第89話・Secret×Letter

 七夕祭りから三日後。

 今日も朝から太陽は全力で地表を熱していて、学園へと向かう最中もその熱気はどんどん増してきていた。

 そして今、教室の外に見えるグラウンドでは、あまりの熱気に陽炎かげろうすら見えている。

 そんな外の様子を見ながら授業を受け続け、そろそろお昼を迎えようかという頃。太陽はその力を最大限に発揮して地上を照らしていた。


「あち~い……休みた~い……」


 炎天下のグラウンド上を今にも倒れそうな気持ちで走っている俺の口から漏れ出る言葉と言えば、さっきからこればっかり。

 でも、これは当然だと思う。だって、ギラギラと照りつける太陽が真上に在る炎天下で、俺達は地獄のマラソンをしているんだから。こんな状況では、弱音や文句の一つも吐きたくなるのが普通だ。


「頑張れー! 龍ちゃーん!」


 何度目かになる声援をプールサイドから飛ばしてくる茜。


「アイツは気楽でいいよな……」


 男子は炎天下のグラウンドで過酷なマラソンをしているのに、女子達は楽しげにグラウンドの一角にあるプールで優雅に水泳ときたもんだ。男女同権とか、男女平等を訴え続けている世の中なのに、現実はどこまでも厳しい。

 まあ、全てが平等なんて現実ではありえない事だけど、それにしたってこの差は納得がいかない。俺だってプールで涼しく楽しく遊びたいんだ。

 疲れた身体に鞭打つ様にして必死に走り、頼りなく手を上げて茜の声援に応える。


「い、いいよな女子は……俺はあっちに混ざりたいよ」

「そうだな。めっちゃ涼しいだろうからな」


 後ろから走って来た渡が横に並んでぼやく。

 渡も既にヘトヘトになっていて、荒い息遣いと共に両肩が大きく上下に動いている。


「いや、涼しいとかそう言う問題じゃないんだよ」

「はあっ? それじゃあいったい何だよ?」


 顔をしかめながら横で走る渡を見る。

 すると渡は息を切らせながらも、ニッと妙な笑顔を浮かべてこちらを見てきた。


「そんなの決まってるだろうが! 女子が水着姿で遊んでるんだぜ!? 間近で食い入るように見たいに決まってるだろ!」


 息を大きく吸い込んでから、一気にまくし立てるようにそう言う。


 ――あー、なるほど。そう言う事か……。


 全てを理解した俺は、渡に向けていた視線を前へと戻す。


「お前らしいな」

「龍之介だって見たいだろう? 女子の水着姿を間近でさ」


 ――んな事は当たり前だろうがっ! どこの世界に女子の水着姿を見たくない男子が居るってんだ。健全な男子はすべからくそうに決まってるだろうが!


 と言いたいところだが、そんな欲望を素直に口にするのはアホのやる事なのでもちろんしない。


「お前なあ、自分の欲望をストレートに口にするのはどうかと思うぜ?」

「ちっ、格好つけやがって……本当は間近で見たくて仕方ないくせに。お前みたいなむっつりさんは、ずっと遠くから眺めてろ!」


 渡はそんな捨て台詞を吐いた後、力尽きた様にスピードが落ちて俺の視界から消え去った。

 それにしても、失礼な事を言う奴だ。だいたい、世の中の男が全員アイツみたいなオープンスケベだったら、世の中は大変な事になる。

 そう言った意味では、むっつり男子は世界にも女性にも、とても優しい存在なんだ。むっつり差別をしている人には、そのあたりを是非とも理解してもらいたいと思う。

 でもまあ、そもそもむっつりって言葉自体がイメージを悪くしているんだと思える。他に何かいい感じの言い回しは無いだろうか。

 そもそもむっつりスケベって、本性はスケベだけど、人前ではそういう事に無関心を装ってたりする人の事だからな。だとすると、そういった事にまったく無関心なんて人は居ないだろう。

 そうだ。例えばだが、好色を秘めた紳士――という言い方はどうだろうか。

 スケベという意味合いの言葉を漢字にして表現する事で軽さを消し、更に紳士という言葉で肉付けする事により、そのいかがわしさを消し去る効果があると思える。よし、これから俺はむっつりと言われたら、好色を秘めた紳士と呼べと言う事にしよう。

 そんな事をわりと真面目に考えながら、俺は炎天下のマラソンをこなした――。




「ああー、疲れがとれねえ~」


 地獄のマラソンを終えた後の昼休み。弁当を食べ終わった俺は、さっさと弁当箱を片付けてから自分の机に突っ伏した。


「大丈夫? 龍之介」


 目の前にある美月さんの席に座って一緒にご飯を食べていたまひろが、心配そうな声で問いかけてくる。


「大丈夫じゃないけど大丈夫だよ。まひろの方こそ大丈夫なんか?」

「うん。僕は日陰で休ませてもらってたから」


 昼休み前の体育の時間、まひろは体調不良だったらしく授業を見学していた。

 こちらに転校して来た時からあまり身体の丈夫な方ではなかったけど、中学、高校と駒を進める度にそれが顕著になっているように感じる。


「そっか。まあ、気をつけろよ? まだまだ夏は始まったばかりだしな」

「うん、そうするよ。ありがとう」

「お、おう……」


 いつもの様に天使の笑顔を見せてくれるまひろ。

 それにしても、最近は妙に色っぽさが出てきた気がする。おかげで俺の妄想力は上昇の一途を辿っているから困ったもんだ。

 そう思いながら窓の外に視線をやると、中庭のベンチの一つを何人かの女子が取り囲んでいるのが見えた。


「何だありゃ?」

「誰かを取り囲んでるみたいだね」

「あれはサッカー部のエースの森山だな」


 窓の外を見る俺の左隣にいつの間にか来ていた渡がそう言い放つ。


「へえ、あれが噂のサッカー部の森山か。初めて見たな」


 渡が言う森山という人物は、この学園ではちょっとした有名人だ。入学当初からそのルックスと運動能力は噂でも聞いていて、頭も良く、性格も良いと聞いている。話を聞くだけではまさに完璧人間だ。


「あの人が森山くんなんだ。噂通り人気があるんだね」

「格好良くて頭も良くて、運動も出来て性格も良いとか、どんだけ欲張りさんだよって感じだけどな。何よりモテまくっているってのが気に入らん! 龍之介もそう思うだろ?」


 苦々しい表情をしながら、渡が嫉妬に満ちた言葉を出す。まあ、その気持ちは分からなくはない。


「いいんじゃないか? 別に」

「こりゃあ意外だな。常日頃から『リア充爆発しろ!』とか言っている龍之介がそんな事を言うなんてさ」

「そりゃあお前、モテる奴ってのはモテる理由があるからこそモテてるんだろうからさ」

「龍之介はイケメンの味方をするのか? この裏切り者め!」


 マラソンの時もそうだったが、今日のコイツは本当に失礼な事を言いやがる。


「落ち着け! そして俺から離れろっ! 別にイケメンの味方をしてるわけでも、モテる奴の味方をしているわけでもねーよ。世の中には別にイケメンじゃなくてもモテる奴は居るだろ?」

「うっ……まあ、確かにな」


 渡は俺の言葉に半歩後退する。

 そう、世の中ではイケメンが絶対的にモテるとは限らない。そもそもモテるというのは、色々な要素が相まって完成するもので、サクッと簡単に出来るものではないんだ。

 それは例えば性格だったり体格的なものだったりと、その要因は様々。性格一つ取ったって、内面も千差万別。その複合要素たるや、人の身では計り知れない。

 つまりモテる奴というのは、そういう複合要素をクリアーしてるからこそモテるわけだから、そんな複雑な要素に対してどうこう言ったところで虚しくなるだけ。

 でもまあ、渡のように嫉妬する気持ちが無いかと言えば嘘になる。人はどこまでも自分に無いものに憧れ、そして嫉妬する生き物だから。

 とりあえず一つ一つそんな事を言い聞かせながら、嫉妬の炎に身を焼く渡を諭す。

 そしてそんな下らない事に時間を費やしている内に昼休みも終わり、気だるい午後の授業へと突入していく。

 それに気付いたのは本当に偶然だったと思う。特別何かを考えていたわけでもなく、ただ気だるい授業を眠ってしまわない様にしていただけだった。

 右隣に居るまひろの前の席。そこに座って居るのは茜なのだが、ふと視界にその姿が入った時、何やら茜がソワソワしているのが見えた。

 何をソワソワしているんだろうかと思い、つい視線を茜に固定させてしまう。よく見てみると、机の引き出し部分で何かを隠してそこに視線を落としている。

 俺の席から見える角度では、それが何なのかはっきりと分からない。しかしチラッと見えた感じからすると、どうやら手紙の様な物を持っているのは分かった。

 そんな茜の横顔は高揚した様に紅くなっていて、その様子はさながら、突然ラブレターをもらって困惑しながらも喜んでいる――と言った感じにも見える。

 しかしそんな事を思いつつも、茜に限ってそれは無いだろうなと思っていた。

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