第八章 吸血鬼掃討作戦
1
生贄台をアサヤは押した。満身の力をこめた。ふんばった。両足の筋肉がもりあがった。両腕の筋肉が鋼鉄の束のようになって、きしんだ。
「なにをなさっているのですか」
鹿未来は今宮神社の地下で起きたことをしらない。ごりっ。ごりっ。台座が動いていく。あのときは、この下に血を溜める壺が置いてあった。
「あっ、これは」
ぼっかりと空洞が開いた。鹿未来は見た。声を張り上げる。
「妖狐は やはり……まだ完全に蘇ったのではないのですね」
「阿倍一門の呪術をもって泰成が封印した狐、いかに妖術に長けているとはいえ、そうたやすく実体化はできないはずです。わたしたちが見ていると思いこんでいるのは、すべて妖狐が投射する幻しにすぎません」
「なんということができるの。白面金毛に実体化できなくても、これだけの情報操作ができるとしたら」
「この世は平安の闇に、妖狐が現れたらもどされてしまいます。それを憂いた先祖がわたしたちをこの地に住まわせたのです」
「わたしが蘇ったのも、この妖狐と戦うためだった」
「廟への穴があきました。階段が朽ちています。注意して下りてください」
生贄台から滴った少女メグミの血が棺の上部にある紋章。
妖狐の牙をむきだした口のあたりにしたたっている。
あの少女を助けたい。なんとしても、救いたい。
罪のない少女だ。ケイコだって同じだった。
妖狐玉藻の再臨のために犠牲となろうとしていた。
少女たちを生け贄として。
肉体を復活させようとしている。
根性がゆるせない。
牙は千年の埃が血でぬぐわれたため、浮彫りされたときのように白くひかっていた。ここに横たわるものは、死体ではない。封印されたリービングデッドだ。仮死状態にある、蘇る時をうかがっていた玉藻なのだ。
「恐らく、妖狐の牙そのものをうめこんだのだ」
廟の中に安置されている棺そのものも光っている。
金箔におおわれている。高貴の人の棺だった。
「銀でおおえばよかったのに」
鹿未来がつぶやいた。
「よくわかっているじゃないの」
ふたりの耳に金属音がひびいてきた。
「わたしは再誕した。蘇った。千年の闇の底から少女の血と体を生け贄として蘇った。千年の眠りから目覚めたのだ。復讐の時はきた。那須火山の次は浅間山だ。そして富士山を噴火させて見せる。地龍はみなわたしの味方だ。わたしに付き従うものに幸あれ。いま若い娘に血を全部飲み干せば、わたしの蘇りは完璧なものになる。肉体に再び春が訪れる。わたしは若い男の精を思う存分吸収できる。さらに強い肉体と復讐のための堅固な意思がわたしのものとなる。さあ娘を生け贄にするのだ」
常の人であったら発狂する。それほどの高音だった。鼓膜がさけそうな音だ。
「玉藻。妖狐浮揚の術」
すさまじい磁場嵐がおきた。トルネイドに巻き上げられたようだ。アサヤは岩盤ごと宙に吹上げられた。そこは鹿沼の街の中だった。
だが、どうみても古きよき時代の鹿沼だ。これだ、これが三津夫たちがFデパートの屋上でみたという鹿沼のミニチャーだ。これも幻覚にちがいない。
「そうおもうか、なら下界をみるがいい」
アサヤの目の前にいた。狐のままの姿がそこにはあった。玉藻だ。双眸が赤くひかっている。妖狐の目をみたとたんにアサヤは洞窟の基盤ごと吹き上げられたのだ。からだが宙にうかんだ。上空に浮かんだ街の中にいる。地上では白い布におおわれた森で、鹿沼の若者たちの闘いはつづいている。白い布でいま昇りはじめた陽光はさえぎられていた。白い布はそのために張られていた。
「まだわからないのか。哀れなものよ。これはおおきな呪いの藁人形なのだ。コノマチをくずせば本体であるいまの鹿沼にもなんらかの影響があらわれるのだよ。いや、わたしの針のひとつきで、その部分は消えてしまうのだ」
人間の脳にダミーの情報をながし、幻覚症状を起こさせる。そうした妖術が玉藻には可能なのだ。
「どうしそれまでして、鹿沼を呪うのだ」
「この土地の人たちさえわたしの側についてくれさえしたら、わたしの九尾軍団はほろびなかった。野州のこの鹿沼は、わたしの最後のたのみだった。犬飼の民をわたしは敵にすることはないと信じていた。犬も狐もおなじ形態ではないか。それなのに、犬が狐を追うように仕込んだのは村人だ。すなおにしたがった犬は栄えている。ゆるせない。わたしは犬飼の地をふくむこの鹿沼の地を呪い滅ぼし、その輪をひろげこの日本を混沌の地にもどしてしまいたいの。そのために千年の時をへて蘇るのだ。じゃまはさせない」
「それこそ哀れなものだ。憎むことからはなにも生じない。憎しみの情を千年たっても忘れられないとしたら、あなたほどの術者が哀れなものだ」
「なんとでもいうがいい」
狐の黄金色にかがやく毛針がとんできた。かわすことができない。あたりいちめんが金色にけぶる。
無数の針がアサヤにつきたった。痛みではなかった。麻酔をうたれたようだ。
感覚がにぶる。薄れていく意識。街が毛針の攻撃で崩壊する。そのためにこそここにミニチャーをつくったのだ。そのためにこそFデパートの屋上に中継箇所として同じ、仮想空間の街をつくったのだ。仮想の空間は毛針の攻撃を防御できない。無力だ。その仮想の街の崩壊が実体の街にどれほどの影響をあたえるというのか。
わたしはそれを確かめられない。このまま……。
2
「おい、だれか聞いているか。久我で吸血鬼の集団があばれている。たすけにきてくれ」
武は本署に携帯を打った。それにも応答はもどってこない。三津夫とケイコが戦っている。タカコとそのガールズ。番場と鹿陵高ボーイズ。学校での成績はできが悪いグループだ。先生のいうことなど聞かない。教室からはフケル。校庭をご巡幸としょうして、群れをなして授業中に歩き回る。ときには、ミニハバイクの轟音がともなう。
OBが校庭にバイクで入りこんでくる。巡幸中の彼らにくわわる。どうしょうもないゴロンボだ。そのれんちゅうが命を賭して戦っている。故郷、鹿沼を守るために。メグミの危機を救うために。マブだちを助けだすために。
生命を賭して戦っている。戦いは数時間にも及んでいる。
この街を救うのだ。この街の平和のために死ぬ。
そんなことをマジで考えている。
いいのかよ。
そんなことして。
人のために人は死ぬことができるのか。
武は泣いていた。
だれか助けにきてくれ。おれたちだけては歯がたたない。あいつらの牙はおれたの首筋にくいこむというのに。
「タスケテクレ。キュウエンヲタノム」
「SOS。SOS。SOS」
塾の教室で、修了をまえにしてアサヤのオッチャンがいっていた。「みんなが通塾してくれて、なんとかわたしも暮らしてこられた。ありがとう。こんどはわたしが、みんなになにかあったら助けてやる」
そうだ。番号を暗記させられた。
いまでも、覚えている。これはどこにつうじる電話なのだ。これはどこにかかる電話なのだ。
もうこれまでだ。
どうしょうもない。
救援をたのむ。
そんなことがあったら……。
武の指は……。
無意識に、その記憶の底に封じられていた数字を。
打ちこんでいた。
武が携帯に打ち込む指の動きもにぶくなっていく。
もうどれくらいたたかっているのだ。なんども、なんどもSOSを発信している。
敵を倒した合間に携帯を打つ。
どれくらいの時間がたったか見当もつかない。
だれか。
だれか気づいてくれ。
3
「三津夫。アタシ。アタシ……ダメミタイ。力がぬけていく。また生まれかわったらいっしょに戦おううね」
「なにをいうんだ。ケイコ。ケイコ。おれたちはめぐり会ったばかりだぞ。前世の記憶に目覚めたばかりだぞ。こんな吸血鬼のヤロウどもに、やられてたまるか」
「おや、ままだそんなことがいえるほど元気なんだ。でもいつまでつづくかな」
吸血鬼のボス。Dが白い牙をむいてニタニタ楽しんでいる。
牙がおおきく迫ってくる。
三津夫はケイコを抱えこんだ。
じぶんの体でケイコにくいこむ牙を防ごうとしていた。
それだけの力しか残っていない。
身をもって愛しいケイコを救うことしか出来ない。
Dと戦う力が欲しい。
「番長。バンチョウ」
「三津夫さん」
番場たちも傷ついている。体中傷だらけだ。最後の気力。根性をみせて戦いながら三津夫のまわりに集結した。
「おにいちゃん」
タカコの声もする。吸血鬼の牙が迫ってくる。タノシソウダな。ヤッラ楽しんでやがる。
バリ、バリバリ。
音がする。
上空だ。
ヘリだ。
輸送用の大型ヘリだ。
ロープがたれさがる。
カーキ色を基調とした迷彩服を着ている。
戦闘服だ。
兵士が雨垂れが樋をつたうようにすべりおりてくる。
助かった。
だれか助けにきてくれた。
救助隊がきた。
どこから。
どこでもいい。
なんとか、助かりそうだ。
武もそう思った。
アサヤさん。アサヤさん。
鹿未来の顔があった。
「あっ、わたしは……」
そこは、宙に浮いた鹿沼ではなかった。
玉藻の前の棺の脇だった。
「玉藻の紋章にふれたとたんに気をうしなってしまったのですよ」
生気をねこそぎ吸いとられたようだ。からだがだるい。宙にそれこそ浮いているようだ。
無力感にアサヤははふるえていた。
「塾などやって、格闘技の精進をおこたっているから、わたしにはこの狐と闘う術がない。塾の経営で疲れ過ぎた。幻覚を打ち破る力がない。再度この狐の霊魂を封印することができない」
「いまわ悪い時代なのですね。悪いものほど宣伝がうまいから。適塾や松下村塾のような人間育成に力をいれる塾は滅びていくしかないのですね。いままでのあなたのご苦労がわかります。本物の生きにくい時代なのですよ」
「でも、いま戦っているこの子たちは立派です」 「よくも、よくも……」
怨みをこめた玉藻の声が棺の内部でする。
「わたしの血のあじはいかがかしら」
鹿未来の血を紋章の上からそそいだのだ。
同族間の争いをタブーとするためだ。
同じ種族の血をすうと、かれらは滅びないまでも、動きかとれなくなる。
棺から薄い煙りがわきでてきた。
「お母さん――」
夏子が隼人と。駆けこんできた。
「わたしが、戻って来たこと、よくわかったわね」
「お母さん。わたしはヨーロッパにいて、お母さんの念波をキャッチする能力があったのよ」
千渡にある皐道場からではこの久我の山中まで40キロの距離だ。
「せんぱい」
洞窟の入り口からVセクション日本支部長の高宮の声がふってきた。
アサヤのむかしの同僚がかけつけてくれたのだ。
武の携帯の電波がとどいていたのだ。
武のSOSをキャッチしたのだ。
吸血鬼掃討作戦はいま始まったばかりだ。
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