第263話・聞きたかった事×知りたかった事

 外では強い陽射しを浴びせ続ける太陽がまだまだその勢いを失う事なく燦々と輝いているが、俺のような学生にとっての夏はそろそろ終わりを迎える。それはつまり、学生生活最後の夏休みがもうすぐ終わろうとしていると言う事だ。

 思い返せば小学校に中学校、高校と夏休みがあったわけだが、学生として過ごす夏休みもこれが最後かと思うと感慨深いものがある。

 まあ大学に進学すれば学生としての夏休みがまたあるわけだが、この時期でまだ俺は進路を確定させていない。いい加減焦らなきゃいけない時期だろうけど、未だに自分が何をしたいのかが分からないのだ。

 はっきりとした将来の目標があるわけじゃなく、漠然と何がしたいと言ったものがあるわけでもない。だからやりたい事があったりする人達が羨ましく思えて仕方がない。

 それでも卒業までには進路を決めなければいけないのだから、人生とは何とも慌しいもんだ。

 夏休み最後の日を二日後に控えた二十九日のお昼前。

 俺は隣にある美月さん宅へ向かう準備をしていた。その理由は制作途中の恋愛シュミレーションゲームのデバッグ作業をする為だ。

 これはゲーム制作を始めてから何度も行っている事だけど、正直デバッグ作業と言うのはしんどいの一言に尽きる。

 昔は発売前のゲームをやれるなんて良いじゃないかと思ってたけど、そんな事はまったくと言っていい程にない。

 製品として売られているゲームは楽しむ為の物だから楽しくて当たり前なんだろうけど、デバッグはあくまでも作業だから楽しさなんて感じないし、もちろんバグがあったりで快適なプレイとは無縁。バグが無いかを確かめる為に延々と色々なやり方や動作を試し、バグを発見しては報告をしてまた延々とバグ探しを行う。これが苦痛と言わずに何を苦痛と言うのだろうか。

 それは気になる人がそばに居るからと言っても変わる事はない。

 しかし気になる人が頑張っているんだから、自分も頑張ろうとは思える。

 今日も始まる恐ろしきデバッグ作業に小さな溜息を漏らしつつ、準備を終えた俺は美月さん宅へと向かう。

 そしていつもの様に美月さん宅へと訪れた俺は、美月さんの部屋で珍しく二人っきりの状態で一緒に作業を開始した。

 部屋の中で聞こえる音は、エアコンの動く微かな稼動音と俺達が使うパソコンのキーボードやマウスをクリックする音くらい。それ以外の雑音はまったくと言っていい程に無い。


「おっと、バグはっけーん」


 小さくそう言いながら机の上に用意してあるメモ帳にバグの詳細を書き込む。

 プログラムと言うのは動いてみなければ分からない部分も多いらしく、実際にどれだけ気をつけても複合的な要素が絡むバグはこの様にデバッグで探し出して潰していくしかないらしい。

 普段俺達が遊んでいるゲームもこの様な苦労の上に制作されているんだと思うと、制作に関わっている人達には頭が下がる思いだ。

 ゲーム制作一つを取ってもこれだけの苦労があるんだから、世界は色々な人達の苦労によって成り立っているんだという事が分かる。

 そんな当然の様であまり普段は考えない様な事を考えつつ、いつもの様に作業を進めていく。

 そして作業を始めてからしばらくした頃、俺は台所を使わせてもらって温かなミルクティーを作って来た。

 美月さんは集中するといつまでも作業を止めないから、俺が良い具合に時間を見て休憩を入れさせなければいけない。


「美月さん、少し休憩しようよ」


 そう言いながら作って来たミルクティーを美月さんが使う机の上にそっと置いた。


「ありがとうございます」

「調子はどうかな?」

「はい、とても順調ですよ。昨日見つけていただいたバグの修正も終わりましたし」

「相変らず仕事が早いね。感心しちゃうよ」

「そんな事はないですよ。それにこうやってスムーズにバグの修正が出来るのも、龍之介さんが詳細にバグの情報を教えて下さるからですし」


 そう言いながらいつものにこやかな笑顔を浮かべる美月さん。この笑顔を見ている瞬間が、今の俺にとって最高に幸せな時だ。

 もしかしたら俺は、この美月さんの笑顔を見る為に頑張っているのかもしれない。


「いやいや、俺に出来る事はこれくらいしかないからね。でも、あまり無理はしない様にね? そろそろ夏休みも終わるし、頑張り過ぎて体調でも壊したら心配になるから」

「私の心配をしてくれるんですか?」

「そんなの当たり前だよ! だって美月さんは――」


 美月さんは俺の大切な人だから――そう言いかけた俺は、すぐさまそれを踏み止まった。それがあらゆる意味で誤解を招くかもしれないと思ったからだ。

 もちろん美月さんが俺にとって大切な存在である事は間違いじゃない。

 でも、そんな感情が美月さんに対する恋愛感情なのか自分でもよく分からない以上、下手にそんな事を言うべきではないと思う。それにそんな事を口走れば少なからず美月さんに動揺を与えるだろうし、下手をすれば今の関係をほころばせる事になるかもしれないから。


「――美月さんは俺の大切な友達なんだからさ」

「ありがとうございます。私も龍之介さんに心配をかけたくはないので、無理はしないようにしますね」


 素直にそう言ってくれる美月さんに対し、俺は素直に嬉しいと思った。そこに俺個人に対しての思いやりや気遣いが見えたからだ。

 しかしただそれだけの事でこれだけ嬉しくなるんだから、俺は案外単純な奴なのかもしれない。そんなチョロイ自分に対して自虐的な苦笑いを浮かべつつも、美月さんとの会話を楽しむ。


「……龍之介さん、昔の事って覚えてますか?」


 会話を楽しんでいた最中、美月さんが唐突にそんな質問をしてきた。

 その質問に対して突然どうしたんだろうとは思ったけど、俺はとりあえず質問に答える為に考えを巡らせる。


「昔の事かあ。そうだなあ……まあ、ある程度は覚えてるかな。さすがに幼稚園より前の事は覚えてないけど」

「そうなんですね。私は物心ついた時にはすでに施設に居ましたけど、あの時の事はあまり覚えていないんです」

「そうなの?」

「はい。あの時の私は、あまり周りに対して興味を持っていませんでしたから。だからあまりその時の記憶が無いんです。でも正確に言えば記憶が無いと言うより、思い出が無いと言った方がいいのかもしれません」

「思い出か……」


 美月さんが歩んで来た道がどの様なものだったのか、それは俺には想像も及ばない。でも、色々な苦労があった事だけは分かる。


「でも、あの夏の日からはそんな事はなくなりました」


 美月さんの言う『あの夏の日』とは、幼い頃に遊んだ男子との日々の事を言っているんだろう。

 通常ならちょっとした美談として色々な事を聞いたりしたいところだけど、この話に限ってはそうはいかない。なぜなら美月さんの言っている男子が、もしかしたら俺かもしれないからだ。

 そう思う理由はいくつかあるけど、それを強く思わせたのは、美月さんの携帯にある待ち受け画面に幼い頃の俺が写っていたからに他ならない。


「…………あの、間違ってたら悪いんだけどさ。もしかしたらだけど、美月さんが幼い頃に出会った男の子って、俺だったりする?」


 知りたいという思いや好奇心を抑え込むのは難しい。そしてそれが気になる相手に対する事なら尚更だ。

 普段は色々な思いがあって聞く事はなかったけど、今回は美月さんから話題を振った事や二人っきりと言った状況もあったせいか、俺はとうとう核心とも言える事を口にしてしまった。


「……はい。その通りです」


 とても驚いた表情を見せたけど、美月さんはその後でいつもの優しい笑顔を見せながらそう答えてくれた。

 そしてこの瞬間、俺が美月さんの言っていた想い人であった事が確定する。

 しかしそれを聞いて嬉しいと思う気持ちがある反面、美月さんに対して申し訳ないと言った感情もあった。俺が今まで気付かなかった事によって、美月さんを知らず知らずに傷付けていたかもしれないからだ。


「…………えっとあの……ありがとう。俺との思い出を大切にしてくれて。それとごめんね、ずっと美月さんがみっちゃんだって事に気付かなくて」

「いえ、気にしないで下さい」

「うん……ありがとう」


 短くお礼を言った後、俺は美月さんが机に置いた空のティーカップを持って台所へと向かい、それを綺麗に洗ってからデバッグ作業へと戻った。

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