俺はラブコメがしたいッ！

第10話・お兄ちゃん×ヤキモチ

　夏休みも一週間が過ぎた夜。俺は目的の物を見つける為に自室のタンスの中をせっせと漁っていた。

「おっ、あったあった！」

　タンスの中から探し求めていた甚平（じんべい）を見つけ出し、さっそく袖を通してみる。

　中学二年生の夏に買った甚平。やっぱり小さい気もするけど、着られない事は無い。

　しかしこの小さくなった服が自身の成長を物語っていて、何だか嬉しいやら寂しいやら複雑な心境になる。

　まあそれはそれとして、なぜ夜にタンスを漁って甚平を出しているかと言うと、今日まひろと偶然駅前で出会い、その時に『明日の花火大会に一緒に行かない？』と誘われたからだ。

　タンスから取り出した甚平を持って一階へと下り、とりあえず洗濯機にかける。

　そしてしばらくしてから洗濯が済んだ甚平をハンガーにかけて外に干し、明日の花火大会に備えた。

×　×　×　×

　翌日の１８時前。

　綺麗に乾いた甚平に着替えた俺は意気揚々と自宅を後にし、花火大会がある会場の最寄り駅の改札口付近で待ち人であるまひろが来るのを待っていた。

「あっ、龍之介さん！」

　名前を呼ばれた方へ顔を向けると、そこには美しい白百合（しらゆり）の描かれた藍色の浴衣に身を包んだまひるちゃんの姿があった。

「あれ？　まひるちゃんじゃないか。まひろと一緒に来たの？」

　そう言いながらまひろの姿を捜してあちこちを見回すが、まひろの姿はどこにも見えない。

「あの……龍之介さん、実は――」

　まひるちゃんはすまなそうな表情でまひろが居ない理由を話してくれた。

「――なるほどね。それでまひるちゃんが代わりに伝えに来てくれたんだ」

　話を聞いてみるとどうやら俺を誘った当事者のまひろは風邪をひいたらしく、自宅で寝込んでいるらしい。何だか前にもこんな事があった気がするけど、体調が悪いなら仕方がない。

「はい。ごめんなさい」

「まひるちゃんが謝る事はないさ。体調に関してはどうしようもないからね」

　――やれやれ。それにしてもまひろが来れないとなるとどうすっかな……独りでお祭りを回るのも楽しくないし。

「あの、龍之介さん。お祭りには行かないんですか？」

　こちらをじっと見ながらまひるちゃんがちょこんと首を傾げてそう聞いてきた。その何気ない仕草に思わずドキッとする。

　本当にこの兄妹の可愛らしさは心臓に悪い。見ている分にはとっても幸せなんだけどさ。

「まひろが来ないと独りだからどうしようかなと思ってさ」

「あの、良かったら私と一緒に行きませんか？」

　どうしようかと本気で悩んでいると、まひるちゃんから思わぬ申し出が飛び込んできた。

　これはホントに願ったり叶ったりのお誘いだけど、まひるちゃんはまひるちゃんで友達と約束をしているのではないだろうか。だとすれば俺が居ると邪魔になってしまうだろう。

「大丈夫なのまひるちゃん？　友達と一緒に行くとかじゃないの？」

「いえ。実は私もお兄ちゃんと一緒に行くはずだったんです。けれどお兄ちゃんは風邪で寝てるので、龍之介さんさえ良ければですけど」

　少しモジモジしながら上目遣いでこちらを見るまひるちゃん。こういった仕草も兄のまひろとよく似ている。さすがは兄妹と言ったところだろうか。

　それにしてもこの上目遣い、凄まじく胸がキュンキュンしてしまう。もしもこの眼差しを受けて何も感じない男が居るなら、そいつはもう悟りの境地に居るかアッチ方面の方としか考えられない。

「そうだったんだ。それじゃあ今日はまひろの代わりに俺が祭りに付き合わせてもらうよ」

「ありがとうございます！　凄く嬉しいです」

　クラッときてしまいそうな程のにこやかで可愛らしい笑顔。そんな笑顔にキュンキュンしながらまひるちゃんと一緒に花火大会の会場へと歩き始める。

　会場へと続く道には沢山の人が溢れていて、その人波はなかなか前へと進まない。俺はなるべく人の流れが少ない場所を選びそこを通って進んで行く。

　そして人波に続いて駅から歩くこと約２０分。ようやく花火大会の会場へと到着。

　しかしお目当ての花火が始まるのは１９時半からなので、まだ１時間弱の余裕がある。なのでとりあえずまひるちゃんと一緒に出店を見て回る事にした。

　そしてこの時に初めて聞いたのだが、まひるちゃんはこういった祭りに来るのは初めてとの事だった。

「――はい、まひるちゃん。たこ焼きお待たせ」

「ありがとうございます。あっ、お金払わないと」

「いいよ、俺の奢りだから」

「えっ？　でもそんなの悪いですよ……」

　小さなバッグから財布を取り出そうとするのを止めると、申し訳なさそうに俺を見てきた。

　こういう律儀で遠慮深いところも兄のまひろとよく似ている。何て素晴らしい妹だろうか。まさに妹という存在の理想で完成形と言っても過言ではないだろう。

「今日はまひるちゃんのお祭りデビューなんだからさ、ここはお兄さんに任せなさい！」

「……ありがとうございます。龍之介お兄ちゃん」

　少し照れた感じの笑顔を浮かべ、俺をお兄ちゃんと呼ぶまひるちゃん。

　まさに飛びっきりの不意打ち。思いもよらないまひるちゃんの言葉に何だか気恥ずかしくなってしまう。それでも何となく嬉しい気持ちを感じながらまひるちゃんと出店を見て回る。

　そして出店を回りながら時間を潰し、そろそろ花火が始まる時間が近付いた頃、俺達は花火が上がる会場へと向かった。

「――凄く綺麗……」

　暗い夜空に次々と打ち上がる花火。

　横を向くと恍惚（こうこつ）の表情を浮かべて花火に見入るまひるちゃんの姿。

　夜空に咲いては散っていく花火。その夜空を彩る芸術が空へと打ち上がる度、まひるちゃんはパチパチと両手を叩いて喜んでいた。

　そして俺は空を彩る花火よりも、それを見ながら楽しそうにしているまひるちゃんの方を長く見ていた気がする――。

　楽しい時間はあっと言う間に過ぎ去るもの。それは誰であっても例外はないだろう。

　そして花火を見終わった俺達は少し夢見心地な気分で話ながら会場を出て駅へと向かっていた。

「花火綺麗でしたね」

「そうだね。本当に綺麗だった」

　うっとりした表情で花火の話をするまひるちゃん。その表情を見ていると何だか嬉しくなってくる。

「あれ？　鳴沢くん？」

　帰り道を歩く中、不意に名前を呼ばれて横を振り向くと、そこには雪村さんが居た。

「あっ、雪村さんも来てたんだ」

「うん、友達と来てて今別れたところなの。あの……そちらの方は？」

　雪村さんが隣に居るまひるちゃんを見てそう尋ねると、まひるちゃんは俺の甚平の袖をギュッと握ってきた。こういう人見知りっぽい感じも兄のまひろとよく似ている。

「ああ、友達の妹さんなんだ。兄貴が風邪で来れなくなってね、今日はその代わりってわけ」

「そうだったんだ。良かった……」

　安心した――とでも言った感じの表情を見せる雪村さん。

　それにしても、良かったとはいったいどういう事だろうか。その意味が俺には分からず、思わず首を傾げてしまう。

「龍之介さん！　電車が行っちゃいますよ！」

　むくれた表情で袖を引っ張ってくるまひるちゃん。さっきまで見せていたにこやかな笑顔と違い、なぜか今はとてもご機嫌斜めのように見える。

「あっ、そうだね。じゃあまたね、雪村さん」

「う、うん。またね、鳴沢くん」

　俺は雪村さんに手を振りながらその場を後にした。

　そして雪村さんと別れたあ後、まひるちゃんはこちらを振り向かずに袖を握ったまま前へ前へと進んで行く。

「まひるちゃん、どうかしたの？」

「えっ！？」

　その言葉に振り返ったまひるちゃんは慌てて握っていた袖を離し、オロオロしながら顔を紅くする。

「あ、あの……えっと……な、何でもないです。ごめんなさい……」

「いや、謝らなくていいけどさ。何かあったら遠慮なく言ってね？」

　まひるちゃんは恥ずかしそうにコクンと一度頷くと、そのまま俯いてから俺の隣に並び無言で駅へと歩いて行く。

　そして駅へと着いた俺達は改札を抜け、それぞれ別のホームへと向かう事になる。俺とまひるちゃんの向かう方向は反対だからな。

「本当に家まで送らなくて大丈夫？」

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」

「夜道には気をつけるんだよ？　あっ、それとこれはまひろへのお土産ね」

「はい、ありがとうございます。きっとお兄ちゃんも喜びます」

「お大事にって言っておいてね。それじゃあおやすみ、まひるちゃん」

　そう言ってから踵（きびす）を返して反対方向のホームへと向かおうとした時、右側の袖がピンッと張って動きを止められた。

「ん？　どうかしたの？」

「あの……二人の時はまたお兄ちゃんって呼んでいいですか？」

　まひるちゃんはそう言うと顔を真っ赤に染め上げて俯く。

　その姿の何と可愛いらしい事か。思わずギュッと抱きしめたくなる衝動に駆られる。

「あ、ああ、いいよ。でもまひろには内緒だよ？　アイツが焼きもちを焼くかもしれないからさ」

　少し冗談めかしながらそう言うと、コクンと頷きながらくすくすと可愛らしく微笑んだ。

「ありがとう、お兄ちゃん。おやすみなさい」

　その返答に満足したのか、まひるちゃんは握っていた袖をサッと離して大きく手を振りながら反対ホームがある方へと去って行った。

「お兄ちゃん……か」

　少し表情を緩ませながらも、あの子もいつか誰かと付き合ってリア充になるのかと思うと非常に複雑な気分になる。

　娘を持つ父親の気持ちというのはこんな感じなのかなと思いつつ、俺は自宅への帰路についた。