第七章 玉藻VS鹿未来
1
「玉藻。わたしをだましたのね。あなたを追討する側に参加しなかった大谷の一族であるわたしたちを、たぶらかしたわね」
「わたしが……あのまま広大な宇宙空間をただよっているとでも思ったの……甘いのよ。いくらわたしが中国から渡ってきた外来種の吸血鬼でも、源流をたどればあなたたちと同じ種族よ。あのとき、どうして援けてくれなかったの。あなたたちが、味方についてくれさえしたら、わたしは千年もの長い眠りにつくことはなかった。安部泰成に封印されることはなかった。戦乱の世に中立なんてことはありえないの。敵か味方。殺すか、殺される側になるか。共に戦ってこそ味方なの。いいこと共に戦ってくれないのでは、敵方についたも同じなのよ」
「なにをする気」
「きまっているでしょう。この下野の地、この鹿沼を混沌に落とし……、滅ぼしてやる」
「玉藻さん、やはり……あなたは可哀そうな人よ。人を怨んでは、とくにわたしたちは人を怨んではいけないのよ」
「洞窟のなかで千年、じめじめと生きてきた意気地無しの大谷の者がなにをほざく」
玉藻と鹿未来が言い争っている。玉藻の配下のいまや黒装束となった吸血鬼集団が包囲網をじわじわと狭めてきた。彼らは黒と白のリバーシブルの衣装を着ていたのだ。
それでこそ、新鹿沼駅前で彼らがふいに消えた謎がとけた。あのとき〈妖狐〉たちは白い衣装に裏返して雑踏にまぎれたのだ。
三津夫は彼らの動きを油断なく目で追いながら玉藻と鹿未来の話しに聞き入っていた。いろいろなことが起き過ぎる。妖孤という代紋を背にした黒装束のコイツらと駅であってから。彼は異界を見てきた。いまさら、なにを見ても、なにが起きてもおどろかない。じぶんの肉体にも変調は現れている。
この包囲網を破れるのか。
相手の強さはわかっている。
パンチや脚の蹴りの破壊力はさほどない。
牙がこわい。鈎爪で引き裂かれる傷は深い。
このふたつの攻撃は、どんなことがあっても避けたい。
鹿未来は戦えるのか。このオバサンは自分のことくらい守れるのか。
まさにそのとき、鹿未来が覚悟を決めた。
鹿未来がどこに隠し持っていたのか‼
剣をぬいた。もう、これ以上は逃げきれない。
逃げて行く先にも〈妖狐〉が群れている。挟まれた。
鹿未来が前方の敵に斬りこんだ。
三津夫は知らないが、鹿沼は稲葉鍛冶の鍛えた技ものだ。
夫さえ泣きながら切った鹿未来だ。
吸血鬼を憎む気持ちは強い。
死可沼流の始祖の娘の剣さばきだ。
いま起きていることが、三津夫にはどうしても現実とは思えなかった。
鹿未来強し。
初見のとき、特攻服の背の代紋を般若の顔と見た。
般若ではなくこれは吸血鬼だ。ためらっていると敵が襲ってきた。
何も知らない三津夫は鹿未来の剣さばきに茫然としていた。
強い。このおれが、女性に助けられている。
〈妖狐〉がまさに吸血鬼の顔に変貌した。
鉤爪をむきだしにした。
シュというような声あげた。三津夫の胸をないだ。
三津夫はぎりぎりでかわしその腕を逆にとる。
ひねった。
黒装束が回転しながら着地した。
「パワーアップしてるようだな」
男はせせら笑っている。
避けたつもりだった。
三津夫の胸が浅くではあるが、切り裂かれていた。
痛みはなかった。アドレナリンが分泌されているからだ。
三津夫の右足のまわしげりが敵の悪鬼にヒットした。
ヒットしているのだが黒い悪鬼には重量というものがないみたいだ。
ボールでもキックしたようにとびさっていく。ダメージは受けていないようだ。
すぐにぶきみな雄叫びをあげてはねかえってくる。
御殿山での戦いの再現だ。これでジレた。深追いして失敗したのだ。人間どうしの戦いとちがう。技がつうじない相手だ。相手は人外魔境にすむ悪鬼……。
吸血鬼だった。妖狐の一族は吸血鬼の変形だった。胸の血が止まらない。
「むりしないで。すきみて逃げて」
ささやくように、三津夫の戦いぶりを横目で見守っていた鹿未来がいう。
彼女も全身に敵の青白い血をあびている。ただひとつの救いは悪鬼には悪鬼なりの戦い方があるらしい。
ひとりしか向かってこない。あとのものたちは鹿未来と三津夫を遠巻きにしている。妖狐の棟梁、ボスらしき男も動かない。三津夫を大勢でおそうように命令していない。玉藻の後に控えている。
「そんなことできるか。鹿未来さんを置いて逃げられない」
「赤い血をながすものには、失血死があるのよ」
たしかに三津夫の筋肉は人間離れした状態を維持している。だが、気力が萎えていく。
体が安定しない。ふらつく。〈妖狐〉が一斉に襲ってきたら!!
とても、鹿未来とふたりだけでは、防ぎきれない。鹿未来もそう感じたのか。
声を荒げて。
「玉藻さん。あなたが、千年の恨みをこめて鹿沼を滅ぼそうとするなら、わたしは、命がけで鹿沼を守る。わたしたちを、いままで、生かしてくれた鹿沼を守る」
これまでか!!
これが限界か。
三津夫は覚悟した。
心臓が喉元につきあがる。
2
あれは狐火。
狐の嫁入り。
死んだおばあちゃんがよくいっていた。石裂山の山腹をちいさな火が数珠にようにならんでもえている。ああいう光りが並ぶのは山のお狐さまがお嫁にいくときなのだ。
シズカはおばあちゃんのことばを思い出した。
上久我に住むシズカから携帯が入った。
シズカはサッソク、アサヤ塾の連絡ネットに、
「バイクの集団が夜陰に乗じてめったに車などはいらない山道に消えていった」
と報告した。
「このさきは道がないの」
タカコのバックシートからシズカが飛び降りた。
ブナやくぬぎやニレの木の奥にただならぬ気配がする。
シズカもこの奥までは入ったことがない。月が白みかけている。
「三津夫」
車からとびだしたケイコが森の奥にむかう。すごい脚力で走り込んでいった。
輸血の効果があった。
「三津夫」
すっかり元気をとりもどしている。たくましい野生の生命力だ。四足走法のように見える。犬のように見えた。
3
頭がふらつく。
突進してくる吸血鬼の爪。
しだいに三津夫のからだに深く突き刺ささる。
避けられない。これまでか!! 鹿未来と離れてしまった。
〈妖狐〉は多勢で襲いかかって来る。
なにがなんでも、鹿未来と三津夫をシトメルと決めている。
もう、戦いつづけられない。戦いつづけることは、不可能だ。
攻撃を受けながすこともできない。意識がモウロウとして来た。
スリ傷や切り傷がいたるところにある。血を噴いている。
腕はかろうじて動く。足は大地に固定されてしまった。
動けない。このままでは、なぶり殺しだ。殺される。
死ぬのはいやだ。
初めてひとを愛することをしった。
異性を愛するきざはしにたどりついた。
ケイコ。愛している。ふたりで愛の階段を昇りつめたいのに。
死ぬわけにはいかない。死にたくない。
このとき闇の底の下ばえをかきわけ、犬がとびこんできた。
「三津夫、ぶじだったのね」
「心配するな。これきしの相手……」
それだけいうのがやっとだった。
「そうでもないみたいよ」
三津夫に体をこすりつけ。
ケイコ――犬飼一族の長老の娘が変身したままの姿でいう。
「三津夫といっしょに戦えてシアワセ。ネネワカル。感じる? わたしと三津夫は遠いむかし、やはりこうして妖狐の部族と戦った」
「なにいちゃついてやがる」
あらたな黒装束の悪鬼がケイコの前にすすみでた。ケイコがすばやくうしろにまわりこむ。悪鬼の首に噛みつく。ケイコの犬歯で噛み砕かれた首筋から緑の血がどろりとしたたる。腐った臭いがした。
「番長」
「三津夫」
「お兄ちゃん」
いっせいに喚声がわきあがった。
ほの暗い樹の影をぬってスケットが到来した。
二荒タカコ率いるサンタマリアのGガールズ。
副番、番場の率いる鹿陵Gボーイズ。
「番長、三津夫さん。おくれてスンマセン」
異口同音に硬派の声がほの暗い森にこだまする。
4
アサヤは玉藻と真剣をもって対峙する鹿未来のところにかけよった。
「そのかまえは、蘇ったときいている皐道場のお嬢ですね。総本家、草久の麻生から別れた、あなたのところとおなじ分家、アサヤです」
「これでわたしに敵対するものが勢揃いした。覚悟してかかっておいで」
玉藻が黄金のフレァのなかで甲高く叫んだ。
「むだだ、何人集まってきても、わたしを倒すことはできない」
生け贄とした娘、メグミの身体にまだなじまない。
小娘の姿になったり、ろうたけた貴婦人のすがたになったりする。
しかし、そのまわりの黄金色のフレァは巨大な狐の動きをみせている。
尾がなんぼんにもわかれている。
しかし九尾とはかぎらない。
あまりの動きのはやさのために残像が残こる。
無数の尾の動きに見えるのだ。
鹿未来の剣が残像の中心部をなぐ。
玉藻はとび退る。
高くとぶ。
鹿未来も玉藻と合体するように。
高かくジャンプする。
アサヤが錫杖を玉藻になげつける。
杖は弓矢のようにとぶ。
玉藻をつらぬく。
だが、なんの変化もおきない。
「これは幻だ。幻を相手に、わたしたちは、戦っている」
すばやく鹿未来も理解した。
生け贄台には少女の肉体が星空をみあげるように仰臥していた。
「メグミなの。メグミ。メグミ」
Gガールズが驚きの声をあげる。
メグミと玉藻はまだ完全に合体したわけではなかった。
まだメグミは死んでいない。
メグミは失神していた。
こころを玉藻にのっとられていた。
操られていた。
台に固定されたメグミはもぬけの空だった。
空蝉。
メグミの身体のイメージだけが、玉藻の魂魄と一体化していたのだ。
いまならまだメグミを助けることができるかもしれない。
助けることができる。
できる。はずだ。
Gガールズのみんなは、そう信じたい。
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