第三章 吸血鬼の侵攻


 アサヤは吸血鬼とにらみあった。メグミは噛みつかれているかもしれない。吸血鬼の牙がメグミの首筋に触れるのは見えた。だか、牙が肉に食い込んだかどうかは。不明だ。噛まれれば血がふきだす。それはなかった――。


「おれ、の気分にひさしぶりでならせてもらった」


 アサヤは右手の平を鬼にむけて念を凝らした。

 彼の体から、青白い炎が立ち昇ってきた。

 炎のなで墨染めの衣をつけた僧が杖をかまえている。                

 穴のふちに直立していた。       

 動けない。              

 恐怖がまだ小どもだったおれをその場にくぎづけにしていた。         来るな。               

 来るな。               

 あとは、学にまかせた。       

 父の声がする。            

 父のからだが斜面をすべり落ちていく。

 異界の底へのみこまれた。足もとから妖気が吹き上がってくる。

 金縛りにあったように動けない。    

 動けても、父を助ける術がない。    

 動けたら、父を置いて逃げたかもしれない。

 

 それほどの恐怖だった。        

 

 声もでない。             

 体温が急速にうばわれた。

 目前で鹿沼土の穴に沈んでいく父の姿が蘇る。

 蟻地獄のようなすり鉢状のさらさらした鹿沼土の穴に、なすすべもなく父が吸いこまれていった。父を救えなかった。……だからこそ命がけの修行をした。父を救えなかった悲しみをバネとして高きをめざした。技の限界までじぶんを高めた。

 

 過去のイメージ、記憶の中にリアルタイムで吸血鬼の声がする。


「きさまスレイヤーだな」        


 その父から伝承された技だった。

 その父の遺志をついでの技だ。

 墨染めの衣。手甲、脚絆。破れ網代笠。そして杖。全国を行脚して、修行をつんだ雲水姿のご先祖をイメージする。マントラをとなえた。アサヤが二重身となる。雲水の幻像が重なった。


「ナウマクサンマンダバサラダ、センダマカロシャナ、ソハタヤウンタラタカンマン」


 生霊を調伏の呪文をろうろうとアサヤが唱える。それはもはや塾の英語教師としての声ではなかった。吸血鬼の乱杭歯がもみけしたタバコのように萎えていく。

 だが、そこまでだった。とびげりがアサヤを襲う。回転まわしげり。くるくると独楽のようだ。体を回転させて。連続技をくりだしてくる。ワイヤーアクションみたいだ。


 だが、アサヤの体にはあたらない。どうしていまごろになって。夜の種族がおれのまえに現れたのだ。平穏な小さな田舎町の。小さな学習塾の塾長でいたいのに。目立たないように。ひっそりと田舎町で暮らしていくことを選んだのだ。


 厚木でも、戦う気力さえあれば、あんなミジメな逃げかたをしないですんだ。初めから、こうして、戦えばよかったのだ。

 平穏な日々の生活にあこがれて逃げた。

 平和な生活を望んで厚木から逃げたのに。

 吸血鬼と戦うことを拒否して逃げたのに。


 愛する妻と塾生にとりかこまれ。田舎町でこのまま静かに暮らしていきたいのに。なぜそうさせてくれないのだ。アサヤの幻の錫杖の鐶が鳴った。杖の先が鮫肌の胸をついた。ポリ袋の山のなかに吸血鬼がふきとんだ。すかさず脳天に杖をふりおろす。吸血鬼のからだに痙攣がはしる。ドロっとした緑の液体となって消えてしまった。


「アサヤのオッチャン。あんたぁ、ダレ。ナニモノナノ」

「なんだ、まだそこにいたのかタカコ」

「心配でもどってきたの。ごまかさないで、ねね、教えて」

「受け身は、be動詞プラス過去分詞」

「ちがう。英語じゃない」

「現在完了形は……」

「チガウちがうの。アイッ消えちゃったよ。わたし見たんだからね。緑の血をながして、消えるとこ見たんだ。ね、ね、ねぇ、教えてよ」

「see、見るの変化形は……」

「もう、しらない。怒るからね」


 タカコが唇をとがらせた。


2                  


 吸血鬼に骨をにぎりつぶされた。

 複雑骨折だ。メグミは上都賀病院に入院させた。完全看護だ。


「関係のない人はひきとってください」

 といわれたのが頭にきた。

「ダチよ」

「いちばん親しいダチだよ」

「カンケイアルジャン」

 だまってそのまま帰れなくなった。つき添いは断られた。Gガールズが廊下の長椅子で徹夜することになった。メグミは噛まれてはいない。腕の骨がぐしゃぐしゃだ。麻酔を打たれている。病室のなかは静かなものだ。メグミに鬼化現象の起こる心配はない。

 だが……。

 いつ吸血鬼に襲われるかわからない。いちど彼らと闘った人間は……。彼らの記憶にやきついてしまう。またおそわれる可能性がある。


「これが聖水。木の杭。十字架」     


 麻屋は、ひとつひとつ渡した。Gガールズに。吸血鬼から身を守るといわれている三種神器を説明しながら手渡した。いまどきの吸血鬼にどれだけ効果があるのかな?       


 わからないことだらけだ。

 アサヤにしてもひさしぶりの宿敵との遭遇だ。

 なによ、これって。

 もしかしてタカコのとこのセンセイ……『美少女スレイャーVS吸血鬼』のフアンだったりして……。さすがに、わたされたものが吸血鬼がらみのものだとGガールズはすばやく理解した。

 テレビで吸血鬼番組はどのチャンネルでもやっている。ゲームにも映画にも吸血鬼はみちあふれている。だから、理解がはやいのだ。こういうヤンキーが。創造力が旺盛で闘争心のある生徒が。まともな教師に出会えばガリベン族よりも、のみこみがいい。


 吸血鬼なんかいないよ。あんなもの信じるなんてバァカじゃないの。というフレキシビリティにかけた秀才くんより。社会にでてからエネルギッシュに活躍する。教室でもいい生徒になる……。などとアサヤは職業意識のウズクのをあわてて押さえこんだ。


 生徒の未来を憂える。

 そんなまともな教師がこの街に何人いるのだ。

 5人いてくれれば、おれは塾をたたんで東京にもどる。いまはそんなことを考えている時でない。そんなときではない。もう。そんな建設的なことを考えるには、おそすぎる。

 街のいちばんよわい部分、子供たちへの破壊工作がおこなわれている。

 吸血鬼と臨戦態勢にある。

 彼女たちは、レンタル・ビデオの見すぎなのだ。と非難できない。わたされた聖 水、杭、十字架を100円ショップで手軽にかえる品だと思っている。

 アサヤのほうはしごく真面目だ。これでニンニクでも持たせれば。パーフェクトな防御になる。でも、あの臭いはGガールズには残酷だ。マイニチ宇都宮のニンニクギョウザを食べるといいよ。というアドバイスに。


「ニンニクギョウザばかり食べたらウズいちゃう。センセイ、相手してくれます?」


 とさわいでいる。ともかく、吸血鬼から身を守る三点セットをもたせた。そもそも、これららの品は、吸血鬼と闘うときは、たのもしい武器となるのでR。これらの武器を民間の人間で常備しているのはわたしのほかにはいないのでR。


 などとオヤジギャグはとばさなかった。ジーョクには聞こえないだろう。おおボラを吹き、とられてしまうのがオチだ。

 そんなことはまともな大人の神経ではいえない。ジーョクにせよ大袈裟なホラ話にしても。いえるわけはない。


 ホラ、ヤッパ、タカコのセンセイ、微妙に、おかしい。微妙にではなくて、マックスおかしいよ。そなんGガールズの声は聞きたくない。


 Gガールズは吸血鬼を見ていない。見ることができない。陽気にジョークをとばしてはしゃいでいる。タカコとアサヤは塾にもどった。     

 深夜だ。タカコをこのまま家に帰すわけにはいかない。塾に泊めることにした。三津夫にも警戒するように携帯で連絡をした。               

 妻は寝てしまっていた。

 塾生の帰ったあとだ。教室は静まりかえっている。かすかにスリッパやチョークの匂いがする。生徒たちの若やいだ残り香。


「わたしの存在はこの街にとって最後のガーデイアン。むかしは、大麻を売買する仲買人がこの鹿沼には大勢いた。農家を毎日まわって歩いて麻を買いながら妖気の発現点をさぐっていた。妖気のもれだしている箇所があれば、それがどんな僻地でも、辺鄙な村の片隅の小さな点のような場所でもコーテングでもするように封印しなおした。仲買人の手に負えないほど強い妖気が噴き上がっていればすぐ問屋であるわたしの家に緊急出動を請う連絡がはいった。まだ健在だった父が、バイクで出掛けていった。「空海」直伝といわれる呪文で封印した。そうしたことは、千年もつづいてきた。仲買人には、行き倒れになったり、行方不明になるものが昔からおおかったが、それはあまりにも強い妖気に負けて精気をうばわれたり、やつらにのみこまれてしまったのだ。そして、いま合成繊維におされて、農家で栽培していた麻は絶滅してしまった。みわたすかぎりの麻畑はもうどこにもない。落雷の危険があれば、麻畑に逃げ込め。麻の蚊帳をつれ。そうした麻を黒き神を避ける、魔よけとかんがえる因習もなくなってしまった。麻はまた寺院や神社の鰐口や鈴をならす。鰐口紐(鈴緒)としてつかわれてきた。その綱には、境内を浄化するホースがあった。注連縄としてもつかわれ、日本全土を守ってきた。それがいまは妖気をミソグ力のないマニラ麻にとって変わられている。中国産の麻が使われている。妖気が噴出し、いつかこういう日がくることはわかっていたのだ。わたしは最後の、たったひとりの麻屋となった時から覚悟はできていた。だから、わたしは死んでもみんなを守らなくてはならないのだ。街を防衛しなければならないのだよ」


 アサヤノオッチャン。なにものなのとタカコに乱闘のあとで聞かれたことへの解説だった。


「なんだか、英語よりむずかしくて、ワカンナイ」

「それでいい、知らないほうがいいこともある」

「ようするに、アサヤのオッチャンはエスパーなんだ」

「エスをとったらただのパー、ワタシはオジンのパーセンセイだ」

「冴えないの。そんなギヤグトバシテテイイノカヨ」


 タカコが真剣な顔でいう。ニコッともしない。二荒タカコには見えている。タカコの二荒の家系にも吸血鬼を視認できるDNAが受け継がれている。ケイコの蒸発は吸血鬼がらみだ。いまどこにいる。元気でいるか。ブジでいてくれますように。この土地の氏神様。今宮神社にアサヤは祈った。


 この街のどこかにきっといる。ケイコを守ってください。吸血鬼の餌食になど。なりませんように。おねがいします。



「鹿沼にだけ、なぜ妖気が噴き出すのさ」 

「九尾の狐を滅ぼし、封印した土地だからだ。犬飼一族が玉藻の前、追討にくわわって、この地が戦場となった。玉藻を擁して中国からわたってきた幻術を使う九つの部族。九つの牙。九(く)牙(が)を=この船底形盆地の西の久我の地に封じこめてあるからだ。久我の奥にはだから石裂山(おざく さん)があり玉藻が九尾の狐が千年にわたり封印されているのだ。封印するまでには、双方に多くの死者がでた。それで、タタラレテいるのだ」


 玉藻は吸血鬼の女大将軍なのだ、といおうとして、やめた。焼き肉屋のチャンスンみたいだ。


「それって、焼き肉屋の看板のこと」

 とタカコにからかわれそうだ。鹿沼の西、加蘇の久我にある石裂山は尾を裂く山。九尾の狐の尾が埋葬されているのだ。尾裂山さんなのだ。といおうとして、やめた。


「コミックの読み過ぎよ。ゲームのやり過ぎ」

 とからかわれそうだ。どこかで、着メロがなった。

「あたしんじゃない」

 タカコが自分の携帯を片手にあたりをキョロキョロみまわす。アサヤが苦笑しながら黒板の脇のチーヨクボックスをひねる。それが、キーになっている。タカコは驚いている。黒板がスライドした。ひとひとりが通れる。


「なにこれ? 黒板のうしろが秘密の指令室になってる」 


 さすが、ゲーム世代。隠し部屋とはいわなかった。メールがとどいていた。さきほど、タカコの携帯をかりて、問い合わせたことにたいする返事だ。


「100インチのデスプレーだ。すごいだろう」

「またゲーム感覚かよ」

 画面から聞こえてくる声も写真も、タカコのゲームという言葉を証明している。

「スレイヤー復活ですか。せんぱい、お元気でしたか」

 さっそく、こちらも話しだす。

「出世したんだってな」

 どうせ、あれいらい監視はつけられていたのだろう。こちらも、古き友の情報は集めている。厚木基地での同僚。高宮健の上半身。高宮とは、ともにVの死体を処理した仲間だ。 



「Vセクション。日本支部長です」

 内閣情報部Vセクション。外来種のバンパイアを追跡調査してきた部署だ。

「あっ、こいつだ」

 何枚か送られてきた顔写真にタカコが河原で相手したオトコが映っていた。

「なんで、はやくいわなかったんだ」

「センセイには、はずかしいよ」

「ばか、噛まれなかったか」


 Aタイプだった。さきほど「リリス」の裏路地で遭遇した。アサヤが対決して緑の粘塊としたのはBタイプだ。自己顕示欲が強い。すぐに鬼化してみせる。牙をむく。


「湾岸のときからでは、進化してるようだ」

「そういうことです。この日のくるのを待っていました。いっしょに闘いましょう。助っ人をおくりますか」 

「いや、いまのところはなんとか一人でやってみる」


 教室から振動がつたわってきた。


「やはりきたか」

「つけられていたの」

「タカコ。タカコ」


 教室で三津夫の声がした。


「アニキだ」

「よせ」


 制止が間に合わなかった。タカコが教室に飛び出していく。


「あれ!」

「そう、おれだ。首筋噛むのを忘れていたからな」

 モニターに映っていた。Aタイプだ。

「よくも、あたしをだましたわね。金もらってないよ。こっちはチャラにしたわけじゃないからね」

「それにしてても、三津夫の声をまねるとはな。よく調べているんだ」

「おれたちは、コンピュターを使えないと思っていたのか」


 教室の椅子と机がズズッと四隅になだれた。


「闘いかたを学べ」

「なにいってるんだよ。オッチャン」

「ここは教室だ。学べ」

 Aタイプ。Bタイプのようには、ハデニ実体をみせない。すぐには、メタモルフオゼしない。人にまじって、化けたままで生きている。だが彼らは人間ではない。

したたかなヤツ。              


「おまえには、会っている。おれたちの意識は通底しているのだ。ひとりの固体としての体験はおれたちみんなの共有の体験となって記憶されている」

「厚木基地で会った傭兵Aか」

 死体袋から現れた巨体を思い出した。

「おう、やはり、あのときの若者か。老いたな」

「人間だからな」

「いまからでも、遅くはないぞ。不老のボデイにかえてやろうか」

「ことわる」

「噛んでやろうか」


 牙がおそってきた。首筋をねらってくる。鈎爪がおそってくる。アサヤの胸のウイスキー入れをひっかいた。フラスコは金属音がした。    


「おれとの遭遇を思いだし、あれから酒浸りの生活かよ」

「そう思うか。ここには吸血鬼バリヤをはった。入ってこられるのか」

「バレテいたのか」


 Aが煙となる。消えた。


「ホログラフみたいなものだ。アサヤ塾の敷地にはいまのところは入ってこられないようだ。結界を張り巡らしてあるからな」


「なんだか、いまごろになってふるえてきたよ。どうしょうオッチャン」

「どうもこうもない。ビビルナ。恐怖はヤッラの餌になる」


 Aが消えた。教室は静かだ。時計の音だけがしていた。吸血鬼の侵攻。いまのところは、局地戦だ。吸血鬼の存在をいちはやくキャッチする能力のあるものが攻められている。

 わたしが吸血鬼を呼んでいるのだ。アサヤはそう思って、自分を責めた。わたしたちの街は吸血鬼に攻めこまれている。                  

 吸血鬼はこの町をfarmにする気だ。


 学生が日夜Hな妄想に襲われている。

 不純異性行為に耽っている。〈異性〉ではなく〈異生〉と表現するべきだ。みだらな異生物との行為。異生物が相手だとは、まだだれも気づいていない。吸血鬼の出現で性本能が異常に昂っている。吸血鬼が身近にいる証拠なのだ。邪悪な気配に満ちみちている。


「どうして、それに気づいてくれないのだ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る