感染した心 Infection engine

第二章

2-1 自分の領域

 自室のベッドの上で眼覚めたトーマは、なんとはなしに、掌を眺め、握り開く動作をしてみる、今は特に違和感はない。

 窓からは弱々しい光が部屋の中に射している。もう正午に近い。

 あれから、時間を掛けて何とか人の姿や感覚を思いだしたトーマは、無事に界域から吊り上げられ。人としてハイブへと戻ることができたのだった。

「僕は…人間、だよね」

 木のドアがノックされる。

「トーマ、起きてるな。食事を摂ったら、皮膜服を着てハイブに降りてこい」

 ドア越しに聞こえたのはウィクリフの声だった。

 皮膜服とは…?一瞬、考えるトーマだったが、礼拝堂に集まる前に来ていたあの服の事だと理解する。今はベッドの角に引っ掛けられていた。

「わかりました」

 トーマが答えると、ドアの前から足音は遠ざかっていく。

「そういえば、お腹すいたな」

 誰かが置いていったのか、ベッド脇の机には、パンと小さなチーズの欠片が乗せられた木の皿と、薄いスープの入った木の器が置かれていた。居住区で暮らしていた時と同じ食事にトーマ少し安心した。


 食事を摂った後、ハイブに降りたトーマを待っていたのはウィクリフだった。黒い法衣を着る大柄だが痩せ気味の身体。切れ長の眼に不精に生やした髭はいつものままだ。

「あの、もう訓練は終わったと…」

「その通りだ、今日は訓練をするのではない。まずは、飛竜に帰化しろ」

 締結器の各拘束具を取り付け、十字架の根元で静かに脈打つ結節に掌を付けるトーマ。今度は手間取る事なく界域に潜る事ができ、そのまま問題なく帰化を終えることができた。

 周囲は、訓練を終えて飛竜への帰化を解除した時に居た柱の岩の下だった。

《今から、ある場所へ行ってもらう。そこから飛翔して南を見てみろ、ベリダがあるのが分かるな?》

 砂礫を巻き上げ、岩場から飛び立つ飛竜。

《はい、見えます》

《そのベリダを東から迂回して、南東に飛べ》

 血潮の山から飛び立ち、蝕人居住区の東側を目指す飛竜。血潮の山、あの柱の大岩から離れるのは少し寂しかった。

《誰かに見られたりしそうですが、大丈夫ですか》

《安心しろ。今はお前が人目に付くことはない》

 一キロメルト程飛んだ所で、切り立った崖と、その下にポツンとできた小さな村を見つけた。ウィクリフはその村の北側にある崖の上に降り立つよう促す。

《あの崖の上に降りろ》

 飛竜は木葉を散らしつつ、慎重に崖の上に降り立った。そこからは村全体を一望することができた。遠目に見える村人達は、蝕痕を隠すための布を巻いていないようで、手足に蝕痕が刻まれているのが判る。

《ここは、ベリダ属下の村ですよね》

《そうだ。トーマ、今からお前はこの崖の下の村を守護する者となってもらう》

《え。どうして、僕が…?》

《教会は、この村の維持に熱心でない。教会の微かな加護で、住まわせているだけでは周囲の蝕化した獣により村人の犠牲が付きまとう。そして、お前の魔力には下等な魔物を程度なら寄せ付けない力を持っている。お前には村を守れる適性、能力があるのだ。これは力を持つ者の義務だ、解るな?》

 危険な地に人々を守る。それは、何かに役に立ちたい、自分の価値を知りたいと思うトーマにとっては願っても無いことだった。しかし、トーマの悩みは一つ。

《…僕にできるでしょうか》

《村の周辺に根付く魔脈にお前の魔力を巡らし、それを維持して馴染ませることで、村の魔脈をお前の支配下におくことができる。そうしたなら、あとは何も特別なことをする必要はない、お前の強い魔力が巡ることによって村の下等な魔物を退け、魔脈の不必要な成長を防ぐことができる》

《わかりました。でも村の近くに竜が住んでいるなんて、流石に村の人に気取られるんじゃないでしょうか?》

《その村の中には、特殊な碑石が作ってある、その碑石から周囲一キロメルトでは、お前の存在を認識され難くなるまじないが掛かっている。とはいえ、絶対に見つからないわけじゃない、村人の目は可能な限り避けるように、接触することも厳禁だ。また、竜の肉体を休ませておく場合は、必ずこの崖の上の高台にしろ、蝕痕が濃く、ここには村人は近づかない。俺からの注文はその二つだ。この村に害をなそうとするあらゆるものへの攻撃や排除の判断は、お前の裁量に任せる》

《了解です。あの…この村の名前があれば、教えて下さい》

金床アンヴィルと呼ばれている。この村は周辺から採れる鉄鉱石を使って鍛冶製品を作ることを目的として作られた村だったからだ。今はもう鉱石も取り尽くされ、ベリダにあぶれた蝕人の受け入れ先として機能しているに過ぎないがな。まずはこの村の周辺の魔脈を支配下に置いてみろ、今のお前ならそう難しいことでは無いはずだ》

 そして、ウィクリフの声は聞こえなくなる。

 トーマは崖の上にその巨体を伏せ、アンヴィルの魔脈の感覚を始めた。

《魔脈は村を取り囲む様にして伸びている、気がする。村から少し離れた所に建っている塔の近く辺だけは薄い…のかな》

 飛竜の中の魔力が村の周囲の魔脈に流れ込み、また吸収され、循環していく。しかし、一定の量以上の魔力が流れようとすると、魔脈に流れる別の魔力によってそれが阻害されていった。

《だめだ、やっぱりおかしいな、魔脈が僕の魔力の循環を拒絶してくる…どうして》

 無理やりに魔力を巡らせても時間と共に押し返されてしまい、とても全体に巡らせ支配することなどできなかった。



―はやく帰ってきて、ルミロ兄さん。

 飾り気のない小さな白い建物。屋根の頂には陽を示す銀製の円のシンボルが掲げられている、それは、ここがアンヴィルの村の教会であることを示していた。

 アンヴィルの神父は奇跡の力を持っていない、「神の導き」「他者への愛」「自己犠牲の精神」「信仰が起こす奇跡の力」「善い行いをした者は天の国へ入る」そういった教会の教えを純粋に信じる善き人の一人に過ぎない。言わばただの村の精神的指導者であり、教会の連絡役に過ぎなかった。

 アンヴィルの小さな教会の中には今、四人の少女が居た。

 皆、蝕痕を身体に宿す蝕人である、そして、彼女らは蝕痕を隠す布を巻いてはいなかった。蝕の濃いこの村で暮らす子供は、ある日突然、急速に蝕が進行し、その影響で死んでしまうことが稀にあるのだ、その予兆や異変に気づくためにも蝕痕を隠させないようにしているのだった。

 右腕と右手、そして胸から首筋、頬に掛けて蝕のある黒髪の少女。

 背中から両腕に蝕痕のある赤髪の少女。

 胸と左腕に蝕痕のある背の低い少女。

 臍部と背に蝕痕のある最も年長の少女。彼女らは、小さな丸い白い石を挟んで手を組み、祈りを捧げていた。

 信仰の力を溜めることのできる“祈りの石”だ。

「はい、もう、いいでしょう。祈りの石を見てみなさい」

 組み合わされた掌を開くと、中に納まっていた小さな丸い白い石は淡い輝きを帯びていた。

―…光ってる、火傷しそうに熱い。持ってるのがやっと。

「あなた達の祈りや信仰に反応して、石に力が宿ったのです。しかし、あなた達の祈りはただその石に力を宿すためにあるのではありません。あなたたちが信じるのなら必ずそれは成就します。信じることを辞めてはいけませんよ」

「はい、神父様」

「では、先程渡した袋に仕舞って下さい。祈りの石に力を宿せるのはあなた達だけですが、同時にあなた達は蝕人でもあります、直に触れ続けるのはあまり良い事とはいえません」

「そうですか?何とも感じないけどな」

 赤髪の少女は白く光を帯びた石を顔の前に掲げ、しげしげと眺めた後、首から下げた紐のついた小さな白い布で出来た袋に入れた。

「その石は蝕の浸食から村を守るために、一月に一度、村の四方に位置する、“跡塔”と呼ばれる石碑の元に捧げることで、衰えた跡塔の浄化の力を復活させるためのものです」

 しかも一度に四方に置かなければ効果が得られず、更に祈りの石の力を保ち、それを浄化の碑の納めて起動させることができるのは、子供だけだった、故にどうしても隊の中に子供を一人入れていかねばならない、そのため、護衛隊を組むのはいつもアンヴィルの村の悩みの種だった。

「くれぐれも大事に扱うように。では、あなた達が無事に跡塔にこれを捧げ、また帰ってくることを私は祈っています。最近は蝕に纏わる被害等は聞きませんが、十分に気を付けて下さい」

「ありがとうございました。神父様」

 これから危険が待ち受けているというのに平気を装う子供達の返事は明るかった。

 教会から出た胸から首筋、顔に掛けて蝕のある黒髪の少女に話しかけたのは、背中から両腕に蝕痕のある赤髪の少女だった。

「ユーリ、気を付けてね。あなたいざっていう時に妙に強気になっちゃうんだから、蝕だってユーリは人一倍進んでるのよ」

「大丈夫よ、今は魔物の被害もあんまり聞かないし」

「お兄さんはきっとそのうち帰ってくるわよ」

「うん、ありがとう、ジゼ」

 最も危険と言われている南の森の中の跡塔に行くことになったのが、護衛隊士四人にユーリを加えた五人の一隊、皆装備は充実しているが、隊長を除く四人はまだ若く、少々練度に問題がある。

 本来なら手練れの者が十人前後で行っているのだが、最近は蝕入りの獣による被害が少なく、護衛に出れるようなものが他の村に回されていて少人数での編成をせざるを得なかった。しかし、それぞれの隊の隊長を除けば、皆、いつものような張りつめた空気はさほど感じられない、それも連日のように続いてた魔物による人的、物的被害が最近はめっきり無くなっていたからだった。

 時刻は昼前。ようやく陽の光が見えてきた頃だ。ユーリの護衛に付くのは、大柄な体格の男、細身の男、顔に傷痕のある寡黙な男、隊長を務める壮年の男。

 皆、軽装の防具を纏い、鋼の剣を佩いていた。全員、馬に跨っている。ユーリは、隊長の壮年の男の馬の後ろに跨っていた。

「よろしくな。たった四人で心もとないだろうか、出来る限りのことはする」

 細身の男は落ち着いている。

「何も心配するこたねぇ、獣だろうと魔物だろうと、お嬢ちゃんには指一本触れさせねえよ」

小心者で知られている大柄な体格の男だが、今日は妙に強気だ。

「蝕ってのは得たいの知れん所が多い、何が起こるかはわからん。魔物による被害が少なくなっているからといって、油断はするなよ」

 壮年の男がすぐに諌めた。

「私も何かあった時は戦います」

 ユーリは精いっぱいの強気を見せるが。男達は「じゃあ何かあった時は、俺達はお嬢ちゃんに守ってもらおうかな」と、おどけてみせる。

 しかし隊長だけは「ユーリ。お前は戦うなんて考えなくていい、もしもの時は俺達を盾にして必ず生き延びてくれ」と、真剣に忠告した。

 村の者達に見送られ、北と西の跡塔へ行く二隊は西の出口から、東の南の跡塔へ行く二隊は東の出口からそれぞれ出発していった。

 二百メルト程も南に走らせると、一本道は森の中へと吸い込まれていく。隊は不気味な森の中を、蝕の密度を推し量りながらゆっくりと進んでいく。不用意に密度の濃い場所を通り抜ければ蝕入りの獣に狙われる可能性があるからだ。そんな中、大柄な男が口走る。

「しかし蝕ってのは、こうやって侵蝕を防ぐだけじゃなくて、もっと一気に消し去る方法はないのか」

「おい滅多な事を言うな、蝕への対処方法は全て教会に教えられた事が全てだ。もし、教えを破り蝕の研究や調査をすれば、浄化の加護を与えられなくなってしまうぞ」

「別にそんなつもりじゃない。ちょっとした疑問だよ」

 沈黙を保っていた壮年の隊長が話に加わる。

「そんな軽い気持ちで教会の教えを破るのは止めておいたほうがいいな。蝕の濃い場所へ不用意に入ったり、蝕入りの獣や蝕人の骸を弄りして、村に蝕を引き込んだり跡塔から浄化の力を失わせてしまった村や町は多い。そういった禁を犯した村や町は俺の聞く限り例外無く滅んだ。蝕に滅ぼされなくとも教会に見つかれば、関わった者達に待っているのは、良くて罪を償うためにその場で解放、悪けりゃ拷問の後処刑だ」

「そりゃ恐ろしいね。気を付けるよ、今後は」

 大柄な男は軽く答えたが。ユーリは聞き流すことはできなかった。

「いくら教えを破ったとはいえ…そこまでする必要があるのでしょうか?」

「仕方あるまい。一歩間違えば一つの村や町がまるごと人の住めない場所になるんだ。忌まわしいが、教会にまかせておいて、俺達は触れず近づかないのが一番なんだ、この空も地も人も蝕む黒い呪いはな…」

 そして、ようやく、前方に大きな白い柱が見えてきた。高さは四メルト程、大木程の太さの四角い柱だ。村を出た一隊は無事に跡塔の前に到着した。周囲の安全を確認すると、四人の隊士は馬から降りる。

「大丈夫そうだな…手を貸そう」

「ありがとうございます」

 隊長の手を借り、馬から降りたユーリ。均された土を踏み、跡塔の元に歩んでいく。神父様から言われた通り、跡塔の根元に、ちょうど祈りの石を置ける小さな窪みのある台座があった。

 ユーリは台座に近づき、首に下げた小袋から祈りの石を取り出す、やはり掌に載せると取り落としそうになるような熱の痛みを伴った。直ぐに台座の窪みに祈りの石を置き、定められた句を捧げた。

「人々に安息の地を、人々に救いを、人々に奇跡を与えて下さい…」

 くすんだ白色だった跡塔に輝きが戻る。その姿は、まさに奇跡の象徴たる塔といえた。

「いつ見ても、奇跡の力ってのはすごいな」

「ああ、教会に感謝の一つもしなくなるね」

 見慣れている光景とはいえ、隊士達は思わず感嘆を口にする。

「御役目は果たした。アンヴィルに帰るぞ」

 隊長の言う通り無事、役目は果たした。もう長居する必要はない、皆手早く馬に乗り。帰路についた。

 しかし、帰りの道で隊は不運に襲われることになった。来たときは無かったはずの太い蝕痕が道に横たわっていたのだ。

「まずいな…濃い蝕痕に触れるのは禁忌だ、必ず何かよくない事が起きる」

「隊長、どうします?」細身の男が訊く。

「…ここで少し待とう。この一本道を外れ暗い森の中、蝕の濃い場所を正確に避けて、森から抜けるルートを知れるような道具も識者もここにはいない。蝕痕は流動する性質があると聞く、この道を横切る蝕痕が消えるのを祈ろう」

「…了解しました」

 重い沈黙が続く中。大柄な男が突然叫びがそれを破った。

「もう嫌だ!こんな所でじっとしていても蝕に呪われて、魔物に食い殺されるだけだ!」

 そういって、独り馬を走らせて蝕痕のうねりの上を通っていってしまった。

「あの馬鹿野郎が…!もういい、皆いくぞ!」

 先頭に一頭、大きく離れて後方に三頭の馬が森の囲まれた一本道を走る。ある時から、馬の蹄の音とは違う、獣の足音が両側から聞こえるようになった。

「隊長さん…獣の足音が―」

「分かってる。静かにしているんだ」

 そして突然、先頭を走っていた大柄な男を乗せた馬が暴れ男を振り落として、その場で止まってしまった。程なく、地面にへたり込む大柄な男に追いつく三頭。

「おい、大丈夫か―」

「あ…」

 大柄な男は震えながら前を指さした、その顔には恐怖のあまり茫然としていた。指差す先に普通のものより二回りは大きい狼の魔物が四匹、獲物を見る目で佇んでいた。更に、後方にも数匹の同じように狼の魔物が現れ、左右、後方からも多数の気配が集まってきた。魔物化した獣にとって、馬の脚力に追いつくことなど容易いことだった。

 過去に魔物化した狼一匹を武装した大人が五人掛りでようやく殺した事があったが、その時の被害は、腕や足を食いちぎられて失血死したのが三人、首の骨を噛み砕かれて死んだのが一人、そして、最も手練れだった者が右手の指を三本噛み千切られながら、蝕入りの狼の顎に剣を突き刺して退治することができたのだった。

「万事休すか…」

 戦える四人のうち三人はさして手練れというわけでもなく、しかも、残りの一人は戦力にならないただの少女、これを庇いながらこの数の蝕入りの狼を退ける事など不可能だった。

「悪いなユーリ。お前だけも助けたいんだが…この数じゃ、どうもそれも叶いそうにない」

 犠牲払えば少女だけでも…という望みすら薄い、状況はそれほど絶望的だった。もう、奇跡でも起きない限りは一人も助からない。

「きっと奇跡が起きます」

ユーリは言い聞かせるように呟く。

「ああ、そうだったな」

 しかし、男達の中に奇跡を信じる者はいなかった。そもそも教会や奇跡というものへの信心が薄いからこそベリダ属下の村などに流れ着いたのだから。しかし、ユーリはただ祈った、彼女にできることは他に何もなかった。

―神様。助けて。私の命なんて無くなってもいいから。この人達を助けて…!

 前方から突風が吹いた、かと思うと狼の魔物達が、その突風が吹いてきた方を見て唸り始め、そして、散り散りに逃げて行ってしまった。

「奇跡…なのか?」

「助かった…」

「なんでもいい。馬に乗れ!すぐに森から出るぞ!」

 隊長の声に目を醒ました男達は、急いで村へと馬を走らせた。村人達は遅い帰りの皆無事だった事を喜んだ。隊長は事の顛末を皆に話す、聞いた村人達は「奇跡だ」「教会に感謝を」と口々に叫んだ。

「本当に、奇跡だったのかな」

 そんな中でユーリだけは、自分達を助けてくれたのは、奇跡ではない何か―むしろ魔物に近しい存在だったのではないかと考えていた。



 南の森の上空を赤い飛竜が旋回していた。

《危なかった…まさか村人が襲われる所だったなんて》

 トーマは魔脈に干渉しようとすると抵抗される原因を探るために、村の周囲を飛行しながらより魔脈の網をより広く感覚していた。

 その最中に村の南の森の魔脈の活動だけが異様に大きくなっているのを不審に思い、様子を見に行ったのだった。

《あの狼の魔物達に繋がっている魔脈を通して誰かの意識を感じた…もう一度あの魔脈に干渉してみれば、もしかしたら、アンヴィルの村の魔脈への支配に抵抗する何かに、辿り着けるかもしれない》

 木葉を散らし、森の中に降り立つ飛竜。魔脈に干渉し、魔力の痕跡を辿る。

《そう、この魔力だ、あの狼達に敵意を持たせた濃い魔力。流れて来たのは……あの崖の北側だ》

 そこにアンヴィルの魔脈に干渉してる何かある。村からは見えない、崖の北西側。その林の中に大きな結節があった。

《あんな所に結節があったのか、崖の上は特に感覚がしにくかったから気づかなかったな》

 空から結節のある林の中へ近づいてみると、結節の上に“人間らしきもの”が寝ていた、というのも、その右半身と下半身は蝕痕に完全に飲み込まれており、辛うじて左上半身と顔が人として認識できる状態だったからだ。もし全身が見えていたら青年だったに違いない。

《人が結節に取り込まれてる…?でも、間違いないこの人の意志が周囲の魔脈を掌握しているんだ》

「…君だね、少し前から魔力の流れに干渉してる子は」

 まさか話しかけられるとは思っておらず、一瞬、驚くトーマだったが、すぐに、なぜこの青年はこんな状況になっているのか聞いてみたくなった。しかし、今の自分に人と話す術は無い。

「南の森の魔物を追い払って、村の人を守ってくれたのは、もしかして君かな。一体どんな方法を使って、それだけ莫大な魔力を操ってるのか気になるね…まあ、いいさ」

《僕の事を、魂だけで感覚しているから、人間だと思ってるのかな》

「俺はこの蝕痕の濃い所から強く祈れば、魔物達を大人しくさせることができると村の人が話していたのを聞いてね…どうしても、試さずにはいられなかったんだ。祈りは確かに届いたんだ…獣達が人を襲うのを制止させられるようになったんだ…でも、気づいた時には身体がいう事を聞かなくなっていて、ここから動くことができなくなってしまったんだ…今じゃ眼も見えなくて、自分の思考も曖昧で…。だから、君に一つお願いをしたいんだ…どうか、俺を殺してくれ…」

 魔力を通して、青年の苦しみと悲しみの感情がひしひしとトーマの意識に伝わってきた。

“助ける”という方法があるなら一つだけだと確信する。

 飛竜は、ゆっくりと蝕痕に取り込まれた青年に近づく。

「ありがとう、感謝するよ」

 赤い口腔に炎を溜めり、吐息と共に放たれた。

「ユーリ…先に行っているよ…」

 ルミロは眼を閉じた。高温のブレスは一息で蝕痕に囚われた青年の身体を灰に変えた。辺りには僅かに煙と、肉の焼けた匂いが広がった。

《なんか、お腹、空いたな…》

 崖の上に戻ったトーマは、そう時間を掛けることなくアンヴィルの村の周辺の魔脈を支配した。そこで丁度、ウィクリフの声が聞こえてきた。

《トーマ、アンヴィルの魔脈は支配できたか?》

《はい、完了しました》

《いいだろう、もうすぐウェルテの蟲が食事を持ってくる、食べ終えたら帰化を解除して休め。明日は侵攻作戦の具体的な説明をする》

 トーマは崖の上で翼を畳み、身体を丸めて休む。意識を人間の身体の感覚を思い出すことに向けると、アンヴィルの村の景色が滲み、薄赤い世界に包まれていった。

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