1-3 蝕まれた真実

 その夜ウィクリフは一人でハイブの中央にある机の前にいた。

《それで、どうだったの?》

 ウィクリフの意識に直接届く言葉。尋ねられたウィクリフは淡々と答える。

「まだ戦力として考慮できるレベルではないな、魔力の循環は不安定、魔脈もほとんど掴めていない」

《せっかくの飛竜の魂の保持者なのに残念ね》

「初の帰化では誰だってこんなものだ、これから適応すればいい」

《案外、その子が究極の魔物になる素質を持っていたりしてね》

「首都ヴェルナで浄化者ピュリファイアを顕現させるための準備が始まった、俺達はこれから作戦の実行段階に移る、これ以上の大きな研究、開発は行わない」

《諦めるの?》

「現在保有している六人の保持者と六体の魔物で大浄化は阻止できる」

《そう、頑張ってね》



 ベリダの正午の陽は蝕の呪いの影響で弱々しく薄暗い。ここは審問の院が修道院として機能していた頃に造られた修道士用の寮の一室。

 その簡素なベッドの上で目覚めたトーマは記憶を手繰り寄せた。夢の中にいたような気がする。あまりにも生々しい、悪い冗談のような夢を…。

 ベッドから降り、窓から外を覗くと荒れた中庭が見えた。

「夢なんかじゃないんだよな…」

 ここはいつも寝起きしてきた狭い居住区の個室ではない、審問の院の使われていない寮の一室のようだった。トーマが中庭を眺めていると、木製の扉が軋む音を立てて開かれた。

 入って来たのはウィクリフだった。

「身体に異常や違和感は感じないか」

「少し頭が痛いくらいで、特に異常はありません…」

「そうか」

「…あの、教えて下さい、僕の身に何が起きていたのか」

「順を追って説明する。まずは俺が何者か教えよう。俺は正真正銘、この審問の院の院長だ、だが同時に“異端の徒”の一員でもある」

「それって…教会の教えを破り、蝕の研究や独自の解釈をしようとする者達…ですよね」

 驚くべき事実を告げる、ウィクリフの顔は至って冷静で「それがどうした」という様子だ。

 対照的にトーマは、動揺と懐疑に顔を強張らせる。

「審問の院の院長には、ある程度自由に蝕人の処遇を決定する権利、廃修道院を使用する権利がある。異端の徒としての活動に、これほど都合のいい条件は他にない」

「そんな堂々と…なぜ、教会に見つからないんですか?」

「聖堂の連中は、教会では裁ききれない汚れ仕事を請け負う審問の院とは関わりたくないため、ここには近寄らない。俺が表の仕事を全うしている限りは露見する心配はほぼ無い」

「簡単には信じられません…」

「ベリダが蝕人の隔離という教国の闇を請け負う街なら、審問の院はその闇の底だ。お前はこの奈落に踏み込み、そして自分の真の姿―飛竜の姿に戻ったのだ」

「竜なんて、異国の神話の中だけの存在だと思ってました。そもそも、その“本当の姿”とか“戻った”っていうのもいまいち理解できないです」

「まあいい、先にお前の身体に宿るその蝕の正体について話そう」

 トーマは黙って聞くことにした。蝕の正体については、純粋に知りたかったからだ。

「蝕がもたらす呪いの現象とは、異形の力“魔力”の副作用に過ぎない。作物が毒になるのも、河が濁るのも、空に浮かぶ陽の光が暗い月のように変わってしまうのも、大地や、人間に蝕痕が刻まれるのも全て魔力によりその性質が変化しているだけだ」

「蝕は、人々に与えられた罰、人を苦しめる呪いじゃないんですか」

「違うな。そして異形の力はこの教国にもう一つある。奇跡の力だ。司祭達が用いる奇跡も、蝕人達に宿る魔力も、等しく人知を超えた力を持っている。ただし、魔力はその使い方を知らなければ、人や物を害ある形に変質させてしまうだけの呪いにしか見えない」

「取り除くことはできないんですか」

「不可能だ。なぜなら、魔力は一度その者に宿ってしまうと、その心臓に“魔脈まみゃく”と呼ぶ見えない巨大な魔力の循環器官に繋ぎ、その心臓も血管も血液も全て変質させてしまうからだ」

 トーマは飛竜になった時、蝕痕から血管が浮き上がって見えたのを思い出す。

「お前が締結器の枷を身に着け、飲み込まれたのは“結節”、太い魔脈の交差点だ。そして、飲み込まれた後の空間は“界域かいいき”魔力の循環器官が納められた体内と言ったところか」

「蝕が魔力と呼ばれる力の影響なのは判りました、でもそれが、あの竜とどんな関係があるんですか」

「判らないか、あの飛竜は魔物だ」

「魔物って…蝕の呪いに囚われた獣のことですよね」

「魔物が強靭な肉体と生命力、治癒力を有しているのは、魔脈から体内に魔力を取り入れ、魔力を循環させ、自己の能力を強化することができるからだ。そして、あの飛竜は一から造られた言わば兵器に近い存在だ。その姿も能力も一般的な魔物とは一線を画している」

「誰がそんな魔物を造ったんですか」

「不明だ。魔物の肉体は蝕の研究を続ける延長線上で、偶然見つけることができた」

「偶然見つけただけなのに、造られたとか兵器だなんてよく判りますね」

「肉体がそこにあれば、いくらでも検証できる。検証ができれば、仮説も立てられる」

「じゃあ、仮に僕の本当の姿がその造られた魔物、飛竜だったとして、どうして今はこうして人間として生きているんですか…」

「造られし魔物は全て、魂のない抜け殻の状態で発見された、なぜ魂が無かったのか判らない。そして、肉体の中を極僅かに循環する魔力から、その魂はまだ魔脈のどこかに存在しているのだと判った。しかし、強力な魔物の魂が行き場もなくただ魔脈の中を流動するとは考えにくい、必ずに納まっているはずだと俺は仮説を立てた」

「安定した魂の器って…まさか…」

「人間の胎児だ。そこでその人間となって成長し、肉体が死ねば魔物の魂だけはまた魔脈に乗って別の胎児へと宿るということを繰り返す。そうして、お前達、造られし魔物の魂は今まで生きてきたのだ」

「…僕を飛竜の姿に戻して、一体何をしたいのか教えて下さい」

大浄化エル・ピューリフィケイションの阻止。そのために光域内の都市へと侵攻してもらうためだ」

「それって、蝕を一掃するための大規模な儀式ですよね…なぜそれを止めなきゃいけないんですか」

「もしも大浄化が行われれば、全ての蝕人は死ぬ、蝕と共にな。あれは、蝕だけを浄化するなんて生易しいものじゃない」

「蝕だけを消し去るものだって教会の人は言っていましたよ…」

「教会の欺瞞だ。お前は、心臓も血液も消え失せたまま一秒でも生きていられるか」

「でも僕は、“解放の儀”に参加して、他の人達の蝕痕が消えていくのをこの眼で見ました」

「それは蝕痕を消したのではない。魂を溶かして鋳直したせいで、根こそぎ消失しただけだ。解放の儀の正体は、強く純粋な救いを求める心を利用し、奇跡を発現させるための道具を手早く作る乱造行為だ。もしお前が解放の儀による“洗礼バプティズム”を正しく受けていたら、今頃、自我を失った奴隷になっていただろうな」

「じゃあ、教会は僕ら蝕人を救うつもりなんて最初から無い、ということですか…」

「説教や講義、聖書の朗読なので、教会が『人』という時、それらは密かに蝕痕のない者のみを指している。つまり、教会にとって蝕人は、蝕痕の刻まれた土や植物、動物と同じ、払拭すべき穢れた物に過ぎない」

 憤慨とも悲しみとも取れない感情が渦巻き沈黙するトーマを前に、ウィクリフは言葉を続けた。

「故に、我々は教会の奇跡の力に対抗し、大浄化を阻止せねばならない。そして、その力を持つのは、お前達“造られし魔物”だけだ」

「どうして僕が、飛竜の魂を持つ者だとわかったんですか」

「段階末期―蝕が心臓まで達している者は多くは無い、更にその状態で意識を保つことのできる人間は極稀だ。そしてお前はが聞こえると言った。それは魔力の循環する音だ。そして、その音を意識的に聞くことができるのは―

 ―魔物だけだ」

「……」

 トーマは次々と突きつけられる真実に眩暈がしていた。今まで信じていたものが覆り、崩れ落ち、粉々になって霧散していく。しかし、空虚な喪失感を感じると同時に、どこか納得していた。

 いままで腑に落ちず、それがどんな問題で、どうすれば解決するのか見当もつかない、そんな不明瞭な様々な思いが束になり解く事のできない結び目になっていたはずのに、ウィクリフの語った真実はその結び目を寸断したのだ。

 今すぐ、ここから逃げ出し、ベリダの聖堂に駆け込み、ここで聞いたことを全て暴露して助けを乞うてみるという考えが少し浮かんだが、すぐに消えた。今更、教会に助けを乞うても自分のためになるような事は無いと判っていたから

「魔物の魂を持った者は、お前だけではない。その紹介も含め、今後の具体的な話は礼拝堂でする。そこにある服に着替えてから来い、蝕痕を隠す包帯もここでは必要ない」

 言って、ウィクリフは退室した。

 寝台の脇の小さな台の上に黒い服が畳んで置かれていた。

 それは見たこともないような伸縮性のある黒い繊維で作られていて、上は胸部と肩までを覆うくらいで丁度心臓のあるあたりに菱型の穴が開いている、下は膝に届かない程度の丈、上下とも身体にピタリとフィットする下着のようなものだった。

 トーマは言われた通りそれに着替え、礼拝堂に向った。少し歩いて、蝕痕を隠す布を巻いていない、ということに違和感を覚え、立ち止まり蝕痕を眺める。

「これはただの呪いの痕跡、烙印じゃない…魔力が宿る証」

 呟きは、冷たい石の床や壁に吸い込まれていく。トーマは礼拝堂を目指した。


 礼拝堂の中にはウィクリフと、五人の少年少女がいた、若干細部は異なるが、みなトーマと同じように、身体にフィットする丈の短い蝕痕をあえて晒すような黒い服を着ていた。

 そして一様に部屋の中央の大きな円形の机を囲んでいる、その机の上には巨大な地図、そして黒や白の大小様々な形の駒が要所に陣形を作るようにしておかれていた。

 北側にウィクリフ、そこから時計回りに、左目が大きな傷痕によって潰れている物憂げそうなポニーテールの少女。

 艶やかな長い栗色の髪に、高めの背丈、姿勢よく立っている少女。

 机の縁に片手を付いて地図を見つめている黒髪に褐色の肌の背の高い少年。

 茫洋とした雰囲気の金髪に碧眼の中性的な少年。

 そして、肩に大きな翅の蝶をとめ、腕を組んでいる少女―はウェルテだ。

ウィクリフから声がかかる。

「卓の前に来い、トーマ」

「はい」

 その円卓を囲む者達の一人に加わるトーマ。ちょうど、黒髪に褐色の少年と金髪の少年の間にスペースがあったのでそこに収まった。

 ウィクリフは皆に向けて、トーマを紹介する。

「先に話していた通り、俺達の作戦に参加する最後の“保持者”だ。空からの強襲と破壊を得意する飛竜として戦いに参加する。まだ魔物として覚醒したばかりで未熟だが、作戦の開始までには最低限作戦に使える状態になってもらう」

「トーマです、えっと…とにかくできる事はなんでもします」

 卓に集まる少年少女達はそれぞれトーマに自己紹介を返していく。

「俺はラルマ、奇襲とか潜入とかそういうのやれって言われてる」黒髪に褐色の肌の少年。

「僕はティーフ、支援係りだよ、よろしくね」金髪に碧眼の中世的な少年。

「アルクスだ、この中では遊撃役といったところだな、よろしく頼む」背の高い髪の長い少女。

「ネーヴェ。防御や囮を任されている」左目に大きな傷痕のある、ポニーテールの少女。

「名前は知ってるでしょ、私は偵察も攻撃も支援もこなす、全体の調整係り、ある程度全体の指揮も任されているから」

 ウェルテの言葉を終えたのを見て、ウィクリフは口を開く。

「では、これより大浄化の阻止を目的とした作戦の概要を説明する。大浄化を止める最も現実的な手段は一つ、立案者にして指揮統括者、現教皇、ゲオルギウス六世を殺すことだ」

 ウィクリフの鋭い眼は卓を囲む者達を見据えている。

「教皇は教国首都ヴェルナにいる。今すぐにでも首都に攻め込みたい所だが、そういうわけにもいかない」

「首都を守る“光の加護”によって、こちらの魔力の循環器官の成長させられないから、よね」

 ウェルテは情報収集も担当してるため、作戦の概要はおおまかに把握しているようだった。

「そうだ。お前たち魔物は、地に根付く“魔脈”から魔力の供給を常に受けていなければその身体に秘められた能力を十分に発揮できない。そして、首都には、長大な市壁と、その市壁に付与された強力な加護のせいで、市壁から二千メルト圏内へ魔脈を成長させることができない」

「まずは首都を囲う浄化の加護をどうにかしなきゃいけないってことだろ」

 ラルマは思考よりも直感を信じるタイプのようだ。

「ヴェルナの市壁の光の加護は五つの聖体によって支えられている。そしてその聖体はそれぞれ教会領内の大聖堂や修道院に納められ堅牢に守られている。我々は、五つの都市の聖体を破壊せねばならない」

「五つの都市に侵攻か。だが、そういう都市にも市壁に囲われていて浄化効果を持っていて魔脈を簡単に伸ばすことはできないんじゃないか」

 アルクスは妙に肝の座った武人のような雰囲気を持っていた。

「その通りだが、浄化効果の範囲も強さも首都に比べれば格段に劣る。やり方次第で十分魔力器官を都市内部にまで成長させることが可能だ。目標となる都市を具体的に上げると、このベリダに近いものから、クラーザ、マルフィナ、カプア、ジェハノ、フィエンツの五つだ」

「クラーザにマルフィナ、カプア…なるほど、六大光域の中心都市そのままだな」

「そうだ。陽の光を遮る“蝕の帳”の現象がほぼ無く。魔物や蝕に怯える事無く繁栄する地域の中心都市だ」

「聖体を破壊するにはどうすればいいの」

 ネーヴェは基本は寡黙だが、必要な時には率直な意見をする。

「教化された都市の頂点であり、同時に聖体の管理を司っているのは、その都市の大司教、もしくは修道院長だ。それを殺せば聖体は破壊される」

「おいおい、言うのは簡単だが、あの都市だぜ。特にジェハノは隣の公国を抑えるために要塞じみた堅牢さだろ。お偉い僧侶を一人殺しにいって、はい終わりってわけにはいかねーんだろ、どうせ」

「無論、各都市の攻略は容易ではない。しかし、一つの都市を六体の魔物が集中して、効果的に攻撃するのなら十分に、目標を達成する事は可能だ」

「では、その根拠を教えてほしい」

 アルクスは厳しい眼でウィクリフを見る。

「造られし魔物は一般的な魔物は比べ物にならない程の潜在的な力を秘めている、それを十分に引き出し、且つ、お前たち六体の魔物の力を合わせれば間違いなく都市の防御を上回る。それが根拠だ。他に質問はあるか?」

 少しの沈黙の後、口を開いたのはトーマだった。

「あの、都市の聖体を破壊すると、光域はどうなってしまうんですか?」

「無論、消失するだろう」

「五つもの光域が無くなってしまったら、今後、教国は人の住めない場所になってしまうんじゃないですか」

「その問題への解決策は用意してある、いずれ時が来たら話す」

 ウィクリフの眼は真剣だった、決してこの場を誤魔化して先送りにしているのではなさそうだ。

「…わかりました」

「では、まずは侵攻するにあたっての必要な訓練をしてもらう。実際に都市へ攻め入るのは皆の準備が整ってからだ。トーマ、ウェルテ、ティーフを除く他の三人は魔脈への干渉、操作の訓練をしてもらう。魔脈への操作、干渉なしに都市への侵攻は成り立たない、これの教授はティーフに任せてある」

「あの、僕とウェルテがその訓練から除かれている理由は…」

「私は既に魔脈への干渉操作については習得しているため訓練する必要はないから、そして、トーマは魔脈への干渉操作以前に、そもそも魔物への帰化が実戦に参加できる程、安定していないからよ。よって、あたしはトーマに魔物との帰化において必要な基礎を指導をする。いいわね?」

「はい、頑張ります」

「これからの全ての作戦は、お前達が操る六体の魔物の一体でも欠けていてはその成功は無い。そのことを肝に銘じてくれ」

 ウィクリフは言葉は静かだが、とても強い意志を内包していた。そして「話は以上だ」と言って礼拝堂から去っていった。

 同時に、黒髪に褐色の肌の少年が背伸びをする。

「あーー長え!つまりよ、五つの都市を皆でぶっ潰してから、首都に乗り込んで踏ん反り返る教皇をぶっ殺せってことだろ。まあ、それよりもだ、トーマだったな」

「はい」

「そんな様子で、よく魔物になって教会と戦うなんて道を選べたなぁ、これから先、きっと後悔するぜ」

「ちょっと、そういうの、冗談でもやめてくれる?」

 軽口を言うラルマを非難するウェルテ、ネーヴェは、会話に加わる事無く先にハイブに降りる階段へ歩いて行った。

「どのみちまともな道ではないのは確かだ、先は長い。下手に思い詰めるのも良いとは言えないだろう」

 アルクスは鷹揚にウェルテを宥める。

「あの、みんな、その魔物になることができるんですよね…」

「そうだよ」

 元気よく返事をしたのは金髪碧眼の少年、ティーフだ。

「みんな、魔物の魂を持つ者だよ。でもよかった、ウィクリフは作戦までに、飛竜の魂の保持者は見つからないかもって言ってたから、頑張ろうね、トーマ」

「はい、こちらこそ」

「じゃあ、お喋りはもういいでしょ、皆、ハイブに降りて、各自魔物に帰化した後、訓練を初めて」

 ウェルテの言葉に従い、皆、階段へと向かった。


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