一年生編・夏休み

第9話・プール×知り合い

 夏休み初日の朝。

 カーテンをシャッと引いてから窓を開くとその先にはどこまでも広がる青い空が見え、同時に夏独特のべたつく様な熱い風が入って来た。学生ならば誰もが待ち望むであろう夏休みが今日から始まったのだ。

 その記念すべき夏休み初日を楽しむ為、意気揚々と出掛ける準備をしてから友達と約束していた場所へと向かう。

 そして待ち合わせ場所で友達と合流した後、俺達は地元から少し遠くにあるレジャー施設に来て遊んでいた。目的は室内プールで遊ぶ事だが、俺は夏休みの嬉しさから肝心な事を失念していた事に気付く。


 ――ちっ……いつもながら忌々しい。


 ここはかなり広い室内プール施設だけど、辺りを見回せば溢れんばかりの人、人、人。

 当然と言えば当然だろうけど、俺が問題にしているのはカップルが多いという事だ。そのイチャイチャとしている姿の何と不愉快な事か。

 きっと同じ事を思っている奴は少なくないだろう。間違い無く男だけで来ている連中は俺と同じを事を思っているはずなんだ。


「あっちで遊ぶか……」


 一緒に来ていた友達は今もウォータースライダーに夢中になっている。俺も最初こそ同じ様にテンション高く遊んでいたんだが、それでも数回滑れば普通は飽きてくるもんだ。

 とりあえずテンション高く遊ぶ友人から離れ、暇潰しに一人流れるプールまで行く事にした。


「ちっ……」


 のんびり水の流れに身を任せようと流れるプールに来たわけだが、この選択も大ハズレだった。なぜならこちらのプールには更に接触度の高いカップルがひしめき合っているからだ。

 俺はその光景を見ながら心の底からいらつきを感じていた。


 ――まったく……遊びに来てストレスが溜まるとか洒落にならんよな。


「きゃっ!?」

「おっと!?」


 心の中で苛つきながらもゆるりとプールで流されていた俺の背中に誰かがぶつかった。思わずその衝撃に振り返って相手を見る。


「ごめんなさい!」

「あ、いや、大丈夫ですよ。こちらこそごめんなさい」


 相手は既に頭を下げていてその顔をはっきりと見る事はできなかった。

 まあこういった事はプールでは多々ある事だし、いちいち目くじらを立てる事はない。

 こういうのはお互い様と思って謝りを入れ、再び流れに乗って前へ進もうとした時だった。


「あの、もしかして鳴沢くん?」


 自分の名前を呼ばれ、再びぶつかった人物の居る後ろへと振り返る。

 さっきは頭を下げていて見えなかった顔が今度ははっきりと見える。少し雰囲気が違って見えるものの、その顔は見知った人物だった。


「雪村さん?」

「やっぱり鳴沢くんだ! こんな所で会うなんて偶然だね!」


 明るく弾む声で微笑むこの女子は、雪村陽子ゆきむらようこさん。以前俺が短期のバイトをしていた時のお店に居た同い年のバイトさんだ。

 本当に短い間ではあったけど、彼女の事はよく覚えている。

 いつも明るくて元気が良く、とても気立ての良い子で、その黒髪ショートカットが相まってか非常に活動的なイメージの女子だ。


「久しぶりだね」

「うん、久しぶり。今日は友達と来てるの? それとも……彼女さんと一緒とか?」

「ハハハハ……まさかそんな……」

「あっ……」


 乾いた感じでそう言うと、雪村さんは非常に申し訳なさそうな表情を見せた。きっと俺の乾いた笑いで全てを悟ってくれたのだろう。

 悲しい事だが自分の口から彼女なんて居ない――と言わないで済むだけマシだ。


「そう言う雪村さんは友達と来てるの? それともやっぱり彼氏と?」

「えっ!? 私はその…………」


 雪村さんの顔がぱーっと朱色に染まっていく。

 バイトの時にはこんな事を話題にしなかったから知らないけど、やっぱりこんな可愛い子には彼氏が居て当たり前なんだろうな。


「居ないよ、彼氏なんて……」

「へえー、意外だな」

「意外なの?」

「うん。雪村さん可愛いし、普通に彼氏が居ると思ってたよ」


 それは紛れもない本音で、むしろ彼氏が居ないと聞いてビックリした程だ。理由は分からないけど勿体ないもんだ。


「あ、ありがとう。鳴沢くん……」


 雪村さんは更に顔を朱色に染め、鼻先までプールに浸かる程しゃがんでしまう。

 こんな雪村さんを見るのは初めてで、そのギャップに微笑ましくなり思わず笑ってしまった。


「も、もうっ! 笑わないでよねっ!」


 ポカポカと雪村さんに胸を叩かれる。

 その可愛らしい行動にニヤケ顔を抑えるのが大変だったけど、謝ると少しむくれた表情をしつつも許してくれた。


「もう……あっ、そういえば友達と一緒じゃないの?」

「アイツらはウォータースライダーがいたく気に入ったらしくてね。今もアホみたいに滑ってるはずだよ」


 ――てか、アイツらはいつまでウォータースライダーで遊んでるんだろうか。そろそろ飽きてくれないかな。


「そうなんだね」


 くすくすと小さく笑う雪村さん。バイトの時に見せていた笑顔とはまた違う可愛らしい表情に、思わずときめいてしまいそうになる。


「あっ、私はそろそろ友達のところに戻らなきゃ。またね、鳴沢くん」

「うん。またね、雪村さん」


 小さく手を振りながらプールサイドに上がり、雪村さんは一緒に来た友達の居るであろう場所へと去って行く。

 それからしばらくの間プールでゆったりと流されたあと、いい加減飽きずに滑って遊んでいる友人達の居る所へと向かった。


× × × ×


「あっ、鳴沢くん!」


 数時間程プールで遊んでから着替えをし、トイレに行った友人達をロビーで待っていると、雪村さんが慌てた様子でこちらへと駆け寄って来た。


「今から帰るの?」

「うん。さすがに遊び疲れたからね」

「そうなんだ」


 雪村さんは何だかソワソワと落ち着かない様子に見えた。いったいどうしたんだろうか。


「あ、あのね、鳴沢くん。アドレスを教えてくれないかな……」


 モジモジしながらそう言ってくる雪村さん。その様子は本当にあの雪村さんかと思う程に落ち着きがなかった。


「えっ? それは構わないけど、急にどうしたの?」


 とりあえずポケットから携帯を取り出しながらそう尋ねる。


「そ、それは……最近またバイトの事で悩んでて。またあの時みたいに相談に乗って欲しいなって思ったから……」

「ああ、そういう事か」


 納得がいったところで取り出した携帯の通信機能を開き雪村さんに交換を促す。


「ありがとう、鳴沢くん」


 連絡先の交換を終えた雪村さんはようやく落ち着いたのか、携帯を見つめながらほっとしている様に見えた。


「じゃ、じゃあねっ! 鳴沢くん!」


 雪村さんは急に何かを思い出したかの様にはっとすると、慌てて携帯を握り締めてから出入口の方へと走って外へと出て行った。

 ずいぶん慌ててたみたいだけど、友達でも待たせてたのかな。


「悩み相談か……」


 まあ知り合いなんだしそれくらいはいいと思う。でもいつの日か、雪村さんから恋愛相談なんかを受けたりする事もあるんだろうか。


 ――あの可愛さだ、男が放っておくとは考えにくいからな……。


 そんな相談が俺にこない事を願いつつ、携帯をポケットにしまう。

 こうして雪村さんと久々に再会した夏休み初日は、耳に残る騒がしいせみの鳴き声と共に過ぎ去って行った。

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