だ。 血の復讐だとさ! 貴様はかつてビアンカ様を殺したな? そして今や御子息のジョヴァンニ様をも殺そうとした! これは僕がやらねばならない事だった。 僕だけにしか出来ない事だった! 何故なら僕がパパに一番信じられていたから! ――さあてクソデブ、口を大きく開けろ。 

銃声。

エンリコが、動かなくなった。

レットは拳銃を手放して、途端にぎゃあぎゃあと喚きながら床を転がった。

「痛い痛い痛い! 手が痛い! 何だよシャマイムとかは何発撃っても平然としているのにー!!!!」

「おい、レット」やっと終わった、そんな気の抜けた顔をして、Mr.ワンが呆れた声で言った。「次なる王の前であんまり醜態をさらすんじゃない!」

「はい……痛い……はい」レットはしおれた顔で起き上がった。そして、エレベーターが開くのを音で知った。

他の幹部が、揃ってやって来る。

「やっとくたばったか」Mr.バリーが、エンリコの死体を見て、そう言った。「……ざまあみろとしか思えんな」

「ああ、皆様、ご協力ありがとうございました」レットは言った。「防刃服とか、血糊とか、飲み物とか、一杯ご用意していただいて。 ウトガルド島の中でエンリコが覗かないのが試着室の中だけだったので、この手を取るしかなかったとは言え……本当にありがとうございました」

「何の何の。 私達はただ、エンリコが生理的に受け付けなかっただけさ」バリーは言って、にやりと笑い、「それに、私達もなかなかの役者だったんじゃないか?」

「ええ、もうそりゃあ満点でしたね!」レットもにやりと笑った。

誰もの顔に会心の笑みが浮かんだ。これで、彼らは『まとも』で『常識のある』王を引き続き頭上に抱けるのだ!

「早く王の元へお連れしてあげて」そこで、女医のMs.ゴースタンが言った。「凄く会いたがっていらっしゃったから、出来るだけ早くね!」

「はい、今度こそ」レットは頷いた。「パパの元へ、お連れします」


【ACT四】 終わりの裏切り、始まりの裏切り


 その男は、無理をしてやっと起き上がっているのが分かるくらいに、痩せて衰えていたが、不思議とジョニーに懐かしさを感じさせた。

「パパ?」

「……」

男は目を細めて、言った。

「ビアンカに、良く似ている」

ジョニーは男を抱きしめた。痩せた細い手が、彼を強く抱きしめ返して、

「私の持つものは全てお前に受け渡そう。 私はすぐに死ぬだろう、その後でお前はここの王になるのだから」

「そんな事、言うなよ」

「いや、私は死ぬ」王は穏やかに言った。彼は今、幸せなのだ。「プロセルピナ。 この子を守ってやってくれ」

『……ええ』いきなり、まるで幽霊のように出現した若い女が、ザクロを手に、頷いた。『承知しましたわ、テッド。 私は悪魔のプロセルピナ。 ウトガルド島王に代々受け継がれる力です』

「そうか。 ――あ、レットが俺をここに連れて来てくれたんだ、礼を、」とジョニーが振り返ると、もう、レットはいなかった。

「レット……」ジョニーが呟くと、彼の『パパ』は言った。

「あの子は全てを分かっているよ。 あの子は私の亡き後もお前に忠実に仕えてくれるだろう。 あの子だけは信じてやりなさい」


 「ん?」とフード・フロアで飲み放題に酒を飲んでいたI・Cは、背後の気配に振り返った。レットがいた。「よう。 用事は終わったのか?」

「終わったよ」レットはそう言って、少し寂しそうな顔をした。

「へー。 お前でもそんな顔をするんだなあ。 あんまりそんな顔をしていると、大天使に乗っ取られるぜ?」

「大天使ぃ?」レットは目を丸くした。

「そうさ。 中でも一番性格が悪いのがラファエルってヤツでな。 不老不死と引き換えに私の命令を聞け、とか言うんだぜ? だがヤツの言う不老不死なんざ、化物の人生だ。 否、化物なら人間や魔族で倒せる。 ただ死ねないだけの不老不死なんざ、地獄の拷問だ。 なのにヤツは人間に取り憑く時、必ずそんな感じの誘惑をしてくる。 まあ、精々気を付けるんだな、ぎゃははははは!」

「……今どき大天使なんて流行らないよ」レットは付き合い切れないと言った態度で、そう言った。「ところでシャマイムは?」

「娼窟にいる」

「え」レットの口が、大きく開いた。

シャマイムは兵器である。生殖機能は、無い。あるはずが無い!

「何か人生相談に乗っているみたいだぜ。 すげえモテっぷりだった。 グゼに匹敵するな、あれは」

「……ああ、人生相談ね、なるほど」

それでレットが娼窟に行くと、長蛇の列が出来ていた。

「生きてて良かった!」そんな事を言いつつ、列の先頭から泣きながら娼婦が歩いてくる。「この世の中にあんなに誠実な善人がいたなんて! あんな人間に会えて良かったわ!」

いや、人間じゃなくて兵器なんだけれどね。そう突っ込んだものの、レットは、でも、確かにシャマイムは良いヤツなんだよな、と思った。良いヤツどころか、シャマイムは崇められて信者が出来てもおかしくないレベルで人格者なのだ。

その時、だった。

「ようレット」

はっとレットが振り返ると、『ジョヴァンニ様』が立っていた。

「何のご用でしょうか、ジョヴァンニ――」

「ジョニーで良いさ」と彼は言った。「なあ、一つ命令があるんだが」

「何なりと」

レットがかしこまった時、予想外の言葉が放たれた。

「友達になろうぜ」


 ――ウトガルド島王が代わった、と言うニュースが世界に流れたのは、それから約一年後であった。新たな王も、やはり『やり手』だと言う。

その傍らには、レットがいた。


                                   END

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