第264話・二年前×あの言葉の意味

 美月さんの想い人である遠い昔に出会った男子。それが俺だったと判明してから一週間が経った。

 あの時から俺と美月さんの間で何か特別な変化があったかと言うと、別段そんな事はない。

 あれからお互いに昔の話や今回の件についての話は一切していないし、二人の関係性や距離感は真実を知る前と何ら変わり無いと俺は思っている。

 確かに真実を知った事で多少尻込みする場面はあるけど、美月さんも普段と変わらない様子で俺に接してくるから、変に緊張したりする方がおかしいと思って俺も努めて普通に接するようにしているわけだ。

 とは言え、俺があれから更にモヤモヤとした気持ちを抱えているのは間違い無い。


「龍之介さん、今日もお時間ありますか?」

「ん? ああ、大丈夫だよ」

「良かった。あの、先日デバッグしていただいた内容を修正したので動作テストをお願いしたいんですが、大丈夫でしょうか?」

「もちろん。それじゃあ今日も美月さんの家にお邪魔するね」

「はい。それではよろしくお願いします」


 いつものにこやかで柔和な笑顔を見せつつ、美月さんは教科書を丁寧に鞄へ入れながら帰宅の準備を進める。

 こうしていつもと変わらない態度を見せてくれる事には安心するけど、何となくちょっと寂しい感じもしていた。


「鳴沢くん、美月ちゃん、早く帰ろー」


 美月さんが教科書を鞄へ入れているのをのんびりと見ながら待っていると、いつもの明るく弾む声音でそう言いながら桐生さんが近付いて来た。

 桐生さんと初めて出会ってからもう一年が過ぎたけど、この明るさは最初に出会った頃と何ら変わらない。きっとこの明るさとポジティブさが、転校して来る前の美月さんをずっと支え続けていたんだろう。


「お二人共、お待たせしました」

「おっし。それじゃあ行こっか」

「おーう!」


 最近ではすっかりお馴染みになった帰宅メンバー。俺はいつもの様に二人と楽しく話しながら帰宅を始めた。

 三人で帰宅する時に話す話題は結構まちまちで、テレビの話題やニュースの話題を話す時もあれば、好きなアニメやゲーム、漫画についての話題になる時もあるし、なぜか海の生き物についての話になる時もある。これも三人で居るからこその話題バリエーションだろうけど、これが地味に俺にとっての楽しい時間でもあった。

 そして何事も無くいつもの様に自宅へと帰り着いた後、今日も桐生さんと美月さん、俺の三人でやる静かな作業が開始された。

 デバッグ作業をやり始めた頃はこの沈黙が結構辛かったのを覚えている。騒がしいのは好きじゃないけど、静か過ぎるのも好きじゃないからだ。

 でも人ってのは環境に慣れるものだから、今ではすっかりこの雰囲気にも馴染んでしまった。しかもこうやって馴染んでしまうと不思議なもので、この沈黙がどことなく心地良く感じてしまっている。

 このままこんな時が続けばいいのにと思ってしまうけど、それが無理な事は十分に分かっている。誰だって望む望まざるに関わらず、いずれは進路やら何やらで別れてしまう時が来るんだから。

 しかしそれが分かっていたとしても、美月さんとはずっと一緒に居たいと思っている自分が居る。そう思うのはきっと、俺が美月さんを一人の女性として好きだからだ。

 今までずっと自分の美月さんに対する気持ちが分からないでいたけど、こうやって一生懸命に頑張っている美月さんを見ている内に、ようやく自分の気持ちが分かった。

 一生懸命に頑張っている人の力になりたいという気持ちは他の人に対しても出るけど、美月さんにはそれ以上に色々な思いが溢れてくる。だからきっと、俺は美月さんに恋しているんだと思える。


「ちょっと休憩入れよっか?」

「そうだね、ちょっと目も疲れてきたし。美月ちゃんも少し休もうよ」

「はい。分かりました」

「それじゃあちょっとお茶を淹れて来るから」

「いつもすみません」

「気にしなくていいよ。美月さんはこの制作研究部の要なんだから、休める時にしっかり休んでおいてもらわないと」

「そうそう、鳴沢くんの言う通りだよ。ただでさえ美月ちゃんは根を詰めるタイプなんだから」

「はい。分かりました」

「うん、よろしい! それじゃあ鳴沢くん、休憩の準備しよっか」

「えっ? お茶は俺が準備するから、桐生さんも休んでていいよ?」

「ムフフ。実は今日の為に用意しておいたとっておきのケーキがあるのだ。だからそれは私が準備しないとね」

「なるほど。それじゃあ行こっか」

「OK!」


 用意していると言うケーキによっぽどの自信があるのか、桐生さんはスッと席から立ち上がって部屋を出て行く。

 そして俺はそんな桐生さんに続く様に部屋を出てから台所へと向かい、いつもの様にお茶の準備を始めた。


「ねえ、鳴沢くん。美月ちゃんと何かあった?」

「えっ!? ど、どうして?」

「だって最近の鳴沢くん、前より頻繁に美月ちゃんの事を気にしてるから。だから何かのかなーって思ってたんだけど、私の勘違いじゃなかったみたいだね」

「あの、俺はまだ何も答えてないんだけど?」

「答えなくたって今の反応で分かっちゃったよ。何があったのか聞きたいところだけど、とりあえずそれは我慢しておくね。でも、前にも言ったけど、何かあったら相談してね」

「……うん。ありがとう」

「よしっ、それじゃあ早く戻ろう! 美月ちゃんが待ってるよ」

「そうだね」


 俺は手早くお茶を淹れ、ケーキを乗せたトレイを持った桐生さんと一緒に部屋へと戻った。

 勘の良い桐生さんの事だから、きっと俺と美月さんの間に何があったのかある程度察している気はする。今更誤魔化す気は無いけど、ちゃんと話すべき時が来たらその事も話そうと思う。

 そして桐生さんが用意したケーキと俺が用意したお茶でしばらくの休憩をとった後、俺達は再びそれぞれの作業に戻った。


× × × ×


「鳴沢くん、ちょっといいかしら」


 桐生さんからちょっとした探りを入れられてから数日が経った頃、突然放課後の教室に取材部のリーダーである四季さんこと霧島夜月きりしまよづきさんがやって来た。


「霧島さん、どうかしたの?」

「少しお話したい事があるの。付き合ってもらえないかしら?」


 そんな風に言う霧島さんの表情は、どことなく怒っている様な感じに見えた。いつもはポーカーフェイスな霧島さんだけに、その様には少し驚いてしまった。


「うん、分かったよ。美月さん、桐生さん、ちょっと用事があるから、今日は先に帰ってて」

「そうなの? 分かった」

「分かりました。それでは気をつけて帰って下さいね」

「うん。二人も気をつけてね」


 手を振って出て行く二人を見送った後、俺は更に不機嫌な様子を見せる霧島さんに放課後の屋上へと連れて来られた。

 そろそろ九月の中旬を越えるとは言え、外はまだまだ暑い。蝉はまだ元気に鳴いているし、屋上の地面からも陽炎の様なもやが立ち上っている。

 そんな中を霧島さんはスタスタと歩いて行き、ちょうど陰になる部分へと入ってから俺を手招きした。俺は素直にその手招きに従って霧島さんの元へと向かう。


「それで、話って何のかな?」

「鳴沢くんは最近、如月美月と何かあったのかしら?」

「えっ? 急に何なの?」

「答えて! 美月と何かあったの!?」


 いつもは冷静沈着な霧島さんが、初めて感情を剥き出しにして声を荒げる所を見た。

 その事にただならぬものを感じ取りはしていたけど、だからと言っておいそれとこちらの事情を話すわけにはいかない。


「何で怒ってるのか分からないけど、とりあえずちゃんと説明をしてくれないかな? そうじゃないと、こっちだって話のしようもないよ」

「…………ごめんなさい、つい取り乱してしまって。とりあえずは一つ質問をさせて。鳴沢くんは如月美月の事を好きなのかしら?」

「そ、それは…………好きだよ」

「それは友達としてではなく、異性としてと言う事かしら?」

「うん。俺は美月さんを一人の女性として好きだ」


 その返答を聞いた霧島さんは、目を閉じて軽く溜息を吐いた。


「鳴沢くん、約二年前、私と初めて会った時に話した事を覚えているかしら?」

「初めて会った時の話?」

「そう。如月美月を好きになっちゃ駄目――って言った事よ」


 もうだいぶ昔の事なのでその記憶もかなり薄れてはいたけど、そんな事を言われたのは覚えていた。


「確かにそんな事を言われたのは覚えてるけど、何で?」

「鳴沢くんが如月美月を好きなのは分かったけど、あの子の為にその恋心を胸に秘めたままでいてくれないかしら」

「どういう事? 何で俺が美月さんへの恋心を伝えない事が美月さんの為になるの?」

「……この際だから、鳴沢くんにはちゃんと話をしておくわ。私の今の名前は霧島夜月だけど、その前の名前は如月夜月だったの」

「如月夜月って……まさか……」

「そう。私と美月は双子の姉妹で、私は美月の姉なの」


 それから霧島さんは色々な話をしてくれた。双子である霧島さんと美月さんが別々に暮らしている理由や、美月さんがそれを知らなかった理由、二人の両親について。

 そしてなぜ美月さんに恋をしてはいけないのか、その理由もここで聞かされた俺は、そこから長い間悩み続ける事になった。

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