第111話・秘密×書籍

 夏休み五日目。

 今日も昨日と同じように、さん々と輝く太陽が外を熱く照らしている。

 部屋の中にある掛け時計は既に午前10時過ぎを指し示していて、俺は昨日と同じくクーラーが程良く効いた自室の中で、まひろと一緒に小さなテーブルの上にあるノートに視線を落としていた。

 昨日は調子に乗って遊び過ぎたせいで深夜遅くまで勉強に励む事になった俺は、まともな睡眠時間も取れないままに朝を迎え、再び夏休みの宿題地獄へと突入している。

 そして案の定、睡眠不足が影響しているのか、昨日以上に勉強に集中できないでいた。


「手が止まってるけど、解らない問題でもあった?」


 シャープペンを右手に持ったままでじーっとノートを見つめていた俺に、まひろがいつもの様にその涼やかな声音を響かせながら問いかけてきた。


「あっ、いや、何でもないよ。ちょっとぼーっとしてただけだ」


 苦笑いを浮かべながら問いかけに答え、再びペンを走らせる。

 さすがに『昨日の深夜まで勉強をやってたから』何て言えるはずもない。言ってしまえばまひろは絶対に俺の心配するだろうから。

 それに元々は俺が言い出した我がままが原因。それなのに、こうして勉強を見に来てくれているまひろの手を煩わせるのは申し訳ない。ここはしっかりと気合を入れて頑張らないと。

 そう思って気合を入れ直し、まひろに気を遣わせない為に頑張って宿題に挑んでいたけど、さすがにお昼を迎える頃には完全に集中力が切れていた。


「そろそろお昼だし、休憩しよっか」


 限界だった俺にまひろが声をかけてきた。正直、そのタイミングの良さに感謝したいくらいの思いだった。

 俺はその言葉に大きく頷くと、まひろと一緒にリビングへと下りてから昼食の準備を始める。

 杏子は俺が演劇の手伝いから帰って来た次の日、つまりは昨日から友達の家で三泊四日の勉強合宿を開いているらしい。そのせいもあるのか、今の我が家はとても静かなもんだ。

 まひろと一緒に軽い昼食を作り食事をした後、俺は再び勉強地獄へと戻った――。




 勉強を再開してからしばらく経った頃、俺はさっきとは別の問題に直面していた。


 ――ヤバイ……眠さが押し寄せてくる。


 ただでさえ眠気が激しかったところに食欲が満たされたものだから、食事前に感じていた眠気が何倍にもなって襲いかかってきていた。

 頭は上下にフラフラと揺れ、まぶたも上下しているから、いつ夢の世界へと旅立ってもおかしくはない。


「龍之介、眠そうだけど大丈夫?」


 さすがにこんな状態の俺を見れば、眠たいって事はモロバレになるだろう。しかし、俺がここまで眠気に襲われている理由を素直に喋るわけにはいかない。


「ああ、わりい。昨日うまく寝つけなかったもんだからさ」

「そうだったんだ。昨日の夜は特に蒸し暑かったもんね」


 まひろは俺の言葉を聞き、寝つけなかったのは暑さのせいだと思ってくれたようだ。まあ、確かに暑かったから寝つきが悪かったのは嘘ではないけど。


「そうなんだよ」

「そっか……それじゃあ、少しお昼寝してもいいよ」


 まひろは静かにノートや教科書を閉じると、にっこりと笑顔でそう言ってくれた。

 何ともまひろらしく優しい気遣いだが、さすがに勉強を見に来てもらっているのに、俺が呑気に寝るわけにもいかない。


「いや、それはまひろに悪いからいいよ」


 そう言うとまひろは口を尖らせながらこちらへと近付き、無理やりその場で俺を立たせた。


「ど、どうしたんだよ。まひろ」

「そんなに眠そうにしてたら勉強にならないよ。集中力もなくなってるし、少しだけでも寝てから勉強をした方が効率的だよ」


 そう言って俺をベッドへと押しやって行くまひろ。

 いつもは消極的なところが目立つまひろだが、それはあくまでも自分に関する事が多い。その対象が俺や茜などの友人になると、まるで別人の様に変わる。言ってみればまひろは、凄く献身的なのだ。

 意外に思うかも知れないけど、俺が知る限りではまひろの交友関係はそう広くない。それはもちろん、まひろの消極的な性格が影響しているせいもあるだろう。だけど俺は、それが悪いとは思わない。

 別に友達の多さが、人としての優劣を決める決定的な要素ではないからだ。要は友達が多かろうと少なかろうと、その人達を大事にできるか、大事に思えるかが重要なんだから。

 そういった意味では、俺はまひろから凄く大事に思われているんだという事が分かる。それは嬉しい事なんだけど、時にはその献身さを自分の為に使ってもいいと思う。まあ、そういった器用な事ができないのが俺の親友、まひろなんだけど。


「……分かったよ。それじゃあ、少しだけ寝かせてもらうな」

「うん」

「寝てる間は自由にしててくれ」

「うん。ありがとう」


 再び笑顔を見せてくれたまひろを見た後、俺は静かにベッドに横になる。

 そして横になった時にふと横目でまひろを見ると、テーブルの上にあるコップを手に持って中のお茶をちびちびと飲んでいた。

 その可愛らしい飲み方を見つつ、まひろの温かな存在を感じながら瞳を閉じる。すると心地良い眠りの波が全身に広がり、俺は夢の世界へと旅立った。


× × × ×


「ん……」


 どれくらい時間が経っただろう。俺はある夢を見て唐突に目を覚ました。薄く開けた目で掛け時計を見ると、時刻は16時になる直前を指し示している。


 ――昼食を食べ終わったのが13時前だったから、約三時間くらい寝てたわけか……。


 寝ぼけた頭で薄っすらとそんな事を思いながら上半身を起こすと、俺の寝ているベッドに寄りかかっているまひろが目に入った。


「まひろ?」


 軽く呼びかけてみたが、まひろは何の反応も示さない。

 俺はそっとベッドから下り、まひろの様子を窺う為に正面へと回る。


「何だ。寝てんのか」


 まひろは小さな寝息を立てて眠っていた。

 それを見た俺はベッドから毛布を一枚取り、まひろにそっとかける。いくら夏とはいえ、クーラーが効いた部屋で薄着のまま寝てしまうのは身体に悪い。


「んん……」


 俺が毛布をかけると、その刺激のせいかまひろが目を覚ました。

 だがまひろは少し寝ぼけている様で、自分が毛布に包まれている状況を理解できないのか、毛布を自分の手で掴んで見つめながらぼーっとしている。


「悪い。起こしちゃったみたいだな」

「龍之介……? ――あっ!?」


 俺の名前を呼んだ数秒後、まひろは恥ずかしそうに顔を赤くし、毛布を掴んだ手を口元にまで上げてそれで顔を隠す。

 一瞬何事かと思ったけど、まひろの事だから寝顔を見られたのが恥ずかしかったとか、そういう理由なのだろう。何とも乙女チックで可愛い奴だ。


「ご、ごめんね、龍之介。すぐに片付けるから」

「あっ、別に気にしなくていいぜ?」


 まひろは慌てて毛布を畳み始める。

 俺の言葉は聞こえてるだろうけど、そんな事はお構いなしに綺麗に毛布を畳んだまひろは、それをベッドの上へと丁寧に置いた。


「さ、さあ、勉強を再開しよっか」


 まひろは恥ずかしさを打ち消すかの様にして、少し強めの声音でそう言った。


「あっ!?」


 そして自分が座っていた定位置に戻ろうとした時、まひろはテーブルにつまずいて体勢を崩し、床に手と膝をついた。その時の衝撃でテーブルの上にあったまひろの消しゴムが床に落ちてポンポンと跳ね、ベッドの下へと転がって行く。


「大丈夫か!?」


 体勢を崩したまひろに近寄ってから助け起こす。

 するとまひろは、『ごめんね』と言いながら体勢を元に戻した。


「あっ、消しゴムが無い」


 定位置へと戻って再びノートを開いたまひろが、消しゴムがなくなっている事に気付いて辺りを探し始める。


「さっきまひろがコケた時、テーブルから落ちてベッドの下に転がって行ってたぜ」

「あ、そうだったんだ」


 まひろはそう言ってベッドの方へと移動し、その下を覗き込見ながら手を伸ばす。


「あれ? 何か変な物がある……」

「あっ!? ま、まひろ! 消しゴムは俺が取るからっ!」


 その時、俺はある事を思い出し、慌ててベッドの下に手を伸ばしていたまひろを止める。

 しかし、時既に遅かったらしく、まひろはそこにあった物を暗闇の中から引き出してしまった。


「あっ…………」


 闇の中に封印されし物を光の下に晒し出したまひろは、その色白な肌を一瞬にして赤色に染め上げ、そのまま固まってしまった。


「ま、まひろく~ん? 大丈夫?」


 まひろは俺の言葉など聞こえていない様で、取り出したそれをじっと凝視していた。

 その身体は小刻みにプルプルと震えていて、まひろがいかに動揺しているのかを物語っている。


「ま、まひろ?」

「はうっ!?」


 そんなまひろが心配になって肩に手を置くと、その身体が大きくビクンと跳ね、真っ赤な顔のまま瞳を潤ませながらこちらを振り向く。

 こんな時に雰囲気を読まずに申し訳ないが、その姿はめちゃ可愛い。


「ご、ごめんっ!」

「お、おい!? まひろ!?」


 まひろはそう言うと素早く立ち上がり、部屋を駆け足で出て行った。

 俺は急いでまひろを追いかけたが、あの状態になった時のまひろの運動能力は常軌を逸していて、結局は追い着く事ができなかった。溜息を吐きながら部屋へと戻った俺は、まひろが残して行った勉強道具を綺麗に片付ける。

 そしてその後、まひろが見て固まった数冊の本を手に持ち、かなりの後悔と共にそれを鍵付きの机の引き出しにそっとしまい、カチャリと鍵を閉めた。

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