日常


3月1日、私は高校を


高校を、卒業してしまった。


大学生でもなく、高校生でもなく、社会人でもなければ、ニートでもない何もない状態。


高校生という称号を失っただけなのに、その私にはいったい何が残るのだろう。


青い春と書いて「青春」。


私が思うに青春という表現は納得いかない。

どうせなら部活への情熱や友情、恋愛を含めたらって感じだ。


青は寂しげな冷えきった印象しかない。


まるでクラスの根暗な人を例えるような、「一人ぼっち」の象徴であるかのように感じる。


前に国語の授業中に電子辞書で「青春」と入力した時、

青は植物が生い茂る表現であり、昔の青は今で言う緑の意味で、春の芽吹きというところから青春と名がついたようだ。



そんな青春のど真ん中である高校生が終わったからだろうか、胸の中には大きなぽっかりと空いたような隙間ができて、そこから冷たい風が吹いて私の心を震わせる。


早くその隙間を何かで埋めたいけど、どうやって埋めればいいのかを私は知らない。


もう春のはずなのに私の心は寂しく冷たい。



今はただ、合格発表を待つだけ。


一段落したら結衣と一緒に卒業旅行なんかに行きたいな、とか考えてどうにか気持ちを誤魔化そうとする。


他にもやりたいことがいっぱいあった。


最終回がすっごい感動して号泣しちゃったと結衣が言ってたドラマは受験勉強中で、1話も観れずに録画だけしてた。


そのドラマを一気に観たりとか、読みたかった新刊の本を買ったり、一人暮らしする時のために料理を覚えたり。


考えれば考える程やりたいことが山のように浮かんでくる。


春の日差しを浴びながら河原の花の香りなんかを楽しんで悠々と散歩なんかしてみたり。




受験勉強中に、この勉強という束縛から開放された時はどんなに気が楽なのかを考えたことがあったが、いざ開放されたら今度は結果待ちでこんなにも楽しめないとは想像もしてなかった。


どれも結果発表までは気が気じゃなくて出来そうにない。


家にいてもそわそわして落ち着きがない私に母親が、こっちまでソワソワするからどっか行ってきなさい!なんて言ってきたから結局は河原をジョギングすることになった。


走ってみると体中の筋肉が悲鳴を上げ運動不足が露呈し全然走れなくなっていた。


受験勉強でずっと机と向き合ってたから仕方ない。

と自分をどうにか理由をつけてた。


また1つ歳をとって、そのうちよぼよぼなお婆さんになるという思考を頭の隅に押しやった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る