第七章 隼人の愛の告白


 大谷石の地下採掘場跡に真紅のルノーを走らせていた。

 一夜が明けた。鹿沼土の寝床で癒された夏子は体力が回復していた。


「はやく雨野をたすけにいきましょう。母にも会いたい」


 そこにはだが鹿人が待ちうけている。昼でも暗い。

 地下百メートルを超える廃坑。

 大谷石を掘りだした跡の迷路のような廃坑。地下道がからみあっている。もともと自然に存在していた洞窟をつないだ道だ。人間が迷いこんだら出てこられない。


「人外魔境の迷路なのよ」


 大谷。大夜。大いなる夜の一族の牙城にふたりはのりこもうとしている。そこが文字通り、吸血鬼の牙城だということを。いまは知ってしまったぼくだった。


「夏子を、なつかしく想い、一目で好きになった理由もこれでわかりました。ぼくらはつながっていたのですね。後ろ姿だけなのに。浜辺の少女が好きですきで毎日のように美術室のポスターを観にいっていた。だから、ふいに現れた夏子に魅かれて。……それが浜辺の少女だとすぐにわかって……」


 愛の告白だった。生きて帰れないかもしれない。じぶんでもそれが愛を打ち明けているとは思っていない。男と女の喜びを共にしたふたりらのに――。

 なんど愛しているといっても――このまま夏子とわかれてしまうようで、いいたりないのではないかと不安だった。


「血のながれとは不思議なものね。その剣で切ってもらえば……。わたしも父のように、死ぬことができるのかしら」


 不死のものの、寂しい声で夏子がいう。

 ぼくは〈愛〉を想う。

 夏子は一瞬〈死〉を思った。



 大谷街道に妖霧が吹き寄せてきた。周囲の丘や谷、窪地から。ルノーめがけて霧が吹き寄せる。まるで活きているようにながれ。渦を巻き。車の進行をはばむように。しのびよってくる。

 夏子がハンドルをにぎるぼくの腕に触れる。運転のじゃまにならないようにそっと手を重ねる。ぼくの意識が、夏子のこころに吸いこまれていく。その意識は夏子のこころからぼくのところにもどってくる。

 夏子とぼくがひとつの精神の回路で結ばれる。ふたりのこころがひとつになる。

 ムンクの浜辺の少女は、みずからも画家になる夢をみていた。夏子からもどってきたこころがそう伝えている。


「ああ、わたしも絵を描きたい。わたしも、早く、美しいものを生み出す側に立ちたい」


 北欧の石造りの街だった。石畳の道だった。故郷鹿沼も、大谷石の蔵や、塀が街のいたるところにあった。

 夏子は故郷鹿沼わ想いながら散策していた。そんなとき、ムンクに声をかけられた。


「わたしのこころにある、北欧の町の建物。石造りの家に住む、あのひとたちのよろこびや苦悩。特に、ムンクの苦しみを絵にしたいわ」


 放浪した街で会った芸術家を志す若者たちへの、夏子の想いが、ぼくのこころにながれこんできた。清らかな感情だった。

 ぼくらの時間はまだ始まったばかりだ。これから、ふたりの夢を実現するために生きていきましょう。いつも、一緒に夢に向かって生きぬく。前だけを見て、生きる。ぼくの想いが夏子のなかに注ぎこまれる。

 ルノーのルーフになにか衝撃があった。おおきな翼が風をたたいている。夏子が顔をひきつらせた。


「おでむかえよ」


 ばさっと、巨大な蝙蝠がフロントにへばりついた。とがった口。小さな目。ピーッという音。


「敵ではないわ。もどれ。大谷へはくるな。大谷へはこないほうがいい。といっているのよ」


 夏子がぼくに伝える。


「兄のRFのなかにも、わたしに味方してくれるものがいるのね」


 夏子がうれしそうにため息をつく。


「ごめんなさいね。わたしは、どうしても雨野を助けだしたいの。仮死のままの母にも会いたいのよ。……せっかく警告にきてくれたのに。ほんとにごめんなさい」


 蝙蝠はあきらめて飛び去った。


「いくわよ。油断しないで」

 フロントに吹きつける妖霧はさらに濃くなった。ライトをつけた。空には暗雲が渦巻いている。あたりが暗くなった。雨粒がひとつぶ、フロントにあたった。その雨滴が窓枠の下まで落ちてくる。みるまに視界は雨の簾で覆われた。北関東名物の雷雨となった。


「危なくなったら、隼人は逃げて。わたしは死なない。死ねない体だから。だから心配しないで、わたしを置いて、逃げて。ここでそれを約束してくれないと。そうでないと……。これからいくところの、怖さが分かってもらえないようで心配だわ。わたしも隼人を連れていけなくなるから。わたしは……隼人に死なれたくない」


 夏子が唇をよせてきたて。さわやかなミントの香りのするキスだった。

 ぼくの恋人は夏子。ぼくの恋人はvampireのお姫さまだ。ぼくは異界に迷いこんでしまっている。

 ああ、このままでいい。ぼくは夏子を愛している。どんなことがあっても、離れ離れになるのは。いやだ。いつも一緒にいたい。ぼくは夏子といつも行動を共にしたい。

 ぼくは熱く燃えている。夏子は冷やかに燃えていた。



 採掘坑跡に着いた。廃坑の入り口から生臭い匂いが吹きだしている。


「約束は忘れないで」


 いくわよ! という気合をこめて、暗黒の洞窟に夏子がとびこむ。 

 闇の奥から腐臭がじめじめとふきよせる。小動物の死骸が通路にころがっている。周囲は大谷石だ。ジワッと湿気をおびた邪悪な気配が毛穴からしみこんでくる。それを全身で感じる。ぼくは身動きがとれない。はずだった。ふつうの人間であったら。ところが暗闇でもかなりよく目が利く。夏子のチクッとした一噛みを首筋に受けたからか。

 府中橋の手前、夏子に追いすがったときに感じた首筋の痛み。あのとき、一噛みされたのだ。夏子の精気も吸収した。あらたな能力に目覚めた。目覚めつつある。ingだ。進行形だ。


 これからもどんな能力が新たに芽生えるか。ぼくにもわからない。


「わたしの血と隼人の血がまじりあったのよ。いよいよ効いてきたのね」

 チクッと首筋に感じた痛みを思いだしていた。

「すごく強くなったようだ」

「吸血鬼マスターとしてのわたしの父の純血と、わたしの母の血。隼人の遠い祖先の血が混血したの。まだまだパワーアップしていくわ」

「それで夜目がきくのか。暗闇でも物が見える」

「いいとこ取りって感じね」

「どう戦えばいい」

「血のおもむくままに」 

「それなら任せておけ。おれの血を吐く修行。死可沼流の剣の技を鍛えてきたのは、この日のためだったのかもしけない」

 興奮している。ぼくが〈おれ〉になっている。そして、じぶんを隼人とつきはなして考えられる。進化したのだ。


「きたわよ。ここがエントランス」


 ギョッとして構える隼人。

 夏子があわてないでといった顔でおれを見る。


「通させてもらうわよ」 


 夏子が闇にむかって挨拶する。


「門衛がいるのよ。赤外線カメラみたいなものよ。吸血鬼しか通れないの」

「おれは……血が混ざりあっているから。混血種だから……おれは通さない気なのか」

「そんなことはないわ。わたしより、隼人はさらにあたらしいタイプになるわ。でも、これから先は、むりして通過しないと――」


 ざわっという不気味な音。吸血蝙蝠が襲ってくる。おれは虚空に剣を振るった。

 どんなことがあっても、全身全霊で、おれは夏子を守る。愛する夏子を守る。

 蝙蝠のほうからギーとういう陰気な声をあげて剣に群がってくる。

 夏子を守りぬく。剣が虚空を切る。蝙蝠がばたばた落ちてくる。

 切られても、死に切れずに不気味に鳴いている。


 

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