第11話・怪我×映画

 夏休みも中盤に入ったある日。俺は自室で地獄の真っ只中に居た。


「ほら龍ちゃん! 手が止まってるぞっ! シャキシャキっと問題を解きなさい!」


 竹刀を片手に背後で俺を監視しているのは幼馴染で腐れ縁の茜。

 そして俺は机の上に積まれた宿題を前に悪戦苦闘していた。

 自宅に軟禁を強いられてから四日目。茜はラストスパートと言わんばかりに激を飛ばしてくる。


 ――くそう……ホントに余計な事しやがって。


 俺がこの様な状況におちいっているのも、夏休みの宿題を見て欲しいと母親が勝手に茜に頼んだからだ。何とありがた迷惑な話だろうか。

 夏休みの宿題は休みが終わる寸前にやるものだと相場が決まっているというのに、ホント余計な事をしてくれる親だ。


「また手が止まってるぞっ! 気合だ気合ー!」

「いてっ!」


 茜が持つ竹刀でピシャッと背中を打たれる。こうやって気合いと称して背中を打たれるのは何度目だろうか。

 机上きじょうにある小さなスタンドミラーには、竹刀を持って立つ恐ろしき監視者の姿が映し出されている。その監視者は既に宿題を済ませているらしく、余裕の微笑でこちらを見ていた。

 鏡に写るその表情が何となく楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。それとも単純に茜がドSって事なんだろうか。


「むっ!? 龍ちゃん今失礼な事を考えてたなっ!」

「そ、そんな事ねーよ!?」

「問答無用っ!」

「いてっ!」


 ――ちくしょう……これじゃあまるでお寺の修行じゃないか。何でこんな目に遭わなきゃならんのだ。


 この状況に理不尽を感じつつも、この地獄から解放される為に必死で知識の世界を渡り歩く――。




「龍ちゃん、そろそろお昼ご飯にしよっか」

「おっ、もうそんな時間か?」


 しばらく部屋を出ていた茜が昼食を持って部屋へと戻って来た。

 持ち込まれた料理のかぐわしい匂いにお腹の虫が大きく声を上げる。


「美味そうだな」


 部屋の小さなテーブルに並べられた料理はどれも美味しそうな彩りをしていて、俺の食欲を激しく刺激してくる。

 ガサツなところも多いけど、茜は料理がとても上手だ。何でもその腕前は学園でも一・二を争うというのが取材部の弁だが、正直この情報に関しては俺もそうかもしれないと思う。それ程に茜の料理の腕は素晴らしい。

 急いで手を洗って部屋に戻ると、俺は目の前に広がる料理の数々に早々と箸を伸ばした。


「そんなに慌てて食べると身体に悪いよ?」


 茜の俺を心配する言葉には耳を貸さず、夢中で料理に箸をつけていく。料理に箸を伸ばしては口へと運ぶその動きは、さながら絶妙にプログラミングされた機械の様に規則的だ。

 そしてそんな俺が目の前にある料理を全て食べ終えるのにさほど時間はかからなかった。


「はあーっ、美味かったー! ご馳走様でした。茜、ありがとな」

「いえいえ。お粗末様でした」

「茜の料理はいつも美味いよな。絶対にいい嫁になれるぜ」

「えっ!?」


 料理の満足度が高く上機嫌だった俺は最大の賛辞を込めてそう言ったのだが、片付けをしていた茜は急に手にした食器を落として割ってしまった。


「あっ!? ご、ごめんね! すぐに片付けるから」

「馬鹿っ! 素手で触るなっ!」

「いたっ!」


 ――言わんこっちゃない。何をそんなに慌ててんだか……。


「指見せてみろよ」

「あっ……」


 茜の手首を握って引き寄せ、怪我した指先を見る。そこそこ血は出ていたけど、傷は思った程深くはない様だった。


「とりあえず消毒をする前に流水で傷口を洗って来い。落とした皿を踏まないように移動しろよ?」

「う、うん。分かった……」


 やはり小さいとはいえ傷が痛むのだろう。少し紅くなった顔で茜は洗面所へと向かう。

 俺は廊下にある掃除道具を持って来てから割れた皿や破片を綺麗に始末した後、リビングにある救急箱を持ってから自室で待っている茜のところへと戻った。


「――ちょっとみるだろうけど我慢しろよ?」


 部屋にあるベッドに茜を座らせてからその前に立ち、怪我をしている手を前に差し出させる。

 そして未だ血がにじむ指先に消毒スプレーを吹きかけた。


「痛っ!」


 よほど傷に沁みるのか、茜は消毒液を吹きかけた方の腕をスッと引っ込める。気持ちは分からんでもないが、これじゃあまともに治療ができない。


「逃げんなって! もう少しだけ我慢しろっ」

「もう少し優しくしてよー、龍ちゃ~ん」


 ――やれやれ……普段は威勢がいいくせに、こんな時だけ女子になりやがる。


「分かったよ。もう少し優しくするから、だからもうちょっとだけ我慢しろ」


 その言葉に黙ってコクンと頷いてから引っ込めた手を前へと静かに差し出してくる。

 何だかこうしていると昔の事を思い出す。小学生になるまでは今よりももっとやんちゃだったから、こんな風に怪我の治療をする事も多かったからな。

 丁寧に傷の治療をほどこし、処置が終わったところで絆創膏ばんそうこうをグルリと指に巻く。


「ありがとね、龍ちゃん」

「おう。傷は小さいけどしばらくは痛むと思うから気をつけろよ?」

「うん、分かった」


 小さく返事をした後、絆創膏を巻かれた指を茜はじっと見つめていた。


 ――傷は小さかったけどやっぱり気になるのかな。


 こうして茜の傷の治療を終えた後、俺は再び地獄の勉強タイムへと舞い戻る事になったのだけど、不思議な事に後半の茜は気味が悪いくらいに優しかった。それはそれで全然いいんだけど、なまじ優しいとかえって不安になるのはなぜだろうか。

 そんな事を思いつつも茜の助力があったおかげか、何とか夕方までには全ての宿題を終わらせる事ができた。


「終わった――――!」

「お疲れ様! 頑張ったね!」

「おう! ありがとな」


 椅子から立ち上がり両手を天井に向けて高く伸ばす。これでようやく四日間に及ぶ軟禁生活が終わったんだ。


「あのね、龍ちゃん。これ、勉強を頑張ったご褒美だよ」


 茜はそう言って持って来ていた鞄から一枚の紙切れを差し出してくる。


 ――まさか肩叩き券なんてオチじゃないだろうな……。


 そんな事を思いながら差し出された紙を受け取って見ると、それは映画のチケットだった。


「おっ、これって俺が見たかった映画じゃないか!」

「うん。前に龍ちゃんが見たがってたから」

「サンキュー! でも一人で映画を見に行くのは虚しいよな。どうせなら二枚チケットをくれたら誰かと見に行けたのに」

「えっ?」


 貰ったチケットを見ながらそう言うと、茜は不思議な生き物でも見るかの様にしてこちらを見つめてきた。


「ん? 何か変な事言ったか?」


 茜は唖然とした表情をしながら鞄からもう一枚チケットを取り出した。


「おっ! 何だもう一枚あるじゃん! これで誰かを誘えるな」


 茜が取り出したチケットを意気揚々とその手から取ろうとしたその時だった。


「りゅ、龍ちゃんの……バカァ――――――――!」

「ふごあ――――っ!?」


 素晴らしい右ストレートを顔面にもらい俺は床に沈んだ。

 そしてゆらりと上半身を起こすと、茜は凄まじい勢いで部屋を飛び出して階段を駆け下りて行った。


「な、何なんだよいったい……」


 ズキズキとうずく顔面を押さえながら部屋の出入口の方を向いて呟く。

 そしてその日の夜にあの出来事の真意を電話で茜に確認したところ、『あの一枚は私の分よ!』――と言われた。

 そういう事なら最初に言ってくれよなと思いつつ、殴られた時の事を思い出して無意識にその部分を撫でながらチケットを机の引き出しにしまった。

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