第二章 RFと夏子とのバトル
1
鬼島がナイフをかまえる。夏子は、ぼくと背中合わせに立つ。
この美少女を守ることができるのだろうか。たとえナイフであっても、刃モノで攻撃してくる敵に直面するのは初めてだ。二人を迎え撃つ。命をかけても夏子は守る。頭がくらくらするほど興奮していた。
「あらあら、たいそうなお出迎えね」
ところが、夏子は余裕の声で、鬼島に声をとばす。
鬼島の手にしているのは大型のバタフライナイフだ。
銀色に光っている。ナイフを振っている。金属のこすれあう音がする。
威嚇するために、チャカチャカと音を加速させる。間合いをつめてくる。
アロハ男の田村のほうは冷酷な顔で夏子とぼくをにらみつけている。
「たいそうな歓迎ね」
「もどってきてはいけなかったのだ。ラミヤ姫」
夏子はラミヤ姫と呼びかけられた。
えっ、どうなっているのだ。
夏子は吸血鬼のお姫様なのか。
長い黒髪が夕風にたなびいている。たしかに、美しいだけではない。品性がそなわっている。ぼくには、想像もできない異界で育った夏子と、いまこうしている。
「よくごぞんじだこと」
「永久追放のはずだった」
「どうして、わたしがもどってくるのがわかったの」
二人の男の青黒いうろこ状の肌が光っている。
鬼島に夏子が問いかける。返事はない。
「あんたらに、とやかくいわれるスジはないのよ。鹿人(しかと)兄さんの指令かしら」
ラミヤ姫と呼びかけられた夏子が高らかに哄笑した。
宵闇がせまっていた。
「暗くなるほど、この娘は力をますぞ。はやくかたづけようぜ。田村」
鬼島がアロハ男に呼びかけた。
参戦するように叫びかけられた。田村は動かない。
鬼島はナイフを両手ですばやくさばく。
交互にもちかえる。
フェイントだ。
夏子がひく。
さらに後にすさる。
ナイフの動きを見極め、ぼくは夏子と鬼島のあいだに割って入ろうとしているのだが、そのスキがみいだせないで、焦った。
鬼島は切りつけるのがむずかしい。困難と悟る。
夏子の動きは敏速だ。鬼島はナイフを夏子の胸になげようとしている。
「銀のナイフでもわたしは傷つけられないわよ」
夏子のあまりの冷静さに、ぼくは不安になる。
「夏子さん」
「夏子でいいわよ」
斜陽の最後の光矢が彼女の顔を照らした。
そして薄闇に反転した。
攻撃する鬼島も、夏子もこの一瞬を逃さなかった。
シュッとナイフが風を切る。
夏子は巨大なコウモリ翼に体をたくす。
リアルに目撃したわけではない。ぼくにはそのように察知できた。
ナイフは空をなぐ。
夏子は中空を飛ぶ。
ばさっと羽ばたきすら聞こえてきた。夏子は水槽タンクの上にいた。
「そこから隼人、見ていて。わたしの動きが見えるようになってね。わたしのことなら、心配いらないのよ。わすれたの? わたしは死ねない女なのだから……」
ああ、夏子のアンリアルと思えた話は、ほんとうだったのだ。夏子は吸血鬼だった。その事実を知って、思わず身震いしてしまった。ぼくをからかっていたのではなかった。そこまではみとめられても、目前の彼女の動きはゲームの世界の出来ごとのようだ。
夏子の動きは煙っている。よく見えない。
吸血鬼ムーヴイングなのだろう。ゲームで覚えた用語をフルに活用して彼女の動きを見つめた。「吸血鬼アドベンチャー」ゲームをやっていて役に立った。
凄まじい速度で移動する。
小さな竜巻のようだ。なみの人間にできる動きではない。
鬼島が夏子のまわしげりでふっとんだ。手からナイフも床に落ちた。
「田村!!」のんびりと眺めているだけの田村に、床にころがった鬼島が叫ぶ。
アロハ男の田村がしぶしぶ拳銃を夏子にむける。
「姫。ブスイなモノで許してください」
「無粋と承知ならやめたら」
拳銃で威しながら田村はナイフをひろいあげる。
屋上に常夜灯がともった。
田村がナイフで夏子の首筋にななめに切りつける。
夏子はとびのく。
夏子の髪がたなびく。その髪の先が切られた。
夏子の苦鳴がぼくの胸にひびく。髪の先まで神経がとおっているのだろうか?
夏子を助けなければ。ようやく、動けるようになった。
田村の手にあるナイフをぼくは足でけった。ナイフが中空にはねあがった。
おちてきたナイフを受ける。田村の脇腹につきたてた。
しかし、血はでない。緑の体液がかすかににじんだ。
「レンフイルド。兄さんの従者たちも死なないのよ。放っておけばいい。すぐに再生するわ」
ナイフを手にあえいでいるぼくにかけられた言葉だ。
ひとを刃物で刺して、ぼくは興奮していた。
だが、彼らをヒトといっていいのか。
2
「ああ、故郷にかえってきたわ」
RFとの戦いなど夏子には危機としては感じられないようだ。
夏子がため息をもらす。
清らかな横顔だ。
「ここは退きましょう。ホテルにでも泊まってヨーロッパの思いで話しをしてあげたかったのに。……それからこの川がまだ黒く濁っていたころのことを。……でも、いやな介入者がいたのでは危険よね」
ホテルに泊まって、といわれてぼくはうれしかった。だがその言葉が、ホテル――ベッド――セックスと連想を呼ぶ。ふつうの男としての当然の反応。健康な男が女性に抱く欲望がわきあがった。股間がモッコリチャン。こわばった。
ドギマギしたが。夏子に誘われているようで、うれしかった。そして夏子にたいしてふいに激しく欲情した。夏子の黒々としたカゲリをかきわけて……。そんなことを思うじぶんは不潔で、いやらしい男だ。お姫様に欲情するなんてどうかしている。ぼくは、反省した。
まだ会ったばかりなのに。そんないかがわしいことを妄想しては夏子に失礼だ。だが、夏子とはながいことつきあってきたように感じた。
「また襲ってくることは、ないですか」
妄想を打ち消すようにぼくは少し声を荒げた。
「それはないと思う。あのれんちゅうには、わたしは倒せないとわかったはずよ」
「刺客をさけるために、うちの道場にいこう」
「ありがとう。でも、長いこと留守にした家があるの。あす訪ねてきて」
ぼくは車で夏子を送ることにした。
3
ヨーカ堂の駐車場にルノーを止めてある。
肩をつけて、並んで急いで歩いた。恋人どうしの散歩に見える。
まちがいなく恋人どうしだ。会ったばかりなのに、心がかよいあっている。
ぼくの心は高鳴り、頭は夏子への恋心でぼうっとかすんでいる。
ああ、夏子が欲しい。欲しい。だれでも恋人ができると、あからさまに彼女とのセックスを妄想するのだろうか。それとも、ぼくが直情径行な性格なのか。はっきりいえば、スケベの、ゲスの極みなのか。こころが卑しいのか。
黒川の川音さえ遠のいた。二人だけの世界に晩夏の風がそよいでいた。
川の堤の桜の群葉が揺れている。
隼人には疑問がのこっていた。夏子の帰還をなぜ彼らが知ったのか。夏子には鹿人という兄がいて、二人の間には確執が在る。兄妹でなにか争っている。
「わたしにもわからない」
それが夏子の応えだった。こころをよまれていた。ぼくが夏子とセックスしたいと情慾に悩まされているのもリーデングされている。はずかしい。そう思うと顔がほてった。
まだ薄明るい。暮れなずむ街に灯がともっていった。
それをまるで待ってでもいたようだ。
さきほど胸をときめかせながら夏子に追いすがった停車場坂のあたりだった。
ふいにバイクの音がひびいた。
ドロドツトンドドドとなりひびくエンジン音。
まちがいない。ハーレーダヴィッドソン1200ccの轟音だ。
ハーレーを先頭に、ホンダ、カワサキのバイクが疾走してくる。
急な坂を暴走族の一団が下ってくる。
「くるわ。あきらめなかった。しっこいのね」
車止めの細いポールをひきぬいた。鎖がついていた。それをぐるっと手首にまきつけた。汗ですべるのをふせげる。
夏子とぼくは走りだしていた。駐車場までいますこしだ。トラブルは避けたい。だが、止めてあるルノーのところまでは到達できなかった。追いつかれた。バイクに囲まれた。
郷土資料館の裏に宵闇が青くよどんでいる。
バイクが迫ってくる。轟音をあげてふたりに迫る。
ぶちあたって、はねとばす気だ。全身が凍るような恐怖を感じた。おそろしいのはもちろんだが、怒りもあった。体が小刻みにふるえている。すぐに追いつかれた。
バイクが迫る。
身をかわした。
ポールをライダーに叩きつけた。
男はふっとぶ。
バイクだけが独走していく。
つぎのバイクがきた。
跳躍してやりすごす。
普通ではかんがえられないほど。
高く飛んだ。
夏子も飛翔していた。
ふたりは空中で手をとりあった。
おどろいたことに、横に滑空した。
夏子だけなら滞空時間はもっと長かったのだろう。
ぼくが重荷になった。
4
着地点に田村と鬼島がいた。
「あれですむと思ったのですか。ラミヤ姫」
「あなたたちでは、わたしは倒せないわ」
ぼくは夏子をかばう。
「おや、男のうしろにかくれるのですか。カワイイ」
鬼島と田村が声を重ねてからかう。
にたにた笑っている。
夏子を冷やかしてたのしんでいる。
囲まれてしまった。
バイクを止めた。族の男たちがふたりを取り囲んだ。
ほかの族の集団とはどこかちがう。
びみょうにズレがある。
薄気味の悪いライダーだ。
十重二十重とはいわない。
が、十人くらいはいる。
手に鉄パイプやチェーンを持っている。
けんかなれしている。
とくに、ハーレーをころがしているリーダーは、残酷なおぞましい顔だ。
アゴヒゲをはやしている。ヒゲの先が少しカールしている。目がドロントと濁っている。いっせいに、襲いかかってきた。
「やれ! たたき殺してしまえ」
夏子をただのか弱い女と思っている。
ぼくをただのやわな学生だと見ている。
なにも知らされないまま召集をかけられた族だ。
木刀で襲ってきたものがいる。
なかなかの太刀筋だ。
でも、なんなくかわす。スピードがない。
それでも、ピュッと風を切った。パイプが正面からくる。かわす。
チェーンがジャッと横から蛇のようにのたくって襲ってくる。
かわしきれず、ポールでハッシと受け止める。
金属音をたててチェーンがポールにまきついた。
ギギギギと金属のこすれるいやな音がした。
力まかせにぐいとポールをぼくはねじりながら引いた。
男はチェーンを放さなかった。弧を描いて中空に飛ばされた。
グニュと大地にクラッシュする。失神してしまった。
ポールを正眼にかまえる。息切れはしない。
乱闘にもひるまない。慣れてきたのだ。はじめてのケンカだ。
戦いだ。守るだけでは不利だ。
攻撃する。こちらから攻める。
そんなことを思うゆとりができた。
正眼にかまえた。族がドバドバと一斉に襲いかかる。
槍のように長いパイプがクリダサレル。避けた。
木刀が風を切る。
ピュと耳元をかすめる。
隼人はポールで受ける。はじきかえす。
こちらから攻撃するスキがない。
足を敵の木刀が襲う。跳躍した。
かかとで木刀を受ける。ダメージはない。
着地と同時に横に回転した。
じぶんのポールを敵になげつけた。
ひるむすきに、そいつのふところにとびこむ。
木刀をうばう。
木刀を手にした。木刀がある。
木刀をかまえる。自信がふつふつとわきあがる。
「あっ、こいつ皐道場の皐隼人だ」
木刀の切っ先を地面におとす。地摺りの構え。
いまどきの道場剣道ではゆるされていない、薩摩示顕流と同じ構えだ。
独特のかまえに気づいたものがいた。
族の猛者たちがざわついた。
中学で剣道部に所属してから無敗。
全日本高校剣道大会での優勝。そしてあっさりと引退。いまや、レ―ジェントとなっている皐隼人。
族のれんちゅうが浮足立った。
「かまわぬ、たたきつぶせ」
「道場剣法がどれほどのものか。見せてもらう」
抜き身をさげた男が前にでた。ハーレーのライダーだ。族のリーダーだ。
「高野、たたき切ってやれ」
田村と鬼島があおる。
ハーレーのライダー、族を束ねている男は、高野。
高野とぼくは睨みあった。タイマンとなった。
高野は月光に光る真剣を上段にかまえた。よほど自信があるのだ。
相手を威圧する喧嘩剣法であった。
相手をのんでかかる剣法であった。
振り下ろすとみせて横にないできた。胴切りにきた。
とても素人の太刀筋とは思えない。
鋭い。
速い。
修羅場をなんどもくぐりぬけてきた。
兇暴な切りこみにぼくはたじたじとなった。
真剣をもった敵と戦うのは、初めてだ。ナイフどころではない。
さすがに怖い。
恐怖が背筋を稲妻のようにはしった。
「きざむぞ。きざむぞ。あんたとはいちどはやってみたかった。うれしいね。うれしいね」
声でなぶる。
木刀で受けるぼくのほうが不利だ。
真剣にたいする根源的な恐怖がある。
かすっただけでも血がふく。痛みを感じる。
深ければ命にかかわる。
恐怖が筋肉の動きをにぶらせる。
後方に退く。切られる不安と戦う。
メンタルな面の弱さに、いま苦渋する。
死の恐怖を克服するのだ。
死闘とはもじどおり死を賭して戦うことだ。
ピュッと剣風が肩をおそう。
夏子も、駐車場のほうに追いこまれている。
その背後には倉庫群が暗くそそりたっている。
あそこに追いつめられれば逃げ場がない。
夏子は戦う相手が人間なので、気力がそがれている。
人を傷つけまいとしている。その配慮が災いしている。
高野の切っ先を背後にとんでかわした。
なんど後ろに逃げたことだろう。
防具をつけた、道場での戦いで、鍛え上げた剣の技だ。
避けることはできる。
退くことも可能だ。
だが打ち込めない。
気迫が不足している。
真剣が月光に冷たく光っている。
剣風あげて、ピュュと切りこんでくる。
それだけでも恐ろしい。
これも修行。
そう思うことで気力を奮い立たせる。
真剣で斬りこんでくる男を敵にしている。
負けるな。隼人。ぼくはじぶんを鼓舞する。
守るべき恋人がいるのだ。
愛しい夏子が危ない。
心を静める。
平常心がもどってきた。
すると、臭気を感じた。知覚できた。
ガソリンの臭いがしていた。
さきほど倒れたバイクからガソリンがもれているのだ。
使い捨ての100円ライターをとりだす。
パチッと点火させる。
炎がでているのを確かめた。バイクに向かって投げた。
青い炎がふきあがる。
とびのいた。
さらにとびすさって夏子に追いすがる。
炎はタンク部分にはいあがる。
爆炎がとどろく。バイクのライダーが叫んでいる。
両腕をあげて「チクショウ」とわめいている。
よほど高価なバイクなのだろう。
バイトをしてやっとかった自慢のバイクなのだろう。
「逃げるのかよ」
高野が追いすがってくる。
バイクが爆発した。
爆風で倒れたものがいる。
激しすぎる爆風におどろきながらも、ぼくは「夏子。車まで走れ」と叫ぶ。
バイクから高く炎があがっている。
類焼をさけるためライダーがバイクに飛び乗る。
命の次に大切なバイクだ。何台もバイクが炎を避けて走り出た。
おもいおもいの方角に走る。
逃げ遅れたバイクがようやく、炎のなかから走り出る。
バイクをおしているライダーもいる。エンジンをかける間も惜しんだのだ。
そのライダーの足元に焔の舌がのびてきていた。
デニムのパンツのすそに着火した。
「うわ。うわ。うわーつ」
恐怖の声をはりあげる。バイクが延焼することを恐れた。
バイクを横倒しにしたまま転がって逃げる。仲間が駆け寄って行く。
『人狼』というロゴ入りのジャンバーを脱いで男の足もとの火を包みこむ。
族の猛者たちは狂気の怒りを爆発させた。
バイクをうまく緊急避難させることに成功したものたちが、追いすがってくる。
ぼくはルノーにたどりつく。
エンジンはかかった。スタートさせる。
消防車のサイレンが、けたたましくひびく。
パトカーの赤色ランプ。一瞬おくれていたら、逮捕されていたろう。
すれちがったが、ルノーには注意をはらわなかった。
あの爆発だ。あの炎だ。
付近住民が119に連絡したのだ。
5
最後尾のライダーが倉庫に逃げ込む。
高野が重い扉を閉ざした。ここに隠れていれば、見つかる心配はない。
外には消防車がきている。サイレンや放水の音に混じって、人声がする。
「なんてざまだ。逃げられるとは」
セッナ。鬼島が高野にストレートをあびせる。
グシュと鬼島の拳が高野の顔を打つ。
グギャ。
高野はまさかなぐられるとは思ってもいなかった。
さけられなかった。パンチはもろに高野の顔面にヒットした。
血の霧が前面にわいた。
鼻血がドビーと、飛び散った。
暴走族のリーダーだ。
腕もたつ。
短気なのですぐ、仕込み杖をぬく。
その白刃でなんにんかキザンデイル。
狂犬だ。その高野が鬼島には逆らえない。
「ナンスだよ。鬼島さん」
「いんだ。ケント。ドジッタのは、おれの責任だ」
サブのケントが怒気をあらわにして、鬼島につめよる。
「いったいあんたらは、ナニサマのつもりだ。ここはおれたちのアジトだ。おれたち族〈人狼とバンパイァ〉のタマリ場だ。高野さんはおれたちのリーダーだ」
建物全体がゆらいでいる。
倉庫の中の薄暗い空間がゆがむ。
なにかおかしい。高野はめまいがした。
なぐられたからではない。なぐられたのは顔面だ。
脳しんとうをおこしたわけではない。
渇いている。
水を飲んでも。
カナディアンドライでも。
ビールでもこの渇きは癒されない。
喉が渇いている。
ひりひりとまるでアリが喉の粘膜の水気を吸いとりながら……。
這いまわっているようだ。
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