5-3 守護者

 数匹の蜻異種が市壁の近くを、長大な市壁をぐるりと周回するように飛行している。

《どう?》

《間違いない、光の盾は消失している》

 隠された村や町の襲撃と、それを守っていた跡塔の破壊を終えた魔物達は、再びカプアの周辺に戻ってきていた。

《あっけねーな。トーマの全力ブレスすら防いだ光の盾も、それを支えるモノを叩き潰すだけで、もう影も形も維持できないとはな》

 ラルマが皮肉気味に言う。

 市壁の外縁上空を飛ぶトーマも、少し前まで眼下の都市全体から放たれていた強い圧迫感が、明らかに薄れているのを感じていた。しかし、闇の中のカプアは静まり返っており、何か特別な動きがあるようには見えない。

《でも、それは僕らも同じですよね。もし、教会に審問の院のハイブや、僕らと魔物の関係がバレでもしたら…》

《ま、どんなものにも弱点はあるってことだ》

《そして、楽観的に見るならカプアは今、その弱点をさらけ出している事になるわけよ。カプアの跡塔は中央に建つあの一つだけ、よって比較的容易く魔脈を中心まで伸ばすことができるわけ》

《いいじゃねえか、さっさとぶち壊しちまおうぜ》

《そうね、手早く中央に至るためにも、今度は市壁を四方から同時に攻撃するわ。南をトーマ、東をネーヴェ、西をアルクス、北は私、その後、魔脈を一気に中心に向けて成長させる。周辺に伸びすぎた魔脈を今、ティーフがカプアに集中させているから、魔力の支援はそれぞれ十分なはず》

《このまま、何の抵抗もされずに、都市を落させてくれるはずは、ないだろうな》

 アルクスは精神を集中させるために、周囲の風の流れを薄く、一定の強さで転回させていた。

《とにかく、中で何が待ち受けていようと、魔脈さえ都市内部に入れてしまえばこちらのものよ》

 そして、魔物達はカプアを包囲するように移動し、それぞれ配置に付く。

 飛竜はカプアの南にて、市壁を間近に見下ろせる所まで高度を下げる。

《厳密に攻撃を合わせる必要はないわ。トーマ、やってちょうだい。私達はそれに追随するように攻撃を始めるわ》

《分かりました》

 そして、口腔に炎を溜めるために、魔力を炎嚢へ送ろうとして―思いとどまる。

《どうした?》トーマの機微を読み取ったウィクリフは、問う。

《人が…います》

 トーマは、南の市壁の上に高位の法衣に身を包んだ壮年の男が一人佇んでいるのを見つけていた。その男は、大空に向けて声を張り上げる。

「魔物達よ!もしお前達に我々の声を理解できるなら聴いてくれ!」

 奇跡の力のせいなのか、空を飛ぶトーマの聴覚器官にも妙に鮮明に聞こえた。

「我々はお前達を受け入れる、お前達のあらゆる要求を認める!その代わりに、この都市を攻撃することを止めてくれないだろうか!」

 蝕より生まれ、人々の住む場所を破壊する魔物が、魔物や蝕を抹消しようとする教会と和解するなどという幻想を、そもそも考えたことすら無かったトーマは、すぐに何らかの罠ではないかと警戒する。

 当然、ウィクリフも同じ考えだった。

《下らぬ攪乱で多少の時間を稼ぐつもりだろう。殺せ、そいつは司教だ、我々に求めるものがもし有るとするなら、それは修道院長の首をおいて他に無い》

《はい》

 飛竜は市壁の上で和解を求める司教に向けて炎球を放った。


『―主よ、我々の願いと行いが光の下にあるならば、我々にあなたの信義を授けたまえ』


 壮年の司教は目前に迫る、紅蓮の塊を眺めつつ、確かにその言葉を聞いた。

「ああ…イザック様…」

 司教の前に光の盾が顕現し、爆発の衝撃を防いだ。

「どうか我々をお守り下さい…」

 司教は脱力したように市壁の上に膝を突いて天を仰いだ。

 カプアの中央、跡塔の真上に光の塊が浮かび上がっていた、その光の塊は人型を形成していく。眼の良いアルクスだけが、その姿をより詳細に認識していた。

《あれは…使者か?》

 光が収まるとそこには、中空に立つ白銀に輝く甲冑に全身を包んだ四メルトを越える巨体の騎士が居た。

 金の刺繍の施された白い外套を羽織り、頭上には白く輝く光輪を冠している。その全身鎧の使者が何かを掴むようにして両手を前に捧げると、その両手を起点にして光が集まり、それは巨大な棒状になる、光が収束すると、全身鎧の使者の両手には幅広の大きな銀の両手剣が現れていた。

《騎士…みたいな使者ですね》

《“守護者ガーディアン”だ。定められた領域の人や物を守ることに特化した使者だ。今まで市壁を覆っていた光の盾は、こいつに由来するものとみて間違いない》

 鎧の使者は両手剣の切っ先を大地に向け両手で構え制止する。その両手剣には光が集まっていた。

《つっても一体だけだろ、どうするよ?》

《作戦は継続だ。各自、市壁を攻撃、破壊しろ。ただし、あの守護者はどうやらすべてのリソースを集約されて作られた個体だ。一体だけだと侮るな》

 もうトーマの眼下の市壁の上に壮年の司教の姿は無かった。トーマは一度目のカプアの市壁へとブレスを放った時と同様に、自らの血を空間に紅い小さな水晶として湧出させる。その紅い小さな水晶は回転し、リングにへと形を変える。飛竜は口腔に溜めた炎の球をそのリングに向けて放つ。リングからの回転を受け、更に凝縮し、縦長の楕円へと姿を変え、リングが消失すると同時に、凄まじい速度でカプア南の市壁へと飛んで行った。

―今度こそ…!

 炎の弾頭は、爆音と激しい振動と共に十メルトに及び市壁を崩落させ、カプア南端の大通りの石畳を大きく抉り抜いた。

 遅れて、東の市壁を地面から隆起した結晶の柱が断ち割り。

 西の市壁に凝縮された突風によって大穴が穿たれ。

 北の市壁を蟲の酸液が融解させた。

《カプア内部にはラルマだけ侵入して。他の者は外縁で魔脈を内部に伸ばすことに集中するのよ》

 カプア内部に蝕痕が触手のように地を這い伸びていく。しかし、まだ鎧の使者は動かない。黒い豹の魔物は影に同化し、カプアに西側から侵入し、爪痕を残しながら中央を目指す。

《罠や伏兵の気配、あるいは奇跡の痕跡はない?》

《何もねえな、もっと侵入してみるか?》

《少し待て、守護者の剣に溜められている奇跡の密度が異常だ。何らかの攻撃が来る、魔脈もあまり無理に伸長させず、密度を高めろ》

《解ったわ、みな、ウィクリフの言う通り魔脈を伸ばすのではなく密に―》

 切先を地に向けて構えていた守護者が動き、剣を振り上げ、天に掲げた。すると、その刀身が陽の如き眩い光を放つ、剣から発せられた光は夜の闇を消し飛ばし、カプアに降り注ぐ。

《がああああっ!》

 かなり距離があるからと油断し、守護者の剣が放つ光をもろに見てしまったラルマは、のたうちながら建物の陰に隠れる、黒い豹の両目からは黒い血が溢れていた。

《なんだあの光は…ふさげんなよ!》

 ただでさえ光を使った攻撃には相性の悪いラルマにあの剣の光は眼を潰すに十分な威力が込められていた。そして、カプア外縁に染み出るように伸び始めていた魔脈が綺麗に消滅していた。

《カプア都市内に伸ばした魔脈が軒並み浄化されてる…》

 守護者は飛竜のほうを向き、輝く両手剣を上段に構え、空の上に踏み込み、空を切りつけた。

《トーマ!避けろッ!》

 守護者の動きと同時に巨大な光の刃が飛竜の頭上に顕現し振り下ろされる。

 ウィクリフの声に反応した飛竜は翼を畳み身体の右側で爆発を起こした。

《ぐうっ!》

 その爆風によって飛竜は紙一重で光の斬撃を避けることができた。ウィクリフの声が無ければ、今頃飛竜の顔は真っ二つになっていただろう。

 守護者は返す刃で、カプア東の崩れた市壁の上にいる巨躯の灰色狼を方へ斜めに切り上げる動きをする。

《ネーヴェ!》

 ぎりぎり反応した大狼は、光の巨刃で胸から肩口にかけて大きな切り傷を付けられつつも、後退しカプアの外に逃れた。

 驚くことに守護者の光の剣はネーヴェの身体を覆う強靭な結晶繊維をせん断する威力を誇っていた、しかし、その裂傷はすぐに結晶によって塞がれ、内部の再生が始まる。

 現時点でラルマ、トーマ、ネーヴェが回復に多少の時間を要するような被害を受けていた。守護者は追撃をするような素振りを見せず、カプア中央に佇み、再び剣に光を集め始めた。

《皆、カプアの外へ撤退しろ、内部に留まっていては守護者の的だ》

《畜生…このまま尻尾を巻いて逃げれるかよ》

 ラルマは、退避する気配を見せない。

《眼も見えないで何ができる。命が惜しくないなら、好きにしろ》

《チッ…―》


 魔物達はそれぞれ都市内から撤退し、周辺の蝕の濃い場所で、カプアの中心で光る人型を見ながら待機するしかなかった。

《どーいうことだよウィクリフ。使者ってのは俺らでも十分太刀打ちできる存在って話だろ》

《あの守護者は例外中の例外だ、明らかに通常の使者とは異なる破格の力を有している》

《さっき言っていた、リソースをあの使者一体だけに集約しているから。ですよね?》

《ああ、だが、それだけであれ程の力を有するとは考え難い》

《どういうことか、知っているなら説明してちょうだい》

《使者を顕現させるためには依り代と呼ばれる人間を使った魂の器が必要だ、依り代には通常、人一倍従順で信心深い信者が使われる。高位の聖職者はその依り代を元に使者を顕現させ操るのが主な役目であり、己が依り代になる事は、まずあり得ない》

《知ってるわ。高位の聖職者になれる者は少なく、それを依り代にして使い潰すのが惜しいからでしょう》

《そうだ。しかし、高位の聖職者が依り代になるための資質として劣っているわけではない、むしろ十分以上に有していると言えるだろう》

《じゃあ、まさか…》

《その高位の聖職者のより高位の存在、即ち、修道院長や大司教の地位にある者がもし依り代となり、それを元にして使者が顕現されたとしたら、しかもその修道院長が多くの住民から慕われるような存在であったとしたら―》

《それによって顕現する使者は、僕ら預言の魔物すら圧倒するだけの強い力を持ち得る…ということですか》

《そういうことだ》

《例外だの破格だの、使者一匹にこの有様で、どうやって中央の跡塔破壊すんだよ》

 傷を負った三体の魔物―飛竜、灰色の巨狼、影の狩猟豹は今、それぞれ身体を休め、魔力を傷の治癒に集中させていた。

《そう悲観するな。教会にとって修道院長や大司教を依り代にするのは禁じ手であることに間違いない。聖体と強く結びついた者が依り代になるということは、本来多様な奇跡を起こすための源泉であるはずの聖体を、単一の使者のものとして完結させてしまうからだ》

《頼むから、分かり易く言ってくれ》

《つまり、もうこれ以上の使者がカプアに現れることはない》

《楽観的に捉えるなら、敵の戦力が一つに集約されて明快になった、ということね。ついでに、市壁の結界による魔脈の遮蔽も今は存在しないから浄化への対策をしながらだけれど、都市内部への魔脈を伸ばす事は難しくはない。とは言っても、あの守護者と正面切って戦うのは危険すぎるわ…》

《手段はある、依り代を直接破壊すればいい》

 ウィクリフは迷いなく断言する。

《まさか、跡塔も破壊せずに、修道院の中に忍び込め、って言いたいわけ?いくらなんでも―》

《できる、を忍び込ませるだけならば》

《…なるほどね、じゃあ問題は、如何にして守護者の力を分散させるかだけど…》

《住民を狙う、だろ?》

 草原の上で伏せていた巨躯の黒い豹が起き上がり、眼を細める、そこには再生を終えた黄金色の眼が収まっていた。

《いくらあの守護者が化け物でも、たった一体じゃ、住民を守るにも限界があるだろ。周辺の村の住民からやろうぜ。今なら無防備だ》

《…たぶん、それは無理なはずよ。周辺の村や町の跡塔破壊した後、その敷地内に蜂異種ビネの監視を一匹付けておいたのだけれど、守護者の出現と同時に、全て魔力の繋がりが遮断されたの。今頃、死滅しているでしょうね》

《遮断される直前、魔力や攻撃を遮断する結界が展開されたのを確認している。奇跡の力はその対象が他者である程、強くなる、あの守護者ならカプア周辺の全ての村や町に加護プロテクションを張るくらい、造作もないだろう》

《ついでに、もう魔脈はカプアの近隣に集約しつつあるの。これ以上魔脈の成長方向を変えるのは、流石にベリダの蝕人への負担が過ぎるわ。狙うなら周辺の村や町ではなく、カプア内の住民よ》

《…奇跡の力は他者のために使われる程強くなるというならば、カプアの住民を攻撃したとしても、あまり守護者を疲弊させることはできないのではないか?》

 アルクスは問題を指摘する。

《守護者が己の本体への守りを犠牲にするまで苛烈に住民を攻撃するのだ、奇跡の力は自己犠牲の力だ、強くなる程、己に隙が生まれる。少なくとも、周辺の村よりは、守護者の負担は大きいはずだ》

《やっぱり理解できない。近くにいる身内より、遠くの他人を守るほうが強力かつ迅速だなんて》

 そうポツリと発言するネーヴェ。トーマも、その通りだと思った。

《全力でブレスを撃ち込めばいいんですね》

 緊急回避の時に負った翼の傷は癒えていた、飛竜の身体が吹っ飛ぶほどの衝撃だったとしても、可能な限りダメージを受けないように調整して起こした爆発だったこともあり、癒えるのにさして時間や集中力は必要なかったように思う。

《いや、単体での突出した攻撃では、守護者に対処されやすい。ウェルテ、より効果的に多面的に守護者を揺さぶりつつ住民を攻撃する方法を考えろ》

《任せて、もう筋書きは出来てる。アルクス、カプア周辺の風の流れとこれからどう変化するかを教えて》

《了解だ、風を読んでくる、少し時間をくれ》

 大きな両翼を羽ばたかせ、より上空へと飛翔していくグリフォン。

《ティーフ、今、カプアの周囲に結節はいくつ作れてる?》

《肥大化したものが南に一つ、あとは市壁の外周をぐるっと万遍なく小さいのがいくつかあるよ》

《よろしい、じゃあ、今から魔脈の成長は西側に注力して》

《りょうかい》

 界域の中で、薄赤い管の連なる巨大な水胞を抱える大海蛇は、ゆっくりと水胞に顎を乗せる。海竜の意思に応えるように水胞は大きく鼓動した。

《西側の結節がある程度成長するまでに、カプア攻略の作戦を伝えるわ》

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