不変なる心 Indestructible will

第五章

5-1 カプア

 礼拝堂の中央に置かれた円卓の傍には、四人の少年少女と一人の男が既に立っている。

 ハイブに続く地下階段を上がってきたトーマとラルマも、円卓の前に付く。

「ただいま…もどりました」

「注文通り、ちゃんと人の形のまま、連れ帰って来てやったぜ」

「おかえりなさい」

 チラリと二人をみつつ、そう短く言ったのは、ウェルテだった。

 全ての役者が卓の前に揃ったのをみて、おもむろに口火を切ったのはトーマの対面に位置するウィクリフだった。

「委細は聞いた。施術は上手くいったようだな」

「はい、ヤンさんにはいくら感謝しても足りません」

「お前の更なる働きに期待している。では、次の目標についての説明を始める」

 卓の上に広げられた地図には、五角形の市壁に囲まれた都市が描かれていた。

「次の目標は、教国中東部の光域を支える都市、カプアだ」

「広い草原の中央に位置する都市ね、広さはこのベリダが丸ごと収まってまだ少し余裕がある程もあったかしら」

「そうだ、そして、それだけの広さを誇るのにも関わらず、跡塔は都市中央のカプア大聖堂前の広場に一つしか存在しない」

「だからって、信仰の薄い脆い都市、ってわけじゃねえんだろ?」

「無論だ。更に、啓発者の力でカプアの聖域の情報を一部読み取ることができたが、およそ一万を超えるリソースが、およそ数ヶ月前から活性な状態にあることが判った。何の脅威も現れていない間からこれだけのリソースが活性な状態にあるのは、あまりにも異常だ。そして、そのリソースが一体、いかなる奇跡に投入されているのか不明だ」

「少なすぎる跡塔、常に消費される大量の信仰、にも関わらず奇跡の痕跡を悟らせてはくれない…つまり、私達では認識できない、奇跡によって生まれた罠か何かが仕掛けられている可能性がある、ということ?」

「あるいは、大規模な奇跡を起こすための準備をしているか、だ」

「相手が罠を張って待ち構えている所に攻めねばならないというのはいい気分ではないな」

「でも、どんな小細工が仕掛けられていても、俺達が実際に見てみなきゃ始まらないんだろ」

「その通りだ。お前達が現地にいれば、お前達の眼から俺の啓発者を通し、奇跡の痕跡を読み取り、ある程度その正体を判別することができる」

「頼りになるね、啓発者の力はよ」

「侵攻の概要を教えて」

「カプアが罠ではなく、何らかの奇跡の準備のためにリソースを消費しているだけだと想定した、速攻に重点を置いた作戦を採る。夜闇にまぎれて可能な限り近くまで魔脈を伸ばし、日が昇る前に西の市壁に穴を空け、魔脈の伸長と同時に一息に大聖堂の攻略を目指す。跡塔による浄化作用が無いため、十分に可能な作戦だ」

「もし続行が不可能な事態が起きた場合は?」

「その場合は、続行の妨げとなる事態への対処、あるいは回避や迂回の可能性を探ることを最優先とする」

「了解」

「事前の説明は以上だ。光域内部への結節は既に出来ている。直ちに作戦の実行に移るぞ、ハイブへ移動だ」

 ウィクリフは、卓から離れ、足早にハイブへと続く入口の階段を降り、皆もそれに続く、ウェルテだけは卓の上の地図を見て動かない。

 トーマも卓を離れ礼拝堂の奥の床に開けられたハイブへ降りる入口に向かう、そこで、背後から不意にウェルテから声を掛けられた。

「マルフィナの時のように不測の事態が起きても、今度は自分だけで対処できる、とか、絶対に足手まといにはならない、って考えてたりしないでしょうね」

「はい…それなりに」

 生意気だ、自惚れだと、叱責されるだろうかと、トーマは身構えるが、次にウェルテから掛けられた言葉は違った。

「本当はこんな、くさいことは言いたくないんだけど、もっと仲間の力を信じなさい。あなた一人をお守りしながら都市を攻略するくらい、何でもないんだから」

 ウェルテの背後しか見えないトーマからは、彼女がどんな表情をしているのか判らない。しかし、例え作戦の円滑な遂行のためのものだったとしても、自分を気にかけてくれているということがトーマにとっては純粋に嬉しかった。

「ありがとう、でも、やっぱり僕は、守られているだけじゃなくて、みんなを守れるようにもなりたいんです」

 返答するトーマの声は確かなものだった。



 カプア修道院の鐘楼より、眼下に広がる白い街並みを眺める青年がいた。

 精悍な顔立ちに若いながらも強い芯を持つような雰囲気は、聖職者よりも騎士に相応しいように見えた。しかし、その身にまとう法衣や、装飾は高位の者にしか許されていないものだ。彼の青年こそが、このカプア修道院の修道院長だった。

「イザック様…」

 椅子に座り、鐘楼から街並みを眺める青年に話しかけるのは、壮年の司祭だ。

「判っているよ、預言の魔物達が現れたんだね」

「はい…」

「うん、大丈夫。魔物達は決して、カプアに手出しできない」

「ですが、魔物は得体の知れない力を多く秘めています、我々の防備に自信が無いとは言いませんが、もしもの時は―」

「何度も言っているじゃないか。その時は、僕が何とかする」

 その声は断固たる色を含んでいる。

「どうか…御考え直しを…」

「これは僕が修道院長に就任する時に決めた誓いなんだ。誰にも邪魔はさせない」

 青年の修道院長の眼は静かな火を宿していた。



 紅い夕に染まるカプアより南の草原、この一帯はゴツゴツした岩が点在している。そのただなかに滲み出るように蝕痕が現れる。その黒い痕は、急速に滲み広がり、大きな結節となった、そしてその結節はカプアに向けて蝕痕を溢したインクのように伸ばしていく。

 それを追うように、紅い鱗の飛竜がカプアに向けて飛行していた。そして、カプアの市壁がおよそ大地に横たわる細い線から、都市を守る壁として認識できる程度の距離まで近づいた。もう遠目からなんとなく都市の中を様子が伺える。

《カプア…言われた通り大きいな》

 カプアの街並みはクラーザやマルフィナのような洗練された美や、宗教的な構造に特化したものではない、決して猥雑というわけではないが、もっと実用的というか、単純に住むということに適した造りをしてるように見えた。

 都市中央の一際大きく聳える跡塔と、その少し北側に、修道院に併設されているであろう鐘楼がしっかりと見えた。

《トーマ。お前の力を見せてみろ》

《はい》

―より強く、より凝縮された炎を…!

 トーマは炎をより高温高圧で撃ちだすことに意識を集中する。

 飛竜の鼻先に、鼓動と共に膨れ上がる紅い硝子玉が湧き出てくる。その硝子玉は、硝子細工のように独りでに、人の両腕で作れるくらいの大きさのリング状に変形すると、車輪のように横回転を始めた。

 飛竜は体内で造り、口腔で圧縮した炎球をそのリングに向けて打ち放つ、炎球はその回転するリングの中央で網に絡められたかのように制止する。と同時に、炎の球にも横向きの強い回転が掛り始める。炎の球は、リングの絞縮と共に、内向きの回転によって更に圧縮され、前後に楕円の形に伸びていく。

―これが、今の自分の答え。生きるために、蝕人を守るために僕にできること。

《行け!》

 炎の砲弾は、リングの消失と同時に、恐ろしい速度でマルフィナの市壁に向けて飛んでいった。

 炎の砲弾がマルフィナの市壁に直撃する。

 空気を震わせる凄まじい爆裂がマルフィナの市壁を襲う。激しい爆裂は、灰色の煙を生み出した。

 しかし、爆裂による煙の中から現れたのは、数メルトを越える巨大な光の盾だった。

 その巨大な光の盾に守られたマルフィナの市壁には傷一つ無い。

《そんな…》

 ゆっくりと草原の上に降り立つ飛竜、戦意を喪失したのではなく、限界まで魔力を込めた一撃を放った反動で減衰した魔力の循環の回復を計るためだ。

《今のトーマの放った一撃は、ただの城壁なら、軍隊がなだれ込めるような大穴を空ける威力だったのよ。いくら奇跡とはいえ、ありえないわ!》

 流石のウェルテも、今の一撃を完全に防がれたことに対して冷静ではいられなかった。

《アルクス、ネーヴェ、東西に回り込め。ウェルテは北だ》

 ウィクリフの指示が飛ぶ。

《了解》

 グリフォンと灰色の巨狼がカプアの東と西に回り込む。一方は草原の上を風を切って進み、もう一方は草原に大きな蹴り跡を付けて猛然と走る。酸嚢で腹を膨らませた蟻異種を抱えて飛ぶ蜻異種が二匹、北へ飛ぶ。

《今のカプアのリソースから、あれほどの盾を全ての市壁に対して、継続的に展開するのは不可能だ。トーマが回復し次第、五方向から同時攻撃をする》

《いけます、もう回復しました》

《いいだろう。トーマ、次は先よりも威力は弱めていい、今は壁を破るのではなく、光の盾の発生の確認が目的だ》

《わかりました》

《光のゆらぎが弱まった瞬間を狙う、おれの合図で攻撃しろ》

 張りつめた沈黙が、意識の中を支配する。

《撃て》

 南の壁に向けて炎の弾が飛竜の口から放たれる。

 グリフォンの周囲に舞っていた圧縮された風を纏った鋼を貫く数本の羽根が東の壁に飛んでいく。

 灰色の長大な結晶の一角を頭部に形成した巨狼が西の壁を貫かんと猛然と走る。

そして北側の二辺の壁には、岩も鉄も溶かす酸を腹に抱えた蟻異嚢種クロ・フルミナ蜂異種ビネによって投げつけられた。

 全ての攻撃がそれぞれの壁に同時に直撃する。

 しかし、その全ての攻撃を、壁を守るように出現した光の盾が防いでいた。

《どこか一方面の市壁だけを守る類の盾じゃなさそうね…》

《つまりだ、トーマのあのブレスすら歯が立たない盾が全方位に、しかも同時に展開できるってことか。こりゃ進退を決めるかどうかって話ですらねーんじゃねえのか》

《僕が、もっと強力なブレスを撃てば…》

《攻撃を中止だ。各自、カプアの周囲にて、いつでも戦闘に移れるよう緊張を保って待機》

 多方位からの同時攻撃にすら、完璧に防ぐ防御能力を見せつけられても、ウィクリフは狼狽える事無く皆の意識に指示を飛ばした。


 陽はもうほぼ沈みかけていた。

 西の空はまだ微かに紅いが、濃紺で塗りつぶされるのにさして時間は掛らないだろう。だが、光域の中心都市であるカプアは微かに光を帯び、薄闇で満たされた草原の中心に浮かんでいる。

 そのカプアの周囲を飛竜とグリフォンが旋回している。

 巨躯の灰色狼は少し離れた足の短い草に覆われた小高い丘に陣取り、哨戒用の蜻異種リベレが、それらの更に周囲を飛び回っていた。

 時折、蜻異種リベレはカプアの市壁に近づくが、それに呼応するように巨大な光の盾の一面が現れ、あらゆる干渉を許さなかった。

《このまま、様子を見ていればカプアはリソースを使い尽くして自滅してくれたりしませんか?》

 トーマの疑問に答えるのはウィクリフの声。

《確かに、あれ程強力な盾を長大な市壁全てを守るために展開しているとしたら、そのリソースの消費は桁違いだろう。しかし、都市の存亡が懸かるこの状況で、その場を凌ぐためだけにリソースを大量に消費するような愚を侵すとは考えにくい》

《つまり…あれだけの奇跡を維持する何らかの仕掛けがあるからこそ展開している。ということですか》

《そう考えるのが妥当だ》

《…確か、奇跡というのは他者のためのものである程、少ないリソースからでも強力な奇跡が生みだせるという性質がありましたよね。もしかして、その性質を利用してリソースを生み出しているんじゃないですか》

《無論、その可能性も考えた。しかし、その性質に従うならば、あの光の盾をカプアの者達が生みだしている、というのは道理に合わない。守っているのは結局自分達に過ぎないからだ》

《そうですか…それなら、一体どうやって》

《―あの都市の住民じゃない、外部の者からの信仰なら、増幅させることができるということでしょう》

 ウェルテの指摘だった。

《考えられるのは、それだけだ。都市一つを丸ごと守る光の盾を顕現させる信仰を与える外部の存在、これを見つけ出すのが今、俺達に与えられた課題といえるだろう》

《ならば、やはりカプア光域内の村や町に住む者…というのが最もそれに近しい存在なのではないか?都市一つを守る光の盾を維持できる信仰を授与できるかどうかは分からないが…》

 具体的な案を出す、アルクス。

一先ひとまず空からの俯瞰ができるトーマ、アルクス、私で魔脈からの魔力の届く範囲でいいから、周囲の村や町を探してみましょう。トーマは南、アルクスは北を、私は東西に蟲を飛ばすわ》

《魔脈はどうしよう。カプアを囲うように成長させてたけど、外に広げたほうがいい?》

 今回も蒼い大海蛇のティーフは、界域の中で魔脈の成長と魔力の循環の調整と補助を担っていた。その質問にウェルテが答える。

《まだ必要ないわ、活動に支障が無い最低限の魔力さえ供給してくれればいい》

《わかったよ》

《それじゃ、もし使者を発見、遭遇しても可能な限り戦闘を避けてカプア周辺に戻ること。いいわね》

 ウェルテの確認に、それぞれ了解するトーマと、アルクス。

 同時に、それぞれ北と南に向けて、紅色に黒い紋様の翼膜の翼と、白地に緑の色が入った羽毛の翼を羽ばたかせて飛んでいく。

 東西には既に、女王蟲の繁殖胞で孵化した多数の蜻異種リベレが飛び立っていた。

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