覚醒する心 Internal defibrillator

第四章

4-1 地下墓地

「飛竜の訓練をさせて下さい」

 起床後ハイブに降りたトーマは、昨日と全く同じ姿でハイブの中央に置かれた机の上に啓発者を広げているウィクリフに向けて、開口一番そう言った。

何故なぜだ」

 ウィクリフは啓発者の淡く白い光を纏うページに向けた顔を動かさずに言う。

「もっと、皆の役に立てるようになりたいからです」

 トーマも怯まず、ウィクリフの問いに答える。

「お前は現状でも十分作戦に貢献している。役に立ちたいというなら、今は休め」

「それじゃだめなんです、皆と同じくらい能力の応用ができたり、魔脈へ強く干渉できるようになりたいんです」

「もう訓練に費やしている時間はない」

「それでも何か、できることはありませんか」

 トーマは食い下がる。はいわかりましたと引き下がる気にはどうしてもなれなかった。

「お前に、苦痛と恐怖を耐える覚悟はあるか」

 ウィクリフはトーマを目をみて言う。

「あります」

 トーマの返答は早かった。

「魔物の潜在能力を、急速に引き出す施術というものが存在する。成功すれば間違いなくお前の魔物の能力を引き上げる事ができるだろう。その施術を行うことができる者が西居住区の西端部にある地下墓地の中にいる」

「西居住区…ですか」

 西居住区は古くからある旧市街だ、トーマの暮していた管理の行き届いた東居住区とは違い、全く信仰を持たず教会に見放された者や、素行の不良な者を隔離しておく、いわば掃き溜めのような場所となっている。

「これを嵌めて行け」

 ウィクリフは懐から出した、蝕痕に似た黒い紋の刻まれた細身の銀の腕輪を手渡す。

「面倒な輩に絡まれそうになったらその腕輪を見せてやればいい。地下墓地の施術者が管理する献体であることの証だ。西居住区でその証を持つ存在に危害を加える事は死を意味する」

「あ、ありがとうございます」

 トーマは手渡された銀の腕輪を恐る恐る右の手首に嵌める。

「安心しろ、話を進め易くするための一時的な物だ。準備を終えたら裏の門の前で待っていろ、途中までは馬車を手配してやる」



 馬車の中で揺られるトーマは質素な支給服、蝕が露出しないように包帯を手足に巻いている。一般的なベリダ住民の姿だった。揺れる場所の中で、聖堂に連れて行かれた時の事を思いだしていた。

 あの頃はただ救いを求めていただけだった、神様が自分を救ってくれると、そして、自分の身体に刻まれた蝕をただ呪わしいモノだと思っていた、でも、今はそれが逆転していた。

「自分を救うことができるのは自分だけなんだ、きっと」

 トーマの微かな呟きを聞く者は馬車の中にはいなかった。

 馬車は、西居住区内の西の広場で止まった。周囲の建物は木造で傷んだものが多く、道も大通りから逸れれば曲った細い路地が入り組んでいて猥雑な印象だった、道端や路地裏には寝ていたり座り込んでいる者の姿も少なからず見つけられた。改めて東居住区との差に驚く。

 地下墓地の入口は使われていない寂れた教会にある事、そして、その教会までの道を聞いたトーマは、この広場の北側の道を進んで、細い路地に出て左手へと進んでいく。

―と、大柄な男が、痩せた蝕人の男の胸倉を掴みで捻り上げている、その右腕は、あえて蝕を見せびらかすように包帯をしていない。その横では、長髪の男が痩せた男に脅すように何かを話しかけていた。

 自分にできる事はない、関わる必要はないと言い聞かせ通り過ぎようとする。

大柄な男は痩せた男の胸倉から手を離す、痩せた男は地面に手を付いてせき込む。

「嫌だ!誰か、た、助けてくれ!」

 しかし、その声を聞いたトーマは足を止めた。『ベリダに住む人を救うため』という動機だけが、魔物としての暴虐を自分に許す理由なのだ。故に、それをないがしろにする事はできなかった。

「あの、どうかしましたか」

 “腕輪を見せてやればいい”とのウィクリフからの言葉を信じ、トーマは悪漢二人に声を掛けた。

 長髪の男は舌打ちをしイラついた様子で、水を差した少年に向かう。

「ここはよぉ、手前の身もろくに守れねぇような雑魚が他人の問題に首を突っ込んでいい場所じゃねぇんだ、よっ!」

 長髪の男はそう言うやトーマの鳩尾みぞおちに、拳を一発めり込ませる。トーマは短い声を上げ、腹部を抑え、薄汚れた路地に膝をついた。長髪の男はトーマの傍で屈み、優しく諭すように語りかける。

「俺達は健康そうな奴から少しばかり血を分けてもらってるだけさ。ここじゃ、人の血ってのが少なくない価値を持ってるんでな。お前も採血屋の所に連れていかせてもらうぜ、俺に迷惑かけた礼だ、構わねえよな?」

 長髪の男はトーマの細い右腕を掴んで立たせた。

「僕は―…地下墓地に行く予定なんです、あなた達についていくことはできません」

そして、その右手首に嵌められた、黒い紋の入った銀の腕輪を見た。

「あぁ?地下墓地…こいつ…!」

 長髪の男は、目を見開き、トーマの腕を離し、後ずさる。

「どうしたんだい、兄貴」

「このガキ…魔女への献体だ。意識のある人間を丸ごとだぞ、いかれてやがる」

「魔女の物に手を出したら俺ら、どうなるかわからないよ…」

「畜生っ!こんなことで目、付けられてたまるか、行くぞ!」

 二人組は入り組んだ路地へと消えて行った。

「あの、大丈夫ですか」

 倒れている痩せた男に右手を差し出すトーマ。

「ひっ、俺は何も見てない!知らない!」

 少年のおかげで暴漢から逃れられたというのに、痩せた男はろくに礼も言わずよろよろと起き上がると、走って去っていった。

「魔女って誰だろう」

 トーマは、突然浴びせられた理不尽の連続よりも、その言葉が指す者が何なのかに意識が向いていた。今になって突然、不安が沸き上がる。トーマはあえて先を急ぐことで、余計な事を考えないようにした。


「小さな寂れた教会…ここかな」

 寂れた教会の中は、ボロボロの木の椅子、欠けた石の卓、薄汚れた窓、どことなく審問の院に似た雰囲気だった。右手奥に地下へ続く階段を見つける。

 一歩降りるごとに周囲から脈打つ魔脈と、その中を流れる魔力の気配が増していく。

「ハイブに降りる時と似たような感じだ…」

 降りた先は、灰色の煉瓦に囲まれた細い通路に繋がっていた。壁には蝕痕が刻まれていて、魔力の流れを明確に感じる、そのせいか冷たい煉瓦に囲まれているのに温かな場所にいる錯覚を覚えた。

 少し進んだ当たりで、壁に凹みがあり、その凹みの中に蝕を賛美するような内容の文字や図が描かれているのを見つけた。

「これって、まさか、蝕を信仰した痕跡なのかな」

 蝕を神聖視するような人が昔に居たことが妙に嬉しかった。ほんの少しだけ自分が認められたような気がしたからだ。

 階段を降りて、回廊を直線に歩いて最初に見える大きな木製のドアを見つけた。

「ここ、だよね」

 恐るおそるノックする、と少しして中から「どうぞ」と女性の声が帰ってきた。トーマは、意を決してドアを開ける。

 まず目に入るのは、大きな棚。大小様々な大きさ形の赤い液体で満たされた瓶が上段にずらりと並び、全てタグが付けられている。中段、下段には蝕痕が刻まれた獣の心臓や臓物を透明な液体に漬けた瓶が並び。床には乱雑に積み上げられた洋書や羊皮紙の束、そして血に濡れた包帯が隅にまとめて詰まれている。部屋の中には薄らと血の匂いが漂い、とても書斎とは思えない、まるで何か猟奇的な実験室のような雰囲気に包まれていた。

 その部屋の主は部屋の隅の実験机の椅子に腰かけ洋書のページをめくっていた。ベリダでの教会関係者の服装である黒色の修道女服に身を包み、日輪を象ったチャームを首から下げている、妙齢の整った顔立ち、耳には赤い結晶の付いたピアス、そして艶のある少し波の入った長い赤毛が印象的だった。

「あの、ここで、魔物に帰化した時の能力を上げる施術を受けることができると聞いて来たのですが」

 黒色の修道女服の女は洋書を机に置き、少年の方に歩む。

「私はヤン、この地下墓地の主で、西居住区の裏の管理人、そして異端の徒の一員よ、西居住区に住む者達からは“魔女”なんて呼ばれてるけれどね。ウィクリフから話は聞いてるわ、トーマ、あなたが飛竜である事も…蝕人を守るために皆で戦っている事も」

 赤髪の研究者、ヤンは物腰は優しそうだが、静かな圧力を纏っていた。

「よろしくね」

 ヤンは笑顔でトーマに右手を差し出した。

「よろしくお願いします」

 ヤンの右手を握るトーマ。その手は不思議な温かみを帯びているように感じた。

「そういえば、ここに来る途中で粗野な二人組みに絡まれたみたいね」

「あ…絡まれたというか、自分から声を掛けたんですけど…血が欲しいみたいな事を言っていました」

「この西居住区では、私の研究に協力した者に報酬を与えているの。そこで、私の研究に常に必要で、誰もが持ち、分け与えるのが比較的簡単な物、つまり血液ね、その提供が最も簡単に、安定して比較的良い報酬を得ることができる手段になっているのよ」

「それであの二人組のような人がいるんですね…」

「ええ、でも、血液の提供を迫り、その報酬を得る権利を横取りする者達が現れたのはつい最近のことなのよ。ちょうど、蝕痕の暴走による突然死が急速に増え始めた頃ね」

 トーマは少し顔を反らす。たとえ必要な犠牲であったとしても、それを引き起こしているということに引け目を感じずにはいられなかった。

「突然、明日には死ぬかもしれないなんて事を考えなくてはならない状況に置かれたら、生きている間に少しでも良い思いをしたい、他者を虐げてでも、と考える者が増えるのも仕方のない事なの」

 ヤンは少し悲しげな顔をした。

「僕達が魔脈に乱暴に干渉しているせい、ですよね」

「いいのよ、あなた達がどんな思いで戦っているのか、判らないわけじゃないわ」と言って、ヤンは微笑む。

「話を戻しましょう。この工房にも、ハイブの試作型ともいうべきものが存在するの。私にはその魔力の循環システムの情報を読み取ることができる“ある器官”を持っているというわけ」

「試作型ですか、どうしてそんなものがこの地下墓地にあるんでしょうか」

「私とウィクリフは、昔、一緒に魔力について研究していたからよ」

「知りませんでした…」

「結局、喧嘩別れしちゃって今に至るんだけどね。まあそれはいいとして、他に質問あるかしら?」

「えっと、施術とは具体的にどんな事をするのか、教えてください」

「実際に見てもらった方が早いわ、付いてきて」

 そう言うとヤンは足早に部屋から出ていく、トーマはヤンの後を追った。

 その“まずは論より証拠”という姿勢は、なんとなくウィクリフと似ていると思った。


 二人は書斎を出て、地下二階の広い部屋へと移動した。

 広間の中央には、深さは一メルト程、直径三メルト程の円形のプール。周囲から伸びた蝕痕が、プールの中心で集まり大きな結節を作っていた、そのプールの両脇には鎖を巻き取るロール型の装置が設置されていた。

 更に、プールの周囲には蝕痕以外に、トーマの嵌めている腕輪にあるような規則だった紋が細かく刻まれている。

「準備をするから、少し待っていてね」

 ヤンは壁に取り付けられた金属のレバーを引く。すると、水の流れる音と共にプールに薄赤い液体が流れていった。プールにゆっくりと薄赤い液体が溜まっていくのと同時に、微かに血の匂いが広間に広がっていった。

「この仕掛けも…その、ウィクリフと一緒に作ったんですか」

「そうよ。どうして今は、別々になってしまったか聞きたいかしら」

「いえ、そういうわけじゃ…」

「いいのよ、別に隠すような事じゃないし。私の独り言だと思って聞いてちょうだい」

 ヤンはプールの周囲を歩き、時折、紋をなぞったり、蝕痕に掌を置いたりしながら語り始めた。

「私達は理想的な協力者だったわ、私は人一倍、蝕に耐性があってね、魔力を汲み取り、自分の身体を標本にしてかなり高い精度や密度の情報を得ることができた。ウィクリフは、それによって得た情報を元に仮説立てて検証する能力に長けていたの。蝕や魔力に関する事実は驚くように明らかになっていったわ。でも、ある程度成果が出始めた頃から互いに衝突することが多くなった…」

「どうして、ですか?」

 ヤンは寂しい笑みを見せる。

「なぜならウィクリフは“最終的に蝕をこの世から無くすこと”が目的で、私は“最終的に蝕をより広く安全に利用できるようにすること”が目的だったから。志し、動機が違ったのね。結果的に、彼は教会を利用してでも目的を果たす道を選び、私はここに残った。そして、どんな奇跡を使ったのか知らないけれど、彼は審問の院の院長という立場と拠点を得て、大胆にも教会の支援を受けながら、教会に悟られることなく、魔物と人を結びつけるための施設を完成させた。そして、教会から呼び出された私は、なぜか異端の徒として処刑されずに、西居住区の管理役を命じられた。それから私は西居住区を一つの実験モデルにして、蝕を一般化するための研究を続ける自由を謳歌している…というわけ」

「僕に協力してくれるのは、研究のためなんでしょうか」

「そうね、それもあるけど。目の前に迫る脅威、大浄化を阻止するためってのが一番ね…私だって自分の命は惜しいもの。さて準備できたわ。皮膜服は中に着てるわね」

 広間の中央のプールは薄赤い液体で満たされていた。

「はい、界域に潜らなくてもきっと必要だと言われていたので」

「よろしい、じゃあ、プールに入ってちょうだい」

 手足の包帯を外し、支給服を脱いで皮膜服姿となったトーマは、薄赤い液体の中へと進む、深さは膝の少し上くらいだった。

「温かい…ちょうど、人肌くらいだ」

 トーマは、薄赤い液体の底に沈んでいる鎖を手繰り寄せ、ハーネスを拾い上げる。それは、丁度ハイブの締結器に付いているのと同じような作りだった。

「ハーネスを付けたら、仰向きに浮かんでみて。ただ力を抜いて浮かぶだけでいいわ」

「はい」

 言われた通り、仰向きに浮かんでいると、背後からもう慣れた感触が迫ってくるのを感じる。泡のような皮膚のような、それでいて冷たい磨かれた石のような感触。それが身体の背面を覆い、さらに身体全体を覆う。

 トーマはプールの底から凸面に膨らみ盛り上がってきた結節の表面に飲み込まれていった。

 トーマが潜った後、ヤンは修道士服を脱ぎ、一糸まとわぬ姿となった。露わになった彼女の身体には、全身に這い伸びた蝕痕、その蝕痕の隙間には精緻に刻まれた指示呪文、更に臍や手首、胸の谷間には、爪程の大きさの紅い結晶が埋め込まれていた。

 その呪文は特に胸と下腹部に集中して刻み込まれていた。呪文は魔力に関する感覚的な情報をより具体的な数字や基準に置き換える変換基盤、紅い結晶体はその精度の調整装置だ。

 そして魔脈に繋がり情報を抽出するための核となるのが、彼女の子宮の中に眠る親指程の大きさの胎児だった。

 ヤンは愛おしそうに下腹部に手を添える。

「さあ、一仕事よ」

 ヤンは自分がもし子を孕めば、高確率で蝕人として産まれると理解していた。

 彼女はそれを利用し、妊娠が分かり次第食事を最小限に止め、代わりに多量の魔力を身体に巡らせた。濃い魔力で満たされた子宮内部は界域深部と等しい環境を保ち、物理的な栄養よりも潤沢に送らてくる魔力を摂取し、強く魔脈と繋がった胎児は人としての成長をやめ、代わりに極限まで循環への抵抗やしきいを無くす魔力器官へと変貌した。

 研究者としての狂気の産物といえる。

 しかし、魔脈を感覚し解析し、それに干渉するための有機的な装置としてこれ以上のものは存在しない。この胎児は他者の魂を入れる器といえる存在である。

 ヤンは紅いプールに入り、中央で仰向けになり、下腹部に両手を添えた格好でプールの底に沈んでいった。

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