第56話・知りたい×気持ち

 美月さんの家にお邪魔した俺はリビングへと通され、そこにある四人家族用テーブルの椅子の一つへと腰を下ろした。このテーブルは最近購入したと美月さんは話していたのだけど、少し不思議に思った事がある。

 周知のとおり、美月さんは一人暮らしで家族は居ない。そんな美月さんがわざわざ四人家族用のテーブルセットを買ったのはなぜだろうと思ったからだ。

 俺が知る限り、美月さんは気まぐれでこういう物を買ったりするタイプではないから。

 結構ぽや~っとしていてるところもあるけど、その行動にはちゃんとした意味があるように感じるしな。

 でもそんな相手の心の内側へと無闇に踏み込む事が出来るほど俺は無神経ではない。ちょっと気になるところではあるけど、美月さんの生い立ちを考えると軽々しく詮索してはいけない部分だと思う。

 そんな事を考えている間に、可愛らしい子猫のイラストがついたエプロンに身を包んだ美月さんが次々とテーブルに料理を並べていく。その様をじっと見ていると、まるで新妻が一生懸命に作った料理を運んで来ているように見えてくる。

 俺は軽く新妻美月さんとの新婚生活を脳内シミュレーションしてしまった。


 ――はあっ……何て馬鹿な事を考えてるんだ俺は……美月さんのような才女が俺なんかに似合うわけないじゃないか。それに彼女が俺に優しいのも、好きだと言ってくれるのも、全ては気の合う友達としてなんだ。


 そう、期待なんてしてはいけない。現実はどこまでも冷酷で残酷なのだから。


「龍之介さん、どうかしましたか?」

「えっ? あ、いや、何でもないよ。これ、美月さんが全部作ったの?」


 美月さんの問いかけに思考の世界から戻ってきた俺は、目の前に並んだ料理を見て驚いた。


「はい、そうですよ」


 にこっと微笑んで頷く美月さん。

 目の前にはほかほかのご飯に豆腐とほうれん草の味噌汁、ベーコンエッグにほうれん草のお浸しと、とても美味しそうな料理が並んでいた。並べられた料理はどれも見栄えよく作られていて、味噌汁の芳しい香りと、ベーコンエッグの程よく焼けた香ばしい匂いが俺の鼻を通って空腹のお腹を刺激する。

 茜が作る料理のような派手さは無いが、この丁寧で素朴な感じが実に美月さんらしい。


「凄く美味しそうだね。それじゃあ、いただきます!」


 早速お箸を右手に持ち、ほうれん草のお浸しへと箸を伸ばす。

 口の中へと運んだお浸しは程よく下茹で処理されていて、その食感もさる事ながら、醤油と他の調味料との絶妙な混ぜ合わせで非常に美味しくなっている。さり気なく混ぜ合わされているすりゴマが味を更に引き立てていて、香ばしくもいい感じだ。

 それにお味噌汁は濃くも薄くもなく程良い塩梅。

 ベーコンエッグのベーコンは表面カリカリで、口に含むと中の肉汁と油が染み出るコンボ攻撃。ちょうど良くベーコンに振りかけられているブラックペッパーがいい引き立て役となっている。


「どうですか?」


 夢中になって料理を食べていた俺の顔を、美月さんは覗き込むように見てきた。


「凄く美味いよ。本当に料理の腕を上げたよね」

「本当ですか? とっても嬉しいです」


 満面の笑みを浮かべながら自分の胸に両手を持ってきて、安心したように息をはあーっと吐き出す美月さん。

 本当によくここまで腕を上げたものだと思う。出会った頃はカレーの具材選びすらまともにできず伸びきったカレー蕎麦を我が家に持って来ていたと言うのに、あの時の美月さんとは天と地の違いだ。

 俺は人の成長した様をひしひしと感じ、ちょっと感動していた――。




「やりますね、龍之介さん」

「へへっ、なかなかのもんでしょっ!」


 のんびりとした昼食タイムを終えた後、俺は美月さんの部屋でゲーム勝負に興じていた。ゲームで遊んでいる時の美月さんは本当に楽しそうで、見ているこっちも釣られて楽しくなってしまう。


「あっ!? ああーっ!」


 最近発売されたばかりの格闘ゲームで対戦をしていたのだけど、やはり美月さんには敵わない。その手慣れた動きはまるで、何年も何年も経験を積んできたプロのようだ。


「あーっ! また負けた……」


 俺はピンク色の絨毯が敷かれた床に大の字で身体を倒す。


「お疲れ様です。龍之介さん」


 そんな俺に優しく声をかけてくれる美月さん。本当にどんな時でも気遣いを忘れない優しい人だ。


「流石は美月さんだね。俺なんかじゃ相手にならないよ」

「そんな事ありませんよ。龍之介さん、以前よりも格段に腕を上げていましたし」


 美月さんはこう言ってくれるけど、結果は二十戦全敗と散々なものだ。

 内容としてはかなり善戦していたかもしれないけど、それだって美月さんが俺のレベルにある程度合わせてくれているからだと思う。


「ありがとう。ああー、何とか美月さんから一勝をもぎ取りたいなー。そういえば美月さんてさ、何でそんなにゲームが上手になったの?」


 大の字で寝転がっていた床から上半身を起こして質問をする。もし上手くなるコツがあるのなら是非とも聞いてみたかったからだ。


「それは……ずっと昔の小さな頃、私にゲームを教えてくれた人が言ってたんです。『ゲームが上手になりたいなら、難易度は常にハードモードだ』って」

「へえー」


 ――何だかどこかで聞いたようなセリフだな……。それにしても、確かに難易度を上げてやり込めばそれなりに上手くなるのは分かるけど、だからって常にハードモードを選択しろとか、どんだけ厳しいんだよそいつは。


「それでずっとハードモードでやってたから上手くなったと?」

「そうです」


 何の躊躇も迷いも無く即答する美月さん。

 継続は力なりとはよく言ったもので、美月さんはゲームを教えてくれた人の教えをずっと守り続けてこの強さを得るに至ったのだろう。俺が美月さんから一勝をもぎ取るには、それこそ一生を使わないと無理かもしれない。


「ん? どうかした?」


 気がつくと美月さんは俺の顔をじーっと見つめていた。その瞳は何と言うか、何かを期待しているかのような印象を受けた。


「あ、いえ、何でもありません……」


 俺がそう尋ねると、美月さんは力無くそう言ってから小さく微笑んだ。

 そして美月さんが微笑む前に見せた表情は、俺に対するちょっとした落胆のようなものを感じさせた。


「美月さん。俺、何か悪い事しちゃったかな?」


 その問いかけに少しだけ驚いたような表情を見せた後、美月さんは頭を何度か左右に振ってから口を開いた。


「いいえ、龍之介さんは何も悪くありませんよ。悪いのはきっと私だから」

「えっ? それってどういう――」

「龍之介さん。せっかくだから夕飯もご一緒しませんか?」


 こちらが聞き返そうとした内容が分かったのか、美月さんは俺の言葉に被せるようにしてそう言ってきた。

 美月さんは相手の話を途中で遮ってまで自分の話を切り出す人ではない。そんな人があえて俺の言葉を遮ったという事は、それ以上は聞かれたくない、もしくは聞いてほしくないという事なのだと思う。


「う、うん。いいよ」

「ありがとうございます」


 美月さんは俺の返答に微笑んでいた。いつものように。でもその微笑は、聞かないでくれてありがとうと言っているようにも見えた。


「よしっ! それじゃあ一緒に買い物に行こうか」

「はい」


 とりあえず難しい事は後に回そう。なーに、美月さんが話をする気になれば、その時に話を聞けばいいだけだ。

 俺は笑顔の美月さんからエコバックを受け取り、夕食の材料を買う為に美月さん宅を一緒に出た。

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