第五章 骨肉の争い


「兄さんこそ、なにをやろうとしているの。わたしを襲うなんて……。あいかわらずイジメっ子ね。妹をいじめて、そんなにたのしいの。卑劣だわ。どこまでわたしをいたぶったら気がすむの。ごていねいなお出迎え、ありがとう」


「この鹿沼を支配したものが日本を統べることになるのだ。この県を統括することが。日本を束ねることになるのだ。故郷を留守にしていたラミアにはわからないのだ。近い将来、那須に首都機能が移転されることになるだろう。栃木県から初めての首相が誕生するだろう。その前に、おれはこの下野の地を統括する」


「だから? だからそれがどうしたというの」


「わからないのか。この土地を手中に治めたものが、日本を支配する。おれは闇の帝王になれるのだ」


「かわっていないのね。鹿人兄さん。兄さんは……。人間を支配することばかり考えている。共に生きる道があるというのに」


「むだだったな。世界を遍路したことが――。なんにもなっていない」


「わたしは故郷鹿沼の土の寝床で。しばらく眠りたいだけなのに」


「嘘だな。なにを企てている」


 雨野が剣を風車のようにふりまわし鬼島と戦っている。


「爺、ムリしないで」


 夏子とぼくは囲まれていた。じりじりと吸血鬼が迫ってくる。


「なぜ、襲うの。兄妹で争うことはない。わたしは家から出たのよ。追放された身よ。いまさらなにを企てるというの」



 夏子の悲しみがぼくのこころにしみこんでくる。

 夏子は兄と戦いたくない。

 夜の一族からは追放され、一世紀にわたってヨーロッパを放浪してきた夏子だ。その夏子、妹のふいの帰還。掟により追放された妹を、表向きは歓迎できないとしても、襲撃することはない。だが、兄が指揮して、故郷に着いたばかりの夏子を襲っている。

 夏子は悲しんでいた。


「わたしの庭からでていって。あなたたちがいるとバラが枯れるわ」


 吸血鬼はむかし神の庭園の庭師だった。あるとき、バラの棘に刺された。ふきでた血をうっとりとすすっていたのを神にみとがめられて天国から落とされた。堕天使なのだ。そんな伝承がある。夏子はバラを愛するが、ほかの吸血鬼はバラを忌みきらっている。

 バラさえなければいまも天国にいられたのに。天国の美しい庭の園丁で優雅に暮らしていられたのに。――バラの花を憎んでいる。


「争うことはないのよ。わたしはバラの世話でもして。静かにここで暮らしたいだけなの」

「嘘だな。なぜ帰ってきた」


 さきほどと、同じ返事を夏子はした。

 鹿人がさらに間合いをつめてくる。

 鉤爪が光っている。

 夏子の髪がのびる。

 10万本あるという女の髪が。鹿人たちにからみつく。


「帰って!!。ここからでていきなさい」


 夏子が人差し指を真っすぐ鹿人にむけ「おゆきなさい」と叱咤する。

 鹿人はさらに間合いをつめる。どうしても夏子を襲う気だ。爪がぶきみに、さらにのびる。ナイフのような凶器となっている。


「うわあ。これはなんだ」


 まさに夏子を襲うためにさいごの間合いをつめた鹿人とその従者が。おどろきの声をあげた。


「力がぬけていく」


 体に力がはいらない。


「ラミア。なにをした」

 


 髪が触手のように鹿人をとらえている。

 鹿人の顔が夏子の髪に埋もれている。

 黒髪がバチッと光る。青白い光がとびちった。青白い光は髪の先に走る。そこに髪にとらえられたものたちの顔がある。日がかげり、あたりは薄闇になっていた。夏子の庭を闇にしたのは鹿人の能力だろう。薄墨色の闇の中でスパークは美しく光った。

 夏子には芸術的感動が蓄えられている。それが夏子の生きるエネルギーになっている。

 それは人の心を浄化する。芸術を志す若者に精気をあたえる。美の精華をつたえる。

 だが相手は吸血鬼だ。人外魔境のもの。人にして人ではない。不死のものたちなのだ。

 人を至福の芸術のよろこびに誘うエネルギーは。吸血鬼には死の苦痛をあたえる。人の苦しみを糧として生きる。血を吸って生きるものたちが。顔をゆがめて叫び声をあげている。


「みなさんわたしのバラ園から出ていってくださる」

「やめろ! やめるんだ。話し合おう。ラミア」


 鹿人が夏子の髪に引かれてよろける。それはみせかけだった。よろけるふりをしながら。背後のものにサインをだした。


「ひきょうよ。なにする気」

 夏子がすばやく気づいたが……。


「ひきょうは、覚悟のうえだ」

 鹿人の顔が冷酷な笑みをたたえる。勝ち誇ったように哄笑する。 ……雨野が捕らえられた。剣をうばわれた。高野に白刃を喉元に当てられている。高野はおぞましい顔で不敵に笑っている。暴走族のリーダー。いまは吸血鬼の従者。レンフイルド。RF。疑似吸血鬼。


「レンフイルドの雨野京十郎でも。首をはねられれば、あとかたもなく土にもどる。ふたたびこの世にあらわれることはない。どうするラミア。この髪を解いてもらおうか」  

「雨野を楯にとるなんて。どこまで卑怯なの」


 隼人……頼むわ、すきをみて、雨野を助けてあげて。夏子の声なき声がぼくのこころにひびく。ぼくは動いた。それを田村がはばむ。田村の胸の傷はあとかたもなく消えている。

 いまは上半身むきだしだ。


「逃がさんぞ。まだ決着はついていない」

 鱗状の上半身もあらわに迫ってくる。ぼくは焦った。木刀で胴に切りこむ。ばんと横に払った木刀がはねかえる。さきほどから同じことのくりかえしだ。いくら打ちこんでも、突いてもまったく効果がない。ガチっとこんどはナイフで受け止められる。


「兄さん。雨野をはなして――」

「いやだね。そちらが髪を解くのががさきだ」

「ヒキョウヨ」

 夏子の髪が吸血鬼の戒めを解く。髪の拘束から解放された吸血鬼の集団がさあっと撤退する。雨野は高野に捕まったままだ。


「卑怯だわ。だましたのね」

「なんとでもほざけ。雨野はあずかった」


 よろけながら鹿人が逃げる。ぼくは追いすがる。鹿人の姿が門の外に消えていく。



「夏子、追いかけよう」

「よして。」

「さっきは、助けてあげてと……」

「もう、間にあわない。追いつけないわ。でも、行き先はわかっているから」


 夏子は鹿人の消えた方角をくやしそうに睨んでいる。遠くでバイクの音がひびいた。

 夏子がよろめく。立っているのがつらそうだ。乱れた髪がゆらいでいる。息もたえだえだ。細くひきつるような呼吸をしている。それでも、言葉をつむぐ。


「くやしくて泣いてるの――。夜の一族なのに、血を吸えないのは、わたしの罪なの。血を吸えないだけで。どうしてこんなにいじめられるの。ねえ、答えて隼人」

「夏子。いまはなにもかんがえないほうがいい。こころが乱れているときは。なにをかんがえても悲観してしまう。悲しくなる」

 夏子の髪が光沢を失う。色褪せる。


「あまり見つめないで。わたしが、おばあちゃんだってわかってしまう。消耗がはげしすぎたのよ。夜の一族と戦うと、こういうことが起きるの。……同族間の闘争をいましめるスリコミかしら」

「夏子。おねがいだ。ぼくの血を吸ってくれ。それで元気になるなら、ぼくの血を吸ってくれ。夏子、すきだ。愛している。ぼくの血を吸って元気になってくれ」

 淡々とした口調でぼくはいう。それは死を賭けたことばだ。血を吸われれば死ぬかもしれない。

「うれしい申しいれね。ありがとう。でも、いってるでしょう? わたしは、……血を吸えないバンパイァなのよ」

 夏子が悲しそうにいう。夏子はいまぼくににすべてをさらけだしている。

 心の痛手も。

 悲しい宿命も。

 素直に言葉にしている。じぶんにささやきかけているような声だった。顔だけではない。首筋から手首まで青白くなっていく。


「ぼくの血を吸って。元気になるならぼくの血を吸ってくれ。ぼくはどうなってもいい。遠慮しないで、さあどうぞ……」


 夏子とならどうなってもいい。夏子のそばにいられるならぼくはどうなってもいい。

 なんでもしてやりたい。助かってほしい。

 ぼくらは知りあったたばかりだ。これからふたりで生きていくのだ。元気になってくれ。

 夏子が元気になるためなら。夏子の笑顔がみられるのなら。

 ぼくはなんでもする。

 どうしたらいいのだ。

 なにをしたらいいのだ。夏子。ぼくにできることを教えてくれ。なんでもしてあげる。

 このまま、なにもしないで。夏子が衰弱していくのを。じっとみてはいられない。


「ほんとうなの。わたしは拒血症なの。血を吸ったから元気になるなんてことないの」


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