5-4 僕は英雄であろうとした
破壊された四方の壁からカプア内部に侵入する十数匹の
それらは住民を攻撃するのではなく、家屋や建物の影になる場所に向けて飛んでいく。
《ティーフ、魔脈の調整、密にしてよ》
《うん》
界域の中では、大海蛇が赤い管の繋がれた巨大な水胞を抱えている、その水胞の内部に魔脈への干渉をより精密にする制御装置の役割を果たす小さな胞体がいつくか生まれていた。
《蝕痕の保護も、問題なさそうね》
カプアの北側の平原には、八方に規則的に林立する結晶の柱に囲まれて瞑想するように眼を瞑って座っている狼の魔物の姿があった。
普通に魔脈を伸ばすよりも数倍の時間を必要とし、あまり多くの魔脈を伸ばすことはできないが、守護者の浄化に対抗しつつ魔脈を成長させるにはこれ以外になかった。
《こちらも、今のところ反撃は来ていません》
カプアの南では壁の外側から飛竜とグリフォンが居住区に攻撃を加えている。
火球と、圧縮された風の炸裂が次々と家屋を破壊し、道の石畳を吹き飛ばし、塀を崩していた。
しかし、中に隠れていた住民は光の盾によって、瓦礫の飛散や爆風の衝撃から守られており、全くの無傷だった。
このまま空を飛ぶ二体の魔物が攻撃を続けていれば、カプアの南側が瓦礫の平地になるのも時間の問題だった。
無論、守護者がそれを黙って見ているはずはない。
《浄化の光がくるぞ、各自、特に目を保護しろ》
ウィクリフの警告と同時に、守護者は再び長大な剣を天に掲げ、カプアを照らす光を放つ。
内部に侵入していた
飛竜は、剣の光が来る瞬間、翼を前方に交差させるようにして盾にする。それでも、身体と眼を刺すような感触が通り抜けていく。それはとても、蝕人を救済するようなものではない、抹消するような暴力性を秘めているように思えた。“こんな光が…もし、国中に注がれたら”と考えると、戦慄を覚えずにはいられなかった。
そして、守護者は南を向き、白銀に輝く両手剣を上段、肩口に構える。
《トーマ、無理に姿勢は変えないでくれ》
グリフォンの眼がそれを見逃さない。
《はい!》
守護者は南に向かって空を踏み込み、振り下ろした。
空から光る巨大な断頭の刃が飛竜に振り下ろされる。グリフォンの翼から放たれた突風が飛竜を押し退け、その太刀筋から逃がす。
《ううっ…!》
空中での瞬発的な姿勢の変化ができない飛竜だけだったならば、容易く切り裂かれていたに違いない。
飛竜の口腔に三つの赤い水晶玉が浮かび上がり、炎に包まれる。飛竜はその炎弾を地に向けて撃つ、小さな炎弾は地面に落ちるスレスレで軌道を変え、カプアに向かい飛んでいく、一発は市壁に当たり、二発は破壊によって開けられた空隙からカプアに侵入し、内部の家屋を破壊する。
《三発とも、壁の内側に撃ち込みたかったんですけど、難しいです》
《いや、いいぞ、トーマ。焦る必要はない》
守護者が二の斬撃、三の斬撃を繰り返すも、飛竜とグリフォンは空中で器用に後退しながらそれを躱し、同時に飛竜は炎弾を撃つ。
隙を見てグリフォンも風の矢をカプアに向けて撃ち込む、あらぬ方向へ放たれているはずの炎弾はいずれも軌道を変えカプアの南部に向けて飛来し被害を与えていく。
グリフォンの風の矢も頻度や威力は少ないが的確にカプア南の家屋を破壊しており、じわじわとその被害は無視できないものになっていく。
そのような攻防が少し続いた後、魔物に攻撃を与えられないと悟ったのか守護者は剣を構えるのを止めると、代わりに左手の掌を南に向けて突き出した。すると、飛来する炎弾や風の矢が市壁のある位置で光の盾により弾かれてしまった。
《守護者の注意を南に引きつけた、頼んだぞウェルテ》
飛竜とグリフォンはカプアの南を飛行しながら様子を伺う。
《ありがとう、散布を始めるわ》
守護者が南側に構っている間に、風向きは北東から南西へ抜ける微風へと変わっていた。守護者は突然、南に向けて掌を構えるのを止め、北東に向けて両手剣を切り払う。
《さすが、反応は速いわね》
恐ろしい勢いの斬撃は、カプアの建物や住民だけをすり抜け、風を断ち切り、甲殻に覆われた細長い楕円形の巨大な芋虫のような蟲の魔物―
《造血胞からの魔力で量産したからまだまだ後続はいるけど》
この
それを迅速に殲滅した守護者だったが、
《トーマ、アルクス、ネーヴェ、家屋や住民への攻撃を再開しなさい、深入りは禁物よ》
守護者が南に展開していた盾の守りが無くなり、飛竜とグリフォンは再び南への攻撃を再開する。守護者はまだ北東から風に乗って市壁の外から少しずつ流れこんでくる毒の霧を剣風で切り裂き浄化しようと剣を振るっている。しかし、更にカプア東から巨躯の狼の魔物が都市内に侵入し、避難しようとする住民に走り迫っていた。
守護者はカプアの大通りを走る巨狼に一太刀を入れるが、それに反応するように結晶の殻が生成され、巨大な光の刃を弾いた。攻撃が来たら何をおいても絶対に防御に徹すると、予め決めているからこそできる防御の迅速さと堅固さだった。
守護者が狼に攻撃を続ける限り狼は動けないだろう。しかし、決定的なダメージを与えることは叶わないし、その間に他の状況へ対応することができなくなる。ネーヴェは理想的な囮としての役割を全うしていた。
《あの守護者は奇跡の集約による莫大な力と引き換えに、同時多面的な攻撃に対応するための群の力を失ったのだ、その意味は奴はあまりにも脆弱な存在といえる》
果たして守護者はカプアを攻撃する魔物達を迎え撃つのではなく、代わりに左手の拳を握り、額の前で掲げ祈るような姿を取った。
すると白銀の甲冑を覆う白い外套に白い光が宿る、守護者はその外套を掴むと中空へと投げた。外套は白い花弁のように千切れ別れて舞い、都市中央部の建物に降り注ぐ、その光の花弁が触れた建物は光を纏っていった。
魔物達の攻撃により行き場を失っていた住民達は、その光を纏った都市中央部の建物へと避難していく。
住民が避難する間、守護者はまた長大な剣に光を溜め始める。
《ウィクリフ、これは一体…》
不用意に近づく事はできない、トーマはその光景を眺めるしかなかなった。
《あらゆる攻撃を無効化する聖域を作り、全ての住民をそこで保護するつもりだ》
《決定打を与えられない場所からじわじわと攻撃する私達から住民を守るには、それが一番効率でしょうね》
《どうしますか、もう家屋を破壊してもあまり意味はないですよね…カプア中央部の光を帯びた建物を破壊するのは無理そうですけど》
中央部に近づけば、いつ浄化の光を浴びせられるかわからない。
多方面からの住民への攻撃による攪乱も封じられている。そして、時が経つ程、魔脈の維持するための魔力は失われ、ベリダの蝕人への負担は増えていく。
《ここまでは想定の範囲内だ。住民を全て守るために自己を守る象徴でもある外套を捨てた。己の身体が納められている修道院の“
《じゃあ予定通り、ラルマ、ティーフ、次の浄化の輝きが放たれるまでに侵入してもらうわよ》
跡塔のある中央広場の北側に高い鐘楼が特徴的な縦に大きい修道院がある、このカプア修道院は最低限の機能のみを備えた比較的小規模な造りをしていた。
そのカプア修道院の北側、守護者からの光が影になる位置に、影と同化した黒い狩猟豹の魔物が潜んでいた。ティーフによる魔脈の維持、他の魔物達による守護者の攪乱によって、ラルマは修道院にまで接近することができていた。
《ここまで深く影と同化するのは慣れてねーから、慎重にいくぜ》
影との同化は、深くなるほど、物理的な存在すらも影の空間の中に納めることができる。もちろん、その状態ではただ移動することのみしかできない。物理的に攻撃や干渉する能力を捨てる事で、物理的な制約から解放されていた。
獣の姿の影が、の壁を昇って行く。そして、一つの窓を滑り抜け、白い部屋の中へと侵入した。依り代となった修道院長が眠る場所である、ウィクリフが聖室の位置を割り出すのもそう時間は掛らなかった。
《地下へ向かえ、聖室はそこにある》
《りょーかい》
薄い黒い影は、修道院の白い階段を降りて、地下へと滑り降りていく。
修道院の外、跡塔の上では、剣に宿した光を今、守護者が解放せんと天に向けて掲げていた。
《ネーヴェ、来るぞ、浄化の光だ》
《了解、結晶体を増幅》
カプア内の各場所にできた蝕痕を覆う灰色の結晶が一気に成長し、剣から放たれる光から蝕痕の浄化を防ぐ。少しでも浄化されていたら、修道院の中のラルマへと繋がっている生命線となる魔脈が破損していたことだろう。
黒い影は誰の眼にも止まる事無く、更に階段を滑り降り、閉ざされた扉の間をすり抜け、地下の聖室へと辿り着いた。
《へぇ、教会の奴等もいい趣味してるじゃねーか》
そこでラルマが眼にしたのは、人の姿を失い、依り代と成り果てたイザックだった。
部屋の中央には白く輝く両手に余るくらいの大きさの球体。その下の床には、人らしきものが置かれていた。
線の細い青年の頭部、首から下の胴の皮膚が無くなっており、その中に納められているはずの臓腑がバラバラに解けて、床に描かれた模様に沿うように配置されている、ちょうど臓腑で図形でも作っているかのように見える。それら図形を構成する臓腑は、石膏のように白く染まっており生々しさはあまり感じられないが、確かに蠢動を続けている。ただ、一転、心臓と、それに連なる循環器官だけは紅色のままで鼓動をしていた。
影と同化した黒豹はその場で、口にくわえていた小さな結晶を離す。壁面の大きな長い影の中から、小さな灰色の結晶が一つ床に転がり落ちた。
《後は、やってくれるんだよな》
《ええ、ラルマはそこに待機してて、心臓に一刺すればあの依り代は壊れる》
床に落ちた結晶に亀裂が入り、割れる。と中に閉じ込められていた小さな
《待て》それをウィクリフが呼び止める。
《何?》
《依り代の周囲が、薄いながらも
《とすると…まだ後少しだけ、守護者に犠牲を強いる必要があるということね、トーマ、アルクス、ネーヴェ、できるわね?》
《はい》
トーマの同意に、アルクスとネーヴェも続いた。
《間違っても修道院を攻撃しちゃだめよ、守護者の意識を向けられたくないんだから》
《分かりました。これ以上の力を守護者に使わせるなら、後は、跡塔を攻撃するしかないですね》
《私が最大限フォローする。可能な限り中央に詰めつつ跡塔を攻撃するぞ、ネーヴェもできる限り中央に近づき少しでも跡塔に攻撃してくれ》
《了解》
飛竜とグリフォンは南側から、巨狼は東側から中央へと迫る。
飛竜は一定の速度で飛行を維持しつつ火球の連弾を守護者の足元の跡塔へ放っていく。グリフォンは暴風を纏った鋭い羽根を射ち込む。巨狼は、跡塔のある中央の広場にギリギリまで近づき、そこから灰色の結晶の霜を走らせる。
守護者は撃ち込まれてくる炎の球、暴風を纏った羽根を全て光の盾を顕現させ防ぐ、更に地上を走る霜柱の道筋に光の剣を切り払って、それ以上の成長を阻止する。
《硬いな、何かないか…あの使者の不意を突くような何か》
《……。アルクス、ネーヴェはそのまま中央への攻撃を維持していてください》
飛竜は自分だけ後退し、中央からカプアの市壁外へと逃れた。
《どうした、トーマ?》
《ここから、全力を込めた一撃を跡塔に向けて撃ちます、少し時間を下さい》
《…いいだろう。直撃の瞬間に私もサポートする》
市壁の外に逃れた飛竜は、草地に降り立ち、足元の結節に干渉する。結節の黒い膜を破り中から赤い半球が現れる。造血胞へと分化した。
《よし…》
飛竜は今一度、空へと飛び立つ。そして、カプアの中央を向き、翼を羽ばたかせ滞空しながら口腔に炎を送りはじめる。
身体を巡る魔力が、炎嚢を通り、火炎に変える、内側から燃え尽きてもいいという勢いで、その火炎を口腔に送り圧縮する。
―舌の感覚が無くなっていく、口の中が熱くて溶けてそうだ…。
飛竜の目の前に紅い血のような球体が、大小二つ湧き出る。
―こうすれば…もっと強く。
飛竜がその顎を開くと、極限まで凝縮された高温の陽のような火球が口腔に現れる。更に、二つの紅い球体はリング状に形を変える。ちょうど、二重の円を作った、外側の円は回転を始める、それを受けた内側の円はより高速で回転する。
《いきます》
飛竜の口腔に凝縮された火球は、紅い二重のリングの中心に向かって放たれる。
火球は、強力な回転を受けて圧縮されながら楕円に引き伸ばされる、そして輪の消失と共に凄まじい速度で発射された。
炎の砲弾は一直線に、跡塔を目指す。
《跡塔の周囲に可燃性の空気を送る》
グリフォンの羽ばたきで、圧縮された空気を纏った二枚の羽根が跡塔の根元へと飛んでいく。そこで、守護者の姿が消える。
《なに…!》
守護者は、跡塔から十メルトほど手前に現れ、そこで炎の砲弾を受け止めた。その手は長大な両手剣ではなく、白銀に輝く大盾を持っていた。
《まずいな、奴は剣を盾に変えて防いでいるだけだ、何も犠牲としていない、依り代を覆う結界は健在だ》
ウィクリフの声に微かに焦りが滲む。
銀の大盾によって炎の砲弾が徐々に押し返されていく。
《ネーヴェ、今のうちに跡塔を攻撃するぞ!》
グリフォンの鋭い風の矢と、大狼の結晶の鎧を纏った突進が跡塔を襲うが、すぐには破壊できそうにない。
―弾かれる…!
トーマはなんとか炎の砲弾が地面に弾き落とされないように炎弾の推進を調整していたが、それも限界だった。そこにウィクリフの声が飛び込んできた。
《トーマ、そこから右手前の家の屋根の上に砲弾を落せ》
トーマは一瞬視線を移す、確かに、家の屋根になぜか一人、少女が立っていた。少女は白い石を両手で捧げ持ち自分に向けているように見えた。
《やれ、トーマ》
《が、あああああああ!!》
炎の砲弾は一瞬、収束すると、右手前の家の少女の立つ屋根に向かって弾き飛び、屋根の上で盛大に爆発した。
煙の中から現れたのは、気を失った少女を身体で覆うように庇う守護者の姿だった。
守護者は、掌を飛竜に向けて掲げる、その掌の中心から小さな白い光が一筋、飛竜の心臓に向けて放たれる、茫然としていた飛竜は心臓をその光で貫かれる、が、身体には何の変化も無かった。
《依り代の破壊、完了》
聖室の中では、
ウェルテの報告と同時に、守護者は光の粒になって消える、同時にカプアの中央の家屋や建築物に宿っていた全ての光が消え去った。
《右足より作られしカプアの聖体は破壊された》
《やった…》
飛竜は、高度を下げ、力なく市壁の外の草地に足を付けた。
東の空からは、大きな月―蝕の帳によって光を弱められた陽が顔を出していた。
《各自、領域へ戻れ。ただし、トーマお前はカプア南の結節の前で少し待機だ、お前が最後に受けた攻撃を詳しく分析する》
トーマはカプアの南の草原の結節の前で、薄暗い月を見がら翼を休める。
ハイブのウィクリフは慣れた手つきで、薄く光を纏う白い大きな洋書―“啓発者”の頁を捲り、ある頁でそれを止めた。
《お前が受けたのは極微弱な記憶への干渉のようだ、介入、監視、浄化、洗脳のような効果は見られない無い。守護者が死の間際に、なぜお前の記憶にこのような干渉をしたのか意図は不明だが、現時点では無視して構わないだろう》
《わかりました、じゃあ僕も自分の領域に戻ります》
アンヴィルの村の北の崖の上へ、都市への侵略を終えた紅い鱗の飛竜が舞い戻っていった。
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