1-4 魔力を糧にする物

 ハイブに降りた魔物の魂の保持者の少年少女達は手慣れた様子で、自分の所定の結節の上に乗り、締結器ていけつきから伸びる拘束具を取り付けていく。

 みな掌を結節の上に軽く乗せると、すぐに結節から広がってきた膜で身体を覆われ、結節の中へと潜って行った。

 トーマもたどたどしく拘束具を取り付け、結節の上に掌を置く、しかし結節の表面は静かに脈動するだけで、ピクリとも動かない。

「結節に手を付けた時の感触にもっと集中しなさい、魔脈の流れの一部になるのよ」

 ウェルテはそう言い残して、潜っていってしまった。

「そんなこといわれても…」

 ハイブにはトーマが一人だけ残された。

 結節に手を付けた時に感じること、人肌のような少し冷たいような温度、磨かれた石のようなゴムのような感触の表面、そして、微かに感じる脈拍。結節は、魔力の循環器官の一部だと言っていた。だからこれも鼓動しているのだ。

 その一部になるとはどういうことなのか。目を閉じてもう一度、結節につけた掌に意識を集中する。すると、結節から感じる鼓動と自分の鼓動が徐々に近づいていくことがわかった。

―この鼓動をもっと自分のものと近づけたらどうなるんだろう。

 結節と自分の掌が繋がったひとつのモノだと想像する。一秒に一度の脈打っていた自分の鼓動の間隔が段々と間延びしていく。その鼓動は、と、はっきり耳に響く程大きくなっていく。

 その鼓動が自分のものか結節から感じるものなのかわからなくなった時、黒い結節の表面は波打ち、トーマの体を飲み込んでいった。


 薄赤い気体のような液体に満たされた、重力と肉体の感覚が希薄な空間へと潜ったトーマは、目を閉じて飛竜の時の身体の感覚を思い出そうと意識を集中する。飛行するために変形した細く長い指、間に帆のように張られた翼膜、強靭だが重く大きな身体、姿勢のバランスを保つための長い尾。

 飛竜の感覚を思い出す事に集中する程、身体が無くなったかのような錯覚が強くなっていく、腕や手首に嵌められた鉄の輪の感覚が消えたあたりで、突然眠りから覚まされたように急激に四肢の感覚が鮮明になっていった。


 暗闇の中で、首や腹部、そして尾にじゃりじゃりとした冷たいものを感じる。目を開き首をもたげて当たりを見渡すと、そこは気を失った所と同じ赤い湯の湖の浜だった。

 粗い砂礫の浜に翼を広げ、紅い鱗に覆われた身体を横たえていた飛竜は、太い両脚で身体を支え、起き上がった。今は、初めて竜の姿になった時のような違和感はあまり感じなかった。身体のバランスを保ち、ただ歩くくらいなら問題なさそうだ。

《やっぱり。これは、夢の中…じゃなかったんだ》

《その浜から、東に見える大岩の所まで飛んで来なさい》

 ウェルテの声が頭に響いてくる。遠くから反響するような不思議な感じ。魔物には互いに心で話すような能力でもあるのだろうか?しかし、飛行しろと言われても、空の飛び方など知るわけはない。

《飛べません。なんて言わせないわよ、あなたは今、飛竜の身体なんだから》

《はい…やってみます》

 だが、不安とは裏腹にどうすればいいのかなんとなくわかる、それが逆に恐ろしかった。湖の中にいた時と同じ要領で、両腕で空気を掴み素早く後方に押しやるようにして、勢いよく羽ばたく。

 不思議な程あっさりと、身体が空に浮いた。そのまま飛翔を繰り返すと、ある程度の高さまで浮かび上がることができた。空気の流れを掴み、その上を滑るようにすると、滞空していた時に比べて腕の力がほとんど必要ないことがわかった。

 トーマが飛行しようと考えるだけで、飛竜の身体が自然と飛翔によって高度を保ち、風を上を滑空するという飛行の基礎をやってのけていたのだ。

《すごい。本当に空を飛んでる》

 トーマは上空という不安定な場所にいることによって恐怖するよりは、その未知の体験による興奮のほうが勝っていた。空を見上げると、暗い空には、大きな月と小さな月が輝いていた。大きな月の位置から、今は時刻は正午過ぎ頃だとわかる。

《正午近くなのに、陽の光が見えないなんて》

 森林限界を超えた岩肌だらけの場所、ここは高い山の中腹だった、見渡せる岩肌には例外なく太い赤黒い蝕痕が這っている。山の南の麓に視界を移すと、小さな灰色の四角い駒が整然と等間隔に並んでいる一帯が広がっていた、おそらくベリダの東居住区だ。

 間違いない、ここは、ベリダの北に位置する、教国内で最も蝕の濃い地、“血潮の山”だ。

《やっぱり人の立ち入れるような場所じゃなさそうだ…》

 たまに居住棟の屋根の清掃を任された時などに、北の方を見ると、嫌でもこの赤い血の筋のような川の流れる不気味な黒い山が目に入った。トーマは、その不気味な山が、蝕の呪いの象徴のように思えて、今まで好んで眺めた事は無かった。

《それが今じゃその山の上を飛んでいるんだなんて》

 黒い蝕痕が張り巡らされた山肌は相変わらず不気味だが、血の筋のようだった川は近くから見ると意外と澄んだ色をしていた。

《う、ん、なんだろう》

 唐突にトーマの肉体を重い疲労感が襲う。

《なんだか腕が重い。息をするのが、苦しい…》

《トーマ、一度地面に降りなさい》

 身体を襲う急激な疲労感もあり、大人しく従い高度を下げようするトーマ。

《え、あっ―!》

 しかし、下降し始めた所で突風にあおられ、気流を掴み損ない急降下する。腕や指に力が入らず、両腕の皮膜を上手く広げられない、空気を掴めず高度を維持できない。

 飛竜はそのまま、山腹の森の中に落下した。

《さすが、飛竜は頑丈ね。大丈夫?》

 飛竜が叩きつけられたのは、比較的やわらかい湿った土の上だった。数十メルトの高さから落ちたというのに特に怪我は無かった。柔軟で強靭な筋組織と堅い鱗のお陰だ。

《はい、落ちた場所が良かったみたいです》

《よろしい。その森から南のほうに飛ぶと、すぐに岩場が見えるはずよ。その岩場の一番高い岩の前に来なさい》

 森の中から南へ行くと、地面の傾斜が少しきつくなり、草のない岩と小石だらけの場所が広がっていた。その中で一際大きな岩が大地に突き立つようにして立っているのが見えた。まるで地面という皮膚を破って、巨大な骨が突き出しているようだった。その高い岩の前に降り立つ飛竜。

《あの、虫…みたいなのが、岩に付いてます》

 全長二十センテはある巨大な蜂に似た蟲と、同じく巨大な蜻蛉とんぼに似た蟲が、それぞれ二匹づつ高い岩の腹に張り付いていた。いずれも、身体の模様は黒と黄色で、頭部は蜻蛉や蜂というよりは蜘蛛のそれに似ており、本来の複眼の代わりに、小さめの橙色の丸い水晶のようなものが三つついていた。

 甲殻も流線形ではあるが、所々尖っていたり角張っていたりと、なんとなく甲冑を連想させる。

《その子達は私のドローンよ。今出しているのは、体内に多様な毒を産みだす機能を持ち、それ利用した支援から妨害まで様々なことに仕える蜂型の魔物の蜂異種ビネ、そして高い飛行能力と広い視野で監視偵察を得意とする蜻蛉型の魔物の蜻異種リベレの二種よ》

《これがウェルテの魔物の姿なんですか?》

《正確には私が産み出した魔物よ、私の本体はまた別の場所にいるわ。私は駒となる蟲を産み出し操ることに特化した魔物なのよ》

 確かにこれなら、情報収集や工作、陽動にはうってつけの魔物だとトーマは一人納得していた。

《今から私の蜻異種リベレに飛行させる、あなたはこれの後をついて飛行してくること。ただし、決して無理をしないように、ペースを一定に保って飛ぶこと》

《わかりました、やってみます》

 出だしは順調で少しスピードを上げるトーマ、蜻異種リベレの真後ろに付いていられるくらい。進行方向に森から突き出した一本の巨木が見える、蜻異種リベレはその巨木を回り折り返して巨岩の方へ帰っていく、慌てて旋回する飛竜。

(―腕が疲れてきた…飛翔するのが辛い…)

 飛竜と蜻異種リベレとの間の距離はどんどん開いていく。蜻異種リベレの飛行速度は変わらない、飛竜の飛行速度が落ちているのだ。その姿をギリギリ視認できるほど離されてしまう。飛竜は、また出発地点の大岩の所に戻ってきた。

 最後は蜻異種リベレを見失っていたため、巨岩を目印に飛び、そこにたどり着く前に高度を下げて着陸し、歩きながら岩の横に戻ったのだった。

《やっぱり、まだ全然、魔脈を使えてないわね。これじゃ話ならないわ》

《あの…どうすればいいんでしょうか、すぐに身体が重くなって、息苦しくなってしまうんです》

《魔脈とはあなたの精神と魔物の肉体を結びつけ、魔力を循環させる繋がり、いわゆる血管に相当するもの、というのは聞いているわね》

《はい》

《つまり、あなたは身体に血がうまく巡っていない状態で飛行してるのよ、息苦しくなるのも当然よ》

《じゃあ、魔脈の感覚の掴み方を教えてください》

《そうね…まずは、全力でさっきと同じルートを飛行してみなさい》

 言われた通り飛行する飛竜。当然、半分も行かないうちに息が上がり、身体は重くなる。

《限界を感じたら、地面に降りて》

 眼下の森の中、木々が疎らな場所を見つけ、そこに降り立つ。心臓が強く動いてるためか、自分の鼓動が耳にまで聞こえた。

《眼を瞑ってリラックスしてみなさい。あなたの心臓が強く運動している今、人の肉体と竜の肉体を繋ぐ最も太い魔脈の存在を感じることができるはずよ》

 自分の肉体に何か温度を持ったものを、自分のゆっくりとした鼓動に合わせて送るための外部からの繋がりを微かに感じた。

《それがあなたと竜の肉体と精神を結びつける“主脈”。それが切れた時、相互の循環も切断される、文字通り生命線。まずはそれを常に意識できるようにしなさい》

《これが主脈の感覚…まだ無理やり心臓の鼓動を強くしないと、感じ取ることができないんですね、僕は》

 魔物というものは、ただの鳥や獣と違い魔力が身体に上手く巡っていなければ動くこともままならない存在だと思い知らされる。

《そういう事。主脈だけでなく、魔力の循環系を上手く利用する術を知ったならこんなこともできる…。あそこに蟻に似た蟲がいるでしょ、あれを見てて》

 大きな蟻に似た蟲、蟻異種フルミナが一匹、数メルトはあろうかという巨大な岩の前にいた。そして、その周囲には四匹の蜂異種ビネが飛行している。

 その蜂異種ビネ達が、蟻異種フルミナの近くの平たい岩の上にあった小さな結節に四方から囲むようにして止まる。すると、蜂異種ビネに囲まれた結節がみるみる大きくなり、周囲の蝕痕をより太く滲ませる、そして、その肥大化した結節が隆起し黒い膜を破って、半球状の赤い透明な胞が現れた、赤い胞は内部から僅かに光を放っているようだった。

 その赤い胞から高濃度の魔力が作られているのがトーマでも感じられる。

 そして、自分の十倍はあろうかという岩の前に佇む蟻異種フルミナに、その魔力が送られていく。

 蟻異種フルミナは岩に牙を突き立てると、なんと、ゆっくりとその岩が地面から浮きあがり始めた、蟻異種フルミナは持ち上げたままゆっくりと後退した後、岩を放った、岩は轟音を上げて岩はもとあった場所にまた収まった。

《すごい…あんな小さな身体のどこにそんな力が…》

《元々持っている力を限界まで引き出しただけよ。今日は一日、主脈を感覚できるようになるまで頑張りなさい。次第に主脈だけじゃなくて、周囲の魔脈の感覚をわかってくるはずよ》

《はい!》

 それから飛竜は、日が沈むまでひたすら岩の上に座り魔脈の感覚を続けた。疲労と眠気が身体を襲い始める頃になってウェルテから声が掛る。

《トーマ、今日の特訓は終わりよ、食事を摂って休みなさい》

《食事…って、一体何を食べればいいんですか?》

 あまり空腹を感じなかったせいか、生きる上で何かを食べなければならないという事を忘れていた、しかし、周囲に食べられそうな物などない。

《大丈夫、もう用意してあるから、南の方に少し下ってみて》

 低空飛行で、山を下る飛竜、少し飛ぶと大きな蟲が三匹、岩肌にへばりついていた。巨大な黒い殻に覆われた背の短い文字通り芋型の虫のような姿で、腹部から尾部までは透明な液嚢でできている、その液嚢の中にはオレンジ色の透明な液体で満たされ、その液体の中に手足、首のない人の胴体らしきものが浮かんでいるのが見えた。

《この子は蛹嚢異種クロ・ラウペ、輸送能力に特化させた私の蟲よ》

《この蟲の中に入っているのは、もしかして、人…ですか?》

《そうよ、人の血肉を喰うことは私達の体力回復に高い即効性があるの、食べやすさと運びやすさを考慮して、五肢は切って仮死状態にしてあるけれどね。さあどうぞ、遠慮はいらないわ》

 トーマはこのグロテスクなモノをみても全く怖気づかない、むしろ食欲が沸いてきて、腹が鳴りそうなくらいだった。

《はい、いただきます》

 飛竜は大口を開けて蟲の腹に豪快にかぶり付く、液嚢が爆ぜオレンジ色の液が溢れる、飛竜の顎は、蟲の腹部ごと人間の胴体に食らいついていた。その大顎と牙は肉を割き骨を砕いて咀嚼し、嚥下していく。

《どう、始めて食べた人間の味は》

《えっと、普通…です》

 というのは嘘だった、本当はあまりのおいしさに感動を覚える程なのだが、その感想を正直に言うのは、人として、なんとなく躊躇われた。

《おかわり、いる?》

《……ください》

 トーマは肉を喰らいながら、自分が産まれて初めて心からおいしいと思えるものを、遠慮なく食べることができている事に気づいた。食事を終えた紅い飛竜は、翼を畳み、尻尾と身体を丸めて、眠りに着いた。

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