第七章 九尾の怨念との闘い
1
レンターカーの中。カラーテレビの画面を皐道場の剣士の面々がみていた。車の動きがもどかしい。いま少しだ。あと少し。隼人さん。負けるな。負けるなよ。
「あの炎のなかに玉藻の怨霊がいる。夏子がいる」
母である鹿未来には見えていた。テレビに映っていない、実像が見えていた。それが、母には見えていた。母の心の目には見えていた。こうしてこの土地を守るためにわたしはあの子を呼び寄せた。なんと惨いことになったのだろう。いまいく。いまいくからね。夏子。負けないで。玉藻の前の千年にわたる怨念に怯まないで。負けないで。玉藻を説得する娘の悲痛な願いが。母にはひしひしと伝わってきた。炎のなかで、千年の恨みと恋を切々とうったえる玉藻の念波がひびいてきた。
「女子とは悲しいものだな」
幻無斉にも聞けていた。聞けるというより鹿未来の反応からすべてを理解した。
「なんとか間に合ったようだ。スピードを上げるんだ」
雨野が、道場生が力強くうなずく。
2
「犬飼のものたちが千年たっても、わたしを封じ込めようと集ってきた」
炎のなかで玉藻が夏子に叫びかけている。玉藻にはバイクでかけつけた八重子たちの集団が。むかし彼女を追詰めた犬の大群に見えている。玉藻には時間の経緯は理解できないでいる。いまも時代は平安、帝は鳥羽院なのだ。那須に帝都が移れば院とともに再び生きることができる。千年の恋を成就させることができる。吸血鬼の集団は院を守護する北面の武士に見えている。わたしを守って、目覚めさせてくれた、かわいい配下。犬の群れなど蹴散らして。
「真吾。あんたの骨はわたしがひろうからね」
「ばかな、吸血鬼などに、負けてたまるか」
那須山麓は『黒髪連合』VS吸血鬼集団のバトルの場と化していた。
隼人の目に涙が光っていた。夏子を目前にして、動けないでいる。細川唯継の破邪の剣をしても。バリヤの最深部に、斬りこむことは不可能だ。夏子が苦しんでいる。助けにいけない。動けない。夏子の姿が玉藻とともに薄れていく。夏子と玉藻が一体となる。夏子は玉藻と刺し違える気なのだ。ふたりの体がだきあったまま地上から浮き上がった。天に向かって上昇していく。男は泣かない。人前では、涙はみせぬものと祖父にきびしくしつけられた。その隼人が泣いていた。涙が頬をつたい顎に達し、はらはらとおちていた。
夏子は不死の一族の娘。
いつの世か、この下野の地、鹿沼にもどってくるだろう。だが、その時、隼人が生きているとはかぎらない。夏子。隼人は呼びかけた。返事はもどってこない。
夏子。
あの夏子の絵。
浜辺の少女が。
こちらを向いて微笑んでいる。
あの絵は完成させるからな。
描きあげるからな。
夏子。
あなたのいない鹿沼で。
ぼくはどう生きていけばいいのか。
夏子。
はやく帰ってきてくれ。
ぼくは……さびしい。
愛している。
夏子。
涙があとからあとからあふれてきた。
この時だった。
夏子の母。
鹿未来が青白い炎となって吹き上がった。
夏子と一体となった。
瞬時、夏子のからだが地上に舞いおりていた。
夏子は母が身代わりとなったのを感じた。
母が夏子がそうしょうとしたように。
玉藻と抱きあった。
その姿のまま宙に昇っていく。
那須野が原を隈なく照らすオーロラのような炎の柱が天空にむかってのびた。
七色の光彩をはなち、どこまでものびつづける。
その中心に玉藻と鹿未来が在った。
がしっと玉藻を鹿未来が抱えこんでいる。
炎が玉藻とともに消えていく。
炎が、母とともに消えていく。
「お母さん」
「お母さん」
夏子は泣いていた。
炎が玉藻の前と鹿未来をつつみこんだまま時空のかなたに消えた。
3
那須岳の噴火が止まった。
あれほど猛々しく吹き荒れていた噴火が止まった。
いままでのことが、幻影であったかのように。
噴煙は治まっていた。
あれは、幻だったのか。
隼人と夏子はふり返る。
隼人は剣をかまえて、闘争の場にもどっていく。
そこでは、真吾が高見が矢野が闘っている。
真吾のそばには八重子がついている。
皐道場の剣士が幻無斎とともに吸血鬼を追い立てている。
日が高く上った。
吸血鬼の顔が蒼ざめている。
『黒髪連合』の精鋭が暴れまくっている。
天下晴れて、暴れることができる。
彼らはいきいきと動き、吸血鬼にパイプヤリを突き立てる。
突き立てる。
吸血鬼を突き刺す。
八重子が真吾と共にQと戦っている。
Qの首に真吾の鞭がのびた。
捕らえた。
グルグルッと鞭の先が、Qの首に巻きついていく。
八重子が両脇にそれぞれパイプの槍をかかえて体ごとQに突き入れる。
ぶすっと槍先がQの胸にもぐりこんでいく。
Qの心臓につき刺さる。
二本の槍の穂先がQの心臓を突き刺した。
Qは青い血を流した。
土埃をあげて消えていった。
時を同じくして。自治医大の病室ではキンジが大きく目を開いた。
「キンチャン」
早苗が泣いていた。
「もどってきたのね。もどってこられたのね」
早苗は泣きつづけていた。
キンジが毛布から手を伸ばした。
しっかりと早苗の手をにぎった。
温かながっしりとした手だった。
「やったわ、真吾」
「おれは、八重子さんとベッドインしたい」
「バァカ。わたしなんて、いつでもその気だったんだから」
八重子と真吾は固くだきあった。
だきあったまま初めてのキスをかわいた。
離れる気配はない。族の仲間から一斉に拍手がわいた。
4
「隼人、芸術の秋よ」
「わかっている。ぼくらの本当にやりたい、絵を描くことに集中できる」
だが、秋が過ぎれば冬になる。鹿人たちがばらまいたH5亜型、トリインフルエンザの流行が心配だ。菌はひっそりと冬まで潜んでいて、この鹿沼の地でパンデミク、大流行するかもしれないのだ。
お母さん、はやくもどってきて。
夏子は空をみあげていた。
隼人はその後ろ姿を万感の思いをこめて見詰めている。
隼人は、見つめていた。
夏子を見つめていた。
それは、純白の、だがすこし色褪せたワンピースの『浜辺の少女』その人だった。
〈絵になる〉隼人はそう感じた。
〈愛している〉隼人は夏子に囁いた。
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