2-4 食事と休息、そして準備

 クラーザの修道院の聖室に並べられた白い棺の二つに亀裂が入り、その亀裂から赤い血が流れ出ていた。中に納められた“依り代”が破損したのだ。

 顕現された使者は、この依り代の中にある魂を加工した存在といえる。その魂が破壊されれば、肉体としての役目を担う依り代が破壊されるのも仕方ないのない事だった。

 礼拝堂にいるアベラルドは、使者が破壊された事によって、二人の依り代が死んだことを直感した。

「主よ、尊き魂に慈悲を与え給へ…」

 アベラルドがその言葉を述べると、聖室の棺から溢れた血は白く水分を失って砂になっていった。

 亀裂の入った棺も、その中身も、白い砂と化していき崩れ落ちた。

「どうか、我らに奇跡を…」

 アベラルドの声は、夜の帳に包まれていく礼拝堂の中に微かに響くだけだった。



 クラーザから西の森の中で繁殖胞の管理をしているウェルテと、界域に潜っているティーフを除く他の四体は、西の跡塔のあった広場に集まっている。

 魔脈の成長を優先し、体勢を立て直すために魔物達は、一時的に休息する。特にトーマ、ネーヴェの疲弊は大きく、魔脈の成長のためでなくとも、いくらかの休息の時間が必要だった。広場の周囲をウェルテの蜻異種リベレが飛び回り警戒していた。

 広場の中央で意識を失っていた飛竜は、首筋に感じた針の痛みでビクリと身体を震わせて意識を取り戻した。

《あっ…跡塔は…!》

《止めはアルクスがやってくれたわ。寝ぼけてないで、食事を済ませて頂戴》

《了解です》

 気怠い感覚がまだ強く残る身体をなんとか起こし、首を曲げて広場を見回す。

 左手側の隅、には蜂異種ビネが気絶させ、蟻異種フルミナが運んで来たクラーザの住民が広場の隅に、十数人ほど積み上げられていた。


 四体の魔物は人の山の前に集まり、それぞれ必要な量だけ人間を抜き出して食らう、特にネーヴェはものすごい勢いで食べていた、次々と山から人間を抜き出し、その大顎で肉を割き、骨を断ち割って喰らっていく。この巨狼の正体が、あの無口で感情を見せない少女とはとても思えない、いや、この狼の魔物の仮の姿が無口で感情を見せない少女に過ぎないのか。

 トーマも臆すこと無く、詰まれた山から一人を引きずりだして喰らう。隣では黒い毛並に白い模様の入った巨躯の豹が食事をしている。その隣のグリフォンは、まだ口を付けずにいた。

《我に生きる糧を与えたもうた全てに感謝します。我が命は他の者をたすけるために在ると誓います》

 アルクスはベリダの中では一部の者しかしていない食前の祈りを捧げてから、鋭い鉤爪と嘴で獲物を裂き、食事を始めた。

《ったく、辛気臭えぞアルクス。今、俺達は魔物で、食ってるのは人間なんだぜ?何をどう祈った所で神様は相手にしてくれねーよ》

《何と言われようと、これを欠かすつもりはない。少なくとも祈る暇があるのならな》

《そうかい、そりゃ結構なことで》

 一人目を食べ終えた黒豹は飛竜に近づいていく。

《よお、トーマ。お前、なかなか良い喰いっぷりだな。魔物になってからまだそう日は経ってねーはずなのによ》

《はい、人を食べる事に不思議なくらい抵抗は感じないです…たぶん魔物に帰化してるせいかもしれません》

《ま、俺も似たようなもんだ、魔物になっている時だけは人間をただの餌と思えちまう。だがよ、人を喰ってることに違いはねえ、そこんとこお前はどう折り合い付けてるのか聞かせてくれねえか》

《ええと…そもそも今の僕らにとってはこの人達は必要な糧なわけで、別に嗜好目的で食べてるわけじゃないんですよね》

《ああ、違えねえ》

《だから…その、牛や豚を食べるのとたぶんあまり変わらないと思うんです、自分の糧になってくれた人達に心の中でちゃんと感謝すれば、それでいいかなって…》

《ふうん、それがお前の言い訳ってわけか》

《やっぱり、傲慢ですよね。きっと自分が人を簡単に捻じ伏せられるような魔物になっているから、こんな事が言えるんです》

《いや、都市に住んでいるような奴等は蝕人なんて人とも思ってないような連中なんだからよ、傲慢なのはお互い様だ。とはいえ、牛や豚と変らねえとは気に入った、ほらよ―》

 黒豹が咥え、飛竜の足元に放ったのはまだ母が恋しいくらいの少女だった、全身の筋肉が麻痺しているため顔は虚ろだ。

《俺的に一番食べごろの肉だ、食えよ》

《ありがとう、ラルマ、いただきます》

 飛竜は遠慮なく少女を頭から喰らう。確かにいままで食べた中では一番上品な味と食感だったが、トーマは自分の強靭な顎には少し物足りないと思った。

 しかし、味や食感の好みを気にするよりも、人間を食べる事で先程まで身体を支配していた気怠い感覚がみるみる霧散し、身体の芯に熱が戻ってくるのに何よりも安堵していた。


 魔物達の食事も終わり、一段落した頃、ウィクリフの声がおもむろに皆の意識に届く。

《使者は確かに奇跡の産物だ、人間の軍隊などでは相手にならない異形の存在だろう。しかし、今回の交戦で魔物であるお前達なら十分に対抗できると判ったはずだ》

 ネーヴェとラルマは、既に使者を破壊してみせた。強力な存在だが、互角に渡り合える存在だといえた。

《しかしウィクリフ。今、もし使者共が総力をあげて攻めてきたらどうする?》

《そうなればクラーザ侵攻は失敗だ。ティーフの魔力支援経路が全て魔脈の成長に向けられており、更にネーヴェ、トーマの状態が万全でない今、激しい戦闘となれば夜とはいえ間違いなく押し負ける。全員、即時撤退し可能な限り被害を減らすしかない》

《おいおい、大丈夫かよ》

《そうならないために今、私が周辺のクラーザ光域内部の村や街に蟲を送ってるのよ。村人の命を奪うのではなく、治療を必要とする怪我人や病人を増やすためにね。今頃、クラーザの司教達はどう対処するか頭を悩ませてるんじゃないかしら》

《進退の決定権を握るクラーザ修道院長のアベラルドはリスクを取って勝負に出るよりも、無難な住民の安全を優先する慎重派だというのは知っている。加えて、もう陽が落ちる、魔物と戦うには分の悪い時間帯だ。更に目の前に苦しむ住民が現れれば、クラーザの司教共が決戦に打って出る公算は限りなく低くなる》

《今は余計な事は考えず、休息と魔脈の成長を優先するのよ》



 時刻は夕刻過ぎ、もう東の空は暗い。魔物達が西部にとどまり活動を止めているのを伝令者は確認していた。

 修道院長の執務室では院長アベラルドと何人かの司教が集まり、侵略してきた魔物に対応するための会議をしていた。いや、会議というよりは司教達の言い争いといったほうが正確かもしれない。

「跡塔が一柱破壊され、依り代を二人も失った。魔物は預言の通り恐ろしい力を持っています。そして、この事態に唯一対応する力を持つ首都ヴェルナは、大浄化の準備のため援護はできないとの返事が返ってきた所です」

 薄目の司教が、感情の籠らない声で事実の確認をする。

「魔物共は西部の跡塔を破壊した後、クラーザの西に留まっています。敵が疲弊している今こそ全ての依り代を用いて殉教者を召喚し、潰しにかかりましょう!」

 声を強め、攻撃を主張するのは、司教ダニロだった。

「だがもう夜だ。陽の光は無くなり、人は眠りにつき、奇跡の力はどうしても弱まる。使者の力を過信するのは危険な時間だぞ」

 薄目の司教は、それに反対する。

「いいえ、今こそ好機です、この機会を逃す手はありません」

「魔物共の罠かもしれぬぞ、わざわざ奴等に有利な時に出向いて、殉教者の首を差し出しに行くのか?確か君は、蝕入りの獣のせいで親を失っていたな。少し頭を冷やして物事を考えてみてほしいものだな」

「それは関係のない事です!」

 薄目の司教の指摘に、ダニロは声を荒げる。

「私は、ダニロ殿に賛成ですね。冷静に判断しても、今は魔物を叩く絶好の機会だと思いますな。まあ何より結論は早い方がよろしいでしょう、我々がいるべきはこの執務室ではなく、聖室や礼拝堂なのですから」

 いつもアベラルドにはべっている司教は、好戦的な考えを支持する旨の発言をしつつ―

「アベラルド様はどうお考えですか」瞑目して椅子に座るアベラルドに水を向けた。

「……こうしている間にも、光域内部の農村に巨大な蜂のような虫が被害を及ぼしているという報告が入った。彼らを見殺しにしては奇跡の意義が疑われる。まずは、都市の内外にて昏睡に陥っている者達の治療と、虫の魔物の殲滅を優先する、クラーザの西部に居座る魔物共を排除するのは、奴等から動き出さぬ限り夜明けからとする」

「―しかし、アベラルド様」

 ダニロはあくまで引き下がろうとする―のを、アベラルドは睨み、抑える。

「教会の奇跡は、第一に人を守るためにある。その事を忘れないでくれ」

「…承知しました」



 陽が沈み、クラーザを闇が包んでから一時ひととき(※二時間程)を経た。

 周辺の村に送った蜂異種ビネ達は、駆け付けた殉教者達によりほぼ処理されてしまった、今は存在を知らせるためだけに散発的に姿を見せては隠れるということを続けているのみ。

《ようやく結節が完成したわね…》

 ティーフの尽力により無事、クラーザ西部、跡塔のあった広場への結節の増殖が完了した。

 広場の中央には、人一人分程度の大きさの蝕痕の塊が生まれていた、その黒い表面は微かに脈動している。

 魔力を貯蓄プールする器官が都市内部にできたおかげで、クラーザ西部の白い家屋や道にちらほらと、染み出るように黒い蝕痕が刻まれ始めていた。必然、その様子は腐蝕や疾病を連想させる。

 食事を終えた後、身体を落ち着け、十分に休息を取っていたトーマ、ネーヴェは、共に十分な魔力の循環と取り戻し、使者の攻撃や、酷使で傷ついた器官や組織の再生も終えていた。

《トーマ、調子はどうだ》

 トーマの様子を問うアルクス。

《はい、食事と魔力が濃くなっているおかげで、もう完全に回復しました》

《でも、まだこの結節を肥大化させなきゃだめよ。肥大化した結節による魔力の循環効率の上昇効果は、今後の作戦の起点なんだから》

 結節への物理的攻撃や浄化作用からの保護、及び成長の促進のためにも、魔物達はまだここから離れるわけにはいかなかった。

《なんとも、もどかしいぜ。自分の領域を守ってる時は、魔力が足りない場所にあえて伸ばすなんて面倒なことする必要は無かったのによ》

《集中しなさいラルマ。周囲の魔力の流れを結節に向けるの、あなただけ少し疎かになってるわよ》

《そうは言ってもよ。ティーフの干渉能力は俺らに比べて頭三つか四つくらい抜けてんだろ、全部あいつに任せておけばいいんじゃねーのか》

《僕は、あまり干渉に貢献できてないかもしれません…》

《トーマ、何も考えずに魔脈に無理に干渉しちゃ駄目だよ。魔脈にも都合があって、次に成長させやすい場所とか、今は循環量が少ないからあまり使ってほしくない時とか。魔脈に連なるあらゆる器官は、そういう色々な事情が常に変化しながらうねり、魔力を循環させているんだ。だから、魔脈のことを汲み取って、考えられるかどうかが、魔脈への干渉能力を決める鍵なんだよ》

 弱気なトーマにさとすのは、ティーフの声だ。界域の中で円い大きな水胞を抱える水竜の腹部は少し膨らんでいる、先ほど飲み込んだ人間がまだ消化しきれていないせいだ。

 しかし、今のトーマには、そんな魔脈の微細な変化など、全く感じることはできなかった。

《駄目です、全然感じ取れません》

《そのうち判るようになるよ》

《何にせよ、たとえ微力でも、成長が早まることに違いは無いわ。干渉力が低いからといって手を抜くのは許さないわよ》

《わかってるよ。どうも、あの白い鳩の視線が鬱陶しくて、ちょっとイラついてただけだ》

《確かに、あの鳩の使者を狩りたくなるというのには同意だな》

 グリフォンと黒豹は、はっきりと、夜空に白い光の尾を引いて飛ぶ伝令者の視線を感じていた。

 無論、猛禽や猫科の習性というわけではない。時折、伝令者から射すような威光が放たれるのだ、おそらく情報収集のためのものなのだろうが、それが二人を苛つかせていた。

 そして、数刻後。結節の成長が完了した。少し前までトーマの足で隠れる程だった結節が今はもう数メルトはある黒く丸い皮膜になっていた。ウェルテはもう、蜂異種ビネによる陽動を止め、都市内部の状況に集中していた。

《これで、あとは成体の結節自身が新たな結節を生みだしてくれるわけだな》

《でも僕はまだ界域の中で支援役を続ける。そうだよね?》

《ええ、ティーフは私を中心に支援してくれればいい。私なら魔力があれば二人分の仕事もこなせるから》

 肥大化した結節が魔力を循環させ始めてからまた一時ひととき。三つの結節がクラーザ西部に出来ていた、一つは屋根の上、一つは結節のすぐ横、一つは西の門の近く。

《いいみたいね。三つを直ちに造血胞へと分化させ、占有する。占有する者は私、ラルマ、ネーヴェの三人よ》

 早速、三体の魔物が、結節の分化に取り掛かる。もう東の空は赤らんできた、夜明けは近い、ベリダとその周囲では考えられない程早い夜明けだ。光域の中心たる都市に住む者達は、いつでも陽の光を十分以上に享受することができている、この赤々と地平の奥から輝く朝の陽を。トーマはそれが無性に羨ましかった。

《これが、光域の夜明け…なんですね》

 そして同時にベリダやアンヴィルの村が日の出が遅く、僅かな時間しか日が当たらないことが、どうしようもなく理不尽に思えた。

“蝕人達を抹消する大浄化を何としても止めたい。”

 その意志が今更ながらに自分の中に沸き上がっていた。

《トーマ。眠気とかはないわね?》

 魔物の肉体でいるときの体調は魔力が全てといってよかった。魔力さえしっかり身体を巡っているなら眠気や空腹に襲われることなく活動を続けられた。

《はい、いつでも戦えます》

 黒豹は広場の北側の建物の屋根の上に。

 巨狼は広場から東の通りの中央に。

 そして、蜂に似た蟲達は広場の南側の建物の壁に。

 それぞれ結節の前に立ち、あるいは囲い。結節へ干渉し、造血胞への分化を始める。それぞれの結節の内部に赤い光源が生まれる、平坦に近い凸面が隆起し、黒い膜を破って中から赤い胞体が現れる。分化は完了した。循環する魔力の中に、明らかにいつもとは異なる、高純度の魔力が流れ込んでくるのを三人は感覚していた。

《やっぱ、造血胞こいつの魔力は違うな、力が沸き上がってくるぜ》

《準備、完了した》

《目標は中央と、その南北の計三つの跡塔よ。私達は三手に別れ、この三つを同時に攻撃、破壊する。ラルマとトーマは中央南、アルクスのネーヴェは中央、私はティーフの支援を受けつつ中央北の跡塔を狙う。一人は跡塔や使者への攻撃に集中し、もう一人はそれを援護、ないし防衛する》

《了解。いつでも動けるぞ》

 皆の意見を代表するアルクス。

《教会が動く前に先手を取る。一気に動いて少しでも対応の時間を減らすのよ。今から私が、あの鬱陶しい伝令者を落す。それが戦闘開始の合図よ》

 一晩に渡りワンパターンな哨戒見せられていたウェルテは、の伝令者が哨戒する飛行ルートを把握していた。もうすぐ、あの伝令者は南側の高い家の窓、スレスレを飛ぶと予測する。

《来た》

 伝令者が窓の前を飛ぶのに合わせて、窓の中から百足に似た蟲―百足異種ミルパットの身体が飛び出した。扁平な顎の両端には鋭い鉤爪のような牙が生えており、白く輝く鳩にがっちりと食らいつく。百足に似た蟲は獲物を家の中へと引き込んだ。

 同時に、四体の魔物と多数の蟲が一斉に動き出した。

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