6-2 ジェハノ

 教国西部は起伏の多い地形だった。

 小高い丘陵や森や林を飛び越え、あるいは走り抜け、あるいは界域を泳ぎ、六体の魔物は教国の西、ジェハノ光域を目指していた。

 魔動脈から供給される魔力のおかげで、周囲に魔脈がほとんどなくても、魔物達の体内を巡る魔力は衰える事を知らなかった。

 そして、ある針葉樹の森の中でウィクリフは魔物達に停止するよう指示した。

《感じるか、トーマ?》

《はい、この先の光域から強い浄化の力が溢れてますね、肌にビリビリきます。魔動脈が無かったらとても進みたいとは思えない程です》

《ネーヴェ、ラルマが先陣を切り一直線に進む、ウェルテは周囲を警戒、後の者はそれに続き援護。都市に最も近い、光域内の村を襲撃し、そこに魔脈を伸ばし拠点とする》

 誰もが沈黙し、体内の魔力の循環に集中していた。そして―

《では、進め》

 ウィクリフの合図と共に、森の中から巨躯の狼が飛び出しジェハノ光域の境界内へと侵入した。

 他の魔物達もその後に続く。

《敵》

 巨狼は夕焼けの低い丘の上に、二体の殉教者が立っているのを視認する。同時に、夕焼けの空から白い光の尾を引いて四体の伝令者が現れ、起伏のある丘陵を駆け抜ける巨狼と黒豹、そして空を飛ぶグリフォンと飛竜に向かって、突進していく。

《なんだこいつら、そんなんじゃ牽制にもならねえよ》

 魔物達は、それぞれの手段で迫る光輪を背負った白い鳩を迎え撃とうとする。

 が―

《待て、離れろ。そいつは伝令者の姿をした“構築者コンストラクター”だ》

 ウィクリフの忠告は一手遅かった。

《なっ!?》

 伝令者は魔物に接近すると、瞬時にその姿を大きな白い輪に変形させ、四体の魔物の首や腕に嵌り、収束すると、輪の端から白い鎖が現れ、地面に向けて伸びていく。

 空を飛ぶグリフォンと飛竜は地に引きずり降ろされる。四体の魔物は大地に繋がれる恰好となった。

《うっ、ぐ、これ…全然、びくともしないです》

 魔物達は、思い思いに地面を爪痕や足跡を残しながら、渾身の力で引き抜こうとするが、太い白い鎖は微かに大地から引かれるだけだった。

 巨狼はその大顎で噛み付いてみせたが、やはり岩をも砕く牙をもってしても鎖には歯型一つ付かない。

《掘り返してみるわ》

 後方から追いついた数匹の蟻異種フルミナが、飛竜に繋がれた鎖の根元から地中に潜り込む。

《なにこれ…木の根みたいに枝分かれしてかなり深くまでいってるわ。今の蟲の数じゃ、簡単には掘り出せないわよ》

《丘の上にいる殉教者を破壊しろ。どちらかがその鎖を維持しているようだ》

 ウィクリフは啓示レベレイションで読み取った事実を伝える。

《やれるならやってるっつうの…!この…!》

 大地に繋がれていては、近接攻撃を得意とする地上の二体は無力だった。

《トーマ、アルクス、なんとかできないの?移動中は主戦力をあなた達に任せるつもりだったから、私が連れてきたのは戦力に成り難い蜻異種リベレばかりなのよ》

《難しいな…風が上手く操れない》

《はい、この枷のせいで、魔力の巡りが変な感じで…》

 魔物達がもがいている間に、一体の殉教者が巨大な白いクロスボウを顕現させていた。白いクロスボウに光の矢が装填される、その照準は飛竜の額に合わせられていた。

《―なんてな》

 光る矢が放たれる前に、黒い豹は影と同化して姿を消す、獲物を失った白い枷は大地に転がる、瞬間、黒い影が矢のように地をはしり、二体の殉教者の足元をすり抜ける、二体の殉教者は喉元にざっくりと黒い蝕痕が刻み込まれていた。刻み付けられた蝕痕は殉教者の全身へと広がると、彼らが纏っていた威光と頭上の光輪が消失し、砂になって崩れ落ちた。

《俺は、別に姿を隠すだけが取り柄じゃねえ。偽りの実体を置いておく事だってできんのさ。ま、偽りなんだから、その間は蝕を宿した攻撃は一切できないけどな》

 魔物達に取り付いていた白い鎖と枷は輝きを失い、くすんだ色に変る。

《あ…脆くなりました》

《魔力を阻害するような負荷も消えた、か》

 飛竜とグリフォンは色の落ちた枷と鎖を容易く千切り、破壊する。

《ちょっと、ラルマ…!そんな細工してるなんて聞いてないわよ》

 ウェルテは気色ばむが。

《そりゃ言ってないからな。ま、上手く行ったんだからもういいだろ》

 ラルマは飄々と流す。

《あの、ネーヴェの枷はまだ消えてないみたいですが》

《あぁ…?》

 二体の殉教者を破壊した事で、構築者の戒めから解放されたのは、飛竜とグリフォンだけだった。

 巨狼の首には依然、白い太い輪が嵌められており、そこから伸びる鎖は大地に埋め込まれていた。

《恐らく、秘匿ハイディングで存在を隠した殉教者がまだ一体残っている。安全な場所からであるため、一つの構築者の維持しかできないのだろうが。お前達が何らかの方法であの二体の殉教者を打破する事を想定し、たとえ一体でも絶対に捕縛を続けられる者を配置したのだろう》

《あわよくば、主戦力の四体を封じて屠る。それが破られても、一体だけは確実に捕え続けるよう采配した、ということか…厄介だな》

 グリフォンは空に舞いながら周辺を見渡す。緋色の空と、西から吹く微風が草木を撫でる風景が広がっているだけだった。

《フィリベルトとはそういう男だ》

《例えば…ネーヴェに、自分の身を全力で結晶の盾とかで守ってもらって。鎖の根元に僕のブレスを思いっきり撃ち込んで、鎖の根の周辺の土を全て吹き飛ばす…とかどうですか?》

《はは、そりゃ豪快だ》

《面白い案だけど…却下。鎖の根がどの程度の深さと広さなのか想像もできないわ。それに、トーマのブレスの精度と、ネーヴェの結晶の盾を信じないわけじゃないけれど、強烈な火炎の砲弾を仲間の近くに撃ち込ませるなんて危険なマネはさせられない。やるにしても、最後の手段ね》

《そうですね…判りました》

《幸い、今すぐに外さなければ死ぬという類のものではない、ネーヴェ、お前は何かできないか?》

 そう問うウィクリフに対して、ぽつりとネーヴェは答えた。

《…魔力、もっとあたしに回して》

《断言するが、無理やり断ち切るのは不可能だ》

《違う。大丈夫》

《いいだろう…ティーフ》

《はーい、ネーヴェに優先して回すよ》


 界域の中の大海蛇の如き水竜は、その大口を開く。喉の奥から水胞が上がってきた。宝球の簡易版のようだ。遠くから伸びてきた透明な赤い管がその水胞の核に繋がる。赤い管はと脈動を始めた。


「グルル…!!!」

 巨狼の剥き出した獰猛な牙の歯列の間が結晶で充填される。食いしばる力を強化しているようだ。

 巨狼は四肢の筋力を隆起させ、脅威的な膂力を爆発させ、鎖を引く。

《おっ、おいおい、まじか…!》

 鎖の根元の地表が盛り上がり、捲れ、割れると、ぼこりと大岩のような巨大な結晶の塊が土の中より引きずり出された。

 灰色の結晶の塊の中には、土や石、そして枝分かれしていた鎖が埋め込まれていた。

《そういうことね、得心がいったわ》

 ネーヴェは地中の鎖を凍結することで、枝分かれを阻止し、根が深くなるのを防いでいたのだった。ただ、この巨大な結晶を塊のまま引き抜く力が少し足りなかったらしい。

《でも、抜いただけじゃあなぁ、これ引きずっていくのか?》

《いや、何とかなるかもしれん。結晶の中の鎖の先端を見てみろ》

 蜻異種リベレが、塊の下部に取り付く。

 鎖の先端には、僅かに東から西へと抜けるように光が投射されていた。

《これは?》

《はやりな…その光が射している元に殉教者はいる》

《ふむ。という事は…ちょうど私達の後方、か》

《さすが、ウィクリフ。んじゃあとはその方に向けて、攻撃すりゃあいいだけだ》

《それなら、僕が―》

《いや、炙り出すなら私に任せてくれ。きっと、この中で最も適任のはずだ。トーマは、私の上でブレスを構えていてくれ》

《はい》

 地上に降り立つグリフォン。目の前に等間隔に四本の羽根を浮かせる、それを軸にして風を圧縮させていく。

《こんなものか…いくぞ!》

 グリフォンは大きく羽ばたく。すると、四枚の羽根はそれぞれ一直線に地面から腰辺りの低空を飛んでいく。それはちょうど、回転する空気の刃を持った死の鎌だった。

 数十メルト程進んだ辺りで、殉教者が横に転がり込んだ。その姿ははっきりと見えている。

(―あれか!)

 直後、殉教者は、高速、高精度、高圧の炎球の爆撃を受け弾き飛ぶ、更に二撃目の火球の炸裂で殉教者の身体は宙に浮き、飛来する三撃目が正確にそれを捕える、飛竜の放つ火球は正確に殉教者に追い打ちを掛けていた。横殴りに吹っ飛ぶ殉教者は、四撃目を受ける前に光る塵へと還った。

 巨狼を縛る鎖と枷はくすんだ色へと変わる。巨狼は草の茎でも断つかのように、容易く戒めを解いた。

《なんとか、なりましたね》

 飛竜は歯列の隙間から「ふーっ」と白い煙を吹く。トーマは、もし手の平があったら胸を撫で下ろしていただろう。

《先を急ぐとしよう》


 それから、ジェハノ光域内を西に移動する魔物達に向けて、何度か伝令者が飛んで来たが。

 その全てを、事前に蜻異種リベレが可能な限り遠隔で察知し、グリフォンと飛竜が、一定以上の距離に接近される前に、正確に撃ち落としていった。

《カラクリがばれりゃ怖くはねえな》

《遠隔で迎撃しなきゃいけないせいで、少し足並みが遅くなってるけど、背に腹は代えられないわね》

 魔物達は、ジェハノに近い村を目指す。



 フィリベルトはジェハノ聖堂内部の作戦室で一人、椅子に座り両手を組み、作戦机に両肘をついていた。その眼は闘志に燃えている。

「確かに、報告通りの知恵と思考を有しておるようだな。まあ構築者を仕込んだのは最初の四匹だけだ、せいぜい気を付けて進むことだ」

 薄暗い作戦室の中に分厚い壁をすり抜けて光の粒が侵入してくる。光の粒は見る間に子供くらいの人の形を象り、収束する。光の粒集合は、フードを目深に被った白いローブ姿の子供の姿へと変化した。

 フィリベルトは微かに不快感に眉根を寄せたが、すぐに消す。

「これは、これは“代行者プロキシ”殿、一体、何用ですかな。我らは、今まさに、魔物の侵攻に対峙しておる所です。激励の言葉の一つでも頂けるのなら、こんな嬉しいことはありませんが」

 席から離れる事無く、慇懃な挨拶をするフィリベルトに構わず、代行者はあどけない少年の声で返す。

「聖室へ案内したまえ」

「仰せの、ままに」

 ゆっくりと答えるフィリベルトは、武骨な顔に宿る険を隠そうとはしなかった。

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