第三章 暴走族/バンパイア



 男だけの暴走族〈バンパイァ〉だ。ここは元々は鹿沼の暴走族「人狼」のたまり場だった。宇都宮のバンパイアに吸収合併されていらい彼ら共通の隠れ家だ。いまだに未練があるのか「人狼」のジャンパーを着ているものがいる。

 

 倉庫のすみで立ちションする。だれもとがめない。汗とガソリンと尿のいりまじった臭いが強烈だ。それでもここは、頼りになる場所だ。ほかの族にはこのアジトは気づかれていない。この秘密基地はおれたちだけのものだ。いちばん安心していられる場所だ。飲み食いは、ヨーカ堂がすぐそこだ。金さえあればなんでもかえる。弁当も売っている。飲みものもなんでもある。

 

 それなのにこの渇きはどうしたことだ。飢餓感。高野はヒリヒリ乾く喉元に手をあてた。なにかがたりないという感じだ。族だからアウトローだ。ほかの若者とはちがう。普通ではない。クレイジィだ。ところが、ほかの族仲間ともどこかちがってきた。族のライダーたちも薄気味悪がっている。


 かわったのは、リーダーの高野だ。



 あの日からヘンになったのだ。感覚がアブノーマルだ。異常だ。毎日すこしずつおかしくなっていく。

 高野は鬼島に噛まれた。

 ……なにかおかしい。首筋から血を吸われた。もともと〈バンパイァ〉なんて名乗っている族だ。でもほんとうに吸血鬼がいるなんて、だれも信じてはいない。

 

 おれはほんものの吸血鬼に噛まれたのか。

 高野は宇都宮のオリオン通りを歩いていた。

 通りのはずれのマンションでは拳銃男が立てこもっている。警官とプレス関係者が街にはあふれていた。とてもワルサなどしていられない。


 オリオン通りをぶらぶら、ひとりで巡行していた。東武デパートの手前の路地に入った。暗闇から手がのびてきた。路地の奥に引きずりこまれた。ふいに噛まれた。さからう間もなかった。圧倒的なパワーを持った腕で押さえこまれた。いま目の前にいる鬼島に噛まれた。


 あのときからおれはかわった。



「ナンスんだよ。鬼島さん」


 ケントがわめいている。


「ケント。そこまでだ」

「だってよ。リーダーをなぐることはナイスヨ」


 鼻血がでた。高野はそれを舌でなめた。ぞくっとした。ねっとりとして塩気があった。汗と血の味。ウマイ。ゆらいでいる。ゆらいでいるのは高野の体だ。

 廃屋といってもいい。長引く不況でがらんとした倉庫。

 バイクごと逃げ込んだ。何人かはルノーを追いかけていった。


 この倉庫は高野のたばねる〈バンパイァ〉の巣窟となっている。

 おれは、どうやらほんもののバンパイァになっていく。こんなことが起こるなんて信じられなかった。だいいち、この世にバンパイァが存在するなんて信じているものはいないだろう。

 のどが渇く。

 渇く。

 ひりひりする。

 これで血を吸えば、おれはバンパイァになる。

 ケントたちにはなにもいっていない。仲間はなにも知らない。気づいていない。

 めまいがふたたび襲ってきた。


「いままでドジったことはなかった」


 サブのケントがいう。


「女のほうが、おかしい。ときどき体が浮くように見えた。浅田真央がジャンプしているようだった。四回転くらいしていたよな」

「イイ女だった。おれの女にしたかった」


 ケントがワイセツに腰をシコシコと前後にゆする。おちこんでいる高野はだまりこむ。

 おれの剣をかわしやがった。さすがだ。噂どおりの男。皐隼人。こんどは逃がさない。シトメテやる。憎悪の炎がめらめらと燃えあがった。

 また鼻血が垂れる。

 舌でなめる。うまい。

 田村がにやにやしながら高野を眺めている。鬼島が田村を目でうながす。田村が寄っていく。


「このままでは帰れないな」

「でも、どうしてラミヤ姫があらわれたのだ」

「予想もしなかったことだ。鹿人さまに、処刑されるぞ」

「やだよ。そんなの」


 田村がおびえる。


「灰にされるかもな」

「おどかすなよ」


 想定外のことが起きている。指令どおりにことを運べなければ、消されてもしかたない。まさか、ラミヤが現れるとは。噂のラミアだ。マスターの部屋に写真が飾ってある。毎日、眺めていたラミヤだ。そり実物が現れるとは――。



 高野の携帯がなった。

「おれだ」

 ルノーを追いかけていった仲間からだった。

「高野さん。フジヤマの裾、皐月カントリー倶楽部のあたりで見失いました」

「ようし。そこまでわかれば、ジョウトウダ」

「姫の逃亡先がわかったのか?」

 鬼島が機嫌をなおした。

「フジヤマの周辺にまちがいないな」


 倉庫の裏口に高野の姿があらわれた。後ろ手に扉をそっと閉める。

 小さなカタッという音がした。チームのものは、11時まで営業時間を延長したヨーカ堂で。50%引きの弁当やドリンクをかってきた。

 勝沼産の赤ワインを高野も飲んだ。ラミヤの所在がわかった。鬼島がゴキゲンな万札を何枚もヒラリとおいていった。

 高野はまた血をなめた。もう鼻血はかたまってしまった。

 なにかものたりない。

 血をすすってみたい。

 赤ワインを飲んだ。

 これが血だったら、もっとうまいはずだ。

 これが血だったらと思っただけで体がふるえてきた。

 たまらず倉庫をそっとぬけだした。


 ヨーカ堂の駐車場を若い女があるいてい。両手に不透明なレジ袋をさげている。

「重そうですね。もってあげましょう」

 ふいに荷物をうばわれた。キョトンとしている。口をぱくぱくさせている。声はだせない。女は高野を見ただけでふるえている。たのしい。女は泣きだしている。恐怖にすくんでいる。たのしい。

「こわがらなくていいから」

 高野はたのしんでいる。女は両足の間から湯気をたてている。

 失禁してしまった。

「こわがらなくていいから」

 高野は女をかかえて駐車場の隅の暗闇に誘う。だれにも見られていない。女はおびえている。逆らう気力もない。逆らっても、この高野の凶暴なパワーからは逃れられない。泣き叫んでもムダだ。誰も助けにきてはくれない。運命だ。とあきらめている。


 それでは、ものたりないんだよ。もっとこわがってくれよ。それではね、おもしろくないよ。もつと泣き叫べ。命乞いをしろ。子羊のようにおとなしい。屠殺場につれていかれる子羊のように、運命に従順すぎる。


 もっと叫べ。叫べ。もっと泣け。泣け。抵抗してみたら。死の恐怖にふるえているだけだ。それではおもしろくな。


 高野は女をひきよせた。


 腕の動脈にかぶりと噛みついた。暗いので視認はできない。真紅の血が噴き出し高野の、喉元や、顎にこびりついている。血液をなめて、そしてたっぷりと――。新鮮な血を吸った。どくどくと喉を鳴らして女の血を飲んだ。殺しはしない。適当なところで吸血はやめた。それでは、まだ喉の渇きはいやされない。


 高野は河川敷を歩きだした。口を真っ赤に染めたまま――。

 捕食する獲物をさがす。

 すぐに目に入った。高校生が川に面した木製のベンチでいちゃついている。


「コンバンワ」


 声をかけても夢中でキスしているので気づかない。高野はカブっと少女の襟首に噛みついた。少女は悲鳴をあげた。断末魔の悲鳴だ。楔のようにのびた犬歯を首筋に深く打ちこんだ。ドクっと血があふれる。

 いっきに吸血行為にはげむ。


 新鮮でうまい。


 少年が健気にも高野につかみかかってきた。

 高野の腕のひと振りで少年は流れの中央まではねとばされる。

 なみの力ではない。おれはまちがいなくパワーアップしている。

 少女の血はうまい。おびただしい血。少女の血が高野の喉に流れこむ。

 闇の中で血は香ばしい匂いをたてている。

 この先ももっと大量の血を飲みつづけたい。

 少女は血をすわれながらあえいでいる。

 

 これでおれは、まちがいなくバンパイァとなった。

 おれはもう夜の一族だ。

 バンパイァだ。高野は不敵な笑みをうかべていた。



 ぼくがめざしたのは〈赤いつた〉の邸宅だった。

 壁に這った、つたの葉は赤かった。壁は白煉瓦。明治時代の西洋館。

 昨夜夏子を送りつけた家にたどりついた。


 夏子とわかれぎわに唇をあわせた。ファスト・キス。

 なにかが吸いとられて、なにかが吹きこまれている快感。

 それは絵を描きたいというぼくの芸術意欲を吸いとり、さらにその意欲をボルテージアップして夏子が吹き返してくれている快感だった。

 

 唇はひんやりと冷たかった。

 キスには情熱がこめられていた。

 身も心もとろけるようなキスだった。陶酔した。

 離れるのがつらかった。

 ひんやりとした夏子の唇の感触が。

 夏子の家にむかっているぼくの唇にある。

 夏子のことを思っただけで胸の動悸が高鳴る。

 すきだぁ。夏子のことすきだ。

 おれの恋人はバンパイァだぁ。と、こころのなかで叫んだ。

 夏子はたぶんバンパイァと呼ばれることをいやがるのだろう。

 照れ屋のぼくにやっと恋人ができた。それも会ってすぐの。一目ぼれの恋人だ。

 A BOY MEETS A GIRL. そして恋におちる。こんなことがおきるとは夢にも思わなかった。


 会ったとたんの恋人宣言。はじめから、夏子の素性はあかされていた。それでも、好きだ。夏子がなんであれ、好きだといことには、かわりない。


 夏子の邸宅は、街の西南の地。鹿沼富士の裾野にある雑木林の奥にあった。隣接して五月カントリー倶楽部がある。なんども通った道のような既視感があるのは夏子の記憶がぼくの脳にプリントされたからだ。


 大谷石が二段ほど重ねられ、その上に鋳鉄製の槍のように尖った柵が構築されていた。無粋な防御壁にとりかこまれている。それほど敵襲を警戒している。だが、柵には色とりどりの薔薇がからみついている。風情がある。周囲の森林の風景にとけこんでいる。


 襲撃にあったあとだ。

 ぼくは木刀を身にかくして門をくぐった。

 ちらりとみた表札は、雨野京十郎と時代がかったものだった。


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