5-5 思い出

 飛竜への帰化を解除し、界域から引き揚げられハイブへ戻ってきたトーマは、装具を外す。

 ハイブの中央の机の前には、啓発者を広げ、眺めているウィクリフの姿があった。

「ウィクリフは、休まないんですか」

 カプアの侵攻中、ずっとここで分析と指揮の仕事をしていたのだ。疲労していないはずはない。

「ああ、次のジェハノについての情報を可能限り調べる。お前は休め」

「はい…では」

 トーマは礼拝堂に繋がる階段へと歩む。

「お前達“魔物の魂の保持者”の働きがあればこそ、作戦はここまで進んだ」

 不意に、ウィクリフから声を掛けられ、足を止め振り向く。

「トーマ、お前もその一員だ、改めて礼を言う」

 ウィクリフは背を向けたままそう言った。

「…いえ、僕の方こそ、ここに来れてよかったです」

 何とか答えたトーマは、礼拝堂へ続く細い螺旋階段を上がって行った。

 階段を上がるたびに、周辺から感じ取れる魔力の脈動が薄れていくのが妙に心細い気がして、途中で少し足を止めた。



 礼拝堂に上がると、皮膜服姿のラルマが中央の円卓に腰かけていた。蝕の這う褐色の肌と、長い手足は嫌でも目を引く。

「よ。お疲れ」

「お疲れ様です」

「クラーザ、マルフィナ、カプア…俺達には決して手の届かない場所だった光域の中心都市を相手にして、三回も上手い事攻略できちまったんだ。本当に首都の攻略だって、なんとかなる。なんて、思えるようになってきたんじゃねーか?」

 少し間を空けて答えるトーマ。

「どうでしょう。まだあと二つも攻略しなければならない都市があるわけですし、その時になってみないと…なんとも」

 ラルマは円卓に預けていた腰を浮かせて、煮え切らない様子のトーマに近づく。

「“信じ続ける事ができれば、それは必ず実現する”」

「“彷徨記”の中の言葉…ですね」

「クソッたれな教会の中で、俺が唯一、賛同してやってる言葉だ。まあ、言葉なんて誰が言ったかなんてどーでもいいんだ、重要なのは何を言ってるかだ」

「そう、ですね」

 トーマは、きょとんとした顔で、ラルマを見返す。

 ラルマは、そんなトーマの胸元に拳を軽く当てた。

「つまりだ。ちったあ、都合の良い未来を信じろって事だ。こんな戦いさっさと終わらせて、平和に暮らす。そうだろ?」

 照れくさそうにラルマは言う。

「そう…ですよね。はい、信じます。皆で無事に大浄化を阻止できることを」

 トーマは真正面からそう答えた。

「ん、まあ、それだけだ。じゃあな」

 ラルマは礼拝堂を西側のドアから出て行った。

 トーマは東側のドアを出て、自室に繋がる廊下を歩む。

 自室についたトーマは、直ぐにベッドに倒れ。

「必ず、実現する…か。そうだと、いいな」

 眠りに落ちた。



 始めは陽の光に照らされているのかと思った。

 瞼の上から注がれる眩い光に、トーマは意識を覚醒させた。

 しかし、起きた時、周囲にあるのは、見覚えのある部屋の風景ではなかった。

 トーマは、眩い光が差し込む、古い館の細い廊下に、質素な支給服の姿で寝ていた。窓の外は、どこまでも眩い白一色の空間が見えるだけ。細い廊下の先は古びた扉がある。

「なんだ…ここ…?」

 起き上がり、後ろを振り向く。が、そこにあるのは壁だけだった。

「とりあえず、進むしかない、か」

 トーマは廊下の先にある古びた扉の錆びかけたノブに手を掛け、軽く捻る、抵抗はない。

「鍵はかかってない」

 そして、開き、その先に進んだ。


 そこは礼拝堂の中だった。

 老いた司教らしき男が卓の前に、そして金の髪に白い肌、細身の少年が司教の前にいた。

「君は素晴らしい素質を持っている、もはやその力は並の司教を超えているだろう、しかし、君がまだこの修道院での生活しか知らない。このカプア修道院では、君のような者のために奉仕義務として住民と同じように働き、暮らす労苦の試練が課せられている。君が護るべきカプアという都市を文字や言葉や風景だけではなく、手足を通し、より近くで知るのだ。短い期間だが、必ずや君の助けになるだろう」

「はい、貴重な体験を与え下さることに感謝致します」

「その間、奇跡の力を使う事は禁ずる。よいな、イザック」

「承知しました、アルバーノ修道院長」

「ではイザック、どのような職業に就きたいか希望があれば聞こう」

「市壁に携わる仕事をしてみたいです」

 そこで、場景じょうけいはまるで幻のように消えゆく。


 トーマはまた、細い廊下の中に戻っていた。後ろには、先ほどの古びた扉が開け放たれていた。

 廊下の先にはまた、古びた扉。

「誰かの、記憶なのかな…?」

 トーマは進み、次の扉を開く。


 次は、大きな市壁の下だった。

「あの、これからよろしくお願いします。奉仕義務の一環で少しの間ですがここで働かせていただくことになりました、修道士のイザックと申します!」

 線の細い少年は、筋骨逞しい作業服姿の男に握手を求めていた。

「はい、よろしく。見ての通り、俺達は市壁の改修を任されてる石工なんだがね、教会はもっと君に合った仕事を見つけてやれなかったのかい」

「僕がこの仕事をしてみたいとお願いしたんです」

 石工の男は、真摯な少年の眼に気をよくしたようだ。

「うん、都市の壁を作る仕事は誇り高いもんだしな、大いに結構。おいジャンニ!こいつの面倒見てやれ」

 元気のいい挨拶と共に現れたのは、イザックより少し背は低いが引き締まった身体の黒髪の少年だった。

「よお、えっと」

「イザックです、よろしくお願いします」

「まあよろしく。とりあえず簡単な仕事、教えてやるよ、付いて来な」

 二人は白い石材が詰まれた場所へ移動していく。

 それから弱音一つ吐くことなく必死に仕事をこなすイザックと、手を抜くことなく仕事を教えるジャンニの姿が流れて行った。


 その場景が消えた時、またトーマは廊下に戻っていた。

 廊下の先には古びた扉、後ろにはさっき開けたであろう、扉があった。

「…とにかく、進んでみよう」

 トーマは次の古びた扉を開け放つ。


 二人の少年が、夕暮れの市壁の歩廊の上で座り休んでいた。白い肌に金糸の髪、もう一人は黒髪に健康そうな焼けた肌。

「最初見た時はよ、正直、こんな白いひょろっとした奴じゃ一日も経たずに音を上げると思ってたぜ」

「僕もきっとそう思われてるだろうなって思ってた、でもね、僕はどんな事でも一度やると決めたら絶対に諦めないって所には、結構自信があるんだ」

「へえ、じゃあ何か夢や野望を持ってそうだな」

「うん、僕はこのカプアの修道院長になって、この都市を守りたい」

 イザックは目を細め、カプアを眺めながら言う。

「そりゃ、ご立派だ」

「ジャンニは何かなりたいものとかあるの?」

「おれは義勇兵になる、それも凄腕のな、そんで、教会の加護の弱い村に暮す人達を魔物から守るのさ、こう見えて槍の腕には結構自信があるんだぜ」

「かっこいいね、なれるよジャンニなら」

「おう、志願できる年になったら、カプア《ここ》を出て、遠くの村へいくのさ」

「カプアの近くは村や町は無いからね…あ、でも、食べ物の好き嫌いは無くしたほうがいいんじゃないかな」

「イザック…ミルクなんて飲まなくても人間は大きくなれるんだぜ」

 ジャンニはなぜか、諭すようにイザックに言う。二人は笑いあった。

「んじゃ、そろそろ帰るか」

「…あ、僕はもう少し、ここで外の景色眺めてるよ」

「そっか、風邪ひくんじゃねーぞ」

「うん、ありがとう」

 高い市壁の階段から降りた所で、ふと気が付くジャンニ。

「忘れてた。明日から俺達は西の門の改修に行くんだったな、教えてやらないと」

 階段を上るった先には、歩廊の上で目を瞑り、手を組み合わせて、北側、つまりカプアの中央に向けて祈りながら独り言を言うイザックの姿があった。

「―はい、存じております、ありがとうございます、アルバーノ修道院長…では…」

「よお、熱心なことだな」

「あ、これは、日課の祈り…で。ジャンニは、どうしたの、忘れ物?」

 慌てたように組んだ両手を離し、ジャンニに向き直るイザック。

「ああ、明日から俺達だけ作業の場所が西の門に変わるって伝えるの忘れててな、それだけだ、じゃあな」

 それだけ言うとジャンニは何も聞かずに、歩廊の上から去って行った。


 そこで場景は消える。

「二人の少年の物語、かな」

 トーマは次の扉を開いた。


 四番目の扉の先は、煉瓦造りの共同住居の一室だった。

 見るからに病弱そうな少女が、窓際のベッドに寝ている。その傍には溌剌そうな少年、ジャンニがいた。

「ねえ、お兄ちゃん、魔物にも心はあるのかな?」

「あるわけないだろ、魔物になった獣は心なんてない凶器みたいなもんだ、人を襲って殺すだけのな…それより身体の具合はいいのか」

「うん、今日は全然平気だよ」

「そっか。でも、無理はするなよ、モニカ。もうすぐ教会に治癒の奇跡を掛けてもらえるようにしてやるから」

「…うん」

 場面はそのまま移り変わり、仕事が終わり帰路につく二人の少年を映した。

 ジャンニは、隣を歩くイザックに、おもむろ切り出した。

「イザック、俺に妹がいるんだが、あいつ、昔から眼が見えなくて身体が弱いんだ、しかも最近血の気が失せたように顔が青くて…頼む、お前の力でなんとかしてやってくれ」

「なに言ってるのさ、僕はただの修道士だよ、“なんとか”って言ったって…―」

「お前、少し前、歩廊の上で修道院長と会話してただろ。知ってるぜ、教会の偉い人は皆祈りだけで会話できるって。お前、本当はかなりの力を持ってるんじゃねーのか」

 ジャンニの指摘に、イザックは顔を強張らせる。

「それは…」

「頼むイザック、少し様子を見てくれるだけでいいんだ」

「わかった…見るだけだよ」

 煉瓦造りの共同住居の一室にイザックを伴い帰って来たジャンニは、居間で木の床の上に倒れ伏す妹を見つける。

「モニカ…?おい、どうした!!」

「お兄…ちゃん、苦しいの」

 青ざめた顔、明らかに血の巡りが滞っている。胸に耳を当てると、鼓動が弱まっているのがわかる。

「イザック、頼む、モニカを助けてやってくれ!」

「……わかった、仰向けにベッドに寝かせて」

 イザックは真剣な眼でジャンニに指示する。

 ベッドの上で苦しそうに息をする少女の前で、イザックは自身の左手の親指を右手で握り、短い言葉を唱えた。

『主よ、我々の願いと行いが光の下にあるならば、我々にあなたの慈愛の手を授けたまえ』

 少女の頭上に光が集まり、小さな白い蝶のような姿を形作る。その光の蝶は少女の上をひらひらと舞いながら、光の粉を落していった。次第に少女の顔色が良くなり、荒かった呼吸が落ち着いていく。

 光の蝶が消えると同時に、床に膝をつくイザック。

「…イザック、大丈夫か」

「僕は大丈夫、それより、これを」

 イザックは右手に握っていた親指の爪程の小さな白い石を、ジャンニに渡す。

「これは?」

「治癒の力が込められた石だよ、モニカに持たせてあげて、もしまた身体が苦しくなる時があったら、これを持って祈ればきっと楽になるはずだから」

「ありがとうイザック…なんでも言ってくれ、どんな礼でもする」

「奇跡の行使に見返りを求めたら破門さちゃうよ、そのかわり、もしジャンニが困った人を見つけたら絶対、助けてあげてね」

「ああ、約束する、モニカにも伝えておく」


 そこで場景は消えた。

「イザック…って確か、カプアの修道院長の名前、だったような」

 目の前の次の扉は、先ほどよりも新しいように見えた。

 トーマはその扉のノブに手を掛け、少し躊躇い、開いた。


 五度目の扉の先は、修道院の礼拝堂だった。

 日輪のシンボルが置かれた卓。その前には壮年の司教と背の高い青年がいた。その黒髪と利発そうな面影はジャンニだ。

「隠されているだけで、本当はカプアの近くにも、村や町がいくつも存在している…ということですか?」

「そうです、君はその中の村へ行き、そこでこのカプアの平穏を祈りながら生きてもらいます。無論、この事実は決して他言してはなりませんよ」

「待ってください…俺は、義勇兵に志願を―」

「黙りなさい。君が、過去にイザック修道院長に無茶な奇跡の履行をさせた事は知っています。あの時は、イザック様に免じて不問としましたが、これ以上の非従順な態度は許されていません。隠されし村では、秘匿の加護にあるが故に、決して魔物に襲われるような事はありませんが。そこで暮らし、カプアの平穏を祈る事も立派に人々を守る務めです」

「それは、そうですけど…」

「君に拒否する権利はありません。移住は五日後です。それまで、準備を終えておきなさい」

 ジャンニは俯く、そしてようやく胸の奥から返事を捻りだした。

「…俺には、身体の弱い妹がいます…あいつの面倒と様態について、とりなしてください」

 司教は軽く嘆息しつつ、言った。

「よろしいでしょう。これが君に与える最後の慈悲です」


 そこで場景は消えた。

 次の扉は、真新しい新品の白い扉だった。まるで今、出来上がったばかりのように、汚れも傷も無い。

「なんだか、もう開きたくないな」

 トーマはその場に座り、うずくまる。

 後ろのほうを見ると、開け放たれた五枚の扉と、長い廊下があった。

 トーマはしばしそれを眺める。

「……進もう。ここでこうしていても、何も変わらない」

 トーマは立ち上がり、輝く銀のノブに手を掛けた。予感がした。

 きっと、これが最後の扉だと。


 扉の先は、とある民家の中だった。

 しかし、異様な雰囲気だ。家の中は、まるで避難してきたかのように年齢も性別もバラバラな者達が、居間の中で身を寄せ合って、他者の無事、他者の平穏を祈っていた。

 まるでこの家が、自分達の最期の場所とでもいうような有様だ。

「誰かが苦しんでる…助けてあげなきゃ」

 そんな中で一人の少女が立ち上がり。ふらふらと階段を上り、二階へあがっていく。その足取りはおぼつかなく、手すりや壁から手を離さない。

(―この子は…先の記憶でモニカ、って呼ばれてた子かな…?)

 皆、一心に祈っているのか、少女の挙動には気づかない。

 少女は二階の部屋から窓を開け、屋根の上へと躍り出る。

 そして、南の空に向けて、懐から取り出した白い石を掲げた。

「大丈夫だよ」

 直後に、火炎の弾が少女を襲った。


 そこで、場景は消え、闇に包まれていく。

 瞼を開くと古びた木製の天井があった。

 いつものベリダの暗い朝を知らせる鐘の音が響く小さな部屋の隅のベッドの上でトーマは目覚めた。

「こんなこと、知りたくなかったな」

 今は、ちょうど正午。ベリダにも光が等しく射す時間だ。

「村に、行こう…」

 体調に問題が無ければ、魔物の魂の保持者達は、魔物になって与えられた領域の様子を見るように言われていたのをトーマは思い出した。



 暗いアンヴィルの村の北の崖の上で、飛竜トーマは、周辺の魔脈に魔力を馴染ませつつ、翼を畳み、尾を丸め、身体と首を伏せて休んでいた。

 夢の中で見たことだったというのに、今でもカプアを守ろうとした二人の少年と、苦しむ自分を助けようとしていた少女の記憶は霧散せずに思い出せる。

(―守護者になってまでカプアを守ろうとしたイザック。義勇兵になれず、妹のために村に遣わされたジャンニ。そして…きっと、僕を慰めようとしてくれたモニカ。分かってる…、僕らが喰らい、踏みにじっている人達にも、それぞれの物語があることくらい。でも、それと同じように、僕ら蝕人にも、生きる道があるんだ…)

 思い悩む飛竜の背後の林から、草を踏み、掻きわける音がする、飛竜はビクリと首を起こし、その方へ顔を向ける。

「ふー、危なかった。ちょっと手のひら擦りむいちゃったかも」

 そこから出てきたのは、見覚えのある、頬に蝕痕の刻まれた少女だった。少女は、崖の上の飛竜の隣に遠慮なく迫る。飛竜は身を引き気味みに後退させる。じっとしていれば、触れられても知覚はされないと言われていたが、それでもトーマの鼓動は早まる。

「でも、これは無事でしたっと」

 感謝の印なのか、崖の上、飛竜の首元に白い綿のような花で編み作られた花冠を置いた。なんとなく教会を象徴する日輪の印に見えた。

「これからも、アンヴィルをよろしくお願いします。えっと…名前も知らない守り神様」

 トーマはふと、感謝の言葉を残して去りゆく名前も知らない蝕人の少女に、声をようかとするが、止める。何の為に秘匿の奇跡があるのか、そもそも、声を掛けた所で、今の自分には人と会話する事などできるはずもない。

(―仮に会話ができたとしても、飛竜の姿で「こちらこそありがとう」とでも言えばいいのかな)

 その可笑しさに気づいて、トーマは、口からフッと小さな火を吹いた。

(―そうだ、僕はあの子に、手とか握ってもらったりして「あなたは間違っていない」とか、そういうことを言ってほしいんだ)

 しかし、トーマは、そんなことは決して叶わないと理解していた。

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