第112話・質問×頼み事

 夏休み六日目。予定では今日、夏休みの宿題がほとんど終わる事になっている。

 そして俺は今日、昨日よりも更に気合を入れて勉強に取り組んでいた。

 普段なら勉強など適当にやって誤魔化すところだけど、まひろはこれで結構しっかりしているので、ある一定の時間が経つと勉強の進行具合を確かめてくる。そこで俺が適当な答えでも書いていようものなら、すぐさまやり直しをさせられてしまう。よって、適当に解答をして切り抜けるという方法はまずとれない。

 それに昨日はベッドの下にある男のロマンをまひろに見られた事により、俺はもっと手を抜けない状況へと陥っていた。

 実はまひろ、エッチな類の話が苦手なようで、下ネタを感じさせる類の発言をすると、すぐに顔を真っ赤にして黙り込んでしまう。

 中学生の時に俺の秘蔵本を見せてやろうとした時なんか、手渡した本の表紙を見た瞬間、白く綺麗な肌がパッと赤く染まったかと思うと、そのまま激しく取り乱しながら秘蔵本をビリビリに破かれたというエピソードもあるくらいだ。まあ、あの時は秘蔵本を失った悲しみよりも、まひろの取り乱しようにビックリした俺が必死になって終始謝っていたわけだが。

 でもあの時だって、別に意地悪でそんな事をしたわけじゃない。まあ、初心うぶなまひろがどんな反応をするか興味が無かったかと言えば嘘になるけど、まさかあんなに取り乱すとは思ってなかった。

 それに他の男友達に見せてやった時はみんな喜んでくれたし、まひろだって興味くらいはあると思ってたんだが、その予想は完全に的外れだったわけだ。

 しかしまあ、幸か不幸か、この緊張感のおかげで勉強は思ったよりも進んでいる。

 まひろには今朝、家に来た段階でちゃんと謝ったんだが、あの時はさながら付き合っている彼女に見つかってはいけない物が見つかり、それを許してもらおうと必死になっている彼氏――という様な気分だった。

 異性と付き合った経験が無いんだから、この例えはおかしいと思う。だが漫画などではわりと見かける場面だから引用しただけだ。それに、俺としてはあながち間違った表現ではないと思っている。

 そんなまひろは俺が謝った時点で、『僕こそ突然帰ってごめんね』と謝ってきたから、とりあえずそれでこの件はお終いのはずだったけど、やはりまひろから感じる雰囲気はいつもと違う。


「――そ、そろそろお昼の休憩にしよっか」


 カリカリとノートに向かってペンを走らせていると、まひろが突然ぎこちなくそう言ってきた。

 部屋の掛け時計に視線をやると、もう午後12時36分になっている。俺はこの時ほど時の流れを早く感じた事はない。


「そ、そうだな。何か食べるか」


 そのぎこちない問いかけに、俺も思わずぎこちない返事をしてしまう。


 ――何だろう……この妙な緊張感は。


 二人でリビングへと下り、台所で夏の定番お手軽料理とも言えるそうめんを茹でる。

 おそらく日本において、そうめんが一番食べられるのがこの夏という季節だ。そしてその消費は、夏のお昼が最も多いのではないかと思う。まさに夏を代表する――いや、夏をイメージする食べ物と言えるだろう。

 それからしばらくして茹で上がったそうめんを、リビングでまひろと一緒にツルツルとすすり上げながら食べる。相変らずお互いに妙な緊張感が続いているけど、リビングにあるテレビを見る事でお互いに無言である事が不自然ではなくなっているのが幸いだ。

 テレビから流れてくるニュースに耳と目を傾けながらも、時折まひろの方を見て様子を窺う。

 まひろは何やら伏せ目がちにしながら、顔だけをテレビの方へと向けている。やはりこの様子を見るからに、昨日の件が尾を引いているのは間違い無いようだ。

 しかし朝にちゃんと謝った以上、俺にはもうやれる事は無い。後は時間が解決する事を願うしかないだろう。中学時代のあの時もそうだったし。

 それから昼食を終えた俺は、再び地獄の夏休み宿題コースへと戻った――。




「……ねえ、ちょっと聞いてもいいかな?」


 後半の勉強を始めてからどれくらいの時間が経っただろうか。

 静かな部屋で勉強に精を出していた俺が、もう少しで宿題のノルマが終わるなと思っていたその時、まひろが突然静かに声を出した。


「ん? 何だ?」


 最初は何か解らない問題でもあったのだろうかと思ったけど、冷静に考えれば俺が教えてもらっているこの状況で、まひろが宿題に関してこちらに質問をしてくる事は無い。仮にそうだったとしても、まひろが解らない問題を俺が解ける訳もないからな。


「えっと……あのね……」


 まひろは少し顔を紅くして視線を下へ落とし、両手の平を合わせる様にしながら人差し指をクルクルと回してモジモジしている。その様子を見る限り、よほど言いにくい事なんだろうとは思ったけど、その内容がどんな事なのかは正直予想すらできなかった。

 俺はまひろが何を言いたいのかを急かすわけでもなく、ただじっとその続きを言葉にするのを待つ。


「……あ、あのね……龍之介ってさ、む、胸の――な――が好きなの?」

「何だって? もう一度聞いていいか?」

「だ、だから、龍之介は胸の大きな女の子が好きなの?」


 まひろは羞恥心に耐える様に顔を真っ赤に染めながら、今度ははっきりとした声でそう聞いてくる。

 それを聞いた俺は、正直言ってビックリした。だってエロ本の表紙を見ただけで取り乱すまひろが、『胸の大きな女の子が好きなの?』とか聞いてきたんだから。

 これが他の男子との会話なら、『ああ。好きだぜ!』とか素直に答えればいいんだろうけど、今目の前に居る相手はまひろ。この質問にどのような意図が隠されているか分からない以上、迂闊な返答はできない。

 俺は腕組をしつつ頭を下げ、慎重に返答内容を熟考する。

 よもや女子の胸についてここまで悩む事が人生にあるとは思っていなかった俺は、先程までしていた宿題以上に思考をフル回転させていた。


「…………」


 状況は先程と逆になり、今度はまひろが俺の返答を静かに待っている状態だ。

 ただでさえ返答を迷っているというのに、無言で向けられるまひろの視線が俺を更に焦らせていく。


「――えっとあの……ま、まあ、胸の大きな子も好きだな」


 結局、俺が熟考した末に出した返答はこれだった。

 だってどんな返答をしたとしても、結局まひろの質問の意図が分からない以上、どういう反応になるかは分からないんだ。だったら素直に答えておくのが無難だと思えた。


「そっか……やっぱり胸の大きな子がいいんだね……」


 まひろは何だか残念そうに呟いた。

 だが俺は、このまひろの言い方には納得できず、つい反論をしてしまう。


「まひろ、お前の言っている事は間違ってるぞ」

「えっ?」

「俺は『胸の大きな子も好きだ』とは言ったけど、『胸の大きな子がいい』とは言ってないぜ?」


 随分と間抜けな主張をしていると思うが、これは結構重要なところだ。

 男にはそれぞれ、女性の胸の大きさや好みってのはあるだろう。しかしながら、胸が大きかろうが小さかろうが、それが好きな相手なら大して気にならないと思う。

 それに好きな相手ではないとしても、女性の胸には男性の果てしなき夢がふんだんに詰まっている。小さいなら小さいなりに、大きいなら大きいなりに、それぞれ良いものなんだ。それをいちいち比べて評価するなんて、俺からするとナンセンスとしか言いようがない。


「じゃ、じゃあ、別に胸が小さな女の子でも大丈夫って事?」

「はっきり言って、まったく問題は無いな」


 つい力強く即答してしまったが、我ながらアホな事を胸を張って言ったものだと思った。


「そっか、良かった……」


 いったい何が良かったんだろうと思っていると、まひろが真剣な表情で俺を見てきた。


「龍之介。頼みがあるんだけど」


 珍しく頼み事をしてきたまひろの話を聞いた俺は、その頼み事を快く引き受けた。

 そしてまひろは俺の返答を聞くと、ほっとした様にして笑顔になった。

 おそらくそれを切っ掛けにとは思うけど、お互いのぎこちない雰囲気はなくなり、残りの宿題をスムーズに進める事ができた。

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