8-8 大いなる浄化
首都ヴェルナ大聖堂。
集う大司教たちは動揺を務めて抑え込み、現状の報告を重ねていた。
「に…二十体の守護者、五十体の槍兵の殉教者と十数騎の騎兵の守護者の…消滅を確認しました」
「暗雲より去来した赤い雷は大聖堂西の大通りに直撃。直径六メルト程の範囲に舗装と土を溶解、掘削。しかし侵蝕は微弱で浄化は容易です。
「“
一人の司教が床に倒れ伏していた。
教皇が哀悼と慰霊の言葉を唱えるとアデモッロの骸は光の粒になって消失する。
「実体を光の中への拡散する回避能力が、あの紅い雷に触れた瞬間、機能不全に陥っていたようです…信じられないことですが…これが、あの黒い竜の仕業なのでしょうか…?」
「もちろんだとも。血潮の山から遥か北の教国首都に向けて、奇跡を麻痺させる魔の雷を落すような悪夢のような存在が、他にいるはずない。全く…いや、なんと、素晴らしい力だ!」
教皇は顔を緩ませ、天を仰ぎ見る。
「これが預言の魔物の真の力か…そうだ、こうでなくては困る…君の力は、そのために存在しているのだ」
一人呟く教皇に、皺枯れた声の司教が呻くように具申する。
「げ、猊下…あの雷を止めるほどの奇跡は、もはや光の旅団には起こせませぬ…」
「そうだね、一先ず“
指示を返した教皇は、顎に指を沿え落ち着いた表情に戻ると、また一人呟きだす。
「…光域の外、蝕の中心地からの狙い撃ち…しかも、奇跡を麻痺させると来たか、“
「リージ、スカルキ、リッツォ、モンティ、ニグレッリ、ピアッツォ、デルネーリ、ベッロ、ヴァルセッキ、マウジェリ、オキーニ、カペレッティ、アブルッツィ、ガッティノーニ、カポーニ。我らがヴェルナを守る
教皇は優しく、しかし絶対的な圧力をもって、大司教たちに問いかける。
「皆、よろしいかな」
「我らの魂は、そのために」
十五人の大司教は、乱れなき一様な返答を唱和する。
「ありがとう。では、“屈折”を維持する構築者を残して残りの使者は帰還だ。失われたヴェルナの光の防護結界を
†
黒い雷雲の中では、三本の黒い輪がトーマの口腔から一直線に数メルトの間隔をあけて組成されていた。弾体の軌道を安定させる血印を追加し、ブレスの照準精度を高めるのが狙いだ。
《次こそ…ん、あれ?》
射出道の中の視界が湾曲し、首都の光が膨れた風船のように膨張していた。
《これじゃ狙いが付けられない…何かの奇跡かな》
トーマは、雷雲の中の五輪の血印を黒い球体に戻し、尾の先に連結すると、暗雲の中から二つの月が輝く夜空に飛び出した。
首都光域を左翼に眺めながら、血潮の山の頂から東北方向に飛ぶ。しかし、どの方角のどこからみても、まるで曲った氷を通しているかのように、光域内部の風景は酷く湾曲していた。
《光が屈折してる…ただそれだけ…。でも酷く大規模だ。規模…か、それなら、僕だって負けてない》
雷雲の中に戻ったトーマは、翼を畳み、尾を丸め、自身の鼓動に意識を集中する。五つの黒い球体は、丸くなったトーマを囲うようににして浮遊する。
どくん…
黒い身体から突き出す造血骨が紅く輝き、下から上へと草木の幹のように伸びる紅黒い魔脈の管が可視化され、暗雲の中に縦横無尽に成長を始めた、ちょうど、地中に広がる網目のような木の根のように。
そして、成長した魔脈は雲の中に、より高濃度の魔力を効率的に循環させ始めていた。
黒い雲は膨張と収縮を繰り返しながら肥大化し、更に首都に向けて北へと光域の中へと伸び、そして、光域内の草木や村に向けて、黒い雨を降らせていく。
《これで、視界を歪める程度の奇跡なら無効化できるはず》
酷く歪んでいた光域内部の風景は、黒い降雨の中で正しい形に戻っていく、が、まだ首都の周辺の姿は微かに歪んでいた。
《これ以上、首都に雲を伸ばすのは難しいな…浄化の光の密度が高すぎる…。でもブレスは通るはず…なら今度は攻撃というよりは、侵蝕を意識して撃ちこんでみようかな》
ばくりと開いた紅い口腔の中に黒い弾体が形成され始める。
二つの黒い球体は再度、三本の制御輪と、圧縮輪、そして誘雷輪に展開される。
制御輪は射出道へと伸びるように等間隔に配置されていき、口腔の先に展開された圧縮輪は回転を始め、大きな誘雷輪から突き出す四本の針に雷の緒が繋がり始める。
《鼓動に合わせて、雨の勢いが弱まる瞬間に…今だ》
楕円形に変形し、十分な圧力と赤色の電を纏った弾体は、この瞬間を待ち望んでいたかのようにトーマの口腔から飛び出すと、分厚い雲間を一直線に突き進む。
二発目の発射は、更なる加速と、安定した軌道を描きながら、首都中央聖堂へ目掛けて突き進んだが、しかし、都市の市壁を越える直前で分厚い光の結界に阻まれ、霧散した。
《このブレスを防ぐ程の強力な結界…は、もう存在しないはずじゃ…何か手遅れだった…?》
自分が狼狽えていては始まらない、と焦りそうになる気持ちを抑え、鼓動に意識を傾け思考を巡らす。
(―ブレスを封じる対策を取られた、と考えるなら、もう雨雲を纏って乗り込むのが得策かも…いや、今、確かに五人分の魂を消滅させた手応えがあった…お得意の犠牲を強いた、なんらかの奇跡と考えるほうが自然だ…つまり、僕のブレスは確かに敵を消耗させている)
バチリと雷光が胸に刺さり、勇気づけられるような心地よい衝撃が胸から身体に広がった。
(―でも、もしこれをずっと続けられたら…?大浄化は阻止できるかもしれないけど…そのために生まれる犠牲は、想像したくもないな。でも、本当に大浄化を捨ててまで、この結界を張り続けるつもりなのかな、何か良い手は…)
渦巻く気流の中でゆっくりと飛翔し、滞空していたトーマは、口からパッと紅い火炎を散らす。
《いい、今の僕にできることは、少しでも正確に首都の中央を攻撃すること…それだけだ、自分と魔力を信じて…》
制御輪が更に三本、射出道の先に追加される。
もう紅い瞳の中に迷いの色は無い。
†
「アデモッロ、ピアッツォ、デルネーリ、ベッロ、アブルッツィ、ガッティノーニ。君達は、首都を完全に防衛する強固な光の結界の構築を担当してくれた、ありがとう。首都の繁栄は君達の尽力のおかげだ」
五人の司教が光の粒となって消滅する、少し遅れて雷鳴が轟いた。
「カポーニ、スカルキ、ヴァルセッキ、マウジェリ、オキーニ。君達は蝕人を保護、輸送のシステムを構築に大いに貢献してくれた」
再び五人の司教が光の粒となって消滅する、少し遅れて一度目よりも大きな雷鳴が轟く。
「リージ、リッツォ、カペレッティ、モンティ、ニグレッリ、君達の協力が無ければ、私が構想した大浄化を実行に移すことは難しかっただろう」
再び五人の司教が光の粒となって消滅し、より大きくなった三度目の雷鳴が轟いた。
「そして各聖体の顕現者となり、都市を守護し、恐るべき魔物たちと勇敢に戦ったアベラルド、パルミロ、イザック、フィリベルト、アマリア、君たちは間違いなく自らの使命を全うした」
光輝く巨大な卵にピシリと小さな亀裂が入る。
既に、聖堂内部に流入する光の粒は途絶えていた。
「なによりも、浄化者の孵化のために祈りを捧げてくれている数多くの民よ。この言葉にできない感謝の想いは、“大浄化の完遂”を以って返させてほしい」
ポツリと、教皇の頬を、墨のように黒い一滴の雨粒が叩いた。
†
明るい日差しを一身に享受していた壮麗な首都は今、上空に這い伸びてきた蠢く巨大な生命体の如き暗雲によって、暗い影の中に落されていた。
石畳の白い通りも、密集する家々の屋根も、都市内に点在する細く高い跡塔も、各区にある教会も、白い墓石が整然と並ぶ墓地も、光の都を形作るあらゆる白は、黒に染まっていく。
《首都直上まで雲は届いた…もう次は絶対に外さない、防げるものなら、防いでみろ…!》
激しくうねる魔力の雨雲の中心で紅い雷光を身体中に纏う
雲間に空いた丸い穴の先、黒い雨の中に微かに輝く聖堂の姿をトーマの網膜は確実に捉えていた。
†
光の結界と屋根を失った聖堂内には、黒い小粒の雨が降り注ぎ、白い壮麗な聖堂内部のあらゆるモノを黒く染め上げ、黒い小川を作っていた。しかし、中央に座する光を湛えた巨大な卵とゲオルギウスだけは、黒い雨が染み入ることなく、床に流れ落ちていく。
両手を組み合わせ、眼を閉じた教皇ゲオルギウスは、雨の中、詠唱を始める。
『それは鼓動する魂、それは循環する祈り、それは感染する救い。腐蝕する土は覚醒の芽を育てる。不変なものは何一つとして無く、癌化する遺志が結実させるは、白き蘇生の時――』
卵に入った亀裂はますます広がり、殻の中の光の明滅は、急かすように大きくなる。
『――主よ、我々の願いと行いが光の下にあるならば、我々にあなたの心臓を授けたまえ』
教皇が詠唱を終えると同時に、紅色の雷が轟音と共に直撃し、聖堂中央の台座もろとも教皇を跡形も無く消し飛ばした。
巨大な卵は粉々に砕け散り、浄化者の顕現は阻止された――。
否、暴れる雷光を纏った黒い塊を、殻の中から現れた五つの小さな光の塊が優しく受け止めていた。
それはまるで災禍すらも慈しむような、柔らかな光を湛えていた。
聖堂の中に紅い雷を撒き散らす弾体との魔力的繋がりを保持しているトーマは、それを受け止める光の塊から発せられる不気味なほどに優しい感触を口の内に感じていた。
《この光の塊は…危険だ。そんな…逆に、侵蝕される…!》
その感触が口から喉に波及しそうになるのを危険な干渉だと判断し、弾体への繋がりを断ち切る。
黒い雨の降りしきる大聖堂の中心に迫っていた弾体は、五つの光の塊に受け止められながら光の粒になって消滅した。
五つの光の塊がゆっくりと膨張し、収縮すると同時に大きな鐘の音が発せられる。
《侵蝕が消えていく…浄化…というよりは、祝福…しているような》
聖堂の中から発せられた鐘の音は、可視の光の波動となって、降り注ぐ黒い雨を消し去っていく。
幾何学的な構造の都市に降り注いでいた黒い雨は、鐘の音と共に浄化されていった。
《間違いない、あの光の塊が、“浄化者”だ。でも、どうすれば、ブレスを受け止めて、雨も雲も消していくような対象を、あ――》
聖堂の直上に強烈に輝く五つの光の塊が現れる。何かをしようと考える間もなく、五つの光は、西、東、南東、南西、南へと流星のような速さで飛んでゆき、見えなくなってしまった。
鐘の音は教国中に響き渡る。
クラーザ、マルフィナ、カプア、ジェハノ、フィエンツそしてヴェルナ。六つの光域都市の空が、輝く白に染め上げられていく。それは瞬く間に光域内の空を染め上げ、そして、その外の暗い空までにも広がっていく。
雲の上に飛び出したトーマは、蝕の帳も、月も太陽も星も全てを白一色で染め上げていく空を茫然と眺めていた。
そして、その
《あれ…伝令者…いや、違う…翼を持った、使者だ》
その白い空から、光輪を冠し、二枚の翼を持ったローブ姿の人型となって、教国全土に舞い降りてくる。
教国全土は、幾世紀ぶりに光溢れる正午を迎えた。
永劫にあり続けると思われた陽の光を遮る蝕の帳は、完全に教国から取り除かれた。
†
ジェハノ光域付近に位置する、疎林の傍のとある村。
ここはジェハノ侵攻時に必要な魔動脈の経路を確保するために、トーマが司祭を一人吹き飛ばし、その咆哮で村人たちを
あれから特に魔物による被害もなく、村は暗がりの中でつかの間の平穏を享受していた。
高い木の柱の柵で囲まれた狭いリンゴ畑の隅で正午の休息をとっていた男たちは、急激に白一色で染め上げられていった空を驚愕の顔で仰ぎ見ていた。
「おい、見ろ。空が白く明るくなっていくぞ」
「ああ…夢でも見てるみたいだ…」
「まさこれが“大浄化”って奴なんじゃねえか…確か、口うるさい司祭の爺さんがそんなこと言ってた気がするぜ。“近く、俺たちを救済する光がもたらされる”ってな…いや、この村に司祭なんていたっけか…?」
光満つる空から、光を纏った大きな白い翼を背に生やした使者が、村の中心に向けて舞い降りてくる。
「間違いねぇ、ありゃ、この世に浄化をもたらす者だ。約束の時が訪れたんだよ…」
†
《これが…大浄化…》
トーマは、白い空から有翼の使者が舞い降りてくるという神話じみた異様な光景の美しさに、思わず暗雲の頂上で見とれていた。
白い空が発する輝きを見つめる程に、思考が停滞し、身体の感覚が曖昧な綿のような不定なものに変わっていくのを感じるが、駄目だと思い抗おうという気まで一緒にぼやけていく。
(―なんだ、怖いものじゃない。呪いを払うだけじゃないか。別に、もう僕らが消えたって……。)
《俺の言葉が聞こえているな、トーマ》
聞きなれた落ち着いた低い声が弛緩していた意識を引き絞った。
剥離していた身体と魔力の感覚がピタリと結合していく。
周囲を見渡すと、いつのまにか白い空に引き寄せられるように高度を上げてことに気づき、慌てて火口上空の暗雲の中へと舞い戻る。
雲の中心へと潜りながら、思わず言葉を返していた。
《ウィクリフ、生きてたんですか!今、どこに―》
《この言葉は、俺が予めお前に転写した“
《そう、ですか…》
《教会の干渉を受けてこの“対話”の中身を捻じ曲げられるのを極力避けるために、このようなタイミングになってしまったのは許せ。しかし、聖域内部の中枢まで潜り込んで得た情報だ、その精度は信じるに値するはずだ》
次々と発せられる言葉を記憶に止めようとウィクリフの声に集中する、そんなふうに分析や指示を聞くのが、酷く懐かしく感じた。
《では、お前が究極の魔物となっていることを前提で話を進める。大浄化の目的は“全国民の催眠と洗脳”だ。“浄化者”とは、“国内全域に浄化効果をもたらす総体”の名だ。おそらく、それは個体ではない、光のように無際限に現れ、奇跡を撒き散らす。そして、“教皇は実体を持ち存在し、必ずどこかで大浄化を指揮している”。お前が先ずすべきは“浄化者の迎撃”だ》
《はい》
思わず返事をしていた。なんとなく、そうするのが無意味な行為とは思えなかったのだ。
《魔脈の中心体であるお前は、“個体であるが一人ではない”ということに留意しろ。即ち“力の解放と分配”だ。浄化者の最大の脅威はその数にある。それに対抗するにはお前もまた、教国規模の数の力を用いる必要がある。魔動脈と魔力の中心体を掌握するお前なら、何らか手段を講じられるだろう》
《教国規模の数の力…ですか》
《大浄化は規模こそ極大だが決して無敵の奇跡ではない、むしろ構図としては単純な形になったと言えるだろう。現れる浄化者に対応しつつ、教皇の存在する場所を見つけ出し、奴を殺せば全ては終わる》
《見つけ出してみせます》
《いいか、確かに“発現“した、しかし、お前が魔力を循環させている限りそれが“完遂”することは決してない。俺がこの言葉を遺した最大の理由は、お前が鼓動を止めてしまうのを恐れたからなのかもしれない》
《解りました…まだ望みはあるんですね》
《トーマ、お前が自分の信じる道を進むことを祈っている――》
そして、ウィクリフの言葉は途絶えた。
急激に周囲の雷の呻き声と、風の鳴き声が鮮明になっていく。
どうしようもない寂寥感の中で、“自分の信じる道”という言葉が妙に頭の中で反響していた。
両手を拘束していた枷を外し「ついてこい」と言って、部屋から出ていった黒い大きな背が、脳裏に浮かぶ。
(―あの時から、まさに僕は自分の信じる道を歩んできたと思う…)
たとえ魔物となり、人を喰らったとしても、その道を踏み外したとは考えることはなかった。
雲間に響く雷鳴と紅い閃光の中で、身体は自然とすべきことを成そうと、動き始めていた。
雷雲が厚みのある傘のように膨張しながら、トーマのいる中心から端へと続く多数の空洞が、放射状に生まれていく。
荒れ狂う雷雲の感覚に集中していた意識の中に突如聞こえて来たのは、柔和な雰囲気を装う男の声だった。
《やあ、トーマ君と言ったかな。私の“
偽りの奇跡を起こす者の言葉になど応えず、トーマは初めて魔脈に干渉した時の事を思い出していた。
あの時の想いを。“熱い血”を生み出した時の感覚を。
《私は神の代理人、教国の最高の指導者にして最大の
(―全ての魔力を持つ存在に今すぐ協力してもらうには、単に魔脈の鼓動だけじゃだめだ、僕の声を届けなければ)
今こそこの祈りを、この願いを、声に乗せてこの国に、この循環の中に轟かせる時だ。
自分の想いに呼応して、魔脈を巡る血が沸き立っていくのを感じる。
黒い鱗に覆われた胸の中心と、身体中の造血骨、そして太い喉が燃えるような紅色に輝いた。
《安全かつ速やかな大浄化の遂行に協力してくれないかな?》
獰猛な紅い牙の並ぶ大口を目一杯に開いて、叫んだ。
「ガア"ア"ア"ア"ア"アアアアァオ"オ"オオオオオオオン―――!!!」
強靭な喉が発せられる凄まじい咆哮は、分厚い雷雲の中に空けられた洞穴を通り、増幅されながら噴出し、大気を激震させながら教国全土に轟いた。
木々が揺れ、水面が揺らめき、蝕痕は脈動し、魔物たちは小さなものから大きなものまで、種族を問わず咆哮の源の方角を見つめる。
同時に魔動脈の活動が完全に覚醒すし、トーマの意思は、ユーリの心臓を通して、系の中を隈なく循環していく。
†
「なんだ今の音は。獣の鳴き声のようにも聞こえたが…」
村の中央広場。
作業の手を止め、跡塔の下に集まり空から降りてくる有翼の使者に見惚れていた村人達はふと我に返って互いを見る。
「そういや、この獣の鳴き声…どっかで聞いたことがあるような…」
「みんな、跡塔から、その使者から離れて下さい!」
声を張り上げたのは、村の外れの墓地の近くで幼い娘と二人で暮らしている痩せた女だった。今は小さな娘を抱きかかえている。
「あれは私たちを救ってはくれません。ただのまやかしです」
痩せた女は凛と言い張るが、長らく待ち望んだ救済の使者を否定された村人たちは憤る。
「何を根拠に…あれは教会の起こした救済の使者だ!新たな世界で俺たちを導いてくれるものだ」
「ママの言ってることは本当だよ。早く逃げないと、光の中に飲み込まれちゃうの」
幼い少女が母の胸の中から手を上げて言う。そこには蝕痕が刻まれていた。
「なっ…貴様、蝕人の子を匿っていたのか。なるほど、村外れの見張り役を買って出たのもそれが理由か」
「私と、この子の言葉が嘘かどうか、自分の胸に聞いてみて下さい。忠告はしました」
娘を抱きかかえた女は、村人たちを見据える。
浄化者は、細長い跡塔の頂きにふわりと降り立ち、捧げ持つように掲げた両手の内から光を溢れさせていた。
その光に当てられた村人たちは、次々と意識を失い恍惚とした表情で倒れ始めていた。
「判った信じよう…逃げるぞ…おい、あんたも逃げるつもりならさっさと来い」
「私たちは大丈夫です、先に逃げていて下さい。東の林の中ならあの使者は簡単に手出しはできないはずです。現れる魔物も刺激しなければ決して私たちを襲うことはありません」
「なんでそんな事が解るんだ?まあいい、一応礼は言っておくぜ!おい、皆!あの光を危険だと思う奴は東の林に逃げるぞ!」
一人の男が先導し村の外へと駆けていく、広場を遠巻きに眺めていた者達の中の半数はそれに追従したが、残りの者は怖気づいてその場に立ちすくむだけだった。
そして、跡塔の頂きにいた浄化者は、娘を抱く女に向かって優雅に舞い降りてくる。
「…アンジェリカ」 女は、迫る使者を睨みつつ腕の中の娘の名を呼ぶ。
「大丈夫、もうすぐ来るよ、ちゃんと返事してくれたから」 娘は平然と答えた。
女の前に舞い降りた浄化者が、不気味な程に白い、硝子細工のように細い両手を差し出そうとした瞬間、視界の端から飛び出した黒い何かが浄化者を横殴りに吹っ飛ばした。
小さな井戸の前に転がり込んだその黒い影の正体は、背からうねる赤黒い触手を生やした黒い狼の魔物であった。
「…!」
娘を抱きかかえた女は、異形を目の当たりにして唾を飲み、娘を抱く力を強める。
狼の魔物は、背の触手で白い翼を絡め取り、太い足で浄化者の身体を抑え込み、真っ赤な大顎で浄化者の纏う白いフードの上から細い首筋に深く噛み付いていた。
魔物からの強烈な侵蝕を受けた浄化者は、次第に色褪せ、光を失い、黒ずんだ土くれとなって崩れ落ちた。
「助けてくれたのね、この…魔物は、私たちを」
「うん。“私たちは血のつながった仲間だ”って言ってるよ」
背の触手をうねらせる黒い狼は、細い跡塔に近づき、白い石材の表面に触手を突き立てる。
黒い蝕痕がそこに滲み始めた。
†
触手を纏い蝕痕に覆われた巨大な蛇、蟲、蝙蝠、更に狼や猛禽類の魔物が、更には湖や池、河からは触手と蝕痕を纏った巨大な魚類が空中に泳ぎ出していた。
魔物たちは、蝕人の助けを呼ぶ声があればそれに応え、浄化者を迎え撃ち、各村や町の跡塔を侵蝕しつつ、首都を除く五つの都市へと集結し始めていた。
そして、五つの都市の中心にできた巨大結節もまた、トーマの声に応え、新たな形へと変異していた。
その黒い皮膜を破って巨大な赤い半球が現れ、さらにその赤い半球を突き破って十数本の巨大な赤黒い触手が伸び出し、空から降りてくる浄化者を打ち払っていたのだった。
†
《正直な所、世界を一変させる大事を成すためならば、人間の命というものはいくら消費したって構わない。そうは思わないかな?》
教国各地の空に顕現する浄化者の群れは、魔物や蝕の隆盛にも怯むことなく板のように白い空の下で隊列や陣形を組み明確に戦闘構えを見せていた。そして、細長い光の杭を手の内から作り出し、標的を補足するとそれ目掛けて投擲する。
一分の乱れもなく投擲される光の杭は、規則正しく降り注ぐ光の雨となって、教国各地で猛る魔物と蝕の勢力に冷や水を浴びせるかの如く、その勢いをそぎ落としていた。
教国の中央、血潮の山の上空には、数百体で構成された輪陣形が三本、各中点が△を成すように重なり合い、山の頂に広がる黒い雷雲に光の杭の雨を降らせていた。
密度の薄い端部の雲は削り取られ、中央に振る光の杭は辛うじて雲の厚みを通過する中で紅い雷に打ち落とされていた。
しかし、この局面にあってもトーマは、咆哮を放ってから後に満足に動くことができず、収縮を始める雷雲の中で不安定な飛翔で滞空を続けるだけだった。
(―身体が熱い…高度を維持するのが辛い…ウィクリフの言う通り、魔物や蝕人たちに力を与えることはできたけど…あまりにも循環の量と質が今までと違いすぎて、鼓動を支えるので精一杯か…)
《よろしい、君に対話の意思が無いなら、私から自由に話させてもらおう。君の耳に届いていると信じてね。生きることはまさしく一つの呪いだ。その証拠に、我々人間が一体どれほどの種の自由と可能性を潰し、同じ人間同士ですらも醜い奪い合いと殺し合いの上に成りっていると歴史が証明している。具体的な例を、あえて言葉にする必要はないだろう――》
純白の空の下に作られた浄化者の輪の数々は、更に二重三重に重ねられていく。
血潮の山に振る光の杭は、規則正しい五月雨のような勢いになっていた。
《――無益な競争、利己的な収奪、傲慢な支配、そして大いなる自己欺瞞、それが人間の生の本質だ。そんな呪いを撒き散らす存在を、あるがままにさせていいはずがない》
それはフィエンツでも聞いたような台詞だった。しかし、皆がバラバラだったあの時と違い、今はその破滅的な論を否定するだけの確信を得ていた。
だから、「お前の思いを聞かせてやれ!」と強く叫ぶ心の声を、これ以上抑えることはできなかった。
《違う…生きることは、それだけで奇跡の連続だ。僕らは、呪いから逃げるためじゃない、幸福を知るために生きているんだ!》
鼓動に合わせ胸の中心の紅い結節が輝きを強める。身体に帯びた紅い雷が周囲に発散していく。
《では、その雲から出て空を見上げてご覧よ。そこには“生という呪い”からの解放を望む数十万の祈りから作られた光の帳が張られている、そしてその祈りと同じ数だけ浄化者が顕現を続ける。これを、君はいつまでたった一人で止めるつもりかな》
教皇の声の通り、状況が悪くなっているのは事実だった。
黒い薄膜の瞼を閉じて、意識を魔脈全体に向ける。
最も成長した巨大結節を擁するクラーザでは、特に周辺の村落が浄化の標的となっている。
マルフィナでは赤く染まった湖と都市部の各広場に光の杭が落されていく。
開けた平野の中にあるカプアをまた都市部よりも周辺の村落に浄化者が送り込まれていたが、魔物の根城である森林が少ないこともあり、都市周辺から遠ざかるほど浄化を許す状況となっていた。
廃墟となった塔型の聖堂の地下に巨大結節のあるジェハノでは、地下からの侵蝕と頂上からの浄化でせめぎ合いを続けている。
最も成長の遅い巨大結節のあるフィエンツでは、都市の中央の巨大結節が光の杭の集中攻撃を受けていた。
(―急激な変化はないけれど…それぞれの状況にあった量の魔力を分配しながら自分も守るのは、確かに簡単じゃない…)
ウェルテやウィクリフのような戦況の指揮に慣れているわけでもないのに、いきなり多くの状況の俯瞰を担わなければならなくなったトーマの意識は、着実に摩耗していた。
が、まるでそんな苦境に答えるように、五つの魂が強く鼓動するのを胸の奥に感じていた。
(―惑わされるな、僕は一人じゃない…。アルクス、ティーフ、ネーヴェ、ウェルテ、ラルマ…ごめん。もし良かったら、あと少しだけ力を貸して下さい!)
五つの魂はすぐに呼応し、魔動脈を通って迅速に各都市の巨大結節へと流れ、同化していくのが分った。
フィエンツでは、周囲の森の中に生息していた蟲の魔物が、より強力な個体へと変異を始めた。
ジェハノでは、周囲の山岳から飛来した猛禽類の魔物が突風を纏って浄化者への攻撃を始める。
カプアにはネーヴェの魂が同化し、都市周辺の平野部に多数生息する狼の魔物の肉体構造が強化され、光の杭に貫かれながらも抵抗し始める。
湖の中に巨大結節が作られたマルフィナに同化したティーフの魂の影響によって、湖の中に追いやられていた魚類の魔物たちは界域を自由に出入りし、上空の浄化者へ反撃を始める。
そして、教国の中央やや南に位置するクラーザに同化したラルマの魂の影響で、付近一帯の魔物は影との同化能力と高い侵蝕能力を獲得し、地上に近い浄化者は不可視の魔物の餌食となっていった。
(―本当に、最後までありがとう…こんな僕を助けてくれて…これで目の前の敵に集中できる…。あとは、大量の使者を一度に捕捉する手段があれば…)
直ぐに、その考えを実現するうってつけの器官を持っていることに気づく。
(―僕の眼…強化できるかな)
魔脈全体から身体に、そして顔に、眼に向けて絞り出すような感覚を集中させていく。
すぐに紅い眼球を満たす
視界が真っ赤に塗りつぶされるが、焦らずに硝子体に定着するのを待つ。
(―まだ、少し視界は赤いけど、大丈夫…いける!)
巨大な黒翼を力強く飛翔させると、トーマは雷雲の中から上空へと飛び出した。
そして、真っ白な空に三重を輪陣形を作って浮かぶ浄化者たちを、その双眸で睨み付ける。
竜の視界に移る全ての浄化者の胸に小さな黒い十字の蝕痕が刻まれていく、そしてバクリと開いた口腔から間髪入れずに巨大な黒い火球を放った。
浄化者たちは素早く三重の輪陣形を解き八方に散開しながら黒い大火球に向かって光の杭を投擲するが、巨大な黒炎の球は陣形の遥か手前で炸裂する。
内部から弾け飛びだした大量の小さな黒炎の弾が、蝕痕の刻まれた各浄化者に向けて、それぞれ飛来していく。
瞬く間に、数百体の浄化者のうち、トーマの視界の中に納まっていた九割の浄化者が黒い爆炎の餌食となって消滅していた。
(―視界に収め続けてないと、刻印を維持できないか…ある程度の距離が離れるとたぶん上手くできないな…)
《これは驚いたよ。まさか、使者を侵蝕する魔の瞳まで持っているなんてね。しかし、世界を滅ぼす悪魔とはそういうものでなくては》
おどけたような色を滲ませる教皇の声に、トーマは毅然と返す。
《光の教会は人々を幸福にするものだと思っていました、あの枷を外すまでは》
《枷を外された人間はただの獣だよ》
《僕の心は普通の人間です》
どこまでも白いだけ空には次々と浄化者が現れ、数百体で一つの輪陣形が次々と空に構築されていく。
空に作られた浄化者の軍隊は、血潮の山の頂に向けて、容赦なく光の杭を降らせていく。
《ふむ、それなら、“私の記憶”を探ってみるとしよう。カプア侵略時に光域の隅の村で君が捕食した
空が湾曲し、ぼやけていく。視界から侵蝕するトーマに対抗するための“
《ユーリの心臓は、ジェハノ光域に近い教国西部の村で僕が司祭を殺した事で助かった女の人は今、蝕人の娘と一緒に暮せている事を教えてくれた》
が、そのような薄い奇跡は、トーマの魔眼の前には通用しない。
空に浮かぶ四つの陣形を成す全ての浄化者の胸に十字の蝕痕が刻まれる。
トーマの口腔から次々と放たれた巨大な黒い火球は、炸裂すると、一発残さず浄化者の軍勢に命中し、それを破壊していく。
浄化者の供給は一時停止する。しかし代わりに白い空が放つ輝きがより一層強くなった。
《クラーザの西の広場で君が食べた少女の日課は、毎朝、そこに建っていたはずの跡塔の下で、平和な日々に感謝の祈りをささげることだったというのは知っていたかな》
輝きを増した白い空が、眼を刺す程に強い光を放ったかと思うと、血潮の山の山頂上空を中心点として、遥か遠方、数里程度の半径の円周上にぐるりと三段の浄化者の巨大包囲円陣が作られているのを視認する。
その包囲陣から一斉に光の杭が、血潮の山に向けて投擲される。
(―山頂からじゃ刻印するための距離も足りない、輪の全てを視界に収めることも不可能だ…でも!)
《フィエンツ光域に続く街道の村で僕に立ち向かった勇敢な少年は、司祭の元で勉強に励んでいるを教えてくれた》
東の空から巨大な蟲の魔物の群れ、西の空から猛禽の魔物の群れが現れ、その牙や爪、あるいは触手で浄化者を絡め取り侵蝕、破壊していく。
大量の空からの援軍は、東と西、そして南に展開された浄化者を抑えてくれていた。
(―ありがとう。ほんとうに、何から何まで)
トーマは、北東へと飛び、そこから見える浄化者を撃ち落とすと、西へと進路を変えながら浄化者を次々と爆撃していく。
《君が踏み潰したフィエンツの修道院長アマリアは、教会の中でも傑出した自由と平等の思想の持ち主であり、真に君たちの苦しみ取り除こうとを案じていたことを教えておくよ》
一通り殲滅し終え、血潮の山から数里ほど北西にいたトーマは、高度を上げながら、血潮の山の上空へと戻ろうとする。
白い空の輝きが弱まっていたためか、攻防が始まってから感じていた飛行中に身体を刺すような微弱な負荷を、今は全く感じなかった。
が、すぐに、空は輝きを取戻し、浄化者の再展開が始まる。
《アルクスの妹、今も審問の院の一室で寝ているラウラは、ユーリの心臓を得た僕が循環の調整をしていなければきっと三日後には命を落としていた》
山頂を覆う暗雲の近くまで高度を下げつつ、再びトーマは魔眼による蝕痕の刻印と炸裂火球での攻撃を始める。
《君の仲間の蟲使いの子…ウェルテ君だったかな、彼女が残した“保存食”がまだいくから残っているようだけど、どうするつもりだい?》
《僕が責任を持って魔脈に取り込みます》
もはや、休むことなく血潮の山の上空に新たな軍勢が作り出され続けており、トーマは山の周辺を飛び回りながら、大量の浄化者に蝕痕を刻み、火球を放ち続けていた。
時折、山から外れた場所で高度を上げようとすると、それに反応するようにすぐ上空に浄化者が展開された。
《今までしてきた行いに良い面があるなら、悪しき面は許されるべきということかな》
《許されようなんて思ってません。僕は、僕が抱える矛盾を受け入れることにしたんです。その矛盾が人の証だと思うから》
無尽蔵に現れる浄化者を的確に処理する黒竜の姿はむしろ優勢にも見えたが、黒い竜は紅い血涙を頬に伝わせながら戦っていた。
硝子体の酷使によって循環経路から溢れた魔力が紅い血涙となっていたのだ。
それは、トーマの疲弊を如実に表していた。
しかし、ここまでの戦闘を経てトーマは、ある仮説を立てていた。
即ち「教皇は白い板のような空の上にいるのではないか?」というものだった。
まず“教皇は攻撃よりも防御を優先している”こと、そして“より高度上げ空に向かおうとするのを否定するような浄化者の展開の仕方をしていた”ことが、その根拠だった。
《過去をあげつらってみても僕は止められない。僕らは絶対にお前の思い通りにはならない》
《そうみたいだね。できることがあるなら、全て試してみるといい》
直ぐにトーマは両翼を勢いよく羽ばたかせ、雷雲を下に突き抜け、再び火口の中に潜航する。
身体の中心まで響く、ゆっくりとした大きな鼓動は、緊張する心を丁度良くほぐしてくれる。
(―大丈夫…鼓動は正常だ、もう少しだけ力を貸して、ユーリ)
先と同じ手順で魔力のマグマを巨大な膜の中に滞留させ、大きな鼓動と共に破裂させる。
火口から噴出したマグマは、山頂の暗雲を巻き込み竜巻状に成長させながら白い空に向けて柱の如く伸びていき、ついに、空に到達した。
浄化者は黒い竜巻雲を破壊しようと殺到するが、強烈な風と紅い雷で次々と破壊されていく。
竜巻の中心、柱の芯の部分に構えたトーマは、首都を狙撃していた時と同様の形で展開した血印の制御輪を用いて、渾身のブレスを白い空に向けて放つ。
轟音が天上を揺るがした後、真っ白な空に巨大な黒い亀裂が走っていた。
トーマは、力強く翼を羽ばたかせ、紅い雷光は走る竜巻の中を抜けて、白い天上の亀裂の中に飛び込んだ。
(―なんだか…見覚えのある景色だ)
見渡すのは、どこまでも真っ白な地平が広がる空間。
しかし、天上は蒼く、正午を少し過ぎた力強い陽がさんさんと輝いていた。
教皇はすぐに目視できた。
侵入地点である、赤黒い亀裂から少し北に羽ばたいただけだ。
教皇は、頭上に光輪を冠し六枚の翼を背から生やした五体の使者に、左右と前方にV字を作るようにして一定の距離を取って囲われて立っていた。
使者たちに囲まれた教皇は、焦るわけでも、敵意を露わにするわけでもなく、上空から去来する黒い竜を、ただ鷹揚に迎えた。
「ようこそ光の座へ、トーマ君」
柔和な声は何か奇跡でも掛けられているのか、空に浮かぶトーマの耳にも、まるですぐ横に立っているかのように鮮明に届いていた。
「紹介するよ、この子たちは蘇生された五つの都市の聖体を司る特別な浄化者なんだ」
教皇を囲う六枚翼の浄化者は、他の者と違い明らかに少女の身体を有していた。その石膏のように透けるような白い肌は一切れの布すら纏わず露わになっている。その顔は造り物であることを体現するように生気に乏しかった。
今、それら五体の少女の浄化者の十個の瞳は、空に浮かぶ黒炎の竜の姿を機械的に捉えていた。黒い竜もまた、縦長の黒い瞳孔を開げ侵蝕を試みていたが、五体と一人、そのいずれにも全く通じなかった。
しかし、トーマの意識と思考は“次の攻撃手段の模索”や“奇跡に対する警戒、回避行動”などではなく、教皇を囲う五体の有翼の少女たちに“欠けているもの”と、“有しているもの”に着目することに費やされていた。
教皇の右手側に立つ少女は、右肘から先が無く。
左手側に立つ少女は、左肘から先が無く。
右斜め前に立つ少女は右膝から先が無く。
左斜め前に立つ少女は左膝から先が無く。
そして、教皇の正面に立つ少女は五体は満足であるが、骨盤や背骨までもが浮き出る程に腹部だけが異様に凹んでいた。
《五つの都市の聖体…》
「そうだよ、この子らはまさに君たちの手によって、あるべきものが欠けてしまっているんだ――」
未だに、白い地平の上空で黒い翼を羽ばたかせ、教皇と欠損した五体の浄化者を見下ろすトーマに、火球の
「――もっとも、六つ目の聖体である“頭部”は私が保護していたおかげで、欠けずにいられたけどね」
その五体の欠損した有翼の少女たちの有する顔が、ユーリに瓜二つ――いや、全くそのものであり、それがとてもごく当たり前のことだと感じる自分がいたからだった。
「待っていたよ、君が最後の聖体“心臓”を持ってきてくれるのを」
教皇は、造り物のように整った顔でにこりと笑顔を作る。
《僕の…ユーリの心臓》
どくん、と大きな鼓動がトーマの胸を打った。
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