第四章 スケットするぜ!


1


 電話のきらいな幻無斎からかけてきた。めったに電話にもでない祖父だ。まして、ケイタイにかけてよこしたのは、初めてのことだ。

 起こってはいけないことが、起きてしまっていた。


「本家の、麻生真吾君が、吸血鬼に襲われている。さいわい、そこからすぐだ。石橋の雑木林のなかだ」         

「番地は林の中じゃわからないよね」

「冗談はいいから、早くしろ。……もう……向かってるらしいな」


 隼人の気配で祖父にはわかったらしい。さすが剣の達人。

 ケイタイから伝わる隼人のただならぬ気をよみとっている。


「薬師寺跡の南西らしい」

「ケイタイもこうしたときは便利でしょう」


 隼人と夏子はルノーに飛び乗った。車の目指す先にある殺戮の場。

 夏子には闘争の場が見えて来た。血の臭いに満ちていた。それもとんでもない害意によって生贄となったモノたちの血。


 夏子は感じていた。わたしが吸血鬼の世界のタブーをやぶって帰ってきたからなのか……。夏子の癒しの波動を阻止しょうとする大夜の一族からの誘いなのか。なにか起きる気配。


 夏子の愛する、故郷、鹿沼。そして、宇都宮。この下野の国は、平安のむかし流刑地だった。穢土として忌み嫌われてきた。それでこそ、鬼がハビコッテいたのだ。


 この北の大地が崩壊の兆しを見せている。


 母の呼び声のなかにそれを体感しての帰国だった。

 けつして、もどるまいと思っていた。遍歴の地で野ざらしとなる。それも、やむをえないという思いが強かった。ところが、夏子は吸血鬼。死ぬことはなかった。死ねなかった。


 汚れのすて場としてのこの土地。忌まわしい過去を夏子は思う。

 わたしと隼人が駆けつける地は――。


 道鏡の追放された下野の薬師寺の跡のあるあたりだ。

 道鏡の怨念が渦巻く地、思い過ごしであればいいが。


「……でも……隼人、わたしはこの土地が好き。隼人が愛している、この土地が好きなの、北の果てと思われていた頃から、わたしたちをやさしくかかえこんで生かしてくれたこの下野の土地が好きなの。鹿沼の土が好きなの。この土地は守りぬく……」

 いますこしよ。勇ましいかけ声で隼人をうながす。



 隼人にも見えてきた。


 白い靄のかかったかなたに、うっすらとではあるが……。血の淫悦に踊り狂う吸血鬼の群れが。


「すごいわ。このままでは大勢、殺される。ヤツラ、楽しんでいる。ひとりだけ強い若者がいる。けなげよ。戦っている」

「それが真吾。本家、麻生家の血筋のものだ」

「わたしたちの血につながるものね」


 夏子が隼人の手にふれた。小さな火花が散った。

 火花には色があった。青い。夏子が青い炎をあげている。夏子の思念が流れこんで来る。夏子は人を襲う吸血鬼に怒りの念をたたきつけていた。許せない。夜の一族がなぜこうも無謀に荒れ狂うのか。闇の世界にひっそりと棲む一族が。どうしてこうも人を堂々と襲うようになったのか。


 そして夏子は憐れみ、悲しんでもいた。

 人の血を吸うことでしか生きられない同族の吸血鬼を……。            

 国道4号線を右折した。そのまま直進。林にのりいれて。それから右。道が急に狭まる。これから先は、ルノーでも入っていけない。バイクや車のつけた轍の跡。そして、車と、乗り捨てられたバイク。ライトはつけっぱなし。いくつものライトの照らす先には地獄。


 隼人にも聞こえてきた。見える。

 夏子と隼人。

 ふたりは手をつないだ。

 走る。

 はしる。

 ハシル。

 現実の音。悲鳴。苦鳴。嗚咽。

 

 夏子と隼人が神父の病室で幻視したとおりの争いが。夜の底で、雑木林の奥深くでくりひろげられていた。              

 地獄絵図。まさに、地獄だ。

『黒髪連合』の若者たちは吸血鬼の鋭い爪で切り刻まれていた。  

 あたりには血の匂いが満ちみちていた。それがいっそう吸血鬼を興奮させている。楽しませている。やがて、この闘争に終止符を打つ。やがて、この殺戮も終わる。思う存分、血が飲める。血が飲める。    

 よろこびを先送りするかのように。

 吸血鬼はたのしんでタタカッテいた。


 

 真吾の麻鞭がヒュヒュとひびく。

 円をえがく。円は螺旋状。あるいは、稲妻となって空をきる。いや空ではない。かならずその空を切り裂く中に吸血鬼がいた。吸血鬼の尾があった。

 鞭に蛍光塗料を塗れば。新体操のリボンの動きさながらの美しい動きが見てとれる。逆だ。薄墨色の麻の鞭の動きは吸血鬼にも見えていない。見えていないからこそ、かれらは切られる。打たれる。打たれ、切られれば血もながす。尾を抜かれる。緑の血。鞭の音。  

 

 ヒュウ、ヒュウと真吾の怒の音だ。

 実戦で鞭を使うのは初めてだった。

 爬虫類の固い肌が切りさかれる。  

 だがそこまでだ。

 さいしょにバルーをうちこんでたおしたのは吸血鬼ひとりだけ。

 若者たちは、追い立てられ、血をながし全滅の危機。


「王子のヤツラ、こんなに強かったのか」

 

 矢野が叫ぶ。

 高見がジレている。


「王子のヤツラ、どうして血を流さないんだ。傷つかないんだ」

 しかしひるんではいない。硬派のなかの硬派。ヤクザにケツ持ちなどたのんでいない。いまどきめずらしい。固く団結した仲間だ。死など怖くはない。     


 ふいに、林の木陰から女性と男性がわきでた。


「新手の敵よ」


 八重子が真吾に叫びかける。絶望はしていない。

 死ぬときいっしょだ。真吾と敵を相手に真っ向勝負をしている。うれしい。手をつないで死んでいけたら、こんなうれしいことはない。うれしくて、涙がでるってものよ。ふたりだけならそれでいい。仲間を道ずれになんかできない。マブダチをこれいじょう死なせるわけにはいかないのだ。だが、だが、もうもちこたえられそうにない。どうする真吾。いちどはわかれた男、あたしの真吾。

 伝説のレデイス『空っ風』のなかまの将来を思い、ヤクザに食い物にされないうちに解散した。麻薬のバイの手先にならないように。ドラックにハマラナイ、正統派。硬派のなかのコウハを自認する『黒髪連合』の未来を信じて、真吾に託した大勢のレデイス『空っ風』のマブダチ。このままここでみんなと死ねれば、真吾と死ねれば、本望だ。           


 男と女がちかよってくる。


「新手の敵よ」


 もうだめだ。八重子は心の中で叫んでいた。もうだめだ。ここまでだ!!



「麻生真吾君だな。分家の皐隼人です。スケットするぜ」

「まあまあ、こんな、いたいけない男の子やオンナノコをいたぶって、いけない人たちね。どこがおもしろいの」


 夏子が余裕をもって微笑みかける。吸血鬼がザワッとうしろに退く。

 夏子は怒りに体がふるえていた。青い炎が夏子から立ち上ぼっていた。許せない。あたりには鉤爪できりきざまれた若者がたおれていた。あとで、たっぷり血を吸う気なのだ。


「あとは……わたしたちにまかせて、噛まれた人を早く運んで。病院に連れてってあげて」

「そうするんだ」


 真吾がいう。リーダーの命令だ。  


「キンジのところにいってあげて。弟のこと、たのむは」


 八重子が矢野に叫びかける。真吾と行動を共にする。死んでもいい。真吾と死ねるならもう、うれしくて、うれしくて。涙がでる。共に死ぬ覚悟だ。

 やさしいことばとはうらはらに、夏子の夜目にも白い顔がひきつっていた。

 爪がきらめく。長くのびた。月の光を浴びて、黄金色に輝きだした。

 吸血鬼に向かって突きだす。

 その爪がサクッと抉る。

 ザラック鱗状の喉に突き刺さる。

 青緑の鱗におおわれた皮膚が裂ける。

 緑の粘液が噴きだす。


「真吾。スケットに駆けつけたひとたち、メチャ強いよ。どういう関係?」

「鹿沼の千渡に家の親戚の「皐道場」がある。そこの隼人さんだ」

「強すぎるよ」

「流派の掟で試合はしないが、天才剣士だ」



 ああ、コイツら兄の配下ではない。

 爪の感触が伝えてきた。

 同族との争いを忌避するための悍ましい感触がない。

 爪が金色に輝いている。おなじ吸血鬼でも、ほかの部族に属するものたちだ。

 よかった。

 大夜の一族ではない。兄のRFでもない。

 ああよかった。

 兄さん、ゴメンナサイ。どこで再生を期しているの。

 兄の配下でないとなれば、おもいっきり闘わせもらうわ。

 爪がさらなる戦闘にそなえ硬度をます。美しく輝いている。金の光沢を放つ。


「あの、女の人。キレイすぎる。強い。指剣で敵を倒した」

 どこに忍ばせていたのか。隼人が鹿沼は細川唯継の降魔の剣、魔到丸をふるっている。


「きききさま……」

「おう、あのときの吸血鬼か」

 壁絵、ラクガキからぬけでたQだ。吸血鬼マスターだ。

「こいつだ。夏子……おれが会った吸血鬼」 

「こいつら、トウキョウの夜の一族よ。喉ともちろん心臓が弱いの」

「吸血鬼が、人に仲間の弱点をしらせていいのか」マスターQが怒る。

「なんなの真吾。アイツラ、なんなの」八重子が真吾に訊く。

「異界の怪物だ」

「あなたたちが仲間なら、わたしの爪はのびない。これほど、硬くならない。金色の光輝をおびない。同族と戦うタブーがはたらかないの。だから、アンタらは敵」


 夏子の目が赤く光りだした。敵の鉤爪と交差して夏子の爪がチャリンと鋼のひびきをたてる。

 相手の爪が根元からたたき切られる。夜目にもまばゆくきらめく。きらめき、とびちる爪。   

 真吾の鞭が風をきって鳴りひびく。その音に吸血鬼が慄く。樹木の影に退いていく。隼人は切るとみせて、敵の喉に魔到丸で突きをかます。

 死可沼流『刺鬼殺』の技。隼人があみだした新しい技だ。喉を突いた瞬時、剣先は胸まで切り下がり相手の心臓をえぐりだす。

 いかな吸血鬼といえども即死する。緑の液体が噴きあがる。

「北関東は下野、大いなる谷に住む、大谷の夜の一族に永久追放された女のバンビーノ、血を吸うことなく、生きながらえている白っ子がいるときいたが……姉さんだな?」

「それだけわかっていたら、ここは潔く退いたら。ここはわたしたち、大谷一族のテリトリーよ」

 シロッコとよばれた怒りをおさえて夏子が爪をひっこめる。

「おれは王子の夜光」

「わたしは夏子。鹿未来の娘」 

「おう。マスターの直系の娘かよ。また会おう」


 敗色が濃いのに、オウヘイな態度だ。このまま闘ってっても、王子の吸血鬼を皆殺しにすることはおぼつかない。

 夏子は敵に華をもたせて、退かせる。

 夏子がうなづく。

 吸血鬼の集団が後退したあとには、すさまじい血臭と呻き声が残った。



「どうして、こうも吸血鬼がらみの事件が宇都宮のまわりで起きるのか!!」

「それがわたしにもわからないのよ」

 隼人のいらだちに夏子までもシンクロしている。

 透きとおる白い肌にかすかに赤みがみえる。興奮している。興奮しているというよりも、腹が立つ。腹が立つというよりも怒り。怒りのため夏子の全身の細胞が賦活された。吸血鬼本来の強靭な肉体になっていく。別の部族とはいえ、吸血鬼におそわれて数多くの若者が入院している。


 許せない。

 夏子と隼人それに真吾もくわわって、自治医大病院の屋上に立っていた。

 かつては関八州の草原であった街々を見下ろしている。そのさらに昔は那須野ガ原。広大な原野だった。夏子には地上にあっても風景を鳥瞰する能力がそなわっている。過去と現在、未来をつなぐ超能力がある。

 怒りに身をまかせている。感覚までもフル活動している。敏感になっている。


「わたしがタブーをやぶって百年ぶりで……故郷、鹿沼にもどってきた。わたしが隼人を愛してしまった。精気をふきこむことはできても、すきだから隼人の燃える情熱をあまり吸収することができない。これって吸血鬼社会のエコロジーをみだすことなの……そうしたことが、悪の波動をひきよせている。兄の、鹿人の敵愾心に火をつけることになっている」                  


 数百年を閲してきたバンパイヤとしてのセンサーが発動されている。

 それでも、吸血鬼の暗躍がナゼなのかわからない。夏子もいらだっていた。夏子の意識の視野のなかに赤い点のようなものがうかびあがった。

 北関東名物の雷が遥か北のほうで煌めいた。雷雲は瞬時にせまり、四囲は暗黒に支配された。赤い点は暗黒の中で消えるどころか、さらに燃えあがっている。それらすべての現象はイメージのなかでの出来事だ。

 ――なにか。不吉な予感。夏子は戦慄した。このわたしが震えている。大いなる谷の、夜の一族の直系であるラミア。

 黒川夏子をおびやかすものは、なにか?

 夏子は自問する。応えはもどってこない。


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