第六章 囚われた三津夫
1
喉がかわいていた。
校庭の隅の水飲み場。
蛇口に口をあてても水はでてこない。
咽喉が渇いている。
ずらっと、銀色の蛇口がならんでいる。
一滴も水のしたたらない蛇口。
蛇口はげんなりとうなだれたままだ。
ダリの時計のように。みょうに平べったい。
丸みのない蛇口。水のほどばしる音はしない。
そうだ。蛇口のコックをひねっていない。おれはなんてドジなんだ。コックを開けようとした。蛇口が燃えている。皮膚がベロンと、融けるほど熱い。手が痺れている。痛む。思うように動かせない。熱さといい。痺れといいこれは異常だ。
どうしたんだ。
そこで……。三津夫は正気にもどった。校庭などではなかった。ここは、どこなのか。自分のいる場所も。自分がだれであるのかも。はっきりとはわからない。喉がやけるように渇いている。
痛む。
体を起こそうとした。
手は後ろで組まれ‼
縛られていた‼
それどころか上半身も。
足首も。
ぐるぐると幾重にも。ロープで縛られていた。
監禁されている。
どこなのだろう。
ここは。
月明りが窓から差し込んでいた。
ログハウスだ。周囲の壁も天井も。マルタを半分に裂いたものだ。床だけが無地のフローリング。ひどく汚れていた。染みがいちめんにできていた。
そして、おれは……二荒三津夫。鹿陵高校総番二荒三津夫だ。薄闇のなかで、それだけがわかった。意識が戻って来た証拠だ。
夜だ。そうだ。ヤッラに捕まったのだ。敵に捕まった。
「深追いするな」
アサヤのオッチャンの声を背中で聞いた。いいきになっていた。筋肉はパワーアップした。おもいっきり力を解放した。あばれた。拳に敵の肉のひしゃげる感覚。殴る。倒れる。敵。ゲームだ。おもしろいほど、敵は倒れた。
かたわらに、ケイコがいる。ケイコにおれの強さを見せたい。ケイコと共に、敵と戦っている。ケイコ。負けるな。おれがついている。いつも、これからはこうして。いっしょに戦える。
おれは、ケイコのために。戦っている。
おれは、鹿沼のために戦っている。
ふたりの住む鹿沼のために戦っている。鹿沼に侵入してきた敵と戦っている。それがうれしかった。鹿沼はおれたちが守る。
アサヤのオッチャン。
誰のことだろう。そうだ、塾の先生だ。念力のある、すごいパワーをもったおれの先生だ。意識がしっかりしてきた。ほの明りのなかで意識だけはしっかりしてきた。御殿山で吸血鬼と戦っていたのだ。
「深追いするな」
吸血鬼の群れにかこまれていた。目前の吸血鬼と戦うことで精いっぱいだった。
おれは、Dを追いかけていた。ケイコの精気を吸いつくそうとしたヤツだ。許せん。
「三津夫。むりするな」
オッチャンの声が耳元に残っている。
2
ここはどこだ。
ケイコが青いフレアの中で犬に変身した。おれは、いまではなにが起きても。すなおに信じられる。おれたちのいるこの鹿沼が異界に変わってしまった。
だから、おれもパワーアップした。ケイコが犬に、あれは狼犬だ。
変身する姿を確かに見た。それがどうしたというのだ。
なんでもありの裏鹿沼。それでいいではないか。
おれたちは、戦うのみ。この故郷から、吸血鬼を追いだすのだ。
おれたちを、おれたちの祖先をずっと育んできた――。故郷鹿沼を守るために闘うのだ。
そう思うと不覚にも涙がこぼれた。死んでもこの地は吸血鬼などに。明け渡してなるものか。ここは万葉の昔は防人の地。
「今日よりは顧みなくて大君の 醜 ( しこ ) の 御楯 ( みたて ) と出で立つ我は (万葉集20-4373)」と詠いあげた下野の防人の地だ。祖国を守るために命をかけた。防人の血がおれたちにもながれているのだ。
World war 2 でも宇都宮14師団の勇猛果敢な闘いぶりもはや伝説となっている。あれが侵略戦争だったとみとめて。近隣の国々に謝罪することは黙認できる。
祖父たちの世代のひとびとは。国を思い、家族の平和を思い死んでいったのだ。それは賞賛してあげなければいけないことなのだ。だれもそういうことをいわない。だから硬派の極みを生きるおれが、高校生のおれがいってやる。
あんたたちは偉かったよ。おれもいまこの故郷のために命をかけるからな。
見ていてくれよ。ケイコ,ケイコはどこなのだ。
そうだ、ケイコはぶじだ。
捕まったのはおれだけだ。
ケイコはオッチャンたちといる。
捕まったのはおれだけだ。
どじなやつ。ふいに、もりあがった筋肉は。もとにもどってしまっている。
喉が渇いた。ここは、どこなのだ。順序よく、思いだすことはやめた。喉が渇き、そしてはげしい空腹が襲ってきた。
ケイコはどこにいるのだ。ケイコ。返事してくれ。
「ケイコ、どこだぁ」
かなり長く、拘束されていたようだ。転がった。ごろりところがると。窓のそばだった。立ちあがった。腹筋の力だけで。窓から外をのぞける。
「なんだこれは」
三津夫がみたものは奇異な光景だった。Fデパートの屋上でみた鹿沼のミニイチャアにすごくよく似ていた。しかし、どの物体も白い布で覆われていた。布は紗のように透けている。
それがなにか得体がわからない。特殊加工された布なのか?
どうした意図でこんなことをするのか。あたり一面雪でも降り積もっているような白い世界だ。
なにが目的なのか。三津夫の小屋を見張っている男たちも。
上から下まで白装束だ。白装束の集団だ。
高い鉄塔がある。鉄塔の基底部にも白い布がまかれている。樹木などは細い枝のさきまでまっ白だ。いたるところ白の世界。白い景色を夜の月が照らしていた。
三津夫の知っているかぎりでは。鉄塔の下にこんな街はない。
むろん、街は縮小模型だが。こうした場所がある話しは聞いたことがない。
鉄塔からは金属のこすれる音がひびいていた。電線は巨大な弦楽器のリード。
ビュウンビュウンと鳴っている。その音に可聴領域ぎりぎりの音がはいっている。ひとの心にヤスリをかける音。いやな音。不安にさせる音だ。三津夫はその音と立ち向かうように。監禁から脱け出す意思を強めた。
ケイコに会いたい。筋肉がこわばってきた。
3
武が御殿山に駆けつけた時には。戦いはすんでいた。
「三津夫がいない。番場そのへんをさがせ。傷ついて倒れているのかもしれない」
めずらしく、アサヤが大声で叫んでいた。焦っていた。
「三津夫さん、三津夫さん」
公園の奥で声がする。ケイコの声だ。武も。アサヤ塾のコンパであった。ことのある少女だった。ふっくらとした娘なので、声にもふくらみがある。
ケイコは無事だった。武は安どした。
「さあ、みんなのところにもどろう」
「刑事さん。いない。彼がいない。三津夫が捕まった」
「おちつけ。どうなっている? はじめから話して」
三津夫がいないとは? どうしたことだ。
「黒い特攻服の男たちにつれていかれた。あいつら、山陰げにバイクをかくしていたの」
〈妖狐〉の集団のことをいっているのだ。
「ふいに沸いてでた。なんにんかの男たちに捕まったの。あいつら。卑怯よ。スタンガン使ったの」
それで。三津夫は動けなくなった。倒れた。ひきずられていった。
「わたし間に合わなかった。どうしょう」
ケイコは地面に鼻をおしつける。涙がとめどもなく落ちていた。犬が遺臭を追いかけるときの動作だ。
「携帯で連絡だ。『アサヤ塾』の連絡網を使え。バイクの集団を見なかったか? ききまくれ」
連絡を受けてサンタマリヤのGガールズと。三津夫の身を心配して鹿陵高ボイズが集まってきた。番場がバンバン携帯をかけまくる。長いあいだつづいている「アサヤ塾」だ。
卒業生までいれれば、鹿沼のいたるところにいる。
携帯でつながっている。
電脳空間に。総番の危機‼ 所在不明‼ が。
ニュースとなって。とびかう。
鹿沼の街を携帯の電波がネットとなってとびかった。
ネットの目は時間とともにひろがった。ネットの目はひろがりながら。さらにこまかくなった。バイク一台の動向も逃すまえと。ネットによる街のスキャンがつづいた。
鉄塔が風になっていた。獣のうめき声。のように聞けた。
悲鳴。こんどは間違いない人の悲鳴だ。隣の小屋から少女がつれだされた。
妹のタカコくらいの体つきだ。三津夫は知らなかったが。
メグミだった。病室から消えた。タカコのGガールズのメンバーだ。三津夫はさらに力んだ。筋肉のたばに命令をだした。断ちきれ。こんなロープのいましめ。はじきとばせ。力がみなぎる。胸筋がもりあがる。上腕二頭筋がきりきりとひきしまる。いままでのじぶんでない。とてつもない力が。筋肉の束に集まる。
とてつもない躍動感が‼
頂点にたっした。
ロープがはぜとんだ。
4
加蘇地区のトモから連絡。バイクの集団が久我にむかっていったそうよ。
ケイコが元気をだして、みんなに報告する。久我のミホからよ。車もはいらないような山道でバイクの音を聞いたひとがいる。久我は加蘇地区の最深部にある。耕作地は少なくほとんど雑木林になっている。その奥のほうで、バイクの轟音が鳴りひびいた。だれもが、雷鳴と勘違いした。
高圧鉄搭のあたりだったという報告だった。
「きまりだ。やっら、石裂山にむかった」
「どうして、センセイ、石裂山だっていいきれるのですか」
「番場そのことはあとだ」
武の乗ってきたクルマにケイコとアサヤだけが同乗した。あとのサンタマリヤのGガールズはバイクだ。番場も仲間のバイクのリヤーシートに飛び乗った。
5
「おみごと」
部屋のすみに光りがさした。それは、屋根をつきぬけて。いや宇宙の彼方から円錐形の白い光りにつつまれて落ちてきた。
仄かな光りのなかに女性がいた。光りにつつまれていて、衣服をきているのかどうかもわからない。すごくきれいなひとだ。
「あなたは、どうして捕まっているの」
「あんたこそ、だれなんだよ」
「これは、失礼。わたしはカミーラ」
「ジャパニズじゃないんすか」
「鹿沼の未来。鹿未来とかくの」
「この縄といてくれよ」
「とっくに、とけているわよ」
筋肉に力がみなぎった。あの瞬間にとけたのだ。そうか。あのとてつもない能力が回復したのだ。あたえられた力をまだ自在にあやつることができないでいる。
鹿未来は三津夫とならんで窓辺による。
「生贄にささげるのね。わたしはだまされていた。遠い、外宇宙にとぶとおもったのに、玉藻はまだこの鹿沼の地にこだわっていたのね、でも鹿沼のどのへんかしら」
「おれ、気がついた。こんな辺鄙な山の中は――これは石裂の山奥だよ。福島の原子力発電所からの送電線が前日光高原の横根山から石裂山へとおっている」
「尾裂山、そうだわ。九尾の狐の本体はここに封印されているのよ。わたしたちが殺生石で戦ったのは、あのひとのスピリット、霊魂だったのよ」
鹿未来の説明でぼんやりとわかってきた。三津夫はいまじぶんの周りで起きていることがわかった。
吸血鬼の女王、玉藻の前が再臨しようとしているのだ。
「玉藻が京都から古の〈妖狐〉、配下の者を呼び寄せたのか!!」
そう思えば、〈妖狐〉が不意に鹿沼に遠路はるばるやって来た理由がわかる。
永い年月、〈妖狐〉たちには主君と仰ぐ玉藻のようなカリスマがいなかったのだ。阿陪泰成の呪法で地中深く封印されていた玉藻の前。その伝説の地がこの久我は石裂山であった。千年にわたる永い眠りから肉体をよみがえらせようとしているのだ。
それで生贄の儀式をしようとしている訳がわかった。ともかく、ここから出なければ。三津夫は裏口のドアのノブに手をあてた。
ベロンと肉が焼けただれた。
夢のなかで感じていたアレだ。
さらなる、乾きにおそわれる。
「心霊バリァがはりめぐらされているのよ」
退いて、という動作とともにカミーラは腕を上にかまえた。気を溜めているのだ。両腕をそろえたまま胸のまえで組むと気合いがほどばしった。ドアがふきとんで、闇がなだれこんできた。小屋の裏は深い森につらなっていた。白い障壁ははりめぐらされていない。
「あの少女を……たすけなければ」
「おそい。おそいのよ、あの娘(こ)はもう人としては生きていない……」
ひんやりとした夜の底を走った。
むせかえるような緑の匂いがする。
岩の上にふたりははらばいになった。
はるかしたに祭祀場の生贄台がみえる。
御殿山での救出が遅れれば。
あそこに捕まっているのはケイコだった。
おれはなんてジコチュウな人間だ。
じぶんの彼女のことばかり考えている。
ケイコの無事ばかり気にしている。
銀色に輝く月光りが雲間からさしていた。夜空からおちてきた光りが収斂して、一条の白銀色の光柱となった。
月の雫をあつめスポットライトのように輝くそ円筒場の光りのなかを。
みよ、人型をしたものがゆっくりと降りて来る。
周囲の光景がゆがんでいる。重々しい金属音がする。
高圧鉄塔が鳴っているのだ。
「玉藻のスピリッよ」
玉藻の精霊である人型が生贄のメグミに重なる。みるまに、白く輝く裸身があらわれた。
「実体化したわ。もうだれにも、とめられない」
玉藻がふたりのほうふりかえった。
巨大な黄金の狐が空に吼えた。
白い布で囲われた空間に、裸身の玉藻と巨大な九尾の狐が交互にオウバーラップする。
白い布で周囲がおおわれている。樹木の幹、幹と幹あいだ。鉄塔の基底部。空間全てを膨大な量の白い布でおおっている。その布をスクーリンとして映像が映し出されている。プロジェクション・マッピングのような映像だ。これが在らぬものを見せる玉藻の幻術か!!
「逃げましょう。わたしたちだけでは戦えない」
「あの少女の敵を討つ、敵を討つ」
「だめ。力だけで倒せる相手じゃない――」
鹿未来が三津夫の手をひいて走りだした。ふりかえると、玉藻が狐の姿をしたまま追いかけてくる。
黄金色のフレァがあたりにただよい。
フレァは玉藻の金色の髪から立ち上っている。
白面金毛の九尾の狐の伝説は本当だった。
白衣を黒服に裏返したものたちが玉藻と伴走している。
「おいつかれるわ。もっとはやく走れないの」
100メエトル12秒をきることもある三津夫だ。
全速力で走っている。
樹木の小枝をはじきながら必死ではしっている。
その彼が、鹿未来にはついていけない。
妖狐とロゴを背に刺しゅうした特攻服。――人外のものか。
重力などの作用の外に生きるものなのか。
滑るようなスピードで追いすがってくる。
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