第91話・理性×感情
森山の茜への告白を見て以降、俺はずっとモヤモヤした気分を抱えている。そのせいもあるのか、俺は無意識に茜を避ける様になっていた。
冷静に考えればガキだなと思ってしまうけど、人の感情がいかにコントロールし難いものなのかが分かってしまう瞬間でもあった。
もくもくとした入道雲があちこちで見られる日曜日のお昼前。
俺は特に何をするわけでもなく、リビングでテレビを見ていた。テレビを見ているとは言っても、内容は何も頭に入ってなかったけど。
「ねえ、お兄ちゃん。どうかしたの?」
向かい側のソファーに座って同じくテレビを見ていた杏子が、怪訝そうにそんな事を聞いてくる。
「どうしたって、いきなり何だ?」
「何がって……さっきから落ち着きなくチャンネル変えてるし、まともにテレビ見てないでしょ? おかしく思って当然だよ」
どうやら自分でも知らない内に、杏子が言うような行動をしていたらしい。確かにそれはおかしく思うよな。
「そっか、悪かったな。別に何でもないからさ」
「本当かなあ……ここ数日はずっと様子がおかしかったし、何か悩み事でもあるんじゃないの?」
さすがは杏子と言うべきか、兄貴の違和感をしっかりと察しているようだ。だけどその理由を口にする事はできない。
「本当に何も無いよ。杏子の気にし過ぎだって」
「うーん……そうかなあ…………」
どうも納得がいかないらしく、杏子は訝しげな表情で俺をじっと見ていた。
「ちょっと出かけて来る」
近くに居たら尋問されてボロが出る可能性もあるので、俺はそれを避ける為に外へと逃れる事にした。
杏子は自然に相手から情報を聞き出すのが上手い。つい乗せられてしまうと言うか、誘導されてしまうと言うか。まあ、俺が乗せられやすいだけって可能性もあるけど、自身がそんな単純馬鹿だとは思いたくない。
部屋に戻ってジーパンに履き替え、着ていたTシャツも別の物に着替えてから日中の外へと出て行く。
「……やっぱり暑いな」
家を出て十メートルも進まない内にその凶悪なまでの暑さにやられ、早速外へ出た事を後悔し始めていた。
いくら杏子の追求の手を逃れる為とは言え、よりにもよってお昼前の一番暑い時間帯に外へと出たのは失敗だったと思いつつ、とりあえずどこか涼しい場所に行こうと駅周辺にある店の方へ向かって移動をする。
そして茹だる様な暑さの中で辿り着いた駅周辺は、この暑さにも関わらず沢山の人波があった。
周辺のアスファルトやタイルからは、ゆらゆらと
とりあえず一刻も早く涼を得ようと、俺は行きつけの書店へ急ぎ足で向かって行く。
「あー、涼しい~」
思わず口からそう漏れ出る程の清涼感が身体を優しく撫でていく。夏場に店へと入った瞬間に感じる涼しさは本当に格別だ。
とりあえず店の中の涼しさに身を委ねつつ、新刊コーナーへと足を向ける。
出入口近くにある新刊コーナーには、俺が買い続けているラブコメ漫画の新刊が置いてあった。
いい機会なのでその本を買う為に一冊を手に取ったのだが、その時にふと思った事がある。こういったラブコメの主人公達は、男女問わずに物語の中で様々な恋愛事情や人間模様を繰り広げていく。
その中には現実では到底ありえないと思えるシチュエーションもあれば、かなり現実的なシチュエーションもある。
そして俺は、今まで見てきたラブコメ作品のシチュエーションを思い出し、今の自分の状況と重ね合わせて分析をしてみた。客観的に見れば今の俺の立ち位置は、ヒロインを狙うイケメンに対して嫉妬している主人公――という状態に当たるのかもしれない。
「いやいや、そんなはずはないさ」
そんな事を思いながらも、俺は自身の答えを否定する。
なぜならラブコメの登場人物は、相手への好意がある――という前提条件があるからこそ、嫉妬という感情が成り立つわけだ。つまり嫉妬をするには、それなりの好意がなければならない。
だから俺が茜に対して抱いたイライラは嫉妬ではなく、単純に話をしてくれなかった事に対する不満なんだと結論づけた。
仮にこれが嫉妬だと言うなら、それはきっと茜がリア充になろうとしている事に対してだろう。そう思いたい。
まあ、こういったラブコメのシチュエーションを現実に当てはめて考えるのが、そもそもの間違いだろうけど。
「――あっ!」
手に取った本を買って店の出入口へと近付いた時、自動ドアの外側を茜が通り過ぎたのが見えた。俺は何となく急ぎ足になって外へと出る。
そして茜が進んで行った先に視線をやると、そこには鮮やかな黄色のキャミソールにデニム生地のホットパンツという格好をした茜の姿があった。
最近はホットパンツが流行なのか、やたらと身に纏っている女性を見かける。
男子からすればそのホットパンツから覗く太もものムチムチ感などは結構な目の保養になるけど、茜の場合はとても健康的で健全な感じに見え、そこには独特の色気すら感じる。
色気と言うと何となくいやらしいイメージを先行させていまいそうになるけど、茜の姿から感じる色気にはそんないやらしさを一切感じない。健康的な色気という言葉があるが、まさに今の茜がそんな感じだと思う。
「どうすっかな……」
茜を見て外へ出たはいいものの、最近はずっと避けていたところがあるので、声をかけようかどうかをちょっと迷った。
けれど、さっき茜に対するイライラはリア充になろうとしている事についてのイライラと、話してくれなかった事についての不満なのだと結論づけた俺は、いつもの様に気軽に声をかけようと茜の方へ歩いて行く。
「水沢さん!」
本を片手に後ろ姿を見せている茜に向かって進んでいると、突然、茜の前方から聞いた事のある声が聞こえてきた。
俺は思わず街路樹の陰に隠れ、茜の方へと走って来る男の顔を確認する。その顔はどこかで見た覚えがあると思っていたけど、それはサッカー部のエースの森山だった。
「ごめんね! またせちゃったかな?」
「ううん。私も今来たところだから」
「そっか、ありがとう。それじゃあ行こうか」
茜は森山の言葉にウンウンと頷き、駅の方へと歩いて行った。
俺はその光景を見て唖然としていたと思う。だって日曜の午後に年頃の男女が待ち合わせをしてるって言ったら、それはもうデートしかないから。
それはつまり、茜が先日の森山の告白を受け入れたという事に他ならない。
二人が駅の方へと並んで歩いて行くのを黙って見届けた俺は、そのまま気が抜けた様に近場の図書館まで移動し、そこで夕方まで本を読んで過ごした。
いや、正確に言えば、図書館で色々な事を考えていたと言った方がいいだろう。正直、手に持っていた本の内容などまったく頭に入っていないし、自分が何の本を手に取っていたのかすら覚えていなかったから。
そんな状態で過ごして17時を迎えた頃、俺は自宅へと向かって歩き始めた――。
「あっ、龍ちゃん!」
図書館を出てひぐらしがあちこちで鳴き声を上げる帰路をとぼとぼと歩き、ようやく見えてきた自宅へと辿り着こうかという頃、なぜか俺の家から出て来た茜と遭遇した。
そして俺を見つけた茜は、いつもの様に明るい声音で近付いて来る。
「どうしたんだよ。俺の家から出て来たみたいだけど」
「ちょっと美味しいお菓子を買ったからお裾分けをねー」
「そっか」
茜の言葉に短く答えると、俺はその横を通り過ぎて自宅へと向かう。
「ね、ねえっ、どうかしたの? 龍ちゃん」
「何でだ?」
「何だか恐い顔してるし、ちょっと怒ってる感じもするし、最近ちょっと避けられてる感じもするし……あの……私が何かしちゃったのかな?」
恐る恐ると言った感じでそう聞いてくる茜。
顔を見ていないからはっきりとは言えないけど、今の茜がどんな表情をしているのかは何となく想像がつく。
「別に……茜に何かした覚えが無いなら勘違いじゃないのか? じゃあな」
「あっ……龍ちゃん…………」
冷たくそう言い放ってから足早に自宅へと向かう。
後ろから聞こえる茜の弱々しい声が、何となく昔ぎこちなかった関係の時の事を思い起こさせる。
「あっ、お帰りお兄ちゃん。今さっき茜さんがお菓子を持って来てくれたよ」
「ああ、今そこで会ったよ」
「お兄ちゃん?」
それだけ言ってからさっさと自室へ向かう。
多分、こんな感じの受け答えをしたから、杏子も心配していると思う。でもこの時の俺は、そんな事を細かく気にできるような余裕は無かった。
「くそっ!」
部屋へと入った俺は、ベッドに座ってから右手で思いっきり布団を叩いた。振り下ろした右手で叩かれたベッドが、鈍い音を立てて軋む。
だが俺はそんな事は気にせず、何度も何度も右手を振り下ろした。
この次々に湧いてくる怒りは、おそらく自己嫌悪。考えてみれば、俺が茜に対してあんな態度をとるのはお門違いもいいところだ。
でもそれが分かっていながらも、俺はこのモヤモヤとした気持ちを抑える術が分からなかった。
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