癌化した心 Canceration plot

第六章

6-1 咆哮

「よもや、イザックの“孤独な守護者”を打倒して見せるとはな」

 正午、陽の光に照らされるカプア。人の気配は失せ、静まり返っている。蝕の帳の影響で夕刻にもなれば闇夜に包まれる。都市の南部と東部の建築物や道は、酷く破壊されており無残な姿を晒している、それに反して、中央の建築物には全くと言っていい程傷がない。

 その中央の住宅地の狭間の石畳の細い路地に、一人の少女が倒れ伏していた、眼は虚ろで、その息は消え入りそうに弱っている。

「みんな…どこ…」

 フードを目深に被った、白いローブ姿の三人の子供が、その少女を囲んでいた。子供らはあどけない少年の声で、しかし妙に大人びた口調で、語り合う。

「あれは、なかなか良く出来ていたと思ったんだがな」

「いかに強大な使者を作り上げようとも、ただの一体で、あの広いカプアを、更に属下の村や町まで護ろうとは、驕りが過ぎる」

「しかし魔物共は、その驕りを上手く利用してみせた。どうやら我々は、の魔物共についての認識を大きく改めねばならないらしい」

「奴等が人並み以上の知恵を有している事は、もはや認めざるを得ん」

「どうする?このまま、各都市の長どもに防衛を一任するのは危険だと判断するが」

 三人の子供の足元で伏せる少女は、時折苦しそうに身体をゆするが、起き上がることすらできそうになかった。

 子供らは互いに話し合うだけで、足元で苦しむ少女に手を差し伸べたり、語り掛けたりする様子はない。

「もはや、彼らの手には余ろう、何らかの助力は必要だ」

「同意する。“卵”の安定期も間近だ。残る二人には可能な範囲で我らも助力するとしよう」

「お…にいちゃん…」

 路地に伏せる少女は、最期にか細い声でそう呟くと、動かなくなった。瞳に残った最後の光も消える。事切れたようだった。

 一人の子供が屈み、少女の額に掌をかざす。

 すると、少女の身体は光に包まれ、光の粒になって蒸発するように消えていった。

「これで最後だな」

「ああ、動けるカプア住民の移送指示と。そうでない者のは終えた」

「しかしここも、いずれあの魔物共の手によって蝕に落ちるな」

「好きにさせておけ。大浄化エル・ピューリフィケイションが起動すれば、全ての蝕は払拭される」

「では、帰るとしよう」

 白いローブの子供らは光の粒になって消失した。



 カプア攻略から二日目の朝。

 審問の院の薄暗い礼拝堂には、既に、皮膜服姿の六人の少年少女と、黒い法衣姿のウィクリフが中央の円卓を囲っていた。

「次の侵攻目標都市ジェハノは、教国の西部に隣接するグナイゼル公国からの侵略を防ぐ要として、教国西部の山脈の切れ目に作られた、三重の防御砦を有する要塞都市だ。奇跡の力を実践的な戦力として使うことが善しとされ、召喚される使者はもはや一つの攻城兵器に近しい在り方をしている。更に、三つの都市が陥落している事を受けて、光域内への警戒をかなり強めており、魔物が光域に少しでも立ち入れば確実に迎撃されるだろう」

「ということは、光域の外に魔脈の拠点を作って、都市に伸ばしていくんですか?」

「いや、そんな事をすればベリダに住む蝕人の犠牲は、数千人では済まない。都市を攻略中に光域内に伸びきった魔脈が破損する危険もある、何より数千もの蝕人の死を隠蔽するのはさすがに教会に怪しまれる」

 カプア攻略中の蝕人の死者は千二百二十七人。その半数は、ウィクリフの権限と啓発者の力で隠し通していた。

「“魔動脈まどうみゃく”の出番ってわけでしょ」

「そうだ、ティーフやウェルテの協力の元に、攻略後の都市を拠点にして敷設を進めていた“魔動脈”をジェハノ攻略の要とする。これは蝕人でない者も一時的に魔脈につなげてリソースに変えることができる器官だ。これをお前達に接続すれば、常に結節、造血胞一つ分の濃度と量の魔力を得ることができる」

「結節と造血胞一つ分程度の魔力の循環量で、ジェハノを攻略できるのか?」

「もちろん不可能だ。だが、魔動脈は暴走させる事で、肥大化した結節と造血胞を常に一つ分を占有しているのと同等以上の供給力を引き出す事ができる」

「暴走か、あまりいい響きではないな」

「今まで体外で循環していた魔力が一気に体内に押し込められることになる、多大な負荷を受ける事になるだろう。故に、その負荷を緩和するために、光域内部の村に最低でも一つは結節を作る必要がある」

「あと、もう一つ魔動脈を使うためにしなきゃいけない事があるんだよね」

 ティーフはウィクリフに説明を促す。

「ああ。魔動脈は性質上、村や町などの居住地を経由する必要があるが、いくつかの村や町が光域外であるというのに、魔動脈への結合を阻害する程の高い浄化機能を有しているのだ」

「邪魔なら皆殺しでいいんじゃねーのか」

 ラルマの提案に、反駁するのはウェルテ。

「駄目に決まってるでしょ、村や町などの居住地を経由する必要があるって事は、そこに生きた人間の魂が存在しないといけないんだから。ちゃんと説明、聞いて」

「じゃあ、その浄化の要の跡塔をぶっ壊す」

「却下ね。跡塔という支えを失って、侵攻中に村人が魔物に襲われたり、そもそも別の村へ移住を始めてしまったら意味ないわ」

「ということは、住民を説得…あるいは脅迫でもすればいいのか?少なくとも私には、そんな器用な真似をする自信はないぞ」

 毅然と言うアルクス。

「策はある。俺の“啓発エンライト”とで住民を心を一時的に麻痺させる。これには、ネーヴェ、そして、トーマ、お前達が適役だ、いいな?」

「了解」

「え、あ、わかりました」

 突然指名されたトーマは狼狽うろたえつつ返事し、ネーヴェは静かに頷いた。



 田園に囲まれたその小さな村は、毎日、正午には必ず村人全員が村の中央の跡塔の建てられている広場に集まり、皆で祈りを捧げていた。

 司祭と思しき老齢の男が村人達の輪の中心たる跡塔の隣りに立ち、枯れた低い声で呪詛のように説教サーメンを行っている。

「我々の命は他の人々を幸福にするためにある、我々の日々は蝕を払うためにある。故に、我々は自らの欲のために蝕を広げる事を厭わない蝕人の存在を許してはならない。そして、我々は、もし誤った行いをするような者を見つけたらそれを正す義務がある」

 屈強な男が、両手を後ろで縛られた女を連れて、輪の中に入る。男は縛られた女を司祭の前に座らせると、輪の外へと出ていく。縛られた女はやせ細っており、もう何日か食物を与えられていないようだった。


《トーマ。跡塔に当たらぬよう注意しろ》

《はい。でも、そんな至近距離なら、並んだ薪の一本だけを燃やすことだってできます》

《言うようになったな》


 老爺の司教は説教―否、見せしめの儀式を続ける。

「この者は、蝕人の子を産んだのにも関わらず、それを偽り、隠すという大きな過ちを犯した」

 司教の横には、装飾の施された小さな白い台がある、その台の上には刀身の短い銀の刺突短剣スティレットが置かれていた。

「この者が正しい心を手に入れるために、まずはその罪深い瞳を潰さねばならない」

 司教は、白い台から銀の刺突短剣スティレットを大仰そうに取り上げる。

 縛られた女は、恐怖に青ざめつつも、諦めたように眼を閉じて俯いている。

 その最中、村の東側からやってきた黒い影が、跡塔の上に射す陽の光を遮った。 

「さあ、皆よ。祈りなさい。このあがないよって、この者の罪が赦される事を"ばッ―」

 次の瞬間、老齢の司祭は、天上から落ちてきた火球の爆撃を受けて焦げた肉片に変った。

 異変に気付いた村人が空を見上げると、そこには紅い鱗に包まれた巨体、緋色の模様の入った翼を飛翔させる飛竜が浮かんでいた。

「ガア"ア"ァアアアアッオ"オ"オオン!!!」

 住民が呆気にとられているうちに、飛竜はその喉から強烈な咆哮を上げ、村を震わせた。

 轟雷のような咆哮を聞いた村人達は、一人、また一人と意識を失い地面に倒れていく。

 それを見届けた飛竜は、村から去っていった。


《これで、いいんですね》

《ああ、お前の咆哮に啓発エンライトの力を乗せた、一時的ではあるが村人達の教会を崇める思想は消えるはずだ、それはこの村の跡塔の浄化機能の減衰を意味する》

《でも、浄化の力が低いという事は、魔物に襲われ易いってことですよね、ジェハノの攻略中にこの村が襲われたりとかは…》

《案ずるな、お前の咆哮で、同時に下等な魔物は散った、少なくともジェハノ攻略中はこの村は安全だろう。まだ処理すべき魔動脈の経路を阻害する村は三つある、日が落ちるまでに片付けるぞ。ネーヴェは、その村が終わったら東に走れ》

《わかりました》

《了解》

 紅い飛竜と灰色の巨狼は、啓発の力が付与された咆哮と遠吠えで村人達を啓発して回り、計五つの村の浄化機能を減衰させることに成功した。

 そして翌日、審問の院に待機していた残りの四人の少年少女達も、魔物に帰化し「自分の領域に問題が無いことを確認でき次第、クラーザの中央に集まるように」との、ウィクリフの指示に従った。



 教国の西端の険しい山脈の切れ目に築かれた白亜の要塞都市ジェハノは、扇を左右対象にしたような形をしていた。その扇の内側、扇の外縁、外縁の更に外の順に分厚い防御砦が三重に並んでいる。

 そして、巨大な円塔のような堅牢な造りのジェハノの大聖堂はその左右の扇の“要”の部分にそびえていた。

 大司教フィリベルトは、ジェハノ光域内の主要な司教、司祭達を武骨な居様の大聖堂に集めていた。

 「来る魔物の攻撃に備えるため」と事前に伝えてあり、それは静粛な聖職者の集いというよりは、騎士や武将達による実践的な会合のような硬く熱い空気を纏っていた。

 堂々とした体躯のフィリベルトは、神への感謝の言葉もそこそこに済ませ、重く響く声で話始める。

「人と獣の本質的な違いとは何か判るか?」

 少しの間を置き「言葉を話す、でしょうか」と一人の司教が答える。

「外れだな。言葉ならば獣も持ちうる、それが体系的に構築された高度なものか、音や仕草による原始的なものであるかの違いに過ぎん」

 皆、黙り、考える。先程答えた司教がまた答える。

「では、思考し計画する力…というのはどうです」

「当たらずとも遠からずだな。人と獣を別つ、より本質的な要素とは、生きている時間の違いだ」

 フィリベルトは、太い親指で自らの胸を指す。

「獣は、今、目の前の獲物を捕らえられるか否かが己の生死に直結する。そのため刹那の瞬間に対応する事に特化した、優れた肉体と感覚を持つ―」

 次は人差し指で額を指す。

「―対して人は、今を犠牲にして、より深く過去の経験や知識を顧みる事で、己の未来をより望むものへと変える頭を持っている」

「つまり…今という瞬間にのみ高い能力を持つ獣と、今よりも過去を顧み未来を想像することのできる人間、ということですか」

「そういう事だ。そして人と獣、より御し難い存在はどちらなのか、言うまでもないな」

 熱い鉄のような沈黙の同意が、場を満たす。

「今、我らが都市ジェハノを襲わんとする預言の魔物共は、もはや少し知恵の回る強靭な獣ではない!奴等には、人と同じように過去を記憶し未来のために今の行動を選択する能力がある、間違っても愚かな獣共などと侮るな!得体の知れぬ異形と恐れるな!我らと同じ戦術を駆使し、統一した指揮によって動く軍と捉えよ!」

「はっ!」

 フィリベルトの高らかな演説と、司教、司祭達が一斉の乱れぬ返答が、武骨な内装の聖堂内に響く。

「もはやここは最後の砦だ、東の聖女の街などでは預言の魔物共は止められん。だが、我々は必ず魔物共を退けることができる。なぜならジェハノには、光域内の全ての住民を含めて、十五万の高潔なる魂と、奇跡の防衛装備、そしてそれを操るお前達がいるからだ」

 フィリベルトは獰猛な笑みを浮かべる。



 眼下に広がるクラーザは変わり果てていた。光域の中心都市であった頃の面影は無い。

 見下ろす全ての白を基調とした煉瓦造りの道や建物には隈なく黒い傷痕のような紋が刻まれ、這い伸びており、其処彼処そこかしこに黒い結節が出来ている。さながら、魔物の巣だ。

 更に、朝だというのに蝕の影響で陽の光は届かず夜のように暗い。

 ついこの前の事のはずなのに、トーマは、この都市に侵攻していた時の事を懐かしく感じてた。

 人の気配は全く感じられず、代わりに潤沢に魔力が巡らされているのを感じる。居心地はとても良かった。

《中央の広場に来てね》

 とのティーフの声に従い、飛竜はクラーザ中央へと向かう。

 クラーザの中央広場へと飛んで来た紅い鱗の飛竜は、その広場の一面が黒い膜に覆われているのを確認する、膜の表面はゆらゆらと波打っていた。

 更に、その北側には数軒の家を丸ごと包めそうな程の、巨大な半透明の蟲の卵らしきものが胎動していた。

《これ、全部、結節ですよね》飛竜は波打つ黒い膜の上に降り立った。

《うん、ここまで成長させるの結構、大変なんだよ。でも、これは副次的なもので、本体は界域の中だけどね。あと、あの大きな卵はウェルテの試作品?らしいよ。でっかい蟲を作るんだって》

《そうですか》

 事態は着実に進捗してるのをトーマは肌で感じる。

 界域の中の大海蛇を除く、全ての預言の魔物達が、クラーザ中央広場を覆う黒い膜の上に集結した。巨大な女王蜂を中心に、姿勢よく座る巨躯の灰色狼とグリフォン、そして白い斑点模様の巨躯の黒豹は、細長い足を投げ出し退屈そうに黒い膜の上で寝そべっている。

《じゃあ、みんな、そのまま自然体でいてね。いくよ…》

 数秒後、黒い膜が液体に変化し、魔物達の身体を飲み込んだ。

 水のような空気のような曖昧な物質で満たされた薄赤色の温かい空間、界域の中で、まずトーマの目に飛び込んできたのは、巨大な赤色の臓器だった。とてもゆっくりと胎動している。大海蛇はその臓器に巻き付いていた。

《巨大な、心臓だ…》

《魔力を集めて、送り出す器官、魔動脈の要だよ。これのもっと大きくて自分で成長する力を持っているのが血潮の山の火口にあるんだよ》

 心臓から伸びて来た管が、魔物達に繋がれる。身体の中の魔力の巡りがより一層、安定したものになっていくのを感じる。

《皆、そのまま聞け》

 ウィクリフの声が界域に沈む魔物達に届く。

《魔動脈への接続が完了出来次第、教国西部のジェハノ光域へ向かってもらう。今のうちに、ジェハノ攻略の概要を伝える―》

 魔物達はウィクリフの言葉を聞きながら、胎動する巨大な臓器の周りに漂った。

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