第113話・ワンピース×麦わら帽子

 夏休みを迎えてから七日目の朝。俺は地元の駅前にある時計台の下へとやって来ていた。

 腕を組んだまま視線を上へ向け、時計台に設置された時計の針が指し示す時間を見る。

 時計の針は8時16分を指していて、もう少しでまひろとした約束の時間がやってくる事を示していた。

 上へと向けた視線を街の中へと戻し、過ぎ行く人達を見る。そこには仕事に行くと思われる人達、これから遊びにでも行くのだろうと思われる人達など、色々な人達が老若男女問わずに行き来している。

 それにしても、本当に毎年夏の暑さはたまらない。まだ朝早い時間とはいえ、街を照らしている太陽は加速度的にその光の下にある人や物を熱していく。

 恐らくあと数時間もしない内に、至る所の地面から陽炎かげろうが立ち上り始めるだろう。あのギラギラとした強い光を放つ太陽を見ていると、今日も暑くなる事は間違い無いと断言できる。

 夏は長期の休みがあるのが嬉しいところだけど、不快感を伴うジメジメとした暑さだけは勘弁してほしい。そしてその不快感を三割り増しにしているのが、蝉達のせわしい鳴き声だ。


「あっ! お兄ちゃーん!」


 夏の良い点と悪い点について行き交う人達を見ながら色々考えていると、明るく元気に弾む声がこちらに聞こえてきた。

 声がした方を振り向くと、真っ白なワンピースに向日葵ひまわりのアクセサリーが付いた麦わら帽子を被ったまひるちゃんの姿があった。そんなまひるちゃんは麻紐あさひもを編んだ様なバッグを左手に持ち、右手を大きく振りながら早足でこちらへと向かって来ている。


「おはよう、まひるちゃん」

「おはようございます! 待たせてしまったみたいでごめんなさい」


 俺の前へとやって来たまひるちゃんは挨拶を済ませると、丁寧にペコリと頭を下げた。いつもながら礼儀正しい子だ。


「謝る事はないよ。約束の時間まではまだだったんだし」

「でも、待たせたのは事実ですから」

「いいよいいよ。それに今日は二人で遊びに行くんだから、細かい事は気にせずに楽しもう」

「はいっ!」


 まひるちゃんは元気で明るい返事の後、にっこりと嬉しそうに微笑んだ。

 そして二人で駅の中へと入り、そこから一時間程をかけて今日の目的地へと向かった。


× × × ×


「わー! きれーい!」


 午前9時37分。目的地に着いた途端、まひるちゃんはその光景を見て目を輝かせながら甲高かんだかく弾んだ声を上げた。


「去年は俺も海には行かなかったから、何だか懐かしく感じるなあ」


 そう言いながら目の前に果て無く広がる海を眺めた。波打つ海面は太陽の強い陽射しを浴びてキラキラと輝き、砂浜と海の境目では三歳くらいの小さな子共がおぼつかない足取りで遊んでいるのが見え、そしてその小さな子供の近くでは、若い夫婦がにこやかな笑顔を浮かべながらその子供の様子を見ている。

 そんな様子を見てから砂浜全体を右から左へ見回すと、やはり夏休みという事もあってか、若者の数が凄く多い様に見えた。まあ、夏と言えば海ってのは若者なら自然な発想だと思うし、そこへ遊びに行くというのも自然な事かもしれない。

 しかし最近は友達と集団で海へ行くというのは少ないのか、見渡す限り沢山のカップルと思われる組み合わせがひしめき合っている。


「お兄ちゃん! 早く行きましょう!」


 砂浜でイチャつくカップルに呪いの視線を向けていると、まひるちゃんは弾んだ声のままで俺の左手を握ってグイグイッと引っ張ってきた。


「そうだね、行こっか!」


 イチャつくカップルを見て曇った俺の心を一瞬で浄化するまひるちゃんの笑顔を見てそう返事をし、手を引かれながら砂浜へと続く階段を下りて行く。

 そして海へ遊びに来た人達の為に設けられた更衣室で着替えた俺は、砂浜でまひるちゃんが来るのを今か今かと待っていた。


「――お、お待たせしました……」


 海辺で大人しく座って待つこと約十五分。強さを増していく太陽の陽射しに耐えながら吹き出る汗を腕で拭っていると、背後から明らかに恥じらう様な感じの声がかけられた。


「おおっ!」


 その声にぱっと後ろを振り向くと、綺麗な青空を思わせるスカイブルーのワンピース型水着に身を包み、朝から被っていた向日葵のアクセサリー付き麦わら帽子を被り、重ね合わせた手をモジモジとしているまひるちゃんの姿があった。


「あ、あの……ど、どうですか? 似合ってますか?」


 ――何だこの超絶可愛い美少女は!? このままお姫様抱っこで抱え上げてチャペルに飛び込みたいっ!


 久しぶりに俺の中の可愛いメーターが振り切れ、頭の中が暴走する。


「すっげー似合ってるよっ!」

「ほ、本当ですか? 良かったです……」


 ワンピース型水着のスカート部分を右手で軽く掴むと、まひるちゃんは恥ずかしげにしながらも嬉しそうに微笑んだ。

 俺はその可愛らしい姿を直視し続けるのは危険だと思い、少し気持ちを落ち着かせる為に海へと視線をらす。


 ――ああ……空も海も青いなあ…………。


 水平線の彼方まで続く鮮やかな青色。そこにアクセントの様に浮かぶ白い雲。その光景に少し心を落ち着けた俺は、改めてまひるちゃんの方を向いてその姿を目に焼きつける。


「……さて、まずは何をしよっか? さっそく海に入る?」


 実は今日、こうしてまひるちゃんと海へ遊びに来たのは、兄のまひろからそうお願いをされたから。つまり今日、俺はまひろの代わりに保護者をやってるって訳だ。

 そして何とも意外な話だけど、まひるちゃんは今まで海で遊んだ事が無いらしく、海を見に行ったのも小さな頃の一度だけらしい。

 本来なら友達と行くのが普通なのかもしれないけど、なんでもまひるちゃんには悩みと言うかコンプレックスがあるらしく、そのせいで友達と海へ行く事を拒否していたんだそうだ。

 その悩みというのは、昨日まひろに『まひるを海に連れて行って欲しい』と頼まれた時に聞かされたんだけど、それはこの時期の女子らしい悩みだと思えた。

 こんなに可愛らしいまひるちゃんの抱えるコンプレックス。それは、胸が小さい――という事。

 男からすればあまり大した事には思えないけど、女性にとっては重要な問題なんだろう。

 つまりまひるちゃんは自分の小さな胸にコンプレックスを抱くあまり、周りの視線が気になってこうした場に行く事を避けていたらしい。それに友達の女子は発育が良いらしく、一緒に行って比較されるのも悲しいとの事で、それも海などへ行く事を躊躇ちゅうちょする要因となっていたようだ。

 しかし夏休みに夏らしく海で遊んでみたいという欲求も当然のようにあったまひるちゃんはその事で悩んでいたらしく、その事を知ったまひろが手始めに慣れる為にと選んだのが俺だった。

 こう言うとまるで練習台の様に聞こえるかもしれないけど、まひろ以外でまひるちゃんが慣れている男性と言えば俺しか居なかった――というのが本当のところらしい。まあ、まひるちゃん自身も『龍之介さんと一緒なら大丈夫』とまひろに言っていたらしいけどな。

 だが、男性は女性の胸を無意識に見てしまう生き物。ましてやコンプレックスを抱くまひるちゃんには、胸の話は御法度ごはっとそのもの。だからまひろはまひるちゃんの抱くコンプレックスを内緒にする事で話をし、その上で俺にまひるちゃんを海へ遊びに連れて行って欲しいと頼んできたという訳だ。


「えーっと……それじゃあ、まずはアレをしてみたいです!」

「えっ!?」


 まひるちゃんが指差す方向を見た俺は、その光景を見て激しい動揺を起こした。

 指差された場所で行われている行為。それは一組のカップルの彼氏が、彼女の背中に日焼け止めを塗ってあげているという光景。

 まひるちゃんはそれを見て動揺する俺をよそに、俺の右手をギュッと握って海の家の方へと引っ張って行く。

 こうして親友の妹、まひるちゃんとの海遊びは幕を開けたのだった。

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