6-5 確実なもの
《さっきまで、こんな巨大な白い殻は無かったはずですが…》
《“
ウィクリフは、すぐにトーマに指示を出す。
《トーマ、全力で一発撃ってみろ》
《はい》
飛竜の口腔に紅い小さな硝子玉のような球体―血印が現れる。
それは火を纏い大きな火球となっていく。飛竜は口腔を閉じる。火球は限界まで圧縮される。更に、二個の血印が飛竜の口唇の先に湧き上がる、それは紅いリングに変形した。
口腔から圧縮された火球が放たれると同時に、輪状の血印が回転、火球に回転力と推進力を与える、回転によって変形した火球は、もはや球というよりは円錐形の砲弾に近い。その炎の砲弾の回転が限界に達すると同時に、輪状の血印が消失し、炎の砲弾を解き放った。
炎の砲弾は、凄まじい速度で白い殻壁の壁に向かって飛び、その壁に穴を穿ち、内部へと貫通するが、著しく速度や回転、圧力が減少しており、重厚な大聖堂の外壁に着弾し炸裂するも、僅かな亀裂を入れただけだった。
穿たれた大穴の断面を、殻壁の表面を伝って這い伸びた結晶の霜が包む。しかし、大穴の断面を覆う灰色の結晶は、壁の断面から輝く白い光を受けると、砂粒のようにサラサラと崩れてしまった。
戒めの無くなった、大穴は時間を巻き戻すように瞬時に修復され、傷一つ無い白い曲面へと戻った。
《僕の砲撃だけじゃなくて、ネーヴェの結晶まで効かないなんて…》
《殻と殻の間の空間に極限まで高められた
ウィクリフは分析する。
《今くらいのブレスを連続で撃つのは、さすがにちょっと難しいです…》
《ここまで魔脈を伸ばして追いつめるか?》
アルクスは言う。
《いや、魔動脈からの支援を得ている貴重な時間を、魔脈の成長に消費するのは下策だ。魔動脈の支援があるうちに突破しなければ、》
《んなこと言ってもなぁ…殻にいくら傷を付けたって意味はねえし》
《地中の殻に穴を開けて、蟲を中へ入れてみればいいんでしょ》
と、言葉を発したのはウェルテだった。
《確かに光の届かない地の中は、修復の力は弱いだろう。だが、それは開けた穴が塞がれないということではない、多少蟲を潜らせても無駄死にさせるだけだぞ》
《任せて。そろそろ“巨蚯異種”《ワーム》が到着するから。地中から殻壁への攻撃と妨害、できるわね?ティーフ》
《うん、まかせて》
界域の中の大海蛇は大口を開け、周囲の界水を吸い込み始めると、その長い身体の首から胸部にかけてみるみる膨張していく。エラから細かい無数の気泡が放出されると同時に膨張した胸部が収縮する。
《いつでも撃てるよ》
《了解、後少し…》地中から響く、岩を削り取るような重い音が、蝕痕の蔓延る東の村を通り抜け、ジェハノへと向かっていった。
《今、撃って》
喉部の膨張が収縮すると同時に口腔が開かれ、巨大な水球の弾頭が放たれる。
界域から地中に飛び出した圧縮界水の弾頭は地中を掘削しながら直進し、地中に張られた殻壁に直撃して、地を揺らす激しい衝撃と共に殻壁に大穴を空けた。
修復される間もなく、地中を掘り進んで来た巨蚯異種の長大な身体が、その穴を突き抜ける。
そして、
その頭部は黒い巨大な円錐形の花のつぼみのような形状で、花弁の如き大口を開くと、その口内から無数の
《侵入、成功。跡塔に攻撃をするわ、今のうちに地上からも殻壁へ攻撃して!》
聖堂の壁に空いた
蟲の群れは削られながらも、十数匹程度の
《いきます!》
白い殻壁と地面が接している場所に飛竜の砲撃が直撃し、巨大な爆炎と共に地面を抉りながら大穴を穿った。その大穴を、地面から生えた三本の分厚い結晶の柱が押し広げるように支える、蟲の攻撃とそれへの迎撃によって殻の減衰の力が弱まっているため、柱は簡単には押し潰されず、亀裂を入れつつも持ちこたえる。
結晶の柱と柱の間には掌がどうにか入るくらいの隙間からジェハノの中へ、黒い影が滑り込んでいった。黒い影は、家や壁の上を走り抜けて、迷路のような路地に構うことなく一直線に、聖堂の下、表層に黄色の斑模様の出来た跡塔を目指す。
聖堂の壁に開けられた矢狭間から正確に降り注ぐ光の矢の雨は、確実に迫る蟲の群れを屠っていた。
《後退して矢を引きつけるわ、止めをお願い》
《はいよ》ウェルテの指示に答えるラルマ。
影の中に潜む黒豹の眼前で、跡塔に纏わりつこうとしていた蟲の群れは散り散りになってジェハノの中央から引いていく。光の矢は蟲を追うように、遠くへと狙いを変えていく。
その一瞬後に、影の中から飛び出した巨躯の黒豹が、その両前足で白い光りを纏う跡塔を×字に切りつけた。
大きな黒い爪痕は布に墨を垂らしたように白い跡塔全体に広がり、跡塔を黒ずんだ石塊へと変える。
《ジェハノ中枢の跡塔の破壊を確認した》
程なくして、都市を覆う巨大な白亜の殻壁に亀裂が走り、砕けて光の粒になって消えていった。
ジェハノの内部が露わになっていく。
密集した高めの家々は、どれも厚い壁で作られていて頑丈そうだ、屋根は瓦ではなく、白い煉瓦で扁平に作られている。道は狭いが、物資の輸送や移動に支障がないように配慮して作られており、雑然とした印象は抱かない。そして、街の中の要所には、構築者を設置するのに都合の良さそうな台座や支柱が建てられていた。
しかし今、全ての跡塔は破壊され、ジェハノ大聖堂はその威容を、暗い空の下、魔物達の前に晒すだけだ。
その武骨で重厚な石造りの外観も、今の魔物達の前にとっては、単なる装飾に過ぎなかった。
ジェハノの外縁の上空には、今まさに火弾の砲撃の準備をしている飛竜が飛翔し滞空ていた。飛竜に向けて聖堂外壁の矢狭間から横殴りの雨のように細い光の矢が撃ち放たれる。
しかし、飛竜の前にグリフォンが飛来し、勢いよく羽ばたくと気流の渦が発生し、光の矢の雨は渦に巻きとられるようにして大地に落下していった。
《塔の最上階だ、そこに聖体がある》
《はい、破壊してみせます》
飛竜の口腔から放たれた渾身の炎の砲弾は、巨大な円筒型の大聖堂の最上部を丸ごと吹き飛ばした。
《…あれ》
屋根も壁も無くなり、円筒の聖堂の中央の細い円筒の足場が
そこに聖室の中に輝く白い球体は無く、代わりに、円筒の足場の中央から天上に向けて、細い筒、砲身のようなものが突き出していた。
その隣には、大司教フィリベルトが佇んでいた。その顔に追いつめられたような悲壮感はない、むしろ妙な余裕さえ感じさせた。
《聖体が無いですね…》
《大司教の首を刎ねろ、どっちにしろ終わりだ》
ウィクリフは動じる事無く指示する。
《言われなくとも》
聖堂の壁を駆け登った黒い影が、フィリベルトの立つ足場を通り過ぎる一瞬前に、フィリベルトは右手を天に向かって掲げた。円形の足場の中央から突き出た砲身から、天に向かって何かが発射されたが、それは、認識する暇もなく虚空の中に溶けるようにして消えた。
右手を降ろした直後に、フィリベルトの首は胴から別たれる、しかし血を撒き散らす事無く崩れ落ち、転げ落ちると、胴共々光の粒になって消えていった。
《よーし、じゃ、さっさと魔動脈の暴走とやらを落ち着けてくれよ、なんだか身体が軋むっつーか…熱くて熱くてよ》
《いや、少し待て…。ジェハノの聖体は破壊されたが、消失はしていない。各自、周囲の警戒を怠るな》
《は?どういうことだ》
その数秒後、界域の中に潜る大海蛇を除く、五体の魔物達の胸に光が当たる。丁度、陽の光を鏡で反射したような。ただし、暗闇の中で、そんな光の発生させる源があるはずもなかった。
《なんだ、これ、胸の辺りが冷たいような》
トーマは、飛翔しながら首を曲げて自分の胸を見る。
《…いかん!皆、己の心臓を守れ!奇跡の発生を示す光だ》
珍しく声を荒げ警告するウィクリフ。しかし、その声が届くが早いか、五体の魔物達の胸に白い杭が突き刺さった。
絶対不可避の一撃。魔物の心臓を停止させる戒めの杭だった。
飛竜とグリフォンは空中で動きを止め、草地に落下する。
黒豹と灰色狼も同様に動きを止め、地面に倒れ伏す。
東の村で、繁殖胞の上に張り付いていた蟲の女王は、杭に貫かれた身体を丸めて完全に動かなくなっていた。
《信じられん。聖体を“戒めの杭”に変え、複製し、“
《ウィクリフ、みんなの魔力の循環が停止しそうだよ!》
ティーフは悲痛な声を上げる。
その声にウィクリフは我に返り、いつもの冷静さを取り戻す。
《解った。俺は杭を受けた者達の心理的汚染を可能な限り無効化する。ティーフ、お前は無理やりにでも、魔力を送り続けろ。魔動脈との接続が生きている今ならまだ、高濃度の魔力で心臓の凍結を阻止できる》
界域の中を泳ぐ大海蛇は、水胞を貫く魔脈の大樹のある位置まで戻り、その水胞を巻きつくように抱える。
《あ、ウェルテ…?》
緩衝器に取り付いたティーフは、いち早く、一人の魂が無事である事を悟った。
《…こんな所で、転生させられるとは思わなかったわ、この身体が成熟するまでは無理はできないけれど―》
以前より細身な女王蜂の魔物が東の村の繁殖胞の中より誕生していた、ウェルテは自分自身を新たな個体に転生させることで、不可避の杭を回避していたのだ。
《―私も停止している魔物達の血管に、直接魔力を射ち込んでみるわ…》
繁殖胞から孵化した
《…あたしも、大丈夫》
ジェハノの東部の大きな石造りの家の屋根の上で倒れ伏していた巨躯の灰色狼は、息も絶えだえに起き上がる。
ウィクリフの声を聞いた瞬間、ネーヴェは己の内臓から心臓の表層に至るまで結晶化させて、杭を体内でなんとか止めていた。
狼は屋根の上に発生させた結晶で、胸に食い込む白い杭の尻を固定すると、ゆっくりと身を引き、自力で抜き取った。数滴の血が滴り、白い煉瓦を濡らす。しかし、胸に空いた大穴はすぐに結晶で塞がれていった。
《残るは三人か》
《―戻ってきて、ラルマ、アルクス、トーマ…》
水竜が抱える水胞を貫く太い魔脈の幹から伸びた枝が、水竜の長い腹部や尾部を貫く。痛みがあるはずだが、ティーフはそれに構わない。
界域の中に吊られているティーフの人の体。それとハイブの締結器とを結びつける鎖が軋む。ティーフの人体の胸や太ももは、透明な薄赤い太い管で貫かれていた。によって界域の深層へと引きずり込まれようとしていた。
《まてティーフ。それ以上魔物に親和しては、人としての器が無くなるぞ》
しかし、ウィクリフの手元に広げられた啓発者の頁には、昏睡する三体の魔物を助けるためにはまだ魔力の循環が不足している事が記述されてる。
《いいよ。死んじゃうわけじゃないし。それより、みんなを助けないと》
ティーフの右手を繋ぎとめる鎖が界域の中で断ち切れた。
《…感謝する》
ウィクリフは短く、そう言った。
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