第十四章 教会での誓い


「いまのうちに、逃げるのよ」

「わかった。ここのRFたちは切れない。斬り殺せない」

「教会があるわ。あの教会に逃げこみましょう」

 東武デパートのかなたに尖塔が見えている。その天辺に十字架が光をあびて輝いている。オリオン通りにいたRFまで集まって来た。群れをなし夏子とおれに追いすがる。


『宇都の峰教会』の扉を押す。

 聖堂入り口を入ってすぐの柱の聖水盆に指をひたす。夏子は額と唇を聖水で清める。吸血鬼には普通はできないことだ。夏子だからなんのためらいもなく、聖水で清められる。

 十字を切る。長いこと海外で過ごしてきた。習慣となっていた。聖水に身体を焼かれることはない。聖水をいやがることはない。避ける習性もない。夏子は吸血鬼としては特異体質なのだ。

 夏子を真似て聖水で身を清めた。十字を切った。吸血鬼との忌まわしい戦いから清められた思いがした。


 見上げると聖堂の上部に聖人、聖ヨハネのレリーフが架かっていた。そのほかの群像は翼があるから天使なのだろうか。

 呼吸がくるしい。出血したので体が衰弱している。鬼島を斬り捨てた。腕に嫌悪感が残っている。それなのに、清々しい気分になった。清涼感がブルっと心身を走った。衰弱した体にエネルギーが満ちてくる。


「そうよ。この神聖な領域でなら悪しきものに汚染され体は浄化されるわ。そしてほらね、こうすれば」

 夏子がおれをぐっとだきしめた。唇をかさねた。夏子のほうから精気がおれにながれこんできた。青い目の神父がふたりを待っていたように近寄ってきた。神父は驚いている。夏子とおれに話しかける。


「わたしはこの教会の居候です」

 なめらかな日本語だ。居候だなんて、おもしろいことをいう神父さんだ。

「わたしは神の戦士イエズス会士のなかでも武闘派、まあ日本でいえば比叡山の僧兵のような荒ぶる者なのです」

 ますます変わったことをいう。

「あなたは、もしやあの伝説の……ラミヤさまでは」

「いまは、夏子。それにわたしの恋人の……」

「待ってください。わたしに当てさせてください。皐隼人」

「どうして、それを」

 こんどは、おれがおどろいて聞き返す。

「大谷の夜の一族のなかに、むかし神の庭園にいたころの記憶をそのままとどめている、DNAとして受け継ぎ聖水を恐れず、善きものとして行為するホワイトバンパイアがいる。その名はラミヤ。その人と共にいてこれだけの剣気を秘めた男。噂に聞く死可沼流の皐隼人。それくらいのことは、パソコンで検索しなくてもわかります」

 ここにラミヤ――夏子とおれの理解者がいた。ふたりともうれしくなった。


「いま宇都宮はブラックバンパイアの侵攻で、危機にさらされています。こうしてお会いできたのも、神の思し召しかもしれません」

「ありがたいわ。夜の一族の侵略に気づいている神父さんがいたなんて」

「宇都宮ギョウザを流行らせた仕掛け人はわたしです。ニンニクが、すこしでも、吸血鬼避けになるといいとねがって」


 ふたりがマジな顔で聞いていると「ジョーク」ですと神父が笑う。


 いまは、神の怒りにふれて吸血鬼となっているが、遥かむかしには神の庭園の庭師であったという伝承は、夏子も聞いている。

 神を楽しませるために大輪の薔薇を咲かせていた。


 たまたま、薔薇の棘で血を流し、その血をうっとりとすすっているのを神に見とがめられた。堕天使となった。落されたところがこの地、宇都宮なのだ。いつの日か、宇(宙の)都――の宮殿、天国にもどりたいという願いをこめての地名なのだ。

 天国から追放され、永遠に地上で血を吸う行為をつづける。木の棘で心臓を刺されると灰となる運命も、聞かされていた。


 そしていま、血を吸うことのできない夏子が、彼女の属する種族の本来の姿だといわれて、うれしかつた。

 シロッコ。奇形と蔑まれてきた。あげくのはてに、国外追放になった。いじめられてきた。差別されてきた。

 わたしのほうが正統派だった。みんなが、わたしのようになれればいいのだが。そうはいかないだろう。夜の一族が人と共存する。わたしのように。それが理想なのに――。


 人と共存する。ことをかんがえればいいのに。窓の外。大谷の方角から。夜が訪れようとしていた。渦巻く妖気は分厚い暗青色。夜の雲となっていた。

 操られたものたちが、塀の外に群れていた。塀を壁面をどんどん拳でたたいている。なかには体を叩きつけてくるものもいる。

 鬼島が消滅した。隼人に斬られた。死なないわけの鬼島が灰となった。それでいらだっている。それでリベンジを企てている。塀が壁が振動する。建物全体が揺らいでいる。


「ご心配なく。聖水で清められているこの領域には近寄れません」

 夏子は肩をすぼめる。



「わたしたちは、会うべくして会ったのです。これは神の意志です。夏子さん。隼人さん。力を合わせてこの宇都宮と鹿沼を吸血鬼の侵攻から守りましょう」

 夏子が元気をだす。うなずく。

「夏子さんは、同族に逆らうことになります。辛いでしょうが、よろしくおねがいします」

 夏子が当然のことのように、唇をかみしめ決意わ示す。


 おれも大きく肯く。夏子と会えたのも。神の御心だ。神に、従う。おれも決意する。顔がひきしまる。神父と、夏子、おれは右手を重ねた。

 鹿沼と宇都宮を死守することを誓う。三人の合わせた手から青いフレアが立ち上った。聖堂の天井に。さらに、空に輝く星々まで。青い炎を透かして見る夏子は美しかった。


 一族のものを敵に回しても故郷を守る。その決意に夏子は発光している。その悲壮な覚悟に夏子は輝いていた。母を助けるために兄と戦った。雨野を助けるために大谷の地下にのりこんだ。


 でもこんどは故郷。鹿沼のため。宇都宮のため。人々を吸血鬼から守るため。そのこと、そのためにこそ、決意した。



 夏子を見守った。夏子といつまでもいっしょだ。

 いつもいっしょにいたい。絵を描きながら、永遠に生きたい。おれのはじめての人物画は、夏子、おれの恋人夏子を描いたものだ。


 それらの絵を、夏子に捧げられてうれしい。全大学美術展におれはあの肖像画を出展する。うれしい。あの絵をみんなに観てもらいたい。入選するしないは、問題ではない。みんなに夏子を見てもらいたいのだ。校内選抜のない美術展だ。川澄講師に落とされる気遣いはない。


 夏子とならいつでも死ねる。生と死。それは同意語だった。ふたりで精いっぱい生き、ふたりで死にたい。それはムリだろうけど――。忘れていたが夏子は不死の女なのだ。それでも、いつもいっしょにいたい。そして、おれたちがまちがいなくこの世の存在した証の彼女をモデルにした絵を、あの展覧会に出品するのだ。


 おれと夏子は固く手を握り合った。ふたりがしっかりと手を握り合ったことで、さらに青い炎は濃く激しく揺らいだ。夏子とおれの体が震え音を発していた。


「わたしとともに生きるということは、夜の一族から、ホワイトバンパイア――シロッコ、できそこない、と軽蔑されながら生きることなのよ」

「それでもいい。夏子といっしょにいられるなら、どんなことがあってもいい」

 夏子!! 

 あなたを永遠に命ある限り愛しつづけます!!

 愛とは、旋律。

 美とは、旋律。

 体がまだ小刻みに震えている。

 美とは、愛とはこれほどすばらしいものだったのですね。


 ふたりにはもはや、愛とか美とか、言葉にだしていう必要がなくなっていた。

 おれはこれからも絵を描きつづけます。

 これほどの感動を絵にそそぎこめたら、すばらしいものになる。

 傑作を次々と描ける予感がする。

 この感動をひとりでも多くの人に伝えたい。

 そして、ブラック・バンパイアの暗躍と戦います。この町のひとたちの幸せのために夏子とともに戦います。夜の一族が、血を吸わず、人と芸術の交歓から生じる精気を吸っていきていけるように進化するまで生きていたい。


 夏子が奇形ではなく、吸血鬼の進化の先端ある存在なのだと証明したい。

 そう、あなたはシロッコなんかではない。

 吸血鬼の未来、あるべき理想の形なのだ。

 人と共生できるなんですごい。それって、すごいことなんだ。

「夏子!!!」

 おれは感極まって夏子に呼びかけた。夏子をぎゅっと抱きしめる。

 


「わたしのパートナー、隼人。わたしの恋人、隼人。やっと、わたしを恐れず、まるごとわかってくれる、理解しあえる人に会うことができてうれしい」

 ふたりの唇があわされた。

 永遠のコンビ。

 パートナー。

 最強の吸血鬼ハンターのチームがここに誕生した。


「妖霧の元を断たなければ」

「噴出口を塞いでもだめですよね。元を断たなければ。わたしもそのことを考えていました」

「それには、大谷の洞窟に、吸血鬼の牙城にのりこまなければなりませんね」


 おそらく教会は監視されている。壁を叩く音は途絶えている。でもヤツラがあのままひきさがるわけがない。裏口からひそかに三人は街にでた。

 夕暮れていた。吸血鬼の活動が活発になる。吸血鬼の能力が欲望がハイになる。

 急がなければ。デパートの脇の有料駐車場に急いだ。夏子の嗅覚は鋭い。ルノーの窓を開けておけば、妖霧をたどることができる。


「気づかれなかったみたいね」

 教会の周辺で騒いでいたRFはうまくマイタようだ。つけてくるものはいない。

「あそこのマンホールからも妖気がもれている」

 江川卓。水泳の萩野公介の出身校作新学院を左手にみながら大谷に向かう。

 宇都宮出身の故立松和平が醜悪だと評した、大谷石製の巨大な観音像を後にする。



「もうすぐよ」

「夏子さんは辛いでしょう。一族のものに弓をひかせて申し訳ありません」

「あら、古いことば知っているのね。でも安心してください。わたしはこのところ同族のものと戦いつづけていますから」


 夏子の案内したのは、洞窟への秘密の入口だった。

 夏子が雨野救出に乗り込んだ入口からはほど遠い場所だった。


「一族のものでも、あまりしらない抜け道よ。鹿人兄さんとよくこの抜け穴から出て、夜の那須野が原で遊んだわ。あのころの……兄はやさしかった……」


 遠い過去をなつかしむ声だった。夏子の過去とは、いつのことか。一族を敵にまわすとは、いかなるこころの痛みを伴うものなのか。夏子の悲しみや苦しみが伝わってこない。

 ブロックしている。おれに余計な心配をかけないように。

 夏子はなつかしそうに周辺を見回している。ごつごつとそそり立つ岩山の裾を回りこむ。


「ここで止めて。わたしの植えた杉があんなに太くなっている。まちがいなくわたしが植えた杉だわ」

「千年杉ですか」

 夏子を元気づけようと隼人がジョークをとばす。

「そうよ」

 と、軽くいなされてしまう。

「あの岩は苔むしたけれど、形はあまりかわっていない。まちがいいなく、ここよ」


 月光を浴びて杉の枝が広がっている。薄闇の中をその下に車をとめた。ふいに、隼人たちが来た方角からバイクがやってきた。エンジンの轟音と闇を切り裂くヘッドライトの光。やはりつけられていた。


「わたしたちがくいとめます。あいつらには、わたしたちの計画はわかっていないはずです。あの岩影に廃坑への隠し階段があるわ」

「グットラック」


 隼人は神父のダイナマイトを背負った後ろ姿に声をかける。

 神父は手を挙げる。おれはついていきたい。神父をひとりで、吸血鬼の城に潜入させるのは心許なかった。でも、おれがいくと夏子もいっしょだ。夏子に同族の城を破壊する悲しみをあじあわせたくはない。

 申し訳ない。幸運を祈ることしかできない。悔しい。どうか、無事にもどってきてください。隼人は声にならない声でもういちど神父の背に声援をおくった。

 


「あたしたちから逃げられると思ってたのけ」

 玲菜がバイクのバックシートから飛び降りた。

「玲菜に治療費払ってくれっけ。インプラントにするしかなかっぺよ」

 玲菜を乗せてきた特攻服のバイク男がカッコつけて宇都宮弁ですごむ。玲菜がぐいと唇をそらせてみせた。歯茎がピンク色だ。暴走族に包囲された。ライトがおれと夏子を照射している。

「あらぁ、玲菜ちゃんの歯ならここにあるわよ」

 どこに保存しておいたのだろう。バシと、玲菜の犬歯を指弾としてバイク男の額に打ちこむ。歯根が見えないほど深く突き刺さった。

 絶叫。バイク男にはなにが起きたかわからない。激痛にのたうちまわっている。


「なにしやがった」

 怒号が飛ぶ。族の男も女も武器を手にした。あばれることができる。

 興奮している。

 目が不気味に赤く光っている。全員、吸血鬼の影響下にある。RFだ。怒号。わめき声。罵声。

「やっちまえ」

 チェーンがきしむ。ビユウビュウと唸りを上げて迫ってくる。風を切る音が凄まじい。夏子と隼人はじりじりと追いつめられる。

「剣で応じるわけにはいかない。こいつらまだ半分人間だ」

「まだ人間にもどるチャンスはあるわ」


 夏子も隼人も反撃しない。調子に乗って族の若者たちが肉薄してくる。

「時間はじゅうぶんかせいだわ。この人たちには神父さんの所在はわからない。安心して逃げましょうか」

「やっぱあんたらかよ」

 遅れてやってきたバイクからバンパイアのキャップ、高野が降り立った。

「玲菜のチームがもめてるって聞いたんでよ。うれしいね、こんなに早くまた会えるとは」

 高野がニタニタ笑っている。吸血鬼の陰険な笑いに似てきた。真剣を抜く。争いの輪に走りこんできた。

 アリャヤアと叫びをあげた。隼人を夏子を切り捨てる。必殺の雄叫びだ。凄絶な剣気だ。なんのためらいもなく隼人と夏子を切り捨てる覚悟だ。鬼島をやられた恨みもある。剣気には鬼気せまるものがある。相打ちでもいい。ともかく敵を斬る。喧嘩なれしている高野の剣さばきだ。あなどれない。


 おれは隠しもった、魔倒丸で高野の剣を横にはじく。高野の剣が高くはねあげられた。

 いままででは決してやらない行為にでた。かえす魔倒丸で高野の腕を斬りおとした。

 ごぎりという不気味な手応えが伝わってきた。ゲオッと高野が吠えた。

 ゲギョゲギョゲゲゲと高野がゼッキョウする。腕が青い血液をふきあげて宙に舞う。ああ、もう吸血鬼になっていた。族の仲間には高野のながした血の色までは見えない。

〈バンパイァ〉のキャップ高野、北関東の暴走族を統べる最強の男の腕が白刃の柄を握ったまま切断されるのを見た。

 腕の一本くらい失ってもすぐに生成してくるだろう。

 おれ、とまた人称をかえて、じぶんを励ましているいると隼人はおもった。〈おれまでおかしくなっている。吸血鬼との闘争でおれまで残酷な感情に支配されている〉


 高野の剣が虚空で腕から離れ先に落ちてきた。腕が少し遅れて剣の傍に落ちた。

 指が土をかいて剣に近寄ろうとしている。

 再び剣を握ろうとしている。凄まじい執念だ。

 隼人は高野の胸に魔倒丸を突き刺した。

 心臓を刺しつらぬいた。なんのためらいもなかった。

 高野は鬼島が消滅したのに、まだ人間にもどっていなかった。

 高野は人間の血を吸った。吸血鬼になっていた。吸血鬼としてこれから生きるよりも、死んだほうがいい。首を切り離した。族の仲間はこの展開に仰天している。

 ケントが高野にしがみついて泣いている。ケントはなにもしらない。RFにもなっていない。まっさらの人間だ。


 なにもわからないままリーダーの死を嘆いている。殺すも慈悲。という感情に隼人は目覚めた。〈おれは残酷な感情に支配されたわけではない。殺すも慈悲。悪に対して冷酷になれただけだ。敵は排除する。消去する。殺す。敵はなんのためらいもなく、殺す。敵であれば遠慮なく斬る〉

 隼人の剣に、非情さが備わった。


「逃げましょう。これ以上ことを荒立てるとはありません」

 夏子が悲しそうにいう。

「今日は、逃げてばかりいる」

 隼人はまだ戦いたい。不満をもらす。夏子が隼人の手をとって飛ぶ。

 族の連中には夏子の飛翔は見えていない。なにが起きたのかわからない。

 高野がジュワッと夕暮れのホノ明かりの下で消えていく。泡立ちながら霧散した。


 玲菜とケントがムンクの叫びの表情になる。溶けていく高野の遺骸を見ている。

 なにか、現実をはるかに超えたことが起きた。彼らの理解を超えたことが起きた。


 しかしこれで妖霧を断てば、かれらは吸血鬼の呪縛から解き放たれる。

 まだ人の血を吸っていないものは元にもどれる。

 夏子を悲しませてしまった。鬼島と高野。夏子の目前でふたりの吸血鬼が消えたのだから……。敵対していた吸血鬼だったが、同族のものであったことには、かわりはない。

 悲しかったろう。


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