第二章 おれの生徒にかまうな!
1
大バコだ。地方都市。宇都宮のクラブにしては。かなりの広さがある。地下への階段をなんどか曲がった。
屈折部には監視カメラが。めだたないように。設置されていた。階段を下りる。こういう場所にくるとタカコはイキイキとする。
アサヤはケイコの失踪には不安を感じていた。ただごとではない。
母親が車で送ってきた。そこからレトロな昭和の雰囲気を今に残す『アサヤ』塾まで、細い路地を入って10メエトル。
「がんばってくるからね」
ケイコはヘッドライトの光の中で。ひらひらと手をふっていた。
いつもの送迎風景。
ところが、ケイコは塾に現れなかった。
なにが、ケイコに起きたのか。
ケイコはどこに消えてしまったのか?
彼女の内面でなにか起きている気配は感じられなかった。アサヤはそれを恥じた。塾がきらいだ。勉強はもうたくさん。フケちゃおう。そうした、ようすはみえなかった。
ケイコがそんなことをするはずがない。成績は常に学年のトップ。県内でも再難関校、宇都宮女子高校への合格が期待されている。
失踪の連絡。アサヤはめんくらった。そして、独自の調査にのりだした。家族から依頼されたわけではない。塾生への愛情がそうさせた。学校とはちがう。小学1年生から8年間も教えてきたかわいい塾生、ケイコだ。
「おれの生徒にかまうな」
数年前、実写版で放送されたヌベエ先生のセリフソノママの気持ちだ。いい年コイテ……ドラマの世界かよ――。
塾生たちとの共有した時の流れのなかでこのところ、鹿沼の街は激変してしまっ
た。有名な鹿沼東中学の定期試験撤廃事件がある。
学級崩壊。学校解体が始まっていた。
日変り担任制度がある。きまった担任がいない。試験もなんにもない。人よんで『ゲゲゲの鬼太郎学校』。
この街の子が勉強がつらいなんてことがあるわけがない。
どの中学も勉強にはあまり力をいれていない。
どの中学もクラブ活動は運動に力をいれている。文化部のない中学もある。学生にとっては、天国に一番近い街だ。近隣の街から転校希望者が殺到している。
学生たちには人気絶頂の中学校のある街だ。だから勉強がつらいわけがない。ケイコにかぎって、塾がいやなわけがない。
男の子とトラブッテいるわけもない。
だからこそなにかいやな予感がする。頼まれもしないのに、アサヤが動いた。分厚い防音扉を押した。広い。天井からおちてきた光りが複雑に交差する。店内はむろんヤングばかりだ。中学生もいる。
耳をつんざくハードロック。ゴシック系の衣装。ゾンビーも吸血鬼もいる。ごていねいに体に包帯をまきつけた群れがいる。
スモークがたかれ、モウモウとした煙りにアルコールの匂いがする。
大麻タバコの匂いまでまざりあっている。そして妖気。
クラブに入るにはもっとも怪しまれる中年オヤジの顔と体に、妖気がうちよせてきた。アサヤには覚えのある妖気だった。
情報をくれた二荒タカコが来てくれてよかった。
ケイコがクラブにいたらしいの。タカコの情報ネットにケイコの名前がでたというのだ。中年のオジン。ひとりでは入店できなかった。
……もしやと疑念をいだいていた。この妖気を予感したことが……おれの動いたモチベイションなのか。もしや、と疑っていた。
震源地不明の直下型の地揺れがあった。あのあと微震がつづいた。街がゆれている。不吉な余震がつづいた。体に感じられるだけでも100回は越えている。
あれが現れたのか?
アサヤの予感はそこにいきつく。不安があった。
ひさしぶりで、すさまじい凶念を体感した。街が邪悪な気配にピリピリふるえている。
アサヤは日本ではあるが英語圏に、厚木の米軍キャンプにいた。英語を話すことで生きていた。時の流れが逆流していた。思い出の流れをさかのぼった。
厚木基地での日々。遠い湾岸で戦争が続いていた。兵士たちの死体が黒い袋につめこまれて毎日はこばれてきた。テレビで公表されているような員数ではない。すべて、目にみえる表の世界のできごとには裏がある。焼却炉からは、火葬の、人を焼く臭いが。いがらっぽい煙に混入して、基地の一隅をおおっていた。
タカコとクラブに入店した。むろん、うさんくさい目でみられた。
「マッポじゃないからね」
タカコときてよかった。
東中学、次期生徒会長の犬飼ケイコが宇都宮のクラブで踊っていたというのだ。けっしてケイコの現れるはずのない場所だ。それも失踪した月曜日からかぞえて2日目、アサヤがケイコの家から連絡をうけた日だ。
あのとき、すぐに捜査にかかればよかった。警察に届けてある、というので安心してしまった。警察で本気で捜査しているのなら、「アサヤ塾」にもケイコの交遊関係くらい調べにきてもいいはずだ。いや、警察が怠慢なはずがない。
あまりにも不可解な殺人事件をかかえている。
河川敷住民。ホームレスのスロートカット殺人事件をかかえている。
多忙すぎるのだ。
「なんてクラブなの……」
「クラブは宇都宮にはひとつしかないの」
携帯をかけてきたタカコが「センセイ、ダセェ」とケタケタ笑っていた。
「松が峰にあるリリスょ。アサヤ先生聞いてよ、二荒さん、いますかなんて、ケイコがさぁ、スカして、たずねていたって。わたしが塾バックレちゃってるから会いたくなったのかな。どうかしちゃったのかな。センセイ、オール5のケイコがあたしんとこへなにしにきたの……」
「松が峰のリリスだな」
「やだぁ、先生ほんきで、いくき。オッチャンはセキュリティにことわられるよ。マッポとまちがえられるものね。あたし、イッテアゲル。同伴してやるよ。夕飯ごちそうしてね」
スモークが、踊の群れの足元にまつわりついている。好き勝手に踊っている。下半身の動きはまったく見てとれない。重低音にときおりラップがはいる。それ以上音響効果のことは、アサヤにはわからない。
臭い。若者の汗の臭いなのだろうか。それにしても、臭いがきつすぎる。青緑のような匂い。脇の下と足の臭いか。通風性のわるい、安もののスニカー。洗ったこともなく、古くなれば捨ててしまう靴下が悪臭の源なのか。
それとも……発情したセックスの?
しかしタカコは慣れている。平気だ。スモークには妖気がふくまれていた。だが体をこすりあわせて踊る若者からは。いやな臭いも妖気も感じられない。バーカウンターにタカコがもどってきた。
店内を見渡していたアサヤに首を横にふる。
みあたらないということらしい。
「それよりさ。ケイコヤバイコトになってるみたい」
なんの脈絡もなくとつぜんいいだす。よく聞き取れない。
「センセイ、ミミとおいのとちがう」
タカコがいらいらしている。タカコはアサヤがの耳に口を寄せる。 「ケイコのさがしてたのは、兄貴のほうらしいのよ。二荒さん、なんて聞く。わたしのことだったら、タカコとか、おタカ、来てない……っていうわよね、ヤッパあたしってとろいな。いくらケイコがいいとこの女の子でも、あたしを探すのに、二荒さん、来てませんか、なんて聞くわけないもん」
「どうして、それがヤバイんだ」
「だからァ、トラブッたら、あたしの兄貴の名前だしなって教えたことがあるのよ。鹿陵高総番二荒三津夫の名前はダテじゃないよって、教えたことがあるのよ。ケイコ兄貴にホレてたからさぁ」
これが中学2年生の女子生徒との会話か。バーのうしろの鏡に吸血鬼が映った。とりかこまれていた。やっぱりなぁ。現れたか。いやな臭いと妖気の源流。なん年ぶりだろう。
吸血鬼は鏡には映らないいのではなかったか。アサヤの吸血鬼にたいする古典的な知識が頭にうかぶ。爬虫類のようなごつごつした青黒い鮫肌の男たち。
2
米軍厚木基地での日々。
湾岸戦争の戦没者の死体が24時間体制で空輸されてきた。黒色の死体袋からもれでる。すさまじい死の臭い。わたしは食べ物が喉をとおらなくなった。
そして……その死体のなかに明らかに銃火器による死体ではないものがあった。一刻もはやく死体を焼却処分するようにという命令のなかには、それらの死体が蘇るという確信があったのだろうか。
もくもくと死体の焼却作業をつづけた。
なにも感じていない――。気づいていないように、ふるまわなければならなかった……。
恐怖に耐えられなかった。
死体が夜のあいだに消えていく。……その恐怖の実体を知った。
死体袋から黒々とした巨体がむっくと起きあがるのを目撃してしまった。
もうだめだ。わたしはその恐怖には耐えられなかった。
田舎に身をかくした。
秘密を知ったわたしは、戦慄するとともに、身の危険も感じた。基地では原因不明の失踪者がでていた。
わたしは逃げた。
そしてそれ以来。田舎街で。ひっそりと、ひと目を忍んで暮らして来た。
出来れば、厚木基地で目撃したことはすっかり忘れたかった。学習塾の英語教師としての。平穏な生活を望んで、生きてきた。
……わたしをリタイアに追いこんだ。その死の臭いの源としての吸血鬼が――。
いま目前いる……。
厚木基地でのあまり思い出したくない記憶がヨミガエル。
「なによ、あんたら。あたし知らないの。鹿沼東中学スケバン、サンタマリヤのタカコよ」
タカコのタンカがとんだ。タカコには普通の若者としか見えていないらしい。妖気がみなぎっている。こいつら、まちがいなく吸血鬼。だが、タカコのタンカに男は顔の肌を剥きとることでこたえた。
「やっぱ、これくらいではおどろかないんだな」
マスクだった。よくできすぎている。よくできすぎたマスク。青黒い肌。乱杭歯。尖った耳。吸血鬼の顔には。牙が光っている。
毎晩塾の授業がある。夜の街には出ていない。遊びもかわった。年だな、とアサヤは思いしらされた。自分の早とちりが笑えてくる。
「なにカギまわっている」
裏口に連れだされた。
「カギまわられて、ヤベェことしてるの? あんたら、みかけねえツラしてるけど、どこの族のお兄さんたちなのよ。教えていただけます」
「訊いてるのは、こっちなんだよ」
吸血鬼面のヤンキーたちが凄む。ビューとタカコが口に指をいれて合図した。指笛が狭い路地にひびいた。すると――。『サンタマリア』と腕章のついた族の制服姿が路地にはいってきた。ギャング。女の子だけの。Gガールズが群れる。
「わたしがひとりで来てると思ったの」
「リーダ―。コイツラ、ヤキ入れてやりましょう」
「こんなヤッラに、宇都宮の夜を汚されたくないシ」
「ウチらのリーダー、タカコさんをオドスなんて、あんたらどこのゾクなの?」
Gガールズのタンカは威勢がいい。敵を威嚇する。脅しているうちに、さらにエキサイトする。一歩まえに踏み出す。声が高くなる。
「キザムぞ」
マスクを外した男がナイフを取り出した。バタフライ・ナイフだ。数年前、この宇都宮からさほど離れていない。黒磯の女教師を中学生が刺殺した。マスコミをさわがせたナイフだ。チャカチャカと音を立てる。光る凶器が迫る。威嚇してくる。
「あんたら、三人ともバカじゃない。あたしたちが、そんなトイザラスで売ってるようなナイフでおどろくと思うの。ナメンジャネエヨ」
「よしなよ。メグミ。そんなモノ、早すぎるよ」
メグミの手には。圧倒的な存在感のある……。クロコダイルダンデイで使われたような。
特大のソリューション・ナイフが握られていた。大刃のナイフ。ミネが鋸になったアレだ。
ひるまず、つっかけてきた男のナイフをそれが弾いた。
ミネのぎざついた部分で噛みあった。
男のナイフが手から離れた。
メグミの刃が男の太股を切り裂いた。
浅く長く。この子たちは、慣れている。
こんなことをいつもやっているのだろう。
そのスリル。その快感。その興奮のはてにやってくるカタルシス。そのカタルシスを求めて夜の街をさまよっているのだ。
「やめないか。もういい」
アサヤが止めに入った。それがGガールズを刺激してしまった。
「フクロにしちゃいな」
「そいつのマスクもとってみな。ツラおぼえとくからね」
2人目の男のマスクにメグミが手をのばした。
「よせ」
不気味な妖気がその男からただよってくる。妖気の発現点だ。並の妖気ではない。精神に狂いを生じさせるほどの悪意が噴き出している。
「やめろ。逃げるんだ」
なにこのオジンセンセイはビビツテルの。そんな顔でメグミはマスクにかけた指先に力をいれた。あれっといった顔になった。あれ、これおかしいよ。ジの顔みたい。
マスクじゃないよ。はがれないもの……。ふふふふふふはふはふはふと。さもおかしそうにマスクが笑った。タカコがぎょっとした顔でアサヤをふりかえった。なにか異様なものを感じたのだ。
「なによ。これ」
「説明はあとだ、逃げるんだ」
「逃げられるかな」
男がメグミの腕をつかんだ。あまり聞きたくない音がした。ミキッというような骨のくだける音だ。絶叫が路地裏にひびく。
「あああ。女の子の悲鳴はいつきいてもオイシイですね。もっとおいしんものをいただきますか」
乱杭歯がのびてきた。汚れた茶色の歯がニキョッとのびる。サンタマリアのGガールズも動けない。Gガールズは気づいてしまった。キンキンという可聴領域すれすれの音波がながれる。
Gガールは動けない。リアル吸血鬼だ。Gガールズがタンカを切っていた相手は吸血鬼だ。メグミの首筋に犬歯がよせられていく。犬歯がニヨロッとさらにのびる。 今まさに、白い牙が、メグミの首筋に打ちこまれる。
「吸血鬼だ。こいつは異界のもの。きみらが闘える相手ではない」
アサヤは警告の叫びをあげた。
「おや、よくわかっていますね」
「センセイ。マジかよ。吸血鬼だなんて。いい年こいて、ゲームのやりすぎかヨ」
「タカコ、ここはおれにまかせてメグミちゃんを一刻もはやく医者につれていけ」
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