第90話・モヤモヤ×イライラ

 落ち着かない様子を見せていた茜を見た翌日。

 その出来事は突然に起こった。いや、起こったと言うよりは、起こっている現場を目撃した。そう言った方が正しいだろうか。

 今日も朝から空に昇った太陽は、嫌味なくらいに凄まじい熱線を浴びせてきていた。

 連日家で見ているテレビからは、過去最高の暑さを記録したというニュースが流れ、それを聞く度に毎年同じ様なフレーズを聞いている気がしてくる。

 まあ、おそらく気のせいではないのだろうけど、実際にこんな暑さを身体に感じていると、年々地球は暑くなっているんだなと実感してしまう。

 そんな茹だるような暑さが全身と精神に満遍なく響いていた昼休み、俺は渡とまひろと一緒に購買部へお昼ご飯を買いに来ていた。


「お好み焼きパン、やっぱり買えなかったな……」


 不満げに袋に入ったパンを見ながら、渡が大きな溜息を漏らす。

 購買部で買い物を済ませた俺達は、教室へ戻るのも面倒だからと日陰にあるベンチへと向かっていた。

 このクソ暑い日中に外で食事とはどうしたものかと思うけど、たまには気分を変えるのも悪くないだろう。考えようによっては風が吹き抜けて行く外の方が、教室よりも幾分か涼しいかもしれないし。


「あれの人気は異常だからな、手に入らなくても仕方ないさ」

「あのパン、本当に美味しかったもんね」

「えっ!? 涼風さんは食べた事あるの!?」

「う、うん。前に龍之介に分けてもらって食べた事があるんだよね」


 まひろがそう言うと、渡の表情が驚愕の表情へと変わっていき、次には今にも飛び掛ってきそうな目で俺を見てきた。


「何だよ?」

「龍之介……お前、そんなレア物を手に入れておいて、何で俺には分けてくれなかったんだ!?」


 凄まじい勢いで俺に掴みかかってくる。


 ――おいおい。お好み焼きパン一つでそんなにムキになるなっての。


 大きな声でそんな事を言う渡のせいで、周りに居る生徒達が何事だろうと言った感じで俺達を見ていた。はっきり言って、恥ずかしいくらいに晒し者になっている。


「落ち着け! パンは宮下先生に貰ったんだよ。文句があるなら宮下先生に言え。きっと素敵な言葉でお前を罵ってくれるから!」


 俺は適当にそんな事を言ってこの場を逃れようとした。本当にコイツは暴走すると面倒くさいからな。


「そっか。それもいいかもしれないな……」

「えっ?」


 ――コイツ、もしかしてMキャラだったのか?


 はっきり言って、宮下先生がそんな事をするキャラだとは思ってないけど、どうも渡は信じてしまったようだ。

 そしてブツブツと何やら呟いている渡を置き去りにし、まひろの背中を押して再び前へと進み始める。


「――ねえ、あそこに居るのって茜ちゃんじゃないかな?」


 もう少しでお目当ての日陰のベンチに着こうかという時、まひろがそう言いながら校舎側の一角を指差した。

 その指差された方へ目をやると、そこには確かに茜が居るのが見えた。

 結構離れた場所に居るその人物がなぜ茜だと分かるかと言うと、単純に茜のトレードマークである長いポニーテールが揺れているのが見えたからだ。まあ、ポニーテールをしている女子は他にも沢山居るが、茜のポニーテールは特別分かりやすい。

 なぜかと言うと、茜は凄く髪の毛が長いからだ。そのポニーテールの長さたるや、茜の背丈の半分以上、つまり、茜のお尻部分を過ぎて膝裏にかかりそうなくらいに長い。そんな茜のポニーテールは、どんな女子よりも自然と目立つ。

 要するに、あそこまで長いポニーテールを揺らめかせている女子など、まず茜を置いて他には居ないという結論になるわけだ。


「確かに茜だな。近くに誰か居るみたいだが」


 遠目に映る茜の近くには、別の人物も居るのが見てとれた。制服を見る限りはそれが男子だというのは分かったが、さすがにこの距離では顔までは分からない。


「あれって森山じゃないか」


 俺とまひろが来た方からのろのろとやって来た渡が、確信めいた口調でそう断言する。


「お前、この距離で相手の顔が見えるのか?」

「まあな! 俺の視力は6.0あるし!」


 ――6.0って……コイツはアフリカに住む凄く目の良い民族の血筋か?


「あっ、校舎陰に入ったな。ちょっと行ってみようぜ!」


 言うが早いか、渡は好奇心溢れる声音を出してから走り出した。


「お、おいっ!? 待てよ渡!」


 俺の声などまるで聞こえていないかの様にし、渡は目的の場所へと走って行く。


「龍之介、どうする?」

「とりあえず渡を取り押さえに行こう」


 そう言って俺が走り始めると、まひろもそれに続いて後ろからついて来た。


「おい、渡」

「シィーッ!」


 校舎陰を覗く様にしていた渡に近付いて声をかけると、渡は凄い形相で静かにしろと人差し指を立てて口元につけ、静かに校舎陰の方を指差した。どうやら覗いて見ろという事らしい。

 気が進まない感じではあったけど、茜が誰と何をしているのかが気にならないと言えば嘘だった。だからそうは思いながらも、好奇心から校舎陰を覗き見てしまった。


「――君が好きなんだ」


 校舎陰を覗き見た俺の耳に届いたのは、茜の顔をじっと見てそう言う森山の声。

 茜と幼馴染として過ごしてきた期間もかなり長いが、こんな状況に出くわすのは初めての事だ。

 俺は茜がどんな返事をするのだろうかと、思わず固唾を飲んで見つめてしまう。


「そ、そんな事、急に言われても困ります……私もよく知らないし……」

「そうだよね……」


 茜の言葉に対し、森山は明らかに落胆した表情を見せていた。


「あの……少しだけ、考えさせてもらえませんか?」

「えっ? 考えてくれるの?」

「はい。だから少しだけ時間を下さい」

「ありがとう! 是非お願いするよ!」


 先程の落胆振りから一変、森山は清々しい笑顔を浮かべて見せる。


「…………渡、まひろ、行こうぜ」

「いいのか?」


 渡の問いかけに俺は答えなかった。なぜならこの時の俺は、何で茜はきっぱりと断らなかったんだろう――と、ただそれだけを思っていたから。

 そして当初の予定通りにベンチへと戻って三人で食事をしたが、誰もさっきの事について口を開く事は無かった――。




 森山が茜へ告白したのを見てしまった日の放課後。俺はどこか焦点が定まらないような、そんなモヤモヤとした感覚の中で下校をしていた。


 ――何だろう……この何とも言い難い感覚は……。


 このモヤモヤとした感覚をあえて口にして表現するとしたら、イライラに似たような感覚――としか言い様が無い。


「いてっ!」


 そんな事を考えて帰路を歩いていると、突然後頭部に重い何かが当たり、それに伴って後頭部全体に痛みが走って行く。

 痛みで後頭部を押さえながら後ろを振り返ると、そこには鞄を持ってニヤニヤとしている茜が居た。


「どうしたの龍ちゃん? ぼーっとしちゃって」

「お前はぼーっとしてる相手に後ろから容赦無く鞄で一撃をかますのか?」


 痛みが走る後頭部を引き続き押さえながら、茜をジロッと見る。

 しかし茜は意に介した様子もなく、いつもの様に毒づいてくる。


「何言ってるの龍ちゃん? 龍ちゃんがぼーっとしてるから、気合を入れてあげたんだよ? 感謝してくれなきゃ。それに、何度声をかけても無視する龍ちゃんがいけないんだからね」

「そ、そうだったのか? そりゃあ悪かったな……」

「ねえ、一緒に帰ろうよ」

「えっ? ああ、いいぜ」


 俺は久しぶりに茜と一緒に帰路を歩き始めた。

 隣に並んで歩く茜の表情はいつもの様に明るく――いや、いつもよりも明るい様に見えた。そしてどこかウキウキしている感じに見える。


「今日は部活はないのか?」

「うん。今日は顧問の先生に急用が出来たからお休みなんだって」

「そっか」


 帰り道、茜は他愛のない世間話や学園での事を話していた。

 茜の話を聞きながら時に相槌を打ち、時には反論をしながら会話を進める。それはいつもしている茜とのやり取りと何ら変わらない。

 そのうち茜の家へと近付いたが、結局その間に茜の口から今日のあの出来事について語られる事は無かった。


「……なあ、茜。何か俺に言いたい事とか無いか?」

「龍ちゃんに言いたい事? うーん……別に無いと思うけど、何で?」

「…………いや、無いならいいんだよ。じゃあな」

「えっ? う、うん。じゃあね」


 俺はぶっきらぼうにそう言って自宅へと走った。


 ――何なんだ……このムカツク気持ちは。


 多分、俺は心のどこかで茜は何でも話してくれると思っていたんだと思う。事実、小さな頃から茜は俺に色々な事を相談したり話したりしてくれていたから。

 でももちろん、茜が自分に関する全てを俺に話していたとは思わない。それでもアイツは、俺には何でも話してくれていたと思っている。

 だけど今回の事は何も話してくれない。その事が俺を限りなくイラつかせていた。

 そして茜への告白を見てしまった週の日曜日。俺は決定的な出来事に遭遇する事になってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る