第三部 再臨 ムンクの「浜辺の少女」は吸血鬼だよ 外伝

 そして、底知れぬ所に投げ込み、入り口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終わるまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。

                          黙示録   20章3節


 プロローグ


 東武日光線でもとりわけ小さな駅だ。

 関東平野の北の端にある。旧市内の人口は4万にみたない。郡部をいれても10数万ほどだ。面積だけは市としては栃木県のトップ。鹿沼市。新鹿沼発浅草へは一時間に一本だけ。さえない田舎の駅舎。


 ……だが、この日の午後ふいに徒歩暴走族、黒の特攻服の若者の群れを迎えることとなった。

 

 チャ髪は頭頂で炎のようにもえあがっている。

 太陽を避けているかのような青い顔。

 仮面のように表情がない、のっぺりとした顔。

 むきたてのボイルド・エッグのようだ。

 テロンとした表情の欠落した顔だ。

 

 それもそろってみなおなじ顔ときては異様というよりは不気味だ。      


 黒の特攻服の背に真紅の髭文字で〈妖狐〉。

 狐の頭部が描いてある。般若の顔にみえる。          

 ゴテイネイニ、とがった耳に血をしたたらせた犬歯。つりあがった金色に光るフォクス・アイ。狐の目。怨嗟にみちた目。世を呪う目だ。これでは〈妖狐〉より〈吸血鬼〉だ。

 

 女生徒がふるえ、恐怖に顔をゆがませている。つぎつぎと木製のベンチから立ち上がった。忍び足で駅舎の外に逃げた。


「コワカッタネ」

「あれ、ナニさまなの」

「ゾンビーよ」

「表情がないんだもの」

「青い顔。死人ね。確かに」

「あれ、お面よ」

「まだ、背筋がガクガクよ」

「わたしも。ふるえがとまらないよ」


 動けた彼女たちはまだ勇気があった。ぽかんと口をあけている、女生徒。腰がぬけた。恐怖のあまり立ち上がれない。開いた股の間から湯気が立っている。失禁してしまったのだ。


 動こうにも動けない。心臓をわしづかみにされたようだ。強烈な恐怖におののいていた。携帯をとりおとしていることにも気づいていない。その携帯からは話し中だった友達の声が足元でしている。

 

 ふいの侵入者に戦慄する彼女たちのいる待合室。

 その向こうに――。駅のプラットホーム。

 その彼方に校舎がみえる。レトロな木造。超さえない鹿陵高校。

 その高校の  総番の二荒三津夫は彼らをガンづけていた。

 

 同世代だ。陰気だ。それでいてギラギラした凶悪なオラーを。あたりにふりまくものを敵とみた。体が震えていた。ビビッタわけではない。

 硬派の極み、ケンカにあけくれる三津夫の闘争心に火がついたのだ。


「なんだ、これァ」


 副番の番場がスットンキョウな声をはりあげた。

 群れの最後尾のその男だけは、膝まである学制服、長ランを着ていた。番場にスーッと近寄ってきた。番場はおもわず後すさっていた。身構える番場に男は目礼をした。血の気のうせた顔をよせてきた。

 口が臭い。生臭い。腐った魚のような臭いの呼吸だ。体からスウッと精気が吸い取られていく。みように間延びした、関西弁のアクセントだ。

 

 街の中心街にある市役所裏の御殿山公園への道順を聞いてきた。


「あんさん、御殿山公園どこにあるか、わかりまっか。しっとったら、教えておくれやす」


 番場の応えを聞くと、足早に仲間を追いかけた。現われたときと同じように、妖狐の姿はさっと駅舎から街に移動する。


「ヤサに帰れなくなったな」

「そうスね」


 やっとのことで、番場は口をきいた。番場が去りゆく学生服の背を見ながらふるえだした。


「おそいんだよ。おれはヤツラが青い炎をあげているのがみえたぜ」        

 三津夫にそういわれて、肌がひりひり焼かれるような恐怖が番場を襲った。ふるえている理由を番場は理解した。おれは怖がっている。鹿陵高校副番のこのおれが恐れ慄いている。ふいに現れた徒歩暴走族の異様な風体に恐怖し、戦慄している。 

 アイツラ、なに者だ。

「どこからきた???」


 三津夫と番場は肩を怒らせて駅舎をでた。駅前の駐輪場に、さきほど妖狐の凶気を避けた女子学生が群れていた。彼女たちは口を閉ざしていた。黙って三津夫と番場を見送った。


 いつもはキャバキャバとおしゃべりしている彼女たちが。怯えて黙り込んでいる。彼女たちの視線を尻目に三津夫と番場は走り出した。          


「こんな田舎街でなにをしようとしている?」

 あとの言葉はじぶんに三津夫はといかけた。黒い群れを追いかけた。田舎街の平和が破られた。そう思ったのは、すこし後になってからだ。ふたりは興奮していた。どうしてこんなにむきになっているのか。なぜ、追跡しなければならないと思ったのか。


「妖狐、なんてゾク、どこにあるんだ」

 ここは三津夫たちの街だ。

 鹿陵高校のテリトリーを。

 闊歩している。妖狐は特攻服の黒い裾をはためかせて――。

 許せない!!!!! 

 妖狐の黒い裾は、駅前の十字路を左折した。


「あの妖気はなんなんスかね」

「すごい妖気を放っている。アイツラ、なにものだ」


 不気味ですらあった。彼らの歩いていくあとに黒い妖気の帯びがのこった。黒装束を追いかけて左折した駅前十字路。


「蝙蝠にでも化けたのかよ。消えちまったぜ」

「あっそうか、アトマスフェアは、蝙蝠ですね」 


 やっと番場は気づいたらしい。

 至極納得。といった声がもどってくる。

 番場の顔から恐怖がきれいに消えている。

 立ち直りのはやい男だ。番場はいつもの声にもどっていた。見えなくなった集団を追いかける。どうして、追いつけなかったのだ。蝙蝠集団が左折してから数分のタイムラグだ。それが、どうして見えない。黒装束の群れ――。駅前の雑踏のなかで。コツゼンと姿を消してしまった。マジックを見せられたようだ。


 下校時間なので、鹿沼高校と鹿陵高校の学生で混雑している。いくらラッシュタイムでも、異常だ。日常次元の出来事ではない。イルージョンのなかにはいりこんでしまった感覚がある。目を凝らした。平凡な田舎街の日常の人の流れがつづいている。じぶんの視覚がおかしくなってしまった。

 

 不安が三津夫と番場を苛みだした。

 ちょっと街角を遅れて曲がった。

 目の前から黒装束が消えていた。


 まさかそのまま消えたままになるとは。三津夫も番場も、狐にばかされているような気分になった。

 黒装束の集団は消えた。ふたりの追いかける先で、集団は消えてしまった。

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