第二部 召喚 第一章 牙がのびる

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「吸血鬼の牙がのびるんだよ」


 絵のなかの吸血鬼の牙がのびる。その噂はリアルなのか? そんなことが本当に起こるのだろうか。それをこの目で確かめるために。JR日光線を鹿沼の一駅手前『鶴田』で降りた。


 皐隼人は歩く。秋の野州路を隼人は走るように移動している。一刻もはくその吸血鬼の絵が見たい。あまりにも、非現実的な風評なので、リアルではないと思う。だからこそ、もしも現実に起きているとしたらと……不安はつのるばかりだ。


 大谷の洞窟は破壊した。地盤の陥没があった。でも鹿人とその一党は滅びてはいない。彼らがまたワルサをはじめたのか。だとしたら、神父さんと夏子に報告しなければ。

 警戒しながら、周囲に気を配りながら道を行く。歩いている人はいない。車も通らない。

 いま、不意に吸血鬼に襲われたらどうする? 

 対応できるか!! できる。できないで、どうする。

 夏子とともに異界の生物、吸血鬼と戦って来た。戦いぬいてきた。隼人はワンランク上の剣客なっている。その隼人が全神経をぴんと張りつめている。道の両側にはコスモスの花が咲いていた。

 無粋なわけではないが、とても花など見ていられない。

 

 不気味な吸血鬼のイメージにとらわれている。のんびりと、散歩を楽しんでいるわけではないのだ。野歩きをエンジョイする気なら恋人の夏子を誘う。


 絶えず一つのイメージが浮かんでいる。牙牙牙牙牙。牙というのが気になる。富士重工のコンクリートの壁。フエンスペインテングに描かれた吸血鬼。

 その吸血鬼の牙が毎夜、伸びているというのだ。いまも伸びつづけているのだろうか?


 宇都宮のミステリースポット。

 ローカル局である栃木テレビで放映されていらい若者の間で有名になった。



 廃墟マニアとか怪奇スポットの探検に熱狂する若者にはうれしい場所だ。テレビで放映されると情報とイメージが一般化する。人気のある場所となる。吸血鬼の犬歯が伸びる。

 はたして、噂は真か? いまこそ確かめてやる。それで野歩きなのだ。

 

 あるある。おびただしいかずの絵。

 ピカチュウ。

 ハンターxハンターのキャラクター。

 ポケモン。

 ナルト。

 ワンピース。

 千と千尋の神隠し。

 妖怪ウオッチ。

 風立ちぬ。


「風立ちぬ」とかかわりあいのある、奇しくもここは戦時中、零戦の製作にかかわったの『中島飛行機宇都宮製作所』のあった工場だ。古典的な銭湯のタイル絵のような富士山と松と雲。老人の作か?


 一区画縦が2メートル、横が3メートルの壁のキャンバスに、おもいおもいの絵がかかれていた。若者のスプレーペインテングに悩まされたあげく、富士重工広報部で考えたことだった。      

 ラクガキスル。したいの? 

 したい……? 

 じゃ、どうぞ、どうぞ。

 この壁面にストリート・アートをどうぞ。

 おもうぞんぶんラクガキしてくださァい。

 あなたは、街のアティストです。

 ご遠慮なくどうぞ。

 いかに消すか。と、アイデアをしぼっていたのに。

 逆転の発想というやつだ。



 ぼくだったら、夏子をかく。

 浜辺の少女。夏子の立ち姿をかく。

 隼人は栃木大学の芸術科美術部の学生だ。

 そして、剣の達人。吸血鬼ハンターなのだ。

 コンクリートの壁をキャンバスとして市民に提供した。

 そのアイデアが大ヒットした。

 いまでは、500メートルにわたって、200箇所近くある。

 さまざまな絵がびっしりとつづいている。

 吸血鬼の絵までの距離が遠い。

 隼人は歩く。

 そろそろ見えてきていいはずだ。

 

 そろそろトワイライトだ。日が暮れてしまう。

 ワンピースの次あたりだった。

 通学の電車から見ているのと、実際に歩いたのでは距離感にだいぶずれがある。 

 車窓からだと、あっあれが吸血鬼のペィンテングだなと視認したときには通過してしまう。見えなくなってしまう。

 剣の修行にあけくれているので動体視力のすぐれた隼人にしても、牙が伸びているかどうかは、わからない。牙すら確認できない。

 

 あまり、遠いのでうんざりしたところで、前方に人影が見えた。

 夕霧のなかで人影はぼんやりとかすんでいる。

 足音を殺して近寄る。

 少し前屈みになってスプレーではなく、絵筆をふるっていた。

 なんてことはない。   

 男が絵筆をふるっている。

 人目をはばかって、吸血鬼の犬歯をニョロット描きたしていたのだ。

 イタズラ好きな老人もいたものだ。

 あの屈みかたからみて、年寄りだ。



「吸血鬼の牙を伸ばすなんて……街の人がおびえていますよ」

 

 隼人は声をかけた。ふいに声をかけられて、老人がおどろかないように、さりげなく話しかけた。


「これが、白い絵の具に見えるかね」


 嗄れた声。かさかさした、のどに啖でもからまっているような声がもどってきた。やはり老人だ。

 暇をもてあましている老人のイタズラだ。愉快犯だ。こっそりと吸血鬼の牙を伸ばす。描きたしていたのだ。みんなをカツイデおもしろがっている。愉快犯だ。テレビで取り上げられてさぞや満足していることだろう。


 だが、いっていることがおかしい。

 絵筆をふるいつづけている。肩越しに注意して見る。        

 赤い絵の具。

 唇に赤い色をそえている。ベットリとした粘り気のある絵の具。

 そのとき、吸血鬼の唇が動いたような気がした。絵が動いた。


 ザワッと唇が開いた。

 ズルッと音までした。

 絵が動いている。


「これが絵の具に見えるかね」


 老人はふりかえりもしない。吸血鬼の舌がのびた。筆の先をなめている。


「これが赤い絵の具に見えるかね。これは……」


 老人が後ろに手をまわして、ピカピカに光ったステンレス製の缶をさしだす。

 腕が体にまきつくような動きをみせている。並の人間にはこんな動きは不可能だ。

 筆先を吸血鬼がしゃぶっている。 


 血。……………。血血血血血血血。  

 ちちちち………。チチチチチチチ。ブラッド。


 缶には輸血用の血液パック。

 すほう色の血がパックから溢れていた。

 老人がふりかえった。

 さすがの隼人もギョッとした。

 一歩後ずさった。

 その顔は、爬虫類のような鱗のあるおぞましい皮膚に覆われている。

 隼人は予期はしていたもののおぞましい気配に、さらに、一歩とび退いた。

 それは一瞬のこと。男は軽薄な若者の顔になる。

 背伸びをする。立ち上がる。  

 隼人よりさらに長身だ。

 壁から腕が伸びてきて、缶の血液をひったくり、いっき飲みしている。

 ドクッドクッと喉元が動く。

 唇のはしから……トローリと赤いねばつく血がたれる。

 腫瘍のように赤く爛れた唇。牙だけがあいかわらず、不気味なほど白い。

 鋭利な鋼のように光っている。


 漫画(アニメ)の特殊造型作家の作品そのもの。



 まさに吸血鬼が壁から浮き出る。

 現実化した。

 悪夢のような光景だ。

 上半身を屈むように曲げた。

 壁から離れた。

 脚が交互に踏みだされた。

 老人と思った男が背伸びをして軽薄なヤングに変身した。

 壁から現れた吸血鬼が、隼人に迫ってくる。

 なんのためらいもなくサッと迫ってくる。

 吸血鬼はひそかに忍びよってきたのではない。


 飢えた、獣が獲物を襲う敏捷さで、間合いをつめてきた。


 いままで、血液を啜っていた唇を歪ませた。

 声が出た。

 隼人は一気に2メートルも跳びのいた。

 すさまじい害意が吸血鬼から放射されている。


「毎晩せわになったな、タケシ」

 隼人のことなどまったく眼中にない。

「なんてことありません。マスターQ」

「こんなところにかくれて、路上観察しているのはウンザリだ。このあたりのことはよくわかった。仲間のところにもどるとするか」


 RF吸血鬼のタケシはQにほめられたことがよほどうれしいのかニタニタ笑っている。


「おまけに、目の前にメインデッシュがのこのこでてきた」

「そうかな」


 隼人はあれいらい片時もはなさない剣、鹿沼は、稲葉鍛冶の鍛えた魔到丸をさっとかまえた。どこに隠し持っていたのか。


「おお、おまえは」

「気づくのがおそいんだよ。愚か者」

 バァカ。  

 といはいえなかった。

 マスターと尊称されるからには、なん世代も生き抜いてきた吸血鬼だ。

 部族の長だ。  

 敬意をはらった。

 隼人も侍言葉になるが、それがふさわしい相手だ。

 ザワッとQとタケシが両側からおそってきた。

 鉤爪による攻撃。   

 吸血鬼の鉤爪の恐怖。チタン合金にも匹敵する硬度を秘めた爪。

 いくたびかの吸血鬼との闘争で、その威力の恐ろしさがいかなるものか、隼人は知っている。ひとたび裂かれればなみの人間であれば血をふいて倒れる。即死だ。それほどのものだ。


 剣と鉤爪が交差した。  


 チャリンと音がした。


 隼人はさらに踏み込むどころか、すばやく跳びのいた。

 切断された爪が街灯にきらめいた。切られてなお、隼人の目を狙って爪がとんでくる。リモコンがきくのか!!

 吸血鬼が威嚇すようにうなった。うなりながら後退していく。

 隼人は正眼にかまえたまま動かない。悪意の波動が強すぎる。

 切り込むことは危険だ。危険だと察知したどころか、動けなかった。動かないのではなく、膝頭がふるえて身動きできない。


(このおれが、死可沼流の嫡子、未来の道場主の皐隼人がビビって動けない)


 吸血鬼は闇のなかに溶けこむように消えた。おおきな羽ばたきの音がした。なぜか吸血鬼は先をいそいでいた。


「メインデッシュをたべていかないのか」


 声をかけたものの、隼人はぐっしょりと冷や汗をかいていた。


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