第三章 吸血鬼に狙われた街
1
「それで追いかけなかったのですか」
明日は退院ということもあって、高村神父の声は溌剌としている。
「夏子さんにもいいました。いままで遭遇したVとはちがうようです」
富士重工の路地での闘いを隼人が報告している。コンクリートの塀に描かれた吸血鬼が3D化して襲ってきた。
「夏子でいいの」
夏子がほほえむ。トウキョウの吸血鬼ではないかというのが彼女の判断だった。
大蝙蝠にすぐ変身するのは、都会に住む夜の一族だろう。
自己顕示欲が強過ぎるのだ。
自分たちの能力を見せつけたいのだ。
隼人は夏子に気づかってVという。
夏子はあけすけに吸血鬼という。
知らない人が聞いたら、いい大人がゲームの話しでもしていると聞こえるだろう。
「すぐに爬虫類の肌を見せたり、蝙蝠や翼竜に変身するのはカレらの自己顕示欲よ。カレらは人を殺すために血を吸うの。血を吸うために、血に飢えたために人を襲うのではないのよ。殺戮マシーンといったところね。それに周りにすさまじい毒気を振りまく。あらゆるものを腐らせるすごい毒気をね」
「教会の大谷石の壁が腐食しました。部分的にですが、改修しなければならないほどです」
「もう影響がでているのだと思う。同じ夜の一族だけど、わたしたちの部族よりはるかに凶悪なの。だから、聖なる建物、教会がダメイジを受けているのよ。感受性のするどい……若者ほど悪意の波動に飲みこまれ、影響を受けるわ。それが怖いのよ」
夏子の声は寂しそうだ。
「くるは……」
夏子がふいにつぶやく。声は憎悪を秘めている。
「だれかが……争っている。この近くよ」
隼人にも感じられた。
「なんですか」
なにも感じられない、神父がベッドからおりた。窓を開ける。
「月など最近、見ていなかったな」
神父が名月を愛でている。
「くる。……なにか来る」
夏子の頭に警鐘がなりひびく。
どうしてなの?
どうして、宇都宮に凶悪な事件がこのところ続発しているの。
オリオン通りで起きた宝石強奪。
ガソリンをまいて店を全焼させ、店員も焼き殺している。
隣の主婦を猟銃で射殺した残虐な中年男。
隼人のケイタイがなった。
道場の祖父、無幻斉からだ。
2
「吸血鬼に襲われた患者が来たわ。多量の輸血、それも一刻も早く。ERのドクターに教えてあげて」
血を全部抜きかえるのがいい。蘇生させるには血を補うのが一番。全部の血を抜きかえるなんてむりね。吸われた分だけでも補わないと……RFになっちゃう。
夏子は走っている。走りながら、夏子はナースステーションに声を投げる。
隼人は先にいる。ケイタイがなった。隼人は部屋を飛び出していった。なんども神父の見舞いにきている隼人。わたしがいるからかな。わたしが神父に付き添っているからかな?
吸血姫の看護を受ける神父。ひとむかし前だったら考えられなかった。いや、いまでも……珍しいことにちがいない。
でも、でも、ほらモチはモチ屋っていうじゃない。モチ屋ってなぁにい?
若い彼とつきあっているので、古い記憶が曖昧になる。なんでもいいから。吸血鬼の噛み傷の治癒法を知るものは、他にイナイ。わたしが、イチバン。吸血鬼に噛まれた神父は、わたしが看病するのが最適なのよ。
でも、夏子の自問自答はつづく。
こういうのって、声なきモノローグっていうのかしら……。
神父の見舞いをかねて、隼人は、わたしに会いに来ているのだわ。かわいい、わたしの彼。年下の彼。おいくつ年下なのですか、と聞かれると困ってしまう。
「あら、いま、年下の彼ってフアッションなの」
そう、とぼけるしかない。だれにもわたしの年は当てることは出来っこない。
長椅子の並ぶピカピカに磨き上げられた床を夏子は滑るように移動していく。
いわゆる吸血鬼ウォークという移動だ。あまりにも速く足が動く。人間の動体視力では立ったままサアッと滑って行くように見える。病院の曲りくねった廊下で迷うことはない。
エントランスに向かって走っている。
早く追いつかなければ……。
部屋にもどってこない隼人。走り出ていったままの隼人。早く追いつかなければ……。
3
ナースはおどろく。
どうして、指図するの。
ドクターでもないのに……なんで、そんなことがわかるの。
まだ、なんの連絡もない。急患の連絡なんか、まだ入っていない。おかしいのだ。吸血鬼っていってたわ。ヘンナノ。吸血鬼に襲われた? なにいっているの。 輸血だなんて? なに指図する気なのかしら。おかしいわ。オカシイワ。あのひとのつきそっている神父。
血がなかなか止まらない。止まらなかった。さいしょは、血小板に異常があるのか、とドクターが話していた。入院がながびいた。……全身に噛み傷。まだ出血している箇所がある。あれで、退院させていいのかしら……。
血血血、血のことばかりついてまわる。吸血鬼? よしてよ。ここは、病院よ。超近代的医療メカを備えた国立の総合病院。完全看護だ。ほんとは、付き添いなんていらないのに。北関東唯一の自治医大付属の国立病院だ。映画やゲームの世界じゃないの……。科学の粋をあつめた医療器具がそろっている。
夏子と呼ばれているヒト。あの肌の白さはハーフだ。きれいすぎる。ナースの嫉妬。理解できない世界を嘲笑する。心のバランスをそれで保つ。
4
ナースの感情が夏子に流れこんでくる。
吸血鬼だなんて、思わず、口ばしってしまった。わたしもまだ感情の抑制がきかない部分がある。この年??? になっても。いや、この年になったから――。感情を抑制するのがいやになったのかも知れない。一族の掟から逃れて奔放に生きて行きたいわ。愛する隼人との赤ちゃんを産んでみたい。産めるのかしら。
吸血鬼ということばをきいただけで……。ながいこと、差別され……。バンビーノーといじめぬかれているので……。夜の一族がからんでくると、意地になるのね。血の吸えなかったわたし。ひとに犬歯を突き刺して血をすえないわたし。ひとの精気、精神力だけを糧とするわたし。オド・ヴァンピリズム。
宇都宮が荒廃してきた。
わたしたち吸血鬼族が動きだしたからだ。鬼の毒気に人びとがあてられている。鬼の害意を飲みこんでいる。鬼の害意の波動にシンクロしている。そうに、ちがいない。だから、凄惨な事件ばかりこの地で続発するのだ。
黒磯で女教師がバタフライナイフで刺殺された事件。
宇都宮のオリオン通りの宝石店で――。
ガソリンで店員全員が焼死した事件。
立て籠もったヤクザか情婦を道ずれにした拳銃自殺。
思川の児童投げ捨て事件。数えあげたらきりがない。
5
「なによ、これってなにかゲームなの」
思わず声に出してしまう。
夏子のことばがさっそく現実のものとなった。
看護婦は戸惑う。だが機敏に動きだす。
「急患です。それも大勢」
金次を早苗とキヨシが運んできた。早苗は血迷っていた。わたしのキンチャン。シッカリシテ。おかしなことばかり起きている。まともな早苗の感覚ではついていけない。
「そうよ。これはゲームなのだ。わたしたちはゲームの世界に取りこまれてしまったのだ」
血。赤い血。金次の首筋からにじみでている血。押さえてもとまらない。ジワッとふきだしてくる。どれくらい血を流したのか。金次の顔は青白いというより灰色の死相をみせていた。チァノーゼがはじまっているのかも。
昏睡。
このままでは、失血死はまぬがれない。
「キンちゃん。しっかりして。病院についたからね。もう心配ないからね。気を強くもってよ」
キヨシもキヤリヤーで呻く傷ついたほかの仲間を励ましている。
6
心配なのは、これからだ。がんばるのよ。
すれちがった若者たちに夏子は声なきエールをおくる。
やっと、隼人と並んだ。先行していた隼人に追いついた。
夏子は走りながら隼人に念波で話しかける。
聖水で体を清めていた高村神父でさえあれほどの苦しみに襲われた……。
陽気にふるまっているが、神父の苦しみはよくわかる。
聖水や祈り、十字架もあまり効果がないことを知ったときのおどろき。
心が空っぽになる。信仰の強いひとほど、悩みも深くなる。
ああ、吸血鬼に噛まれたひとたち、許して……そして苦しみに、痛みにたえて。
凶暴な夜の一族に噛まれたのよ。
いま復讐してあげる。あなたたちを噛んだものをほろぼせば。鬼化現象。あなたたちがRFになることはない。ないはずよ。
なんてことするの。みさかいなく、噛みつくなんて、いくら吸血鬼でもやることが酷すぎる。
廊下ですれちがった。背後にさっていった。早苗とキヨシたちに夏子はエールを送っていた。
がんばって。そうよ、がんばるのよ。
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